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第二章

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    十一


 三日後、「何でも屋」の東堂しのぶから電話が入った。僕は寝起きでまだぼんやりとする頭をゆらしながら、邪植から受話器を受け取って、あくびをもらした。
 「あんた、少しはこっちにもバックしなさいよ。誰のおかげで、あの小娘が平穏無事な生活ができると思ってんの」
 ぶっきらぼうな口調だが、少年のように低い声は、寝起きの頭をゆらすには十分だった。眉間に皺をよせて、受話器を耳と肩の間にはさむと、煙草を取り出してくわえた。
 「人を下請けに使っておいてよく言うな。用はそれだけか?」
 「謝礼金の話しをしたいのよ」
 「君からの金なんかまっぴらだ。後が怖い」
 不機嫌そうにつぶやいて、マッチをする。煙を飲むと同時に、急に東堂が猫撫で声を出した。
 「悪かったわよ。あのアル中、目やばかったんだもん」
 「だからって毎回やばいものばかり僕に回すな。ゴミ箱じゃないんだからな」
 「あら、似たようなものでしょう」
 この言葉にはさすがにムッとした。
 「お前からの依頼は二度と聞かないからな」
 「あん、つめたい」
 「切るぞ」げんなりして、煙を吐き出した。
 「デートしてくれたら、もっと良い情報流すって。一回だけ」
 「君は、ホストでもくどいてるつもりなのか?」
 「あんたが好きなのよ」
 「僕は嫌いだ」
 「どうして?」心なしか、声のトーンが落ちた気がする。それに愉快を覚え、受話器に口をよせると、低い声でささやいた。
 「美人だから」
 向こうで、何か落ちる音がした。しばらく沈黙が続いたので、こいつはマジなのか、と膝を叩いて笑った。「うそだよ」今度は、はっきり言って電話を切った。受話器を下ろす瞬間「いつか殺してやるから」と、おっかないことを叫んでいた。あの女は本気でやりそうだ。
 「こんなことばかりやってるから、恨まれるのか」
 ため息をついてそのまま座敷に向かうと、珍客があった。
 庭先で、憮然とした表情を浮かべたまま、腕を組んで立っている夏木がいた。こげ茶色の分厚いコートの下に、灰色のズボンを履いている。きちんとした格好をすればそれなりに見えるものだな、と内心で品評をしながら、ふと視線を隣に投げた。白いコートを羽織り、紺色のワンピースに身を包んだ、山下とも子も一緒だった。一つにまとめた黒い長髪が、辞儀をすると同時に肩から落ちる。
 「何か用か」
 座敷に上がって鴨居に手をかけながら、うっすらと笑う。夏木は天然パーマを引っ掻き回しながら、断りなく縁側に腰を下した。その隣に腰かけると、山下とも子には座敷に上がるよううながした。
 「いえ、でも」
 「良いから。ここは寒いでしょう」
 「ありがとう」
 眼をふせてはにかんだ笑顔は、少女のあどけなさが残っていた。なにより、話し声を初めて聞いたが、透明感があり美しい響きだった。山下とも子は、邪植に案内されて、奥の間へと進んで行く。ゆれる後ろ髪を眺めながら、隣の仏頂面をつついた。
 「重宝しているじゃないか。なかなか美人になるぜ」
 「あんたは変態なのか?」夏木はコートの合わせを直しながら、口元を歪めた。「たしかに今朝、効果はあった。聞いての通りだ。ありがとう」
 意外と素直に礼を言われて、拍子抜けした。苦笑を浮かべて煙草盆を引き寄せると、煙草を取り出してくわえた。夏木にもすすめて、マッチをすった。
 「まじないのようなものだから。効果があったかどうか」
 「あった。はじめて声を聞いた」
 「まだ、文字は喰うか?」
 「まだ喰う。でも構わん」
 「そのようだね」
 ちらちらと、庭先に降り積もる楓の赤い葉を眺めながら、夏木の仏頂面を盗み見た。どこかせいせいとしたように息をついている。不精ひげを親指でいじりながら、笑みを浮かべた。
 「あんたは不思議な男だな」
 「よく言われるよ」
 「ずっと堅気もんだと思ってた。お綺麗な屋敷の坊ちゃんだとね。それで、なかなかでかい面もする。気に喰わんかった。でもそうじゃないんだろう」
 「でかいつもりはないけどね。先で見たように、命令しか聞かない奴らと一緒にいるから」なんだか言い訳がましい言い方だと思い、すぐに閉口した。夏木は気にした風でもなく、ふむ、と一度うなずいた。
 「でも木下が、あんたを慕う理由はなんとなくわかった」
 「慕うだって?」煙草を口からはなすと、膝を叩いて笑った。本日二回目だ。「何を勘違いしているんだ。子どもじゃないんだから、そうそう僕の詭弁に騙されやしないだろう」
 「そうじゃない。あんたは頼りになるんだ」
 「そう思うのは、君が素直な男だからだ。夏木昇」
 「坂島。わたしは、これで人を見る目は確かだよ」
 「知っている。だからだ」
 「とも子のことで、あんたが困るのは嫌なんだ」
 夏木は胡乱な双眸を細めて、じっと見つめてきた。木下と言い、夏木と言い、一度熱くなると、どこまでもまっすぐになる。僕にはそれがひどくうらやましい。夏木の肩を軽く叩いて、微笑を浮かべた。
 「君が心配するようなことは何もない。山下とも子は口が訊けるようになったし、君たちを害するものはいない。なにより、これは僕の仕事だった。ヤクザじゃないが、素人でもないんだ。変な気を回さなくていい」
 夏木は一度、眉根をよせて口元をぐっと歪めたが「しかし、あんたは孤独じゃないのか」と、しぼりだすようにつぶやいた。
 「孤独じゃない人間などいない」
 「あんたは他のそれとは違う」
 「同じだよ」
 「なぜ」
 「君たちが、僕の孤独を知っているからだ」
 紫煙を一度吐きだして、空を仰いだ。どこまでも続く快晴は、胸が熱くなるほど青く、遠くの遠くのほうまで、ずっと青い。時折、その青色のうえに白く細い雲が乗って、そばをひこうきが線を引いて消えて行く。みみずばれのような傷が、いくつも残る。まるで、生命線のように美しい。
 「まあ、悪いと思うなら一献つきあえ」
 茶化すように笑って、杯の形をつくって口元に持って行く。それを横目に見ながら、夏木は苦笑を浮かべて「いいだろう」と、つぶやいた。そのとき、石塀の向こうから木下が顔をのぞかせて、片手を上げた。
僕が軽くうなずくと、木下の視線が隣に動いて、しばらく止まる。
 やあ、夏木じゃないか、と叫ぶ。なつかしそうに双眸を細めて、垣根を越えてずかずかと入りこんできた。僕と夏木は一度目を見合わせて「丁度良かった。いまから始めようとしていたんだ」と、笑みを浮かべた。


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