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第八章「三方ヶ原の戦い」
第三十九話「兄弟」
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小高い丘の上に建てられた浜松城。本丸がある丘の北側には深沼が、そして沼の東側には溜池があり、堀の代わりをなしておりました。深沼と溜池の間には数間ほどの道があり、その道の先に拙者たちが守る玄黙口がございました。
拙者は、城門の外にいる兵たちに向かい大声を上げる。
「皆、急ぎ城内へ入るのじゃ!」
城門の外には今のところ武田軍の姿は見えませなんだが、隣におる彦右衛門殿は何かを見つけたのか突如、怪訝な表情を浮かべる。
彦右衛門殿の視線の先、そこには折れた刀や矢などが体に突き刺さった血だらけの武将が倒れておりました。彦右衛門殿は思わずその武将の名を大声で叫ぶ。
「四郎左!」
その血だらけの武将は鳥居四郎左衛門忠広殿。彦右衛門殿の弟でございまする。
彦右衛門殿は急ぎ四郎左殿の元へと駆け寄り、その体を抱き上げる。
「おい四郎左、しっかり致せ!」
彦右衛門殿の呼びかけに、四郎左殿は朦朧(もうろう)とした状態で答える。
「あ、兄上・・・」
そして、四郎左殿は彦右衛門殿の手を掴むと擦(かす)れた口調で話し始める。
「戦場で死ぬつもりでございましたが、最期に兄上にお会いしたく思い・・・」
「もうええ、もう喋るでない」
彦右衛門殿が悲壮な表情で止めるも、四郎左殿は話を続ける。
「兄上、儂の分も生きて下され。そして、殿と・・・鳥居の家を、よろしくお願い致しまする」
「四郎左!」
瞳を潤ませながら弟の名前を叫ぶ彦右衛門殿を四郎左殿はじっと見詰める。
「本当は、本当は共に参りたいのでございまするが、それも叶わず・・・出来の悪い弟をお許し下さりませ」
そう言うと、四郎左殿の瞼(まぶた)がすっと閉じる。
「し、四郎左あぁー!」
彦右衛門殿の悲痛な叫び声が玄黙口に木霊(こだま)する。
拙者と半十郎は、ただただじっとその光景を眺めておる事しかできませなんだ。
彦右衛門殿の腕の中で永久(とわ)の眠りにつく四郎左殿。拙者は、ふと思う。
もし、拙者と四郎左殿がもっと籠城戦を主張してさえおれば、四郎左殿はもちろん、他の多くの家臣たちも命を落とす事は無かったのではないだろうか。
拙者の脳裏に後悔の念が過(よぎ)るが、拙者はすぐにその思いを振り払う。
いや、今更そんな事を考えてもどうこうなるものでもない。今はただ、より多くの者たちを城内に引き入れ、その命を助ける事の方が肝要じゃ。
拙者がそんなことを考えておると突如、背筋に悪寒を感じる。
!
拙者は、すぐさまその元凶を探るべく周囲を見渡す。
不気味な気配は、城門の外から感じられて来ました。
城門の外、そこには暗闇の中で血だらけの徳川兵が一人ぽつんと立って・・・いや、宙に浮いておりました。
なっ!
驚くべき光景に、拙者は思わず槍を身構える。
・・・霊か、それとも物怪の類いか。
冷や汗をかく拙者。隣におる半十郎も驚きの表情を隠せずにおりました。
徳川兵は、宙に浮いたまま徐々にこちらに近づいて来る。
その距離およそ十間。
先手必勝。拙者が徳川兵に向かい駆け出そうとした矢先、城内の篝火(かがりび)により宙に浮いた徳川兵の正体が明らかとなる。
その姿に、拙者は安堵すると同時に今まで以上に身を引き締める。
徳川兵の胸元、そこから突き出した大きな槍。その槍の根元を辿って行くと、徳川兵の背後に一人の武将が現れる。拙者はその武将に見覚えがございました。
生涯無傷の猛将『鬼美濃』馬場美濃守信春。一言坂で出会った武田の武将でございまする。
美濃守は槍を大きく振り払い刺さっている徳川兵を投げ捨てると、こちらに向かってゆっくりと足を進める。その様子に、拙者は再び冷や汗をかく。
さて、無傷の猛将にどう傷をつけるものか・・・。
拙者があれやこれやと策を講じておると突如、彦右衛門殿が大声を上げて美濃守目掛け突撃する。
「貴様ら、よくも四郎左をぉ!」
「彦右衛門殿!」
拙者の呼びかけにも答えず、彦右衛門殿は脇目も振らず美濃守に向かって行く。
「はああぁー!」
彦右衛門殿は渾身の突きを放つも、案の定、怒りに任せた一撃はあっさりと躱され、代わりに美濃守の横からの一撃を脇腹に食らい大きく吹き飛ばされる。
「があぁ!」
沼へと転がり落ちる彦右衛門殿。
美濃守は、止めを刺すべく彦右衛門殿に近づいて行く。
「させるか!」
拙者は、それを阻止すべく美濃守に向かって駆け出す。
「せいやあぁ!」
拙者は美濃守目掛け突きを繰り出すが、美濃守は半身になって突きを躱し、逆に拙者に裏拳を浴びせる。
「ぐっ!」
勢い良く吹き飛ばされるも、拙者は片手をつき辛うじて持ちこたえる。
「はぁはぁ・・・さすがは、不死身の武将」
拙者は口から出た血を拭(ぬぐ)い美濃守を見据える。一方の美濃守もこちらに目を向け、標的を拙者に定めたようでございました。
「があぁぁー!」
獣のような声を上げ拙者に迫る美濃守。全身を使った重い一撃が拙者に打ち下ろされるも、拙者は辛うじてその一撃を避ける。
美濃守の槍が地面を叩き割る様子を横目に、拙者はすぐさま美濃守目掛け槍で袈裟に斬り込む・・・が。
美濃守は即座に槍を下からすくい上げ、拙者の槍を上空に吹き飛ばす。
「なんちゅう力・・・ぐがっ!」
拙者が驚きの声を上げるのも束の間、美濃守は拙者の頭を鷲掴みにする。
拙者は、何とか拘束を解こうと足掻(あが)いてはみるが美濃守はびくともしない。
そうこうする内に、美濃守の手の隙間から拙者に槍先が向けられるのが見える。
やられる。
そう思った瞬間・・・。
「はぁー!」
誰かの叫び声と共に美濃守の手が拙者から離れる。
拙者は、すぐさま後方へと下がり美濃守との距離をあける。
状況を理解すべく拙者が前方に目を向けると、そこには美濃守と戦う半十郎の姿がございました。
半十郎は横目で拙者の無事を確認すると、美濃守との間合いを取る。
「・・・すまんな、半十郎」
拙者は美濃守を凝視したまま半十郎にそう告げると、半十郎も美濃守の方を向いたまま答える。
「礼は勝ってからに致せ」
「ほだな・・・」
まずは、儂らの前に立ちはだかるこの悪鬼を倒してからじゃの。
拙者たちの視線の先、暗闇の中で仁王像のように直立する美濃守は、こちらに向かって声をかけてくる。
「どこぞで見た顔と思うたら、いつぞやの兄弟か・・・今日は喧嘩しないのか?」
どうやら美濃守も一言坂で出会った時の事を覚えておったようでございまする。
不敵な笑みを浮かべる美濃守に対し、拙者もにやりと笑って答える。
「あんたがいなくなったらするかもな」
そして、拙者は刀を抜き放ち美濃守に突きつける。
「一言坂では平八郎だけにええ格好をさせたが、三河衆の強さは本多平八郎だけではないことを教えてやろう!」
