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第十二章「本能寺の変(裏)」

第六十ニ話「和泉国」

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天正十年六月一日宵の口 和泉国 堺

我らは、織田信長殿の勧めにより京・上方を遊覧する事となりました。遊覧中は信長殿の家臣・長谷川秀一殿の案内もあり無事に諸国を廻る事ができました。
安土城を離れて九日目。和泉国・堺まで来たところで信長殿より急ぎ上洛せよとの報を受け、我ら徳川家臣団は酒井左衛門殿によって急遽一同に集められたのでした。一同が居並ぶ中、左衛門殿が家康公を伴って部屋へと入って来る。そして、家康公が上座に腰を下ろすと左衛門殿が口を開く。
「織田信長殿より明日六月二日に上洛せよとの沙汰があった。これに伴い、皆をここに集めた訳じゃが・・・」
左衛門殿は、そこで一度間を置くとゆっくり一同に目配せをする。
「皆、ここからの話は絶対に他言せぬように」
そして、左衛門殿の口から発せられた言葉に我々は驚愕する。
「明日、京・本能寺において織田信長殿が死ぬ」

ざわめく一同。いの一番に榊原小平太が声を上げる。
「左衛門殿、それはどういう事ですか!?」
小平太の質問に左衛門殿は神妙な面持ちで答える。
「明日、本能寺におる織田信長殿を明智光秀殿の軍勢が攻め込み、これを討ち取る」
「明智殿が?」
小平太に続き、本多平八郎も声を上げる。
「何故、明智殿が謀反を?」
平八郎の質問に、左衛門殿は静かに答える。
「明智殿は信長殿が描く将来に不安を感じておられる。信長殿の目的は天下泰平ではない。あくまでも天下布武。ひたすら武によって、力によって国を治めていく、言わば覇道。他国を攻め、自国を繁栄させる。日の本の全ての国を攻め終えたならば、次は海を越えて半島や大陸の国々を攻めていく。常に戦いが続き、終わる事はない」
左衛門殿がそこまで言うと、家康公が口を開く。
「その戦いの連鎖を断ち切らなければ、天下泰平の世は訪れない。故に、我らも明智殿に協力する事にした」
家康公の言葉に小平太が声を上げる。
「しかし、徳川と織田は同盟関係にありまする。謀反に加担すると言う事は、いわば裏切り。他国との関係にも影響を与えかねませぬ」
小平太の忠言に左衛門殿は顔を曇らせる。
「仕方が無いのじゃ」
左衛門殿に続き、家康公も苦渋の表情を浮かべる。
「織田信長殿を討たなければ、逆に我らが討たれるのだ」
家康公の言葉に一同は首を傾げる。
「どういう事ですか?」
一同を代表して小平太が質問すると家康公は一度息を整えてから静かに答える。
「そもそも此度の明智殿の本能寺侵攻は本来、信長殿を討つものではなく・・・本当は儂、徳川家康を殺す為のものなのじゃ」
!?
その発言に一同は驚愕するも家康公は話を続ける。
「明日六月二日、上洛した我らは本能寺において信長殿に対し謀反を起こす。しかし、中国に向かう途中の明智光秀殿の軍勢が駆けつけ我らは討伐される。さらに、謀反を口実に織田軍は徳川領に侵攻。儂をはじめ、お主たち重臣を失った徳川軍は統制を失い、為す術も無く織田軍に討たれ、織田は見事、徳川領を手にする・・・これが信長殿の考えた策じゃ」
家康公の言葉を聞き、平八郎は愚痴をこぼす。
「少人数の我らが謀反を起こすなど一体誰が信じるのじゃ」
不服な表情を浮かべる平八郎に左衛門殿は落ち着いて答える。
「そんな少数の我らよりもさらに少ない人数で信長殿が本能寺にいたらどうだ」
「我らよりも少ない・・・いくらなんでもそれは無防備過ぎでは?」
「そうじゃ。無防備だからこそ、我らは少数でも信長殿を討てる。そう考えれば、世間の者たちも信じるであろう」
「信長殿はそこまでして殿を討ちたいか・・・」
「同盟相手を殺すのじゃ。水野信元殿や信康様の時と違い、信長殿とてそれ相応の大義名分が必要になろう。謀反を起こしたのでその場で討った。これほど都合がいいものはなかろう」
うなだれる左衛門殿に、今度は小平太が質問をする。
「しかし何故、信長殿はそうまでして我々を?二十年近く続く同盟ですぞ」
左衛門殿は、溜め息混じりに答える。
「当然と言えば当然かもしれん。そもそも織田にとって徳川との同盟は、東側の脅威に対抗する為のもの。今川、そして武田が滅びた今、東側の脅威はそれほどのものではない。むしろ、その領地を継承した徳川こそが織田にとっては邪魔な存在。脅威になる前に潰しておく。おそらくそれが信長殿の考えじゃ」
左衛門殿の話を聞き、重苦しい雰囲気となる一同。そんな中、家康公は毅然とした態度で皆に告げる。
「明智殿とは今後の事も含め話は済ませてある。我らは信長殿討伐の報を受けた後、急ぎ伊賀を通り三河国に戻る」
なるほど。安土での夜の会合はそういう事であったか・・・ん。
拙者は、そこでふと疑問を抱き質問する。
「明智殿との話が済んでいるのなら、今から動いてもいいのでは?」
拙者の問いに左衛門殿が答える。
「今から動いては案内役の長谷川竹丸殿と同行する穴山梅雪殿に怪しまれる。故に我らは、あくまでも知らせを聞いてから動かねばならない」
なるほど。そういう事か。
そして、今度は左衛門殿が皆に向かって告げる。
「すでに茶屋四郎次郎殿と水野惣兵衛殿には、京において本能寺の様子を探ってもらっておる。何かあればすぐに知らせてくれるであろう・・・平八郎」
名前を呼ばれた平八郎は頭を下げる。
「はっ」
「お主は明日、我らより先行して京へ向かい茶屋殿、もしくは水野殿と合流しいち早く事態の状況を把握せよ」
「はっ」
続けて左衛門殿は別の家臣の名を呼ぶ。
「服部半蔵」
やや驚いた様子で頭を下げる服部。
「はっ」
「お主の家は、元は伊賀の名家。我らが三河へ帰る道中、護衛をするよう伊賀者たちを集めよ」
「は、ははっ」
「そして、大久保治右衛門、新十郎、渡辺半蔵、榊原小平太、井伊万千代。お主ら五名は・・・」
そこで左衛門殿は、名前を呼んだ者達をじっと見据え言葉を繋げる。
「伊賀の道中で、穴山梅雪殿を殺せ」

驚く一同。左衛門殿は、その理由を述べる。
「この混乱に乗じて梅雪殿を殺せば、今後、我らの甲州統治を楽に進める事ができる」
「し、しかし・・・」
異議を唱える小平太を左衛門が押さえ込む。
「徳川の為だ。頼んだぞ」
左衛門殿の何とも言えない威圧感に一同は沈黙する中、唯一人声を上げた者がおりました。
「承知致した」
若々しく甲高い声。そう答えたのは家康公の小姓衆で、この年に元服したばかりの井伊万千代直政でございます。深々と頭を下げる万千代に、周囲の者達もそれに合わせ渋々と頭を下げる。そんな中、拙者は家康公に疑問を投げかける。
「穴山殿を殺し、甲州を手に入れる・・・それは信長殿の掲げる天下布武と何が違うのですか?」
拙者の発言に周囲は一瞬緊迫した雰囲気となるが家康公は冷静に答える。
「儂には儂の考えがある」
そして、家康公は拙者を見据える。
「無理にとは言わん。お主らが一番適任かと思い頼んだ。嫌ならば他の者にまかせるとしよう」
そこで拙者はしばし考え発言する。
「・・・その先に、殿の見据える先に誠に天下泰平の世があるのですな?」
拙者の質問に家康公はなぜか笑みを浮かべる。
「?」
怪訝な表情の拙者に家康公は優しく話しかける。
「すまん、つい昔の事を思い出してな・・・半蔵、三河での一揆の際、お主は儂に同じ様な事を言うたな。儂の気持ちは今でも変わらん。天下泰平の世。天下万民が幸せに暮らせる世をつくる。それが儂の想いじゃ」
家康公の言葉を聞き、拙者は家康公の瞳をまじまじと見詰める。そして、ゆっくりと答えを口に出す。
「・・・ならば此度の件、承知致しました」
拙者の答えに家康公は大きく頷く。
「お主らの手を汚させてしまうが、頼んだぞ」
「ははっ」
天正十年六月二日。織田徳川の運命が、いや戦国の世が大きく動こうとしているのでありました。

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