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第020話:召しませナポリターン

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 「昼食」という習慣を研究すると、その国の食文化が見えてくると言われている。実際、各国の昼食文化を調べてみると驚くほどに違う。特にヨーロッパではその傾向が顕著で、ドイツと英国とでは昼食の考え方がまるで違う。ドイツやイタリアでは、一日三食の中で昼食が最も量が多く、夕食は簡素なものになる。一方、イギリスやフランス北部では昼は簡素に、夜をしっかりと摂る。これは歴史的な背景があり、農作業を行う肉体労働者の食文化と、フランスの宮廷貴族の食文化とでは必然的に異なる。

ヨーロッパの食文化が入り混じった国「米国」では、平日の昼休みは十一時から十二時半までが基本であり、休日は朝食と昼食を一緒にした「ブランチ」が普通である。その食事内容は時代の流れと共に変わっており、一九五〇年代はサンドイッチや果物程度の簡素な昼食が中心であったが、電子レンジが各職場に普及すると冷凍食品が多くなる。もっとも、オフィスワーカーのランチは基本的には質素であり、現在においても、チーズと人参のピクルスを持参して齧りながら仕事をする、などの光景が当たり前に見受けられている。

日本においては、平安時代までは朝夕の一日二食であったと言われている。だがこれは記録として残っているものが「殿上人」と呼ばれる貴族だけだからであり、肉体労働従事者であった庶民はひえあわなどの雑穀を三食食べていた。もっとも、平安時代の庶民は「竪穴式住居」に住んでおり寿命は極めて短く、平均寿命はせいぜい三〇歳程度であった。
文化の中心であった京都に昼食の文化が広がったのは鎌倉時代末期から室町時代初頭と考えられている。武家社会になったことにより、平安時代までは殆ど無視されていた「民衆」への政事が行われ始めた。これにより物産が飛躍的に向上し、貨幣経済が広がった。都市労働従事者が増加し、それに伴い一日三食の文化が京都にも広がったと考えられている。




 王都から迷宮都市までは、直線距離にすれば二週間程度で着くらしい。だが行商隊は途中の村や街に手紙を届けたり仕入れをしたりと立ち寄るため、一ヶ月近くになってしまうそうだ。まぁ俺たちは気ままな旅人なので、ノンビリと過ごせばいい。食い詰めて野盗になった連中が襲ってくる可能性もあるそうだが、そこはレイラに任せよう。太陽が天頂に昇った。昼飯の時間である。

「さて……」

 神スキル〈アルティメット・キッチン〉を展開する。異空間に入っている間は、現界の時は止まっている。今日の昼飯のために、少し用意をしておきたかった。

「十人前くらいは作っておくか。スパゲッティを一キロ、玉ねぎが大玉二個、ベーコンは少し多めに四〇〇グラム、ピーマン五個、ブラウンマッシュルームが二〇〇グラム、トマトケチャップ五〇〇グラム、ウスターソースが大さじ三、バター五〇グラムにパセリ、粉チーズが適量……」

「ほう。昼はパスタか?」

 女神ヘスティアが出現した。俺は眉間を険しくして、軽く幼女の頭を小突いた。

「食いたいなら先に言え。昨日みたいにいきなり飯を取られると迷惑だ」

「うむ、済まぬ。あまりにも美味そうであったからの。それに〈熟成肉〉なるものは、妾も食べたことが無いのじゃ。この世界に広まってくれれば良いのじゃが……」

「難しいだろうな。肉を熟成させるには特殊な施設が必要だ。魔法があるこの世界なら可能かもしれんが、技術開発が必要だろうな。この世界は魔王の勢力で分断されている。そのため香辛料が不足しており、庶民の味覚が未発達だ。これでは食文化が形成されないだろう」

「汝の活躍に期待するしか無いの…… で、今日の飯は何なのじゃ?」

「王道の昼食〈スパゲッティ・ナポリタン〉さ。流石に人前でケチャップボトルや粉チーズボトルは出せないからな。移し替えておきたい」

「わ、妾も食べたいのじゃっ!」

 俺は苦笑して、業務用パスタで有名なバリール社のスパゲッティを取り出した。

「業務用パスタだと五キロで一六〇〇円、キロ三二〇円だな。玉ねぎが二個で二〇〇円、業務用ベーコンは三六〇円、ピーマンは五個で一八〇円、ブラウンマッシュルームが二五〇円、あとは手持ちの材料で大丈夫だな。十人前で一三一〇円、一人前だと一三一円。ケチャップ代などを入れて一三五円だとして、銅貨五枚だから原価率は三〇%強か。悪くない数字だ。スープぐらいは付けるか」

 まずは具材を切っていく。玉ねぎは一ミリ幅でスライスする。ピーマンは種を完全にとって、これもスライス。マッシュルームは薄切りにすると溶けてしまうので、少し厚めに切る。ベーコンも食べごたえがあるよう、厚めに切っておいた。

「湯を沸かし、パスタを入れる。味付けはトマトケチャップでやるから、塩は入れない」

 スパゲッティを茹でる時に塩を入れる場合があるが、それはスパゲッティに「下味」を付けるためだ。その理由を知らずに、とにかく茹でる時に塩を入れると思い込んでいる人が多すぎる。真の料理好きは、レシピの「理由」まで拘るべきなのだ。

「茹でる時間は七分三〇秒、その間に具材を炒めるぞ」

 鉄のフライパンにオリーブオイルを注ぎ、具材を全て投入する。中火で炒めて玉ねぎがしんなりしてきたら、野菜をフライパンの奥に寄せ、手前にトマトケチャップを入れる。ケチャップの水気を飛ばすためだ。この手間を抜かしてしまうと、水っぽいナポリタンになってしまう。ナポリタンが不味い喫茶店は大抵、この手間を省いている。

「おぉ、良い匂いなのじゃぁ。甘酸っぱそうで、それでいて匂いの中に旨味を感じるのじゃぁ~」

 火加減を調整しながら、ケチャップの状態とパスタが茹で上がるタイミングを合わせる。ケチャップがフツフツとし、やがて濃い色になってきたところで具材と合わせ、そこに茹で上がったパスタの水気をしっかり切って投入する。

「ナポリタンというのは、パスタを使った焼きうどんだ。逆アルデンテ、つまり外がパリッとし、中がモッチリしている状態を目指す。ナポリタンは、イタリアの食材を使った〈日本料理〉なのさ」

 水っぽさが無くなったら粗挽き胡椒を軽く振り、最後にバターを一欠片入れる。手早く皿に盛りつけ、粉チーズとタバスコを添える。

「タバスコは……これも器に移しておくか。匙で掛ければいいだろ。ホイ、スパゲッティ・ナポリタンの完成だ!」

 のじゃロリが、捧げられた供物に目を輝かせていた。





 私の名はライオネル・ポルト、しがない行商人です。十二歳で王都に本店を構える商会に丁稚で入り、十年の下積みを経て行商人として独立しました。現在は商工ギルドの依頼をこなしつつ、王都と迷宮都市を往復しているだけですが、いずれは自分の店を構えたいと考えています。今回も、いくつかの宅配の依頼をこなしつつ、王都からギルドに食料などを運んでいます。東の迷宮都市は内陸地で、しかも「魔境」が直ぐ側にあるため余り農畜産業が栄えていません。王都から岩塩や穀物、干し肉などを運び、迷宮都市で魔道具を動かすための魔石や、魔物の素材を仕入れて王都で売る。大きくは稼げませんが、安定して収益を得られる交易路なのです。

「何という香りだ。これでは腹が減るばかりだな」

 ユーヤ・カトー氏の名は知っていました。王都にふらりと現れた無名の男が、僅かな期間で屋台売上の上位に入ったというのは、ギルド内で噂になったほどです。ホットドッグは私も食べたことがありますが、あれに使われていた赤と黄色のソースは、間違いなく売れるでしょう。何人もの商人が作り方を聞こうとしたり、販売契約を持ちかけたりしたそうですが、カトー氏はすべて断ったそうです。

「まさか、あのカトー氏が一緒とはな。しかも同行者がレイラ王女とは……」

 ギルドを通じて、レイラ王女が王族から離れ、平民となったことは伝え聞いていました。国王陛下の反対を押し切ってまで、迷宮都市でダンジョンに潜るそうです。元々、王族らしからぬ御性格をされていたことは知られているため「やっぱりか」というのが感想です。神の加護を得た剣姫が、王宮の最奥でお暮らしになられるはずがありません。ダンジョンに入るのも、ご自身の「使命」のためでしょう。

「んん~! まさか小麦をこのようにして食べるとはな。やはりユーヤの飯は最高だ!」

「あのなぁ。喰うのは構わないけど、片付けくらいは手伝えよ」

元王女殿下に対するカトー氏の口調は、私をしてハラハラとさせるものでした。不敬罪には問われないとはいえ、相手は隣国にも知られる「剣姫」です。怒らせでもしたら、誰も止められないでしょう。だがレイラ様は、カトー氏の「無礼なほどの気軽さ」をむしろ気に入っているご様子です。出されたパスタ料理を本当に美味しそうに召し上がっています。では、私も食べるとしましょう。

「この味はっ!」

 見よう見真似でフォークを操り、赤味がかったパスタを口にしました。その瞬間、私の脳髄に雷鳴が轟きました。トメートを基本とした酸味、野菜類の甘味、岩塩の塩味から構成されていますが、それ以外にも複雑な味が絡まり合っています。これはまさか、香辛料?

「カ、カトー殿、ひょっとしたらこの料理には香辛料が使われているのでは?」

「よく解りましたね。トメートから作ったソースには、月桂樹ローリエ丁字クローブ桂皮シナモン、セージ、赤唐辛子レッドチリ胡椒ペッパーを使っています」

「コ、コ…… コショウッ!」

 私は愕然とし、コッコッコッとまるでニワトリのようになり、ようやく言葉が出ました。当然です。このエストリア王国において、香辛料は貴重品で、特に胡椒などは同量の金と交換されているくらいなのです。ローリエやセージは王国でも栽培されていますが、他の香辛料は遥か東方から海を超えなければ入ってきません。

「あー、気にしなくて良いですよ。ちょっと事情がありまして、私は香辛料を安く仕入れられるんです。王都では相当に高い金額でしたね」

 当たり前です。王国の東方は広大な「魔王領」が広がり、陸の交易路は無い。香辛料を手に入れるためには王国から南に下り、船で南方大陸の大国「ミスル王国」の北端の港町「アレスドリア」に渡り、そこから二週間掛けて南東の街「ルスハン」に向かい、さらに船を出して魔王領を北に見つつ、東方の大国「ガナラージア」に行かなければなりません。一年がかりの相当に危険な交易路であるため、運ばれる香辛料類は自ずと高価になるのです。王族や貴族でさえ、香辛料は簡単に使えるものではありません。

「カトー殿、もし宜しければ、お手持ちの香辛料を見せていただくわけには……」

「んー…… まぁ良いかな。胡椒で良いですか?」

 そう言うと、収納袋から陶器の壺を取り出しました。蓋が縄紐で括り付けられており、それを解いて開けると黒胡椒がギッシリと詰まっています。私は思わず唾を飲み込みました。

「これほどの量を一体、どうやって……」

「それは秘密です。香辛料は料理で使うので、他の店に売ることはありません。そろそろ良いですか? 料理、冷めますよ?」

 促されて、私は再び料理に戻りました。硬チーズを削ったものと、赤唐辛子と葡萄酢で作られた調味液を掛けてみます。するとどうでしょう。味が一層奥深く、複雑になったではありませんか! チーズのコクがトメート味と合わさり、至上の旨味へと変わります。辛味の強い葡萄酢の放つ香りが、トメートの香りと合わさってより芳醇となります。そして辛味が加わることで、逆にソースの甘味を引き出しています。なんという絶妙な取り合わせなのでしょうか。

「凄いな。このスープに使われているのはブロッコルか? 卵が入った、滋味深い優しいスープにブロッコルの味が加わって、実に美味い」

 レイラ様がスープを夢中で掻き込んでいる。よく見ると、なんとスープにも砕いた黒胡椒が使われているではないか! 恐る恐る口にすると、何という深みのある味だろうか。ただのしょっぱい湯ではなく、そこに様々な味が加わっている。このスープを作るために、どれだけの食材と手間が掛けられているのだ?

「これで、銅貨五枚。あまりにも安すぎる……」

 使われている食材、注ぎ込まれた技術と手間を考えれば金貨一枚にも匹敵するかもしれない。それほどの料理が、日雇い労働者の朝食と同じくらいの金額で食べられるのだ。私は決めた。これから毎食、カトー殿に世話になろう。そして迷宮都市ドムでは、カトー殿とレイラ様を最大限に支援しよう。この方は「料理の神」に違いない。

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