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序章「寺部」
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弘治四年二月 三河国 寺部
二人の兄弟が山道を駆ける。
後ろを走っていた弟が、前を走る兄に声をかける。
「兄貴、止めようや」
弟の言葉に兄は足を止める。
「今さら何言うとるだ」
弟も足を止めて兄の方を向く。
「お殿さま何て見ても仕方なかろう」
「儂らの殿さまが来とるんじゃぞ。どんな人間なのか気になるじゃろ?」
「気にはなるけどよー」
「普段は駿府におって会えないんじゃ。この機会に御姿だけでも見てみよまい」
「そうだけども、危ないでよー止めよまい」
「半十郎、何を弱気になっとる?儂らはな、その昔、鬼を斬ったとされる渡辺綱の末裔じゃぞ」
「鬼なんているわきゃねーで」
弟の言葉に兄はにやりと笑う。
「いるじゃねーか。あっこに沢山」
兄の指差した先には、火の手が上がっている。
「あんなに村々を焼き払うなんて鬼の仕業に決まっとろーが」
「火攻めをしとるだけじゃろ」
「鬼の心がなきゃできんだら」
そう言うと、兄は目を見開き弟に告げる。
「半十郎、儂は決めたぞ。儂は、この戦国の世に住まう鬼を討つ。鬼退治じゃ」
「いい歳して何言うとるだ」
「儂は本気じゃぞ。鬼退治して、平和な世を作るんじゃ!」
兄が決意を述べた直後、馬が近づいてくる音が聞こえる。
「侍か?」
兄弟が見つけるより早く、相手の方が兄弟を見つける。
「お主たち、ここで何をしておる?ここは危ない。早う逃げよ」
一騎ではない。数名の騎馬武者に囲まれる少年たち。その中には兄弟と同い歳くらいの若武者がいた。怯える弟を余所に、兄はその若武者に声をかける。
「あんた若いな。どこのもんじゃ?」
「餓鬼が、失礼であるぞ!この御方をどなたと心得る・・・」
「よい」
若武者は罵声を浴びせる騎馬武者を制する。そして、兄弟の前に馬を進める。
「儂は松平蔵人佐(くろうどのすけ)元康だ」
松平元康・・・ほだら、こやつが儂らの。
若武者―松平元康は兄の方に告げる。
「名を名乗ったぞ。お主こそ何者じゃ?」
兄が若武者の問いに答えるより早く周囲にいた騎馬武者が声を上げる。
「ん、こやつら渡辺源五左衛門のところの倅(せがれ)たちじゃねぇか?」
騎馬武者の言葉に兄が答える。
「おう。渡辺源五左衛門の息子、半蔵と半十郎じゃ」
「何でこんな所におるだ?」
「お殿さまを見たくてな」
兄―半蔵は、そう答えると改めて元康の方に目を向ける。
「あの火攻めをしたのは、お殿さまか?」
半蔵の質問に元康は頷く。
「いかにも」
「・・・鬼の所業じゃな」
半蔵の言葉に周りの騎馬武者が怒号を上げる。
「おい、餓鬼!」
再び騎馬武者を制する元康。
「構わん」
そして、元康は半蔵をじっと見据える。
「早う戦を終わらせる為じゃ。その為ならば儂は鬼にでもなろう」
「渡辺家は鬼退治の家系。主君とはいえ鬼ならば退治せねばなりませぬ」
「こら、餓鬼!」
騎馬武者の怒号が再び飛ぶが、その怒号を元康の笑い声がかき消す。
「はっははははは」
「殿」
「面白い。渡辺半蔵か、早う儂の元へ来い。本当に鬼になった場合、退治してもらおう」
そう言うと元康は馬を駆ける。
「と、殿!」
周囲の騎馬武者たちも慌てて元康について行く。
「お主たちも危ないで早う帰りん」
最後の一人もそう言うと、元康を追いかけて行く。
兄弟は騎馬武者たちの後ろ姿をじっと見詰める。
「は~死ぬかと思ったで~」
弟―半十郎が膝をつく一方、半蔵はまだ騎馬武者たちの行った方を向いている。
「ん、兄貴?」
弟の呼びかけに半蔵はまっすぐ前を向いたまま答える。
「半十郎、親父に頼んで早う戦に出してもらうぞ」
「は~?」
目を丸くする半十郎に、半蔵は口元に笑みを浮かべる。
「早うせんと、お殿さまが鬼になってしまうかもしれんでな」
そう答える半蔵の瞳は、とても輝いておりました。
この後すぐに渡辺半蔵守綱は初陣を迎えるのでありました。
二人の兄弟が山道を駆ける。
後ろを走っていた弟が、前を走る兄に声をかける。
「兄貴、止めようや」
弟の言葉に兄は足を止める。
「今さら何言うとるだ」
弟も足を止めて兄の方を向く。
「お殿さま何て見ても仕方なかろう」
「儂らの殿さまが来とるんじゃぞ。どんな人間なのか気になるじゃろ?」
「気にはなるけどよー」
「普段は駿府におって会えないんじゃ。この機会に御姿だけでも見てみよまい」
「そうだけども、危ないでよー止めよまい」
「半十郎、何を弱気になっとる?儂らはな、その昔、鬼を斬ったとされる渡辺綱の末裔じゃぞ」
「鬼なんているわきゃねーで」
弟の言葉に兄はにやりと笑う。
「いるじゃねーか。あっこに沢山」
兄の指差した先には、火の手が上がっている。
「あんなに村々を焼き払うなんて鬼の仕業に決まっとろーが」
「火攻めをしとるだけじゃろ」
「鬼の心がなきゃできんだら」
そう言うと、兄は目を見開き弟に告げる。
「半十郎、儂は決めたぞ。儂は、この戦国の世に住まう鬼を討つ。鬼退治じゃ」
「いい歳して何言うとるだ」
「儂は本気じゃぞ。鬼退治して、平和な世を作るんじゃ!」
兄が決意を述べた直後、馬が近づいてくる音が聞こえる。
「侍か?」
兄弟が見つけるより早く、相手の方が兄弟を見つける。
「お主たち、ここで何をしておる?ここは危ない。早う逃げよ」
一騎ではない。数名の騎馬武者に囲まれる少年たち。その中には兄弟と同い歳くらいの若武者がいた。怯える弟を余所に、兄はその若武者に声をかける。
「あんた若いな。どこのもんじゃ?」
「餓鬼が、失礼であるぞ!この御方をどなたと心得る・・・」
「よい」
若武者は罵声を浴びせる騎馬武者を制する。そして、兄弟の前に馬を進める。
「儂は松平蔵人佐(くろうどのすけ)元康だ」
松平元康・・・ほだら、こやつが儂らの。
若武者―松平元康は兄の方に告げる。
「名を名乗ったぞ。お主こそ何者じゃ?」
兄が若武者の問いに答えるより早く周囲にいた騎馬武者が声を上げる。
「ん、こやつら渡辺源五左衛門のところの倅(せがれ)たちじゃねぇか?」
騎馬武者の言葉に兄が答える。
「おう。渡辺源五左衛門の息子、半蔵と半十郎じゃ」
「何でこんな所におるだ?」
「お殿さまを見たくてな」
兄―半蔵は、そう答えると改めて元康の方に目を向ける。
「あの火攻めをしたのは、お殿さまか?」
半蔵の質問に元康は頷く。
「いかにも」
「・・・鬼の所業じゃな」
半蔵の言葉に周りの騎馬武者が怒号を上げる。
「おい、餓鬼!」
再び騎馬武者を制する元康。
「構わん」
そして、元康は半蔵をじっと見据える。
「早う戦を終わらせる為じゃ。その為ならば儂は鬼にでもなろう」
「渡辺家は鬼退治の家系。主君とはいえ鬼ならば退治せねばなりませぬ」
「こら、餓鬼!」
騎馬武者の怒号が再び飛ぶが、その怒号を元康の笑い声がかき消す。
「はっははははは」
「殿」
「面白い。渡辺半蔵か、早う儂の元へ来い。本当に鬼になった場合、退治してもらおう」
そう言うと元康は馬を駆ける。
「と、殿!」
周囲の騎馬武者たちも慌てて元康について行く。
「お主たちも危ないで早う帰りん」
最後の一人もそう言うと、元康を追いかけて行く。
兄弟は騎馬武者たちの後ろ姿をじっと見詰める。
「は~死ぬかと思ったで~」
弟―半十郎が膝をつく一方、半蔵はまだ騎馬武者たちの行った方を向いている。
「ん、兄貴?」
弟の呼びかけに半蔵はまっすぐ前を向いたまま答える。
「半十郎、親父に頼んで早う戦に出してもらうぞ」
「は~?」
目を丸くする半十郎に、半蔵は口元に笑みを浮かべる。
「早うせんと、お殿さまが鬼になってしまうかもしれんでな」
そう答える半蔵の瞳は、とても輝いておりました。
この後すぐに渡辺半蔵守綱は初陣を迎えるのでありました。
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