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第二話

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 部屋に戻ったマリアーナは、汚れたドレスを脱いで濡れた髪や顔を拭いた。
 部屋は屋敷の奥の、玄関ホールから程遠い離れにあった。
 決して自分で選んだわけじゃない。
 けれど、意思の弱かったマリアーナは決められた場所に文句も言えず、女主人とは思えない部屋で過ごしていた。

 ーー前世からすれば広いほうだけど、貴族の娘からすると犬小屋よね。まだ使用人部屋のほうがマシかもしれない…。

 絨毯も敷かれていない剥き出しの床板に、簡易ベッドと色褪せた茶色のテーブルと椅子。衣類の入ったクローゼットには扉がない。
 結婚した当初は違う部屋だった。もっと豪華で華やかな、伯爵夫人に相応しい部屋が用意されていた。しかし、肝心である夫に見向きもされない妻に立場や権力などあるわけがなかった。
 手元にあった宝石は使用人に奪われ、ストレスの捌け口に虐められ、何度も部屋を奥へ、奥へと移されて辿り着いたのがここだ。
 台所からも遠く、食事は使用人の気が向いたときにしか運ばれてこない。丸一日何も食べられない時もあった。どうしても限界の時はこっそり自分で取りに行ったりもした。
 静かに、大人しく、息を潜めるようにして生きてきたのだ。
 そう、先ほどの女性とはまるで違う。
 派手な装いに、豊満な胸。真っ赤な髪に、深紅の瞳。人目を引く美貌を歪めて声を張り上げる様は、確かにマリアーナにはできない。まさに正反対の人だった。

『貴方が妻として役目を果たさないから私が代わりに彼の子供をつくってやったんじゃないの!』

 夫の子供を身籠ったから屋敷に住まわせろと乗り込んできた彼女を思い出して、マリアーナは肩を竦めた。
 なぜ彼女は私たち夫婦の内情を知り得たのか。それは夫自ら彼女に伝えたとしか考えられない。
 同時に、理解もした。
 夫が心を開き、好きになる女性は彼女のような人なのだ、と。
 確かに彼女のような人が好みなら、マリアーナでは役不足だ。好きでもない相手と結婚させられて、彼も被害者だったのかもしれない。

 マリアーナは数着しか残っていないドレスから一番地味で、平民が着るような紺のワンピースを手に取って着た。
 当然、侍女などいないマリアーナは服を着るのも一人だ。慣れたものだけど。
 それから棚の奥にしまっていた茶色の布鞄を引っ張り出した。
 家を出るから早いほうがいい。マリアーナがいれば夫と彼女の関係が拗れてしまう。
 鞄に残りの衣類と、実家から持ってきた裁縫道具と、隠しておいた僅かな金銭を詰め込んで肩紐を斜めに掛けた。
 よし、準備完了。
 忘れ物がないか部屋をぐるりと見回した後、マリアーナは部屋を出た。
 長く続く廊下を進んでいくと、膨れた鞄を持つ女主人の姿に、すれ違う使用人達は皆ギョッとしていた。
 大丈夫、彼らには新しい女主人がいる。マリアーナより夫に愛された本物の妻だ。

「お、奥様!?」

 玄関ホールに戻ってくると、他の使用人から伝えられたのか、家令が慌てた様子でやって来た。
 呼ばれて振り返ったマリアーナは、深々と頭を下げた。

「今日までお世話になりました。直ぐにここを出て行きます。旦那様にも宜しくお伝え下さい」

 まるで居候でもしていた人の台詞だ。自ら言って笑いそうになってしまう。
 顎を持ち上げたマリアーナはにっこり微笑んで、呆然と立つ家令や使用人に向かって、再び小さく頭を下げるともう二度と振り返らず屋敷を出た。
 これから向かう先は教会。
 やることは一つ。

 この結婚をなかったことにするのよ!
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