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第八章「三方ヶ原の戦い」
第三十五話「鳥居四郎左」
しおりを挟む元亀三年十二月二十二日 遠江国 浜松城
「何故、おわかりになりませぬ!」
鳥居四郎左衛門忠広殿の声が部屋中に響き渡る。
浜松城は元の名を引馬城(ひくまじょう)と言う。一昨年より徳川家康公が岡崎からこの地にお移りになられ、馬(軍)を引く(退く)という名は縁起が悪いという事でその名を浜松と改名し、我ら徳川の居城となっておりまする。そんな居城の一室で拙者と四郎左殿、そして家康公と数名の武将が軍議を行っておりました。
「敵は大軍、それに隊列も厳然と整っておりまする。こちらに勝てる見込みはございませぬ」
四郎左殿は、尚も家康公に訴えかける。
「殿、ここは城内にて籠城するが賢明かと」
その言葉を聞き家康公はしばし考えた後、拙者の方に視線を移す。
「・・・して半蔵、改めて物見に出たお主はどう思う?」
家康公の問いに、拙者は頭を下げ答える。
「拙者も四郎左殿同様、戦をするべきではないと考えまする」
すると、一人の武者が拙者に言いがかりをつけてくる。
「ふっ、臆病神に取り憑かれおって」
大久保治右衛門忠佐(ただすけ)。
「武田信玄といえども鬼神ではない。大軍であるからといって恐れる必要もない。儂らが戦いに行ってやるで、お主ら腰抜けどもは城内で怯えておるがよい」
「何じゃと!?」
治右衛門の発言に、かっとなった拙者を四郎左殿が抑える。
しかし、治右衛門はそんな拙者の方など見向きもせず家康公に進言する。
「殿、ここは我ら徳川の意地にかけても武田と一戦交えるべきございまする」
四郎左殿は、すぐさま反対意見を述べる。
「否。殿、慎重にお考え下さりませ。血気に逸っては無駄に犠牲を払うだけ」
両者共に家康公をじっと見据えたまま動かない。家康公も無言のまま瞼を瞑る。そんな中、一人の武将が軍議の行われている部屋に入って参りました。
「大久保殿の仰る通り」
一同の視線がそちらに移る。
細身の体格に長い髭を生やした武将・・・先日、援軍として到着した織田軍の将―佐久間右衛門尉信盛殿でございまする。
「我らが主、織田信長様は桶狭間の合戦の折、二万五千の今川軍に対し、たった二千の手勢で迎え撃ち、見事、今川義元の首を討ち取られました。勝敗を決するのは数ではございませぬ」
佐久間殿の発言に、四郎左殿がすぐさま反論する。
「佐久間殿、貴殿の考えは明白。武田が尾張に侵入する前に、我ら徳川を捨て石にし、少しでも武田の戦力を減らしておきたいのでございましょう」
「四郎左、口が過ぎるぞ」
治右衛門が四郎左殿を咎(とが)める一方で、当の佐久間殿は不敵な笑みを浮かべておりました。
「何と思われましても結構・・・しかし、戦もしないでただ傍観していたとなると、せっかく援軍をお使いになった盟友の信長様はどう思われますかな?」
四郎左殿は、佐久間殿を睨みつけながら答える。
「本当に盟友と思っておるのであらば、何故三千の手勢しか寄越さぬのか」
じっと見詰め合う両者。その時、沈黙を守っていた家康公がついに口を開く。
「家康は、敵に枕の上を踏み越えられているのに起き上がらずにいる臆病者よ」
一同は家康公を見詰める。
「ここで儂が戦をせんのであらば、後世、世間の者たちはこう言って儂を嘲(あざけ)るのであろうな」
「殿・・・」
四郎左殿から思わず声が漏れる。
「すまんな四郎左、そして半蔵」
家康公は切ない表情でこちらを見詰めた後、ゆっくりと立ち上がり、その場にいる者たちに向かってこう告げる。
「我が屋敷の中に足を踏み込んで通ろうとするのを、内にいながら何故咎(とが)めんのか。いかに武田が猛勢であっても、我が領内を蹂躙(じゅうりん)して進むのを居ながらにして傍観する理由はない。勝敗は天が決する。我らはこれより武田軍に向かい攻撃に出る!」
家康公の力強い言葉に、その場にいる者たちは頭を下げる。
「ははっ」
拙者と四郎左殿も渋々頭を下げるが、四郎左殿はすぐさま立ち上がり襖(ふすま)を開けて軒先へと出る。
その行動に、拙者をはじめ軍議に参加しておる者たちは首を傾げる。
部屋の外には、大勢の武者たちがこれからの指示を仰ぐべく待機しておるところでございました。四郎左殿は、そんな武者たちに向かい大声を上げる。
「皆の衆!此度の戦、勝利は必然。奮って忠戦致せ!」
拙者は、そう叫んだ四郎左殿の背中に忠臣としての誇りを感じました。
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