拙者が美濃守に向かって駆け出すと半十郎もそれに続く。
「せいやあぁ!」
拙者が素早く連続した攻撃を繰り出すと、その合間を縫って半十郎の槍が美濃守を襲う。
以心伝心というものか。阿吽の呼吸で即座に息の合った攻撃が出来た事に我ながら感心すると共に、拙者たちが今まで共に生きてきた紛れもない兄弟であることを実感する。おそらく、半十郎も同じように感じておるに違いない。
拙者は興奮した状態で美濃守に啖呵(たんか)を切る。
「鬼を倒す事が、我が渡辺家の宿命じゃ!」
拙者が鬼退治をした我らの先祖・渡辺綱(わたなべのつな)の先例をあげて叫ぶも、当の鬼美濃は平然とした様子で拙者たちの攻撃を捌(さば)いておりました。
「・・・二対一で丁度いいくらいだな」
美濃守はそう呟くと、槍で拙者たちの攻撃を同時に受け一気にはね除ける。
体勢を崩す拙者と半十郎。その隙を狙い美濃守の薙ぎ払いが拙者たちを襲う。
「はああぁー!」
その攻撃が拙者たちに当たる直前、美濃守の槍の軌道が急激に変わる。美濃守の槍は、拙者たちを狙う代わりに自身に向けられた攻撃を払う事に使われた。
その隙に美濃守との間合いを取る拙者と半十郎。
「儂を忘れてもらっては困るな・・・」
美濃守を襲った張本人の声が聞こえてくる。
声の聞こえてくる方、そこには泥にまみれた彦右衛門殿の姿がございました。
「彦右衛門殿!」
拙者の声に応え、笑みを浮かべる彦右衛門殿。しかし、すぐに真剣な表情へと戻り美濃守に槍を突きつける。
「先ほどは感情の赴くままに動いてしまったが、この鳥居彦右衛門、同じ過ちは繰り返さん!」
そう言うと、美濃守に向け再度攻撃を仕掛ける彦右衛門殿。
拙者と半十郎も、すぐさま彦右衛門殿に加勢する。
落ち着きを取り戻した彦右衛門殿に加え、我ら兄弟の息の合った攻撃が美濃守を襲う。三位一体の攻撃に、さすがの鬼美濃も徐々に押されつつありました。
「ちっ!」
焦りと苛立ちを隠しきれない美濃守は、大声を上げて槍を振り回し拙者たちを無理矢理払いのける。
「があぁ!」
美濃守との間合いを取り身構える拙者たち。
「はぁはぁはぁ」
さすがの美濃守も大分息が切れておりました。
・・・勝てる。
拙者が不死身の武将相手に勝利を掴めると思ったその時、美濃守の背後、暗闇の中から一人の武将が現れる。
「大分苦戦しておるようだな、鬼美濃よ」
全身赤い甲冑を身にまとった小柄な武将。美濃守は、その武将の名前を呟く。
「・・・三郎兵衛」
小柄な武将―山県三郎兵衛昌景が美濃守の隣に並ぶと、その背後から同じく全身赤色の鎧を身にまとった兵たちが続々と現れる。
その光景に拙者は冷や汗をかく。
ありゃ~、さすがにこれはきついか・・・。
形勢逆転。たじろぐ拙者たちを、山県殿は鬼の形相で見据える。
「さて、そこを通してもらおうか?」
その問いに、拙者は不敵な笑みを浮かべながら答える。
「通れるもんなら通ってみりん・・・ただ、何が起こっても知らんでな」
拙者の言葉を受け、ざわつく武田の兵たち。
開け放たれたままの城門に、城内に鳴り響く陣太鼓の音、加えて大軍を前にしても余裕を見せる三河衆。武田の者たちは、いやでも何かあるのではないかと勘ぐってしまう・・・しかし、そんな中で山県殿だけは唯一人落ち着いた様子を崩しませんでした。
「なるほど。空城の計か・・・」
山県殿の呟きに、拙者は首を傾げる。
「空城の計?」
拙者の反応に、山県殿は目を見張る。
「なんじゃお主たち、知らんで行っておったのか?天晴れな奴らよ」
山県殿は、笑みを浮かべながら言葉を繋げる。
「空城の計とは、城門を開け放ち何か策があるのではないかと思わせて敵を退かせる。嘗て大陸で用いられた策じゃ。しかし、儂にそのような策は通用せん」
山県殿の説明を受け、そこでようやく拙者は納得する。
なるほど。それが左衛門殿の策略であったか。
左衛門殿の陣太鼓は今でも鳴り続けている。おそらくこれも策の内であろうが、しかし、目の前におるこの敵はそんな事を気にも止めない。
