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第十四章「関ヶ原の戦い」
第七十六話「南蛮胴具足」
しおりを挟む石田三成の蟄居により状況は一段落したかと思いきや、今度は家康公の存在を快く思っていない会津の上杉景勝が居城にて戦の準備を進めておるとの報が入りました。これを危惧した家康公は使者を送り上洛を促すも、その返答は家康公を愚弄する挑発的な内容の物でした。この返答に憤怒した家康公は、ついに上杉征伐を決行するのでありました。
慶長五年六月六日 大坂城西の丸
「内府殿。内府殿の御出馬、どうか思い留まり下され」
大勢の将が集まる中、加藤主計頭(かずえのかみ)清正が家康公に諫言する。
「内府殿は現在、内大臣という重任をお引き受けになられておりまする。にも関わらず御自身が御出馬されるとは、あまりに軽々しい振る舞いと市井の者達は思う事でしょう。さらには内府殿の御出陣の後、奉行人たちが上杉景勝と申し合わせて東西から一度に挙兵したならば、御進退が非常に難しくなるでしょう。それよりは、細川、福島、黒田、池田、藤堂などに征討を命じ、それでもまだ不安に思われるならば、伊達政宗、最上義光、堀秀政などをお付けになれば、いとも簡単に軍功をもたらしてくれるでしょう。ですので、御自身が御出馬される事はお止め下さりませ」
主計頭の言葉に、家康公は落ち着いた口調で答える。
「お主が申す事はもっともなことだが、儂は武門の家に生まれ若い時から戦場を家にしてきた。しかし近年、内大臣という重任を受けて戦の事は全て忘れてしまった。幸い今回の征討は、老後の思い出とするものなので意気込んでいるのだ。東西で敵が挙兵しようとも、いかほどの事があろうか。不安に思わなくともよい」
「はあ・・・」
依然、不安な表情を浮かべる主計頭に家康公は告げる。
「主計頭殿。お主の軍略・知勇は天下に類いない。此度は、伏見の守りを頼みたいと思ったのだが、筑紫国の事が気がかりである。急ぎ帰国して戦の準備をしていただきたい」
その言葉を聞き主計頭の表情が驚きに変わる。
「しかし、某も諸将と共に東国の先鋒を務めさせていただきたい」
「主にしかできん事じゃ」
家康公の力強い言葉に、主計頭は渋々頭を下げる。
「御意・・・」
「確と頼んだぞ」
「はっ」
家康公は主計頭から視線を外し皆の方に向き直る。
「さて、上杉征伐の先鋒だが・・・」
家康公の言葉が終わる前に一人の将が大声を上げる。
「儂が参りましょう!」
いの一番に名乗り出たのは主計頭同様、豊臣秀吉殿の子飼いの将で『賤ヶ岳の七本槍』の一人に数えられる福島左衛門大夫正則。
「おお~左衛門大夫殿か。お主が名乗り出てくれるとは心強い」
「上杉の将など一網打尽にしてくれましょう」
「うむ」
家康公が頷いた直後、一人の将が声を上げる。
「では、儂も参りましょう」
同じく『賤ヶ岳の七本槍』の一人・加藤左馬助嘉明。
彼の申し出を家康公は受け入れる。
「相分かった」
「それでは儂も!」
また別の方からも声が上がる。
切れ長の目で顔に大きな傷がある男―細川丹後少将忠興。
さすがにこれ以上増えて来ると困るのか家康公は苦笑いを浮かべる。
「わかったわかった。先鋒はそのくらいで十分じゃ」
そして再度、皆の方に向き直る。
「皆の心意気、重々承知致した。今月中には大坂を出陣する。皆々、準備を怠るでないぞ」
「ははっ」
一堂は家康公に平伏する。
「では、軍議は以上とする。徳川の旗本衆のみ、その場に残られよ」
家康公の掛け声で旗本衆を除く将たちは続々と退散して行く。家康公は、外様の将たちが出て行ったのを確認すると口を開く。
「さて、まずは・・・」
そして、家康公と拙者の視線が合う。
「渡辺半蔵」
「・・・はっ?」
急に名前を呼ばれきょとんとする拙者を、家康公はまじまじと見詰めて告げる。
「お主に足軽五十人を追加で付属させる。此度の征討、旗本衆の先鋒を務めよ」
足軽五十人を追加?・・・てことは、計百人?
「は、ははっ」
拙者は驚き頭を下げるものの、まだ現状を理解できておりませんでした。
そんな拙者を余所に、家康公は小姓に何か指図する。
「おい、あれをここへ」
家康公の命で小姓たちが何かを取りに席を外す。
な、何じゃ一体?
拙者は何が何やら訳も分からず控えておると、しばらくして小姓たち数人が一領の鎧を持って入って来る。
見事な鳩胸の胴に椎形の兜。いわゆる南蛮胴具足と呼ばれる物でございまする。表面には綺麗な白檀(びゃくだん)塗りが施されておりました。
拙者は、その鎧の優美さに目を見張る。
そんな拙者に家康公が声をかける。
「お主は長年に渡って忠勤を尽くしてくれたでな。それを称え、お主にこの鎧を与える」
「そ、某にこれを?な、何故そこまで?」
そう質問する拙者を家康公はまじまじと見詰める。
「・・・数十年前、三河の一向一揆の折、お主とした約束『この現世(うつしよ)に極楽浄土を作る』。先日、ついその事を思い出してな。それが今、目の前まで来ておる。お主には、その極楽浄土への先導をしてもらいたいのだ」
一向一揆。数十年も昔の話を持ち出され困惑する拙者に家康公は微笑む。
「お主の気持ちがあの時と変わっていないのであれば、受け取ってもらいたい」
あの時の気持ち・・・それまで我武者羅に戦っていた儂が、あの戦いを契機に何の為に戦うかを決めた。『民の為に戦い、泰平の世を作る』。その気持ちは、もちろん今も変わってはいない。
拙者は家康公を見る。
今一度、気を引き締めよという事かや?
拙者は、にやりと笑い家康公に答える。
「ありがたく頂戴致しまする」
拙者の言葉に家康公は笑顔で応える。
「うむ」
そして、家康公は皆の方に向き直る。
「では、本題に入るとするか・・・」
そう話し始めた家康公の表情は先ほどとは違い真剣なものでした。
「主計頭殿との話にも出た伏見城の守りだが、儂としてはやはりお主ら徳川の者に任せたい」
「して、誰に致しまする?」
そう言葉を発したのは本多平八郎忠勝。
家康公はしばし考えた後、ゆっくりと名前を呟く。
「・・・鳥居彦右衛門」
ざわめく一同。
鳥居彦右衛門元忠殿は、幼少の頃から家康公と共にいる腹心中の腹心。
堪らず榊原小平太が声を上げる。
「殿。先ほど主計頭殿も申しておりましたが、もし万が一、大坂で挙兵があった場合、最初に攻撃を受けるのは伏見城。上杉征伐に出た将たちも援軍に戻って来られるかわかりませぬ。下手をすれば・・・」
「それは承知の上じゃ」
「しかし・・・」
「誰かがやらねばならんのだ」
「ならば、外様の将に任せれば・・・」
「外様の将では信用できん。奉行衆に寝返り、すぐに開城されてはかなわん」
「ですが・・・」
両者の押し問答の中、一人の老将が割って入る。
「儂は構わん」
鳥居彦右衛門殿本人でございまする。
「儂は、今年でもう齢六十二になる。老将が長生きをしても仕方があるまい。それになによりも、もし本当に戦が起こるのならば、こんなにも素晴らしい死に場所はあるまいて」
彦右衛門殿の発言に他の者たちは何も言葉が出ませんでした。
そんな中、一人の将が口を開く。
「儂もお供致しましょう」
そう言葉を発したのは、内藤弥次右衛門家長。徳川でも一、二を争う弓の使い手であります。そして、そのすぐ側にいた松平主殿助(とのものすけ)家忠も声を上げる。
「ならば儂も。我ら徳川の意地を見せてやりましょう」
さらには次から次に声が上がる。
「某も!」「我も!」
そんな光景に家康公は涙ぐむ。
「お主たち」
家康公は名乗りを上げた将たちをじっと見つめる。
「・・・わかった。伏見城の守り、お主たちにしかと任せよう」
「ははっ」
そして、家康公は視線を皆の方へ移す。
「お主たち、真の天下泰平の世はもう間もなくじゃ。『厭離穢土、欣求浄土』の旗の元、天下泰平の世を築き上げようぞ!」
「おー!」
徳川の旗本衆は、力強く拳を天に突き上げるのでした。
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