25 / 42
第二章
2-11
しおりを挟む十一
三日後、「何でも屋」の東堂しのぶから電話が入った。僕は寝起きでまだぼんやりとする頭をゆらしながら、邪植から受話器を受け取って、あくびをもらした。
「あんた、少しはこっちにもバックしなさいよ。誰のおかげで、あの小娘が平穏無事な生活ができると思ってんの」
ぶっきらぼうな口調だが、少年のように低い声は、寝起きの頭をゆらすには十分だった。眉間に皺をよせて、受話器を耳と肩の間にはさむと、煙草を取り出してくわえた。
「人を下請けに使っておいてよく言うな。用はそれだけか?」
「謝礼金の話しをしたいのよ」
「君からの金なんかまっぴらだ。後が怖い」
不機嫌そうにつぶやいて、マッチをする。煙を飲むと同時に、急に東堂が猫撫で声を出した。
「悪かったわよ。あのアル中、目やばかったんだもん」
「だからって毎回やばいものばかり僕に回すな。ゴミ箱じゃないんだからな」
「あら、似たようなものでしょう」
この言葉にはさすがにムッとした。
「お前からの依頼は二度と聞かないからな」
「あん、つめたい」
「切るぞ」げんなりして、煙を吐き出した。
「デートしてくれたら、もっと良い情報流すって。一回だけ」
「君は、ホストでもくどいてるつもりなのか?」
「あんたが好きなのよ」
「僕は嫌いだ」
「どうして?」心なしか、声のトーンが落ちた気がする。それに愉快を覚え、受話器に口をよせると、低い声でささやいた。
「美人だから」
向こうで、何か落ちる音がした。しばらく沈黙が続いたので、こいつはマジなのか、と膝を叩いて笑った。「うそだよ」今度は、はっきり言って電話を切った。受話器を下ろす瞬間「いつか殺してやるから」と、おっかないことを叫んでいた。あの女は本気でやりそうだ。
「こんなことばかりやってるから、恨まれるのか」
ため息をついてそのまま座敷に向かうと、珍客があった。
庭先で、憮然とした表情を浮かべたまま、腕を組んで立っている夏木がいた。こげ茶色の分厚いコートの下に、灰色のズボンを履いている。きちんとした格好をすればそれなりに見えるものだな、と内心で品評をしながら、ふと視線を隣に投げた。白いコートを羽織り、紺色のワンピースに身を包んだ、山下とも子も一緒だった。一つにまとめた黒い長髪が、辞儀をすると同時に肩から落ちる。
「何か用か」
座敷に上がって鴨居に手をかけながら、うっすらと笑う。夏木は天然パーマを引っ掻き回しながら、断りなく縁側に腰を下した。その隣に腰かけると、山下とも子には座敷に上がるよううながした。
「いえ、でも」
「良いから。ここは寒いでしょう」
「ありがとう」
眼をふせてはにかんだ笑顔は、少女のあどけなさが残っていた。なにより、話し声を初めて聞いたが、透明感があり美しい響きだった。山下とも子は、邪植に案内されて、奥の間へと進んで行く。ゆれる後ろ髪を眺めながら、隣の仏頂面をつついた。
「重宝しているじゃないか。なかなか美人になるぜ」
「あんたは変態なのか?」夏木はコートの合わせを直しながら、口元を歪めた。「たしかに今朝、効果はあった。聞いての通りだ。ありがとう」
意外と素直に礼を言われて、拍子抜けした。苦笑を浮かべて煙草盆を引き寄せると、煙草を取り出してくわえた。夏木にもすすめて、マッチをすった。
「まじないのようなものだから。効果があったかどうか」
「あった。はじめて声を聞いた」
「まだ、文字は喰うか?」
「まだ喰う。でも構わん」
「そのようだね」
ちらちらと、庭先に降り積もる楓の赤い葉を眺めながら、夏木の仏頂面を盗み見た。どこかせいせいとしたように息をついている。不精ひげを親指でいじりながら、笑みを浮かべた。
「あんたは不思議な男だな」
「よく言われるよ」
「ずっと堅気もんだと思ってた。お綺麗な屋敷の坊ちゃんだとね。それで、なかなかでかい面もする。気に喰わんかった。でもそうじゃないんだろう」
「でかいつもりはないけどね。先で見たように、命令しか聞かない奴らと一緒にいるから」なんだか言い訳がましい言い方だと思い、すぐに閉口した。夏木は気にした風でもなく、ふむ、と一度うなずいた。
「でも木下が、あんたを慕う理由はなんとなくわかった」
「慕うだって?」煙草を口からはなすと、膝を叩いて笑った。本日二回目だ。「何を勘違いしているんだ。子どもじゃないんだから、そうそう僕の詭弁に騙されやしないだろう」
「そうじゃない。あんたは頼りになるんだ」
「そう思うのは、君が素直な男だからだ。夏木昇」
「坂島。わたしは、これで人を見る目は確かだよ」
「知っている。だからだ」
「とも子のことで、あんたが困るのは嫌なんだ」
夏木は胡乱な双眸を細めて、じっと見つめてきた。木下と言い、夏木と言い、一度熱くなると、どこまでもまっすぐになる。僕にはそれがひどくうらやましい。夏木の肩を軽く叩いて、微笑を浮かべた。
「君が心配するようなことは何もない。山下とも子は口が訊けるようになったし、君たちを害するものはいない。なにより、これは僕の仕事だった。ヤクザじゃないが、素人でもないんだ。変な気を回さなくていい」
夏木は一度、眉根をよせて口元をぐっと歪めたが「しかし、あんたは孤独じゃないのか」と、しぼりだすようにつぶやいた。
「孤独じゃない人間などいない」
「あんたは他のそれとは違う」
「同じだよ」
「なぜ」
「君たちが、僕の孤独を知っているからだ」
紫煙を一度吐きだして、空を仰いだ。どこまでも続く快晴は、胸が熱くなるほど青く、遠くの遠くのほうまで、ずっと青い。時折、その青色のうえに白く細い雲が乗って、そばをひこうきが線を引いて消えて行く。みみずばれのような傷が、いくつも残る。まるで、生命線のように美しい。
「まあ、悪いと思うなら一献つきあえ」
茶化すように笑って、杯の形をつくって口元に持って行く。それを横目に見ながら、夏木は苦笑を浮かべて「いいだろう」と、つぶやいた。そのとき、石塀の向こうから木下が顔をのぞかせて、片手を上げた。
僕が軽くうなずくと、木下の視線が隣に動いて、しばらく止まる。
やあ、夏木じゃないか、と叫ぶ。なつかしそうに双眸を細めて、垣根を越えてずかずかと入りこんできた。僕と夏木は一度目を見合わせて「丁度良かった。いまから始めようとしていたんだ」と、笑みを浮かべた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
マトが行く
カルラ店長
ミステリー
世界の誰かが思った。このままじゃいけないと。世界の誰かが思った。「誰にも負けない力が欲しい」と。そんな時この日本、東京で何も無いのに怪死する謎の事件が相次ぐ。果たしてそれは超常現象か?何者かの仕業か?現代に甦る超常仕事人の巻き起こすサスペンス。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
赤ちゃんの作り方講座(赤ちゃんはどこからくるの?)
大和田大和
ミステリー
皆さんは、まだいたいけな女子中学生に、
『どうやったら赤ちゃんができるの?』
と、聞かれたらなんと答えますか?
もちろん答えないわけにはいきませんよね? 根掘り葉掘り、具体的に詳細に教えてあげる必要がございます。
どこに何をどうすれば赤ちゃんができるか包み隠さず言うしかありません。何なら画像を見せあげるのもいい方法かもしれません。
決してセクハラなんかじゃありませんよ? まごうことなき教育です。
さて、この小説は、人狼不参加型の人狼ゲーム。
人狼ゲームなのに人狼はいません。なのになんでか人が次々と死んでいきます。
なら赤ちゃんをたくさん作って、減った人口を復元しなければいけませんよね? ね? ね?
もしこの文章を読んでいる人の中に、『赤ちゃんの作りかた』を知っている人がいたらこの小説は、決して読まないでください!(約束ですよ!)
どのようにして赤ちゃんを作ったか事細かに、詳細に説明する講座です。
赤ちゃんの作り方がわかるなら即ブラバ推奨です!
残念ながらあなたの見たいものは見れないということになりますからね!
この小説はあなたの期待を裏切ります。
では、下にある第一話『いつまでもおっぱいに挟まれていたいと、考えたことはありますか?』はクリックしないように気をつけてブラバしてください! くれぐれも安易な気持ちで本小説を読まないように!
(警告しましたからね!)
四次元残響の檻(おり)
葉羽
ミステリー
音響学の権威である変わり者の学者、阿座河燐太郎(あざかわ りんたろう)博士が、古びた洋館を改装した音響研究所の地下実験室で謎の死を遂げた。密室状態の実験室から博士の身体は消失し、物証は一切残されていない。警察は超常現象として捜査を打ち切ろうとするが、事件の報を聞きつけた神藤葉羽は、そこに論理的なトリックが隠されていると確信する。葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、奇妙な音響装置が残された地下実験室を訪れる。そこで葉羽は、博士が四次元空間と共鳴現象を利用した前代未聞の殺人トリックを仕掛けた可能性に気づく。しかし、謎を解き明かそうとする葉羽と彩由美の周囲で、不可解な現象が次々と発生し、二人は見えない恐怖に追い詰められていく。四次元残響が引き起こす恐怖と、天才高校生・葉羽の推理が交錯する中、事件は想像を絶する結末へと向かっていく。
赭坂-akasaka-
暖鬼暖
ミステリー
あの坂は炎に包まれ、美しく、燃えるように赤い。
赭坂の村についてを知るべく、男は村に降り立った。 しかし、赭坂の事実を探路するが、男に次々と奇妙なことが起こる…。 ミステリーホラー! 書きながらの連載になるので、危うい部分があります。 ご容赦ください。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる