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第九章「虎松」
第四十二話「井伊万千代」
しおりを挟む慶長二十年五月 大坂
「井伊万千代はしばらくの間、家康公の小姓として仕えた後、天正十年、元服して名を直政に改めました」
老将の話に若武者は驚喜する。
「はっはっは、あの童は『井伊の赤鬼』と呼ばれし井伊直政でござったか」
「左様、若かりし頃は諸国を放浪し苦労を重ねておりましたが、殿と出会ってからは見る見る出世し、武田が滅亡した後は武田の赤備を引き継ぎ、彦根藩十八万石の祖となったのでございまする」
老将の説明に、若武者は遠くに見える赤備の軍団を眺める。
「大藩の藩祖にも、そのような過去があったのじゃな」
「ええ。どんな人間も辛い過去があるからこそ、上へと昇って行けるのでございまする」
そこで老将は一度咳払いをする。
「ですので、若も今のうちに苦労を重ねておくべきですぞ」
老将の言葉に若武者は苦笑いを浮かべる。
「ちなみに、どうすれば苦労はできるのじゃ。父上のように人質になる訳でもなし、直政殿のように諸国を放浪するか?」
首を傾(かし)げる若武者に対し、老将は淡々と語る。
「天から苦労をいただけないのであらば、ただひたすらに高みを目指すべきできでございましょう。さすれば、自ずと壁に当たりましょう」
「壁を越えるためには苦労が必要、か・・・」
若武者の言葉に老将は頷く。
「ええ。大御所様も何度となく壁に当たり、その都度、苦労を重ねて壁を越えて行きました。桶狭間の合戦、三河一向一揆、姉川の戦い、そして三方ヶ原の戦い・・・」
そこまで言うと、老将はふと何かを思い出す。
「そうじゃそうじゃ、大御所様と井伊直政が出会ったこの天正三年という年には、もう一つ大きな出来事がございました」
「というと?」
若武者の問いに老将は静かに答える。
「・・・長篠の合戦でございまする」
老将の言葉に若武者は息を呑む。
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