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第一章「厭離穢土、欣求浄土」

第六話「清洲同盟」

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我ら松平家は家康公の父・広忠様の代より今川家に仕える立場にありました。しかし、先の桶狭間の合戦で今川義元殿が討たれた事により状況は急変。義元殿の嫡子・氏真殿は父の仇を討つ意志はなく、酒色に耽る日々。今川家の将来に暗雲が立ちこめておりました。このまま今川家との関係を続けていくのか否か・・・そんな折、家康公の元に尾張の織田信長より和議の使者が到来。織田との和議に反対する者は多数おりましたが、酒井左衛門尉忠次殿の説得により家康公も織田と和議を結ぶ事を決意。そして、家康公をはじめ我ら一行は和議を結ぶべく織田信長の居城・清洲城へと向かうのでありました。

尾張国 清洲城

「何じゃ、騒がしいの~」
清洲城の城下はたいへんな人で賑わっておりました。人の多さはもちろんの事、どうやら三河から来た我々の行列を物珍しく眺めているようでした。
「皆、三河の田舎侍が来たと罵っておるわ」
拙者の義理の兄になる七之助がそう呟く。
「なめられたもんじゃな~」
「ほんの三十年前なら、我ら松平の人間が尾張を訪れたら皆恐れおののいておったわ」
嘆く七之助を拙者はなだめる。
すると、そこへ一人の若武者が御長刀を携えてずかずかと前に進み出る。
本多平八郎忠勝。
何をするのかと眺めておると、平八郎は行列の先頭に立って大きな声で群衆に向かって叫ぶ。
「三河の松平元康が両国のよしみを結ぶべくいらっしゃったというに、お主たちはどうしてそのような無礼な振る舞いを致す?言いたい事があるのならば堂々と前に出て来て述べよ!」
平八郎の一喝に道行く者たちは静まり返る。
我ら三河衆も平八郎のその行動に驚くと共にたくましさを感じる。
平八郎め、いっちょまえに言うじゃねぇか。
感心する拙者の前を、すたすたと自分の場所へ戻って行く平八郎。
彼の活躍もあり、我ら三河衆は威風堂々と清洲城へと入城して行きました。
本多平八郎忠勝。この時、齢まだ十四歳でございまする。


尾張国 清洲城 城内

「おお~元康殿、よう参った」
廊下で会うやいなや開口一番に声を上げたのは家康公の伯父にあたる水野下野守(しもつけのかみ)忠次殿でございます。
下野殿の挨拶に対し、殿は丁寧に頭を垂れる。
「伯父上、大高城の際はありがとうございました」
「なあに、よいよい。大事な甥をみすみす死なす訳にはいかんでな」
髭面の大男・下野殿はそう言ってにやりと笑うと、殿の肩に手を差し伸べる。
「お主なら必ず来てくれると信じておった。ささ、こちらへ」
下野殿に案内され、我らは屋敷の一間へと入る。
全員が腰をつけたところで一人の男が従者を引き連れ現れる。
綺麗に整えられた髷に細い髭。そして、特徴的なのは眼光鋭い細長い目。この男こそ、『海道一の弓取り』と称された今川義元を破った男―織田上総介(かずさのすけ)信長。
信長殿は上座に座るや否や殿に声をかける。
「久しいな竹千代」
そう言われた殿は即座に言葉を返す。
「今は松平蔵人佐(くろうどのすけ)元康と申しまする」
「わかっておるわ」
そう言って鼻で笑う信長殿。御二人は、殿が尾張の織田家に二年間ほど人質に取られた間にお会いしたようでございまする。
「あれから十年か。月日が経つのは早いの~元康」
信長殿の言葉に殿は頷く。
「ええ、誠に。よもや、お互いがこのような形で再び相見えるなど夢にも思いませんでした」
「まったくだ・・・さて、過去の話はさておき」
「ええ」
そして、信長殿は殿の方をまじまじと見詰める。
「のう、元康」
「はっ」
「儂と、賭けをせぬか?」
急な質問に殿は首を傾げる。
「賭け、ですか?」
訝(いぶか)しむ殿に信長殿は不敵な笑みを浮かべる。
「そうじゃ。天下を賭けた大博打じゃ」
「と、言いますと?」
「儂がもし天下を取ったならば、お主が儂の家臣となる。逆に、もしお主が天下を取ったならば、儂がお主の配下になる」
信長殿の言葉に、その場におる者たちは騒然とする。かく言う拙者も、この時はあまりの素っ頓狂な提案に冷や汗をかいておりました。なぜならば、この時の両家など所詮地方の一豪族にしか過ぎず天下など夢のまた夢でございました。しかし、そんな夢をあっさりと言葉にしてしまう信長殿に、拙者は驚きと共に畏怖の念を抱いておりました。
なるほど。正に、うつけじゃな。
「どうじゃ元康。面白い賭けであろう」
信長殿は、異様な笑みを浮かべ殿に迫る。
おそらく殿も内心どうしたものだろうかと思案なさっておったと思いまする。
織田、松平両家の家臣たちは信長殿が放つ異様な空気もあり、主君たちのやり取りをただ眺めておることしかできませなんだ。そんな中、豪快な笑い声が辺りに響き渡る。水野下野殿であります。
「はっはははははは、これは面白い。儂は、どちらに賭けたものかの~」
下野殿の言葉によりその場の空気が和む。
さすがの殿も笑みを浮かべる。
そして、殿は御心を決めたのか信長殿の方に目を向ける。
「・・・信長殿、いいでしょう。その賭け、乗りましょう」
殿の答えに信長殿は笑い出す。
「はははははは。確かに聞いたな?下野」
「はっ。しかと、この耳に」
「下野。お主には此度の仲介感謝致す。褒美として、儂の一字『信』の字を授け・・・」
そこまで言うと、信長殿は殿の方に目を向けにやりと笑う。
「元康の『元』の字と合わせて『水野信元』と名乗るが良い。お主が、儂と元康との賭けの証人じゃ」
下野殿は与えられた名前に歓喜の表情を見せる。
「おお、これは大層な名前でござるな。ありがたき幸せ。では、この水野信元。これからも両家に忠義を尽くし、両家の賭けを見守っていきたいと思いまする」
「うむ」
そして、信長殿は立ち上がる。
「元康。うぬは東に進め。儂は西に進む。どちらが先に天下を取るか競おうではないか?」
「はっ」
頭を下げる殿。一方で信長殿は不敵に笑う。
「ふはははははは、面白い。面白くなってきたぞ、元康」
「ですな」
「天下は我らどちらかが取る!さて、天は儂とお主、どちらに味方するかのう?」
そして、信長殿は再び笑い出す。
「ふははは、ふはははははははは!」

こうして結ばれた松平元康公こと徳川家康公と織田信長殿とのこの盟約は、彼が本能寺で亡くなるまで破られる事無く続くのでありました。
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