鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔

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第八章「三方ヶ原の戦い」

第三十七話「夏目次郎左」

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「行かせい、儂もここで死ぬ!」
その声に一同は挙(こぞ)って立ち止まる。
「今の声は!?」
伯耆殿の問いかけに平八郎が答える。
「殿の御声でござる」
拙者たちが周囲を見渡すと、数名の徳川兵に囲まれた家康公のお姿がありもうした。家康公は、兜も着けずに馬に跨(また)がった状態で声を荒らげる。
「此度の敗戦は儂に責任がある。儂のために多くの者たちを死なせてしもうた。儂が死んで償うのだ!」
そう言って家康公が戦場に駆け出そうとするのを、周囲の者たちは慌てて制止する。
「ええい、退かぬか!」
尚も抵抗を続ける家康公。周囲の者たちがこの状況をどう打開したものかと困り果てておると、そんな中で一人の中年の武将が家康公に近づき声をかける。
「殿、落ち着き下さりませ」
落ち着いた口調でそう語りかけた武将は、夏目次郎左衛門吉信殿。拙者同様、一向一揆の際には一揆側として家康公と戦った御仁でございまする。
次郎左殿は、家康公の馬を優しく撫でながら諫言する。
「殿。生き延びる事こそが、大将の重要な務めでございまするぞ」
次郎左殿の言葉に対し、家康公は声を荒らげて反論する。
「他の者たちを見殺しにし、儂一人生き残ることなどできん!」
一向に耳を傾けようとしない家康公。すると、次郎左殿はゆっくりと手綱(たづな)を操り馬の鼻を浜松城の方に向ける。
「な、何をする次郎左?」
困惑する家康公を余所に、次郎左殿は馬の尻を槍の石突で思い切り叩く。
「なっ!?」
家康公を乗せた馬は悲鳴を上げると、勢い良く浜松城の方へ向かい駆け出して行く。その光景に周囲の者たちが驚くのも束の間、次郎左殿は大声を上げる。
「皆の者、行け!殿を確(しか)とお守りするのだ。儂が時を稼ぐ。その間に、殿を無事に浜松城までお連れするのだ!」
そして、次郎左殿は小姓が持っておった家康公の兜を奪い取ると、再度大声を上げる。
「武田の者どもよ、よく聞け!我こそ、徳川三河守家康なるぞ!」
次郎左殿の声に、武田軍の者たちが一斉にこちらに視線を移す。
家康公の兜を被り決死の覚悟の次郎左殿に伯耆殿は声をかける。
「次郎左殿・・・」
その声に反応し次郎左殿は振り返る。
「おお、伯耆殿」
振り返った次郎左殿のそのお顔は、実に清々しい表情をしておりました。
そして、次郎左殿は伯耆殿をじっと見詰めた後、ゆっくりと口を開く。
「・・・殿の事、お任せ致しましたぞ」
伯耆殿は、真剣な表情で次郎左殿の想いを受け止める。
「御意」
次郎左殿は、伯耆殿の答えに笑みを浮かべると再び武田軍の方に視線を移す。それと同時に伯耆殿も振り返り浜松城の方に足を向ける。
「参るぞ」
伯耆殿は我らに一言そう言うと、家康公の後を追い一人浜松城へと駆け出す。我らも次郎左殿の背中に一礼し、後ろ髪を引かれる思いで伯耆殿に続きその場を後にする。
本多忠真殿に夏目吉信殿。歴戦の勇士たちが己の身を張って、仲間そして主君の盾となる。そんな彼等の想いを無駄にしない為にも、我らは守らなければならない。多くの仲間たち、そして殿の御命を・・・。
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