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第八章「三方ヶ原の戦い」

第三十四話「虎松」

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元亀三年十二月二十二日 遠江国 欠下

「我らに勝ち目はない・・・やはり、四郎左殿のご報告通りじゃな」
拙者は、馬上から眼下に広がる武田の軍勢を見て呟く。

一言坂の合戦から二ヶ月。武田軍は、この間に浜松と遠江北部を結ぶ交通の要衝―二俣城を陥落させ、その勢いのまま今度は徳川家康公の居城・浜松城に向かって軍を進めて来るはずでございました・・・しかし、状況は一転。武田軍は急遽方向を変え、浜松城を無視して西側に進路を変更致しました。
これに驚いた家康公は、鳥居元忠殿の弟・鳥居四郎左衛門忠広殿を斥候として、急ぎ早馬を駆けさせ武田軍の様子を探らせたのでございまするが、四郎左殿の『武田と戦をするは無謀』という報告を良しとせず、拙者に改めて斥候を命じた次第でございまする。
拙者は、再度気づかれないように小高い丘の上から武田軍を見下ろす・・・その数、およそ三万。一方、我ら徳川軍は先日到着したばかりの織田の援軍を合わせても約一万。その戦力差は圧倒的でございました。
「・・・これで戦うなど阿呆のすることじゃ」
拙者が見切りを付けて浜松城に戻るべく馬を返すと、その正面に一人の童が立っておりました。拙者は不思議に思い童に声をかける。
「何じゃ、お主?こんなところにいたら危ないぞ?」
年は十くらい。みすぼらしい格好をした童でございました。
童は拙者に問いかける。
「お前、徳川のもんか?」
「そうじゃが。何か?」
拙者がそう答えると、童は突然、懐から短刀を取り出し拙者に斬り掛かる。
「せいやぁー!」
拙者は、すぐさまその攻撃を回避する。
「何じゃ、いきなり?」
「遠州の地を、これ以上汚させはしない!」
拙者に刃を向け吠える童。
「お前たち徳川がおるせいで、この遠州の地に平穏が訪れんのじゃ!」
拙者は、馬上より興奮する童を諭す。
「今、この地の平穏を脅(おびや)かしておるのは武田の方ぞ」
「いんや徳川じゃ!お前らがこの地におるから戦が起こるんじゃ!」
拙者は童の主張を嘲(あざ)笑う。
「今川の時代は戦がなかったとでも言うのか?」
「・・・」
拙者の言葉に黙り込む童。
「お主は所詮、他国の者が遠州を治めておるのが気に入らないだけであろう?そんなものは、ただのわがままじゃ」
「わがままではない!」
吠える童に拙者は槍を突きつけ睨みを利かせる。
「本当に平穏を望むのであらば、何が真の敵か見極めることから始めよ!」
拙者の剣幕に気圧されたのか童は一瞬たじろぐも、すぐに気を取り直し再度、拙者に向かって斬り掛かって来る。
「う、うああぁぁー!」
拙者は、童の攻撃を避けると同時に槍の石突で童の後頭部を叩く。
前のめりに倒れ、そのまま微動だにしない童。
おそらく気を失ったのでありましょう。そんな童を拙者は馬上から見下ろす。
「お主のその心意気、是非正しき方向に向いてほしいものじゃな」
拙者がそう言って馬を返した直後、背後から微かに声が聞こえて来る。
「・・・ま、待て」
拙者が振り返ると、そこには地を這いずりながらもこちらに近づこうとする童の姿がありました。
こやつ、何と言う気力。
拙者は、童の行動に驚きを感じながらもその姿を凝視する。
「う、うぅ・・・」
童は尚もこちらに近づこうともがいている。そんな童に拙者は問いかける。
「お主、名は何と申す?」
童は、しばし拙者の方を見詰めた後、ゆっくりと口を開く。
「・・・虎松」
「虎松・・・儂は、渡辺半蔵守綱。もうしばし時が経ち、もしお主の考えがまだ変わらないのであらば、また儂に向かって来るがよい。その時は・・・一人前の者としてお主と戦ってやろう」
そう言うと拙者は童に背を向け、その場を後にする。
これが、儂とあの者との初めての出会いでございました・・・この者の話はまた後でお話する事に致しましょう。

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