「さて、浜松城に攻め入り家康の首を討ち取ってやろう」
そう言って山県殿がこちらに足を進めようとするが、美濃守がそれを制止する。
「・・・鬼美濃、一体何のつもりだ?」
眉を吊り上げる山県殿に、美濃守は静かに答える。
「我らが真に狙うは家康の首ではないであろう。それに、あやつらの眼・・・命を賭けてでも己が主君を守り通す、そういった眼じゃ。それは、お主も先ほどまでの戦いで感じたはず」
美濃守の話に黙って耳を傾ける山県殿。
「このまま戦えば、我らもただではすまんであろう。孫子曰く『窮寇(きゅうこう)には迫ることなかれ』・・・追いつめられた鼠(ねずみ)は何をするかわからん」
そう語る美濃守を山県殿はじっと見詰めた後、突如にやりと笑う。
「・・・貴殿がそうまで言うのなら致し方ない」
そして、拙者たちの方に視線を移す山県殿。
「お主たち、またも命拾いをしたな・・・しかし、次は無いと思え」
そう言うと、山県殿は振り返り暗闇の中へと消えて行く。それに引き続き、赤備の兵たちも徐々に姿を消して行く。
拙者たちは、その光景をただじっと眺める他ありませんでした。
武田の兵たちが続々と減っていき、最後に残った美濃守の姿がゆっくりと暗闇の中に消える。
何も無い暗闇を見詰め、そこでようやく拙者は安堵する。
・・・終わった。
陣太鼓が鳴り響く中、拙者たちはしばしの間その場に立ちつくしておりました。
後に美濃守は、この戦での我ら徳川の者をこう評したと伝えられておりまする。
『三河衆、末々の兵に至るまで決戦をしない者はおらず。死骸を見るも、こちらに向かって来た者は皆うつむいて倒れ、浜松へ向かった者は仰向けに倒れていた。敵ながら見事な者たちなり』
拙者は、城門の外にいる兵たちに向かい大声を上げる。
「皆、急ぎ城内へ入るのじゃ!」
城門の外には今のところ武田軍の姿は見えませなんだが、隣におる彦右衛門殿は何かを見つけたのか突如、怪訝な表情を浮かべる。
彦右衛門殿の視線の先、そこには折れた刀や矢などが体に突き刺さった血だらけの武将が倒れておりました。彦右衛門殿は思わずその武将の名を大声で叫ぶ。
「四郎左!」
その血だらけの武将は鳥居四郎左衛門忠広殿。彦右衛門殿の弟でございまする。
彦右衛門殿は急ぎ四郎左殿の元へと駆け寄り、その体を抱き上げる。
「おい四郎左、しっかり致せ!」
彦右衛門殿の呼びかけに、四郎左殿は朦朧(もうろう)とした状態で答える。
「あ、兄上・・・」
そして、四郎左殿は彦右衛門殿の手を掴むと擦(かす)れた口調で話し始める。
「戦場で死ぬつもりでございましたが、最期に兄上にお会いしたく思い・・・」
「もうええ、もう喋るでない」
彦右衛門殿が悲壮な表情で止めるも、四郎左殿は話を続ける。
「兄上、儂の分も生きて下され。そして、殿と・・・鳥居の家を、よろしくお願い致しまする」
「四郎左!」
瞳を潤ませながら弟の名前を叫ぶ彦右衛門殿を四郎左殿はじっと見詰める。
「本当は、本当は共に参りたいのでございまするが、それも叶わず・・・出来の悪い弟をお許し下さりませ」
そう言うと、四郎左殿の瞼(まぶた)がすっと閉じる。
「し、四郎左あぁー!」
彦右衛門殿の悲痛な叫び声が玄黙口に木霊(こだま)する。
拙者と半十郎は、ただただじっとその光景を眺めておる事しかできませなんだ。
彦右衛門殿の腕の中で永久(とわ)の眠りにつく四郎左殿。拙者は、ふと思う。
もし、拙者と四郎左殿がもっと籠城戦を主張してさえおれば、四郎左殿はもちろん、他の多くの家臣たちも命を落とす事は無かったのではないだろうか。
拙者の脳裏に後悔の念が過(よぎ)るが、拙者はすぐにその思いを振り払う。
いや、今更そんな事を考えてもどうこうなるものでもない。今はただ、より多くの者たちを城内に引き入れ、その命を助ける事の方が肝要じゃ。
拙者がそんなことを考えておると突如、背筋に悪寒を感じる。
!
拙者は、すぐさまその元凶を探るべく周囲を見渡す。
不気味な気配は、城門の外から感じられて来ました。
城門の外、そこには暗闇の中で血だらけの徳川兵が一人ぽつんと立って・・・いや、宙に浮いておりました。
なっ!
驚くべき光景に、拙者は思わず槍を身構える。
・・・霊か、それとも物怪の類いか。
冷や汗をかく拙者。隣におる半十郎も驚きの表情を隠せずにおりました。
徳川兵は、宙に浮いたまま徐々にこちらに近づいて来る。
その距離およそ十間。
先手必勝。拙者が徳川兵に向かい駆け出そうとした矢先、城内の篝火(かがりび)により宙に浮いた徳川兵の正体が明らかとなる。
その姿に、拙者は安堵すると同時に今まで以上に身を引き締める。
徳川兵の胸元、そこから突き出した大きな槍。その槍の根元を辿って行くと、徳川兵の背後に一人の武将が現れる。拙者はその武将に見覚えがございました。
生涯無傷の猛将『鬼美濃』馬場美濃守信春。一言坂で出会った武田の武将でございまする。
美濃守は槍を大きく振り払い刺さっている徳川兵を投げ捨てると、こちらに向かってゆっくりと足を進める。その様子に、拙者は再び冷や汗をかく。
さて、無傷の猛将にどう傷をつけるものか・・・。
拙者があれやこれやと策を講じておると突如、彦右衛門殿が大声を上げて美濃守目掛け突撃する。
「貴様ら、よくも四郎左をぉ!」
「彦右衛門殿!」
拙者の呼びかけにも答えず、彦右衛門殿は脇目も振らず美濃守に向かって行く。
「はああぁー!」
彦右衛門殿は渾身の突きを放つも、案の定、怒りに任せた一撃はあっさりと躱され、代わりに美濃守の横からの一撃を脇腹に食らい大きく吹き飛ばされる。
「があぁ!」
沼へと転がり落ちる彦右衛門殿。
美濃守は、止めを刺すべく彦右衛門殿に近づいて行く。
「させるか!」
拙者は、それを阻止すべく美濃守に向かって駆け出す。
「せいやあぁ!」
拙者は美濃守目掛け突きを繰り出すが、美濃守は半身になって突きを躱し、逆に拙者に裏拳を浴びせる。
「ぐっ!」
勢い良く吹き飛ばされるも、拙者は片手をつき辛うじて持ちこたえる。
「はぁはぁ・・・さすがは、不死身の武将」
拙者は口から出た血を拭(ぬぐ)い美濃守を見据える。一方の美濃守もこちらに目を向け、標的を拙者に定めたようでございました。
「があぁぁー!」
獣のような声を上げ拙者に迫る美濃守。全身を使った重い一撃が拙者に打ち下ろされるも、拙者は辛うじてその一撃を避ける。
美濃守の槍が地面を叩き割る様子を横目に、拙者はすぐさま美濃守目掛け槍で袈裟に斬り込む・・・が。
美濃守は即座に槍を下からすくい上げ、拙者の槍を上空に吹き飛ばす。
「なんちゅう力・・・ぐがっ!」
拙者が驚きの声を上げるのも束の間、美濃守は拙者の頭を鷲掴みにする。
拙者は、何とか拘束を解こうと足掻(あが)いてはみるが美濃守はびくともしない。
そうこうする内に、美濃守の手の隙間から拙者に槍先が向けられるのが見える。
やられる。
そう思った瞬間・・・。
「はぁー!」
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拙者は美濃守を凝視したまま半十郎にそう告げると、半十郎も美濃守の方を向いたまま答える。
「礼は勝ってからに致せ」
「ほだな・・・」
まずは、儂らの前に立ちはだかるこの悪鬼を倒してからじゃの。
拙者たちの視線の先、暗闇の中で仁王像のように直立する美濃守は、こちらに向かって声をかけてくる。
「どこぞで見た顔と思うたら、いつぞやの兄弟か・・・今日は喧嘩しないのか?」
どうやら美濃守も一言坂で出会った時の事を覚えておったようでございまする。
不敵な笑みを浮かべる美濃守に対し、拙者もにやりと笑って答える。
「あんたがいなくなったらするかもな」
そして、拙者は刀を抜き放ち美濃守に突きつける。
「一言坂では平八郎だけにええ格好をさせたが、三河衆の強さは本多平八郎だけではないことを教えてやろう!」
拙者が美濃守に向かって駆け出すと半十郎もそれに続く。
「せいやあぁ!」
拙者が素早く連続した攻撃を繰り出すと、その合間を縫って半十郎の槍が美濃守を襲う。
以心伝心というものか。阿吽の呼吸で即座に息の合った攻撃が出来た事に我ながら感心すると共に、拙者たちが今まで共に生きてきた紛れもない兄弟であることを実感する。おそらく、半十郎も同じように感じておるに違いない。
拙者は興奮した状態で美濃守に啖呵(たんか)を切る。
「鬼を倒す事が、我が渡辺家の宿命じゃ!」
拙者が鬼退治をした我らの先祖・渡辺綱(わたなべのつな)の先例をあげて叫ぶも、当の鬼美濃は平然とした様子で拙者たちの攻撃を捌(さば)いておりました。
「・・・二対一で丁度いいくらいだな」
美濃守はそう呟くと、槍で拙者たちの攻撃を同時に受け一気にはね除ける。
体勢を崩す拙者と半十郎。その隙を狙い美濃守の薙ぎ払いが拙者たちを襲う。
「はああぁー!」
その攻撃が拙者たちに当たる直前、美濃守の槍の軌道が急激に変わる。美濃守の槍は、拙者たちを狙う代わりに自身に向けられた攻撃を払う事に使われた。
その隙に美濃守との間合いを取る拙者と半十郎。
「儂を忘れてもらっては困るな・・・」
美濃守を襲った張本人の声が聞こえてくる。
声の聞こえてくる方、そこには泥にまみれた彦右衛門殿の姿がございました。
「彦右衛門殿!」
拙者の声に応え、笑みを浮かべる彦右衛門殿。しかし、すぐに真剣な表情へと戻り美濃守に槍を突きつける。
「先ほどは感情の赴くままに動いてしまったが、この鳥居彦右衛門、同じ過ちは繰り返さん!」
そう言うと、美濃守に向け再度攻撃を仕掛ける彦右衛門殿。
拙者と半十郎も、すぐさま彦右衛門殿に加勢する。
落ち着きを取り戻した彦右衛門殿に加え、我ら兄弟の息の合った攻撃が美濃守を襲う。三位一体の攻撃に、さすがの鬼美濃も徐々に押されつつありました。
「ちっ!」
焦りと苛立ちを隠しきれない美濃守は、大声を上げて槍を振り回し拙者たちを無理矢理払いのける。
「があぁ!」
美濃守との間合いを取り身構える拙者たち。
「はぁはぁはぁ」
さすがの美濃守も大分息が切れておりました。
・・・勝てる。
拙者が不死身の武将相手に勝利を掴めると思ったその時、美濃守の背後、暗闇の中から一人の武将が現れる。
「大分苦戦しておるようだな、鬼美濃よ」
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「・・・三郎兵衛」
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その光景に拙者は冷や汗をかく。
ありゃ~、さすがにこれはきついか・・・。
形勢逆転。たじろぐ拙者たちを、山県殿は鬼の形相で見据える。
「さて、そこを通してもらおうか?」
その問いに、拙者は不敵な笑みを浮かべながら答える。
「通れるもんなら通ってみりん・・・ただ、何が起こっても知らんでな」
拙者の言葉を受け、ざわつく武田の兵たち。
開け放たれたままの城門に、城内に鳴り響く陣太鼓の音、加えて大軍を前にしても余裕を見せる三河衆。武田の者たちは、いやでも何かあるのではないかと勘ぐってしまう・・・しかし、そんな中で山県殿だけは唯一人落ち着いた様子を崩しませんでした。
「なるほど。空城の計か・・・」
山県殿の呟きに、拙者は首を傾げる。
「空城の計?」
拙者の反応に、山県殿は目を見張る。
「なんじゃお主たち、知らんで行っておったのか?天晴れな奴らよ」
山県殿は、笑みを浮かべながら言葉を繋げる。
「空城の計とは、城門を開け放ち何か策があるのではないかと思わせて敵を退かせる。嘗て大陸で用いられた策じゃ。しかし、儂にそのような策は通用せん」
山県殿の説明を受け、そこでようやく拙者は納得する。
なるほど。それが左衛門殿の策略であったか。
左衛門殿の陣太鼓は今でも鳴り続けている。おそらくこれも策の内であろうが、しかし、目の前におるこの敵はそんな事を気にも止めない。
「さて、浜松城に攻め入り家康の首を討ち取ってやろう」
そう言って山県殿がこちらに足を進めようとするが、美濃守がそれを制止する。
「・・・鬼美濃、一体何のつもりだ?」
眉を吊り上げる山県殿に、美濃守は静かに答える。
「我らが真に狙うは家康の首ではないであろう。それに、あやつらの眼・・・命を賭けてでも己が主君を守り通す、そういった眼じゃ。それは、お主も先ほどまでの戦いで感じたはず」
美濃守の話に黙って耳を傾ける山県殿。
「このまま戦えば、我らもただではすまんであろう。孫子曰く『窮寇(きゅうこう)には迫ることなかれ』・・・追いつめられた鼠(ねずみ)は何をするかわからん」
そう語る美濃守を山県殿はじっと見詰めた後、突如にやりと笑う。
「・・・貴殿がそうまで言うのなら致し方ない」
そして、拙者たちの方に視線を移す山県殿。
「お主たち、またも命拾いをしたな・・・しかし、次は無いと思え」
そう言うと、山県殿は振り返り暗闇の中へと消えて行く。それに引き続き、赤備の兵たちも徐々に姿を消して行く。
拙者たちは、その光景をただじっと眺める他ありませんでした。
武田の兵たちが続々と減っていき、最後に残った美濃守の姿がゆっくりと暗闇の中に消える。
何も無い暗闇を見詰め、そこでようやく拙者は安堵する。
・・・終わった。
陣太鼓が鳴り響く中、拙者たちはしばしの間その場に立ちつくしておりました。
後に美濃守は、この戦での我ら徳川の者をこう評したと伝えられておりまする。
『三河衆、末々の兵に至るまで決戦をしない者はおらず。死骸を見るも、こちらに向かって来た者は皆うつむいて倒れ、浜松へ向かった者は仰向けに倒れていた。敵ながら見事な者たちなり』
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【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
綾衣
如月
歴史・時代
舞台は文政期の江戸。柏屋の若旦那の兵次郎は、退屈しのぎに太鼓持ちの助八を使って、江戸城に男根の絵を描くという、取り返しのつかない悪戯を行った。さらには退屈しのぎに手を出した、名代の綾衣という新造は、どうやらこの世のものではないようだ。やがて悪戯が露見しそうになって、戦々恐々とした日々を送る中、兵次郎は綾衣の幻想に悩まされることになる。岡本綺堂の「川越次郎兵衛」を題材にした作品です。
夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
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