上 下
10 / 42
第一章

1-10

しおりを挟む

    十

 やきとりを頬張りながら、「食べないのか?」と、視線だけで示した。木下は、口元をおさえたまま「いらない」と、力なくつぶやいた。
 「貴様が喰わぬなら、わしが喰う」八枯れは、木下の皿に乗っていたやきとりを、串ごと丸のみにした。僕は肉汁を飲み下して、串をくわえたまま苦笑した。
 「そんな神経で、よく刑事なんか勤まるな」
 「君が図太すぎるんだ。しかし」
 「なぜ、喰っているとわかったのか?」
 ああ、と力なくうなずいて熱を冷ますためか、水を一息に飲んだ。すっかり酔いは、醒めてしまったようだ。煮込み鍋の蓋を開けて、湯豆腐を三つすくうと、椀に入れた。箸を置いて、まっすぐに木下を見つめる。
 「ひとまず、食べよう」
 「無理だ」
 「無理じゃない」僕は、木下の椀の中に、白菜と湯豆腐をたっぷりと、入れる。「ほら、肉じゃないんだ。食える。なにより、ここで人食いの話しをしているからと言って、実際に人の肉が運ばれてくる訳じゃないんだ」
 「やめてくれ」額をおおい、肘をついた木下に、ぐっと顔を近づけた。
 「聞け。君のためだ。いいかい。僕らは確かに、さまざまなことを想像することができる。言葉の緻密な構成や表現は、情景を構築し、あたかもそこに実際に存在しているかのように、描写することができる。それはなぜか、わかるかい?」
 眉間に皺をよせたまま僕の顔をじっと見据え、首をかしげた。それにうなずいて、頭を引いて元の位置に戻ると、腹の上で両手を組んだ。
 「共通の言葉があり、それを指示する映像を見ているからだ。だから、思い描ける。共通の言葉とは、肉を喰うこと。僕らは、動物を食っているからね。人の肉だって、同じことだ。そうして、さっきのバラバラ死体の写真だ。これが、指示された映像だな。だが、君は実際に人食いを見た訳でも、人肉を喰った訳でもない。脳の中で構築された偶像であって、本物じゃあない。では、実像と虚像の違いは何か?」
 「わからない」
 「いいや、わかる。君は、人の肉の焼けた匂いや、味を想像することはできるが、知らない」
 「馬鹿を言うな。匂いはともかく、味なんて想像もできない」
 「それなら尚更だ。問題ない。仮に想像しながら、動物の肉を喰ったところで、それは人の肉じゃあない。もちろん、このような公的な飲食店で、通常人肉など運ばれてはこない。なによりこの店は君が何度も、足を運んでいるところだ。怖がる必要など、何一つないじゃないか。問題なのは君の脳の見せる映像に、君が騙されていると言うことを自覚しないことだよ」
 「そんなのできる人間のほうが少ない」
 「いまのように論理化してゆけば、事足りる。納得できないなら、納得できるまで考え、実証してゆくべきだ。特に今回のように妙な事件に出くわしたのなら、尚更感情や感覚などで解決しようとしては駄目だよ」
 「僕が自分で考えていないとでも言いたいのか?」
 「人に頼っている時点でそうだろう。なにより、君は恐怖心が先行して、思考を放棄している。それじゃあ、うっかり人肉も喰っちまうね」
 ため息をついて木下の双眸を見つめると、ぐっと睨み返された。
 「情がなくちゃ、人じゃなくなる。そっちのほうが怖い」
 「わからないやつだな」うんざりとした表情を浮かべて、頬づえをついた。「理性と感性を事に応じて使い分けろ、と言っているんだ。そんなしょっちゅう感情に激していたら、君の精神のほうがおかしくなるぜ」
 「まあ、そうなんだけど」
 「これでも僕は心配しているんだ。まだ不満か?」
そこまで聞いて、木下はようやく微笑を浮かべ、箸を手にした。豆腐のかけらを口に運び「やっぱり、うまいな」と、うれしそうにつぶやいて、うなずいていた。僕は輪切りになったゆずをしぼりながら、苦笑した。まったく世話の焼ける友人だ。
 「それで、どうして喰ってることまで、わかったんだ?」
 湯豆腐に息を吹きかけ冷ましながら、木下の顔をちら、と見てからかった。
 「もういいのか?また、具合が悪くなるぞ」
 「大丈夫だ。続けてくれ。どうして、奴が人を喰ってるとわかる?」
 「喰っているかどうかは、問題じゃないよ。木下」
 「どういうことだ?」
 枝豆をつまむと、かじりつく。塩のついたくちびるを舐めながら、頬づえをついた。木下も枝豆を口に入れて、しばらく咀嚼する。皮を吐き出して、眉間に皺をよせた。
 「さっきの話しだと、肉を喰うことと、バラバラ死体の写真には、何の関連性もないって、意味にもとれるじゃないか」
 「ふふ」枝豆を指の先で回しながら、微笑した。「鋭さが戻ってきたじゃないか。その通りだ。なんの関連性もないのに、一連のことをつなげてゆく。それも、想像力の面白いところなんだ」
 僕は茶封筒をちら、と見つめて、笑みを濃くした。
「そんな写真を並べたところで、実際は事実の羅列に過ぎない。だが脳とは、本来から人を騙すように作られている。君の言う通り、気をつけていればどうにかなるものでもない」
 「ただでさえこんな猟奇的な殺人に、辟易しているんだ。混乱して当り前だよ」
 「なるほど、猟気的か。でも相手はそう思っていない。あたりまえのことをしているだけなんだよ」
 「おい、ちょっと待ってくれ」
「この犯人にとって、解体して、その肉を食べることは、いま僕らがここで湯豆腐を食べていることと、同じなのさ。なんでもない。日常風景。習慣的な動作だ。それは、他の三枚の解体写真を見ればわかる。切り口がずいぶん、綺麗だ。慣れている。きっと、明らかにされていなかっただけで、もう何年も続けてきた。歯を磨くように、トイレに行くように、そんな習慣だ」
 「気味の悪い話しだな」
 「でも君が、この事件の概要を想像してゆくにつれて、気味悪く感じているのは、そういうことじゃないんじゃないか」
 口から枝豆の皮を取り出すと、それをボウルの中に放った。木下は、怪訝そうな顔をして、腕を組んだ。
 「どういう意味だ?」
 「殺人、解体、観察、食事。どれも本来は別のことだ。でも、それが一連になって続いている。それが君にとって、気味の悪いことなんじゃないのか?」
 木下は一瞬、辛そうに眉根をよせると、すっと視線をそらした。僕は組んだ両手の上に顎を乗せて、続けた。
 「手足に関しては、動物でも練習はできる。脳もさ。実際にやってみて、奴は失敗したんだ。頭部だけ。これが、現実と想像の違いだよ。きっと衝撃を受けたはずだ。失敗から学び、次はもっとうまくやる」
 そう言って茶をすすると、木下は震える拳をにぎりしめた。
 「次が出るのは、もっと困る」
 「しかし、妙だな」
 「なにが?」
 「人体は勝手が違ったとは言え、習慣はそう簡単に壊れたりはしない。脳ではなく、身体の記憶にも頼っているからね。自ら止めるか、誰かに邪魔されるかしないとね。なぜ、失敗したんだろう?」
 「それは、いま君が言ったじゃないか。現実と想像との違いだろう?」
 「ああ。でも、きっとそれだけじゃない」僕は、口をぬぐいながら、立ち上がった。ハンガーからコートを外すと、苦笑を浮かべた。
「勘だって、長い年月をかけて磨かれる習慣の一つなんだ。僕は勘で、ここまで仮説を立てた。それはおそらく、奴と似た視点を持っているからだ。理論的なことと、残虐なことは、案外同じことだからね。だから君にとっては矛盾だらけのことが、僕には一つの道筋に見えただけだ。これは少しも優れた視点じゃない。むしろ汚点だ」
「冗談じゃないぞ。君と犯人が同じだって?」
 「同じじゃないが、似ているんだ」
「ふざけるな。君は立派なやつだよ。少なくとも人をゴミのように扱ったりはしない」木下はコートを受け取ると、はっきり言った。それに微笑を返して、曲った襟を直した。
「場面も変われば、台詞も変わるものさ。なにより残虐さに、底など有りはしない。欲望と同じにね」
コートを羽織りながら、座敷の戸を開けると、木下はついに黙りこんでしまった。勘定をすませようと、レジの前で財布を取り出すと、その脇をぬって、八枯れが店の外へと飛び出して行った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アサシンのキング

ミステリー
経験豊富な暗殺者は、逃亡中に不死鳥の再生を無意識に引き起こし、人生が劇的に変わる。闇と超自然の世界の間で、新たな力を駆使して生き延びなければならない。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

筆の森、黴男

当麻あい
ミステリー
変わった筆屋の女と、学生たちの物語。 「逢魔伝」シリーズから、次世代編へのつなぎのような物語。 完結確約。

旧校舎のフーディーニ

澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】 時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。 困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。 けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。 奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。 「タネも仕掛けもございます」 ★毎週月水金の12時くらいに更新予定 ※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。 ※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。 ※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。 ※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

天地伝(てんちでん)

当麻あい
ファンタジー
 「なあ、お前には人の心ってなにかわかるか?」  天狗のタイマが、鬼の八枯れ(やつがれ)と共に、現代の明治大正時代へ転生し、生き抜いてゆく、一つの妖怪伝記物語。  前作、『逢魔伝』シリーズものですが、独立した作品として、お楽しみいただけます。 あの世から、明治大正時代へ転生します。完結。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

逢魔伝(おうまでん)

当麻あい
ファンタジー
 「お前は僕と契約を交わした。生まれ変わったら、お前は僕の言うことを聞け」そうして、彼岸で、鬼と契約を交わした一人の青年の物語。  主人公、坂島赤也(さかじまあかや)と、鬼の八枯れ(やつがれ)を主軸に、展開される日常系ローファンタジーです。  様々な幻想に惑わされながらも、人として、あるいