35 / 90
第八章「三方ヶ原の戦い」
第三十四話「虎松」
しおりを挟む元亀三年十二月二十二日 遠江国 欠下
「我らに勝ち目はない・・・やはり、四郎左殿のご報告通りじゃな」
拙者は、馬上から眼下に広がる武田の軍勢を見て呟く。
一言坂の合戦から二ヶ月。武田軍は、この間に浜松と遠江北部を結ぶ交通の要衝―二俣城を陥落させ、その勢いのまま今度は徳川家康公の居城・浜松城に向かって軍を進めて来るはずでございました・・・しかし、状況は一転。武田軍は急遽方向を変え、浜松城を無視して西側に進路を変更致しました。
これに驚いた家康公は、鳥居元忠殿の弟・鳥居四郎左衛門忠広殿を斥候として、急ぎ早馬を駆けさせ武田軍の様子を探らせたのでございまするが、四郎左殿の『武田と戦をするは無謀』という報告を良しとせず、拙者に改めて斥候を命じた次第でございまする。
拙者は、再度気づかれないように小高い丘の上から武田軍を見下ろす・・・その数、およそ三万。一方、我ら徳川軍は先日到着したばかりの織田の援軍を合わせても約一万。その戦力差は圧倒的でございました。
「・・・これで戦うなど阿呆のすることじゃ」
拙者が見切りを付けて浜松城に戻るべく馬を返すと、その正面に一人の童が立っておりました。拙者は不思議に思い童に声をかける。
「何じゃ、お主?こんなところにいたら危ないぞ?」
年は十くらい。みすぼらしい格好をした童でございました。
童は拙者に問いかける。
「お前、徳川のもんか?」
「そうじゃが。何か?」
拙者がそう答えると、童は突然、懐から短刀を取り出し拙者に斬り掛かる。
「せいやぁー!」
拙者は、すぐさまその攻撃を回避する。
「何じゃ、いきなり?」
「遠州の地を、これ以上汚させはしない!」
拙者に刃を向け吠える童。
「お前たち徳川がおるせいで、この遠州の地に平穏が訪れんのじゃ!」
拙者は、馬上より興奮する童を諭す。
「今、この地の平穏を脅(おびや)かしておるのは武田の方ぞ」
「いんや徳川じゃ!お前らがこの地におるから戦が起こるんじゃ!」
拙者は童の主張を嘲(あざ)笑う。
「今川の時代は戦がなかったとでも言うのか?」
「・・・」
拙者の言葉に黙り込む童。
「お主は所詮、他国の者が遠州を治めておるのが気に入らないだけであろう?そんなものは、ただのわがままじゃ」
「わがままではない!」
吠える童に拙者は槍を突きつけ睨みを利かせる。
「本当に平穏を望むのであらば、何が真の敵か見極めることから始めよ!」
拙者の剣幕に気圧されたのか童は一瞬たじろぐも、すぐに気を取り直し再度、拙者に向かって斬り掛かって来る。
「う、うああぁぁー!」
拙者は、童の攻撃を避けると同時に槍の石突で童の後頭部を叩く。
前のめりに倒れ、そのまま微動だにしない童。
おそらく気を失ったのでありましょう。そんな童を拙者は馬上から見下ろす。
「お主のその心意気、是非正しき方向に向いてほしいものじゃな」
拙者がそう言って馬を返した直後、背後から微かに声が聞こえて来る。
「・・・ま、待て」
拙者が振り返ると、そこには地を這いずりながらもこちらに近づこうとする童の姿がありました。
こやつ、何と言う気力。
拙者は、童の行動に驚きを感じながらもその姿を凝視する。
「う、うぅ・・・」
童は尚もこちらに近づこうともがいている。そんな童に拙者は問いかける。
「お主、名は何と申す?」
童は、しばし拙者の方を見詰めた後、ゆっくりと口を開く。
「・・・虎松」
「虎松・・・儂は、渡辺半蔵守綱。もうしばし時が経ち、もしお主の考えがまだ変わらないのであらば、また儂に向かって来るがよい。その時は・・・一人前の者としてお主と戦ってやろう」
そう言うと拙者は童に背を向け、その場を後にする。
これが、儂とあの者との初めての出会いでございました・・・この者の話はまた後でお話する事に致しましょう。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
何を間違った?【完結済】
maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。
彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。
今真実を聞いて⋯⋯。
愚かな私の後悔の話
※作者の妄想の産物です
他サイトでも投稿しております
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~
田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。
今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。
義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」
領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。
信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」
信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。
かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。
戦国ニート~さくは弥三郎の天下一統の志を信じるか~
ちんぽまんこのお年頃
歴史・時代
戦国時代にもニートがいた!駄目人間・甲斐性無しの若殿・弥三郎の教育係に抜擢されたさく。ところが弥三郎は性的な欲求をさくにぶつけ・・・・。叱咤激励しながら弥三郎を鍛え上げるさく。廃嫡の話が持ち上がる中、迎える初陣。敵はこちらの2倍の大軍勢。絶体絶命の危機をさくと弥三郎は如何に乗り越えるのか。実在した戦国ニートのサクセスストーリー開幕。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
雪の果て
紫乃森統子
歴史・時代
月尾藩郡奉行・竹内丈左衛門の娘「りく」は、十八を数えた正月、代官を勤める白井麟十郎との縁談を父から強く勧められていた。
家格の不相応と、その務めのために城下を離れねばならぬこと、麟十郎が武芸を不得手とすることから縁談に難色を示していた。
ある時、りくは父に付き添って郡代・植村主計の邸を訪れ、そこで領内に間引きや姥捨てが横行していることを知るが──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる