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第十二章「本能寺の変(裏)」

第六十四話「水野惣兵衛」

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天正十年六月九日 三河国 岡崎城

我ら徳川勢は伊賀を越えてわずか三日のうちに岡崎に到達する事ができました。
岡崎に戻ったのも束の間、家康公はすぐさま織田・穴山領の甲斐・信濃獲得に向け兵を動かすのでありました。そして、あらかたの陣立てを終えると家康公は伊賀越えでの論功行賞を行うのでありました。

「井伊万千代。此度、穴山梅雪を討ちし事、家中随一の働き成り。よって、お主にこの孔雀の陣羽織を授ける」
岡崎城の大広間、譜代の家臣達が出揃う中、家康公はそう言うと万千代に直接陣羽織を差し出す。
「ありがたき幸せ」
万千代は頭を下げ両手で一面孔雀の羽で覆われた陣羽織を受け取る。そして、そのまま万千代が後ろへ下がった直後、一人の侍が慌てて広間へと入って来る。
「失礼仕る!」
大声を上げ入って来る侍に家康公は驚きの表情を浮かべる。
「惣兵衛殿!」
そう呼ばれた侍は家康公の前で膝をつき頭を下げる。
この方は、水野惣兵衛忠重殿。家康公の叔父にあたり、刈屋の水野信元殿の弟で信元殿亡き後、水野家を継いだ御方でございまする。伊賀越えの際は、京に残り様子を探っておられたのですが、その後連絡が取れず戦に巻き込まれ亡くなったのではないかと心配されておりました。
「ご無事でありましたか」
家康公の言葉に惣兵衛殿は頭を下げる。
「はっ。某は大丈夫なのですが・・・」
「どうかいたしましたか?」
「それが・・・」
惣兵衛殿は顔を上げ険しい表情を浮かべる。
「当初から話を合わせてあったはずの丹後の長岡藤孝殿が動かず、明智光秀殿は孤軍奮闘のご様子」
惣兵衛殿の言葉に家康公は耳を疑う。
「長岡殿が・・・まさか裏切ったのか?」
「さあ、そこまではわかりませぬ」
家康公は苦い表情を浮かべるが、すぐに気を取り直す。
「しかし、事は予定通りに進んでおる。問題はあるまい」
「ただ、気がかりな知らせが・・・」
「何でござる?」
惣兵衛殿は依然険しい表情のまま家康公に告げる。
「中国より羽柴秀吉殿が明智光秀殿を討つべく京に向かっておると」
「何じゃと?」
家康公は首を傾げる。
「羽柴殿は中国の毛利攻めの最中、そう易々と戻って来られるはずがなかろう」
「の、はずなのですが・・・」
両者が思案に暮れていると、酒井左衛門殿が口を挟む。
「あのずる賢い猿の事、何らかの方法で事前に此度の件を知っていたのなら話は別でござる」
左衛門殿の意見に家康公は首を傾げる。
「此度の件は一部の者しか知らん事、それをどうやって・・・」
そこで家康公は、はっとする。
「まさか、長岡殿が羽柴殿に」
「その可能性はありますな。しかし、真相はどうであれ状況はよろしくはないですな」
左衛門殿の発言に一同は耳を傾ける。
「羽柴秀吉が此度の件を事前に知っておったとすると、明智殿に織田信長殿を討たせ、自身は仇討ちという大義名分を掲げ謀反人の明智殿を討ち取る。さすれば、天下の趨勢は羽柴に傾きまする」
「・・・こうしてはおれんな」
家康公はそう呟くと、我々の方に向き直り大声を上げる。
「皆の者、急ぎ上洛に向け陣を組み直すぞ!」
「ははっ!」

翌六月十日、家康公は急ぎ各地の将たちに出陣の要請をかける。しかし、すでに甲斐に向け出立した軍もあり、中々兵は揃いませんでした。
そして、惣兵衛殿の知らせを受けてから五日目の六月十四日。ようやく陣立が整い、我ら徳川は京へ向け軍を進めました。
しかし、翌六月十五日、尾張の鳴海の地にて羽柴殿の使者が来られ、六月十三日に山崎にて明智殿を討伐したとの知らせをもたらしました。この知らせを受けた時の家康公の落胆ぶりは言葉には表せませぬ。そして同日、明智殿の首が本能寺に晒される。
明智光秀殿は此度の件については何も語る事なく亡くなり、羽柴秀吉殿は本能寺の一件を明智殿の怨恨による単独犯行とみなす『惟任退治記』を執筆させる。これは家康公をはじめ謀反に協力した者たちに謀反を知りつつも、それを利用した自身の行為を黙認させようとするものであった。
そして、明智殿と旧知の仲であったが寝返った長岡藤孝殿も沈黙を守り、本能寺の変はこうして幕を閉じたのであります。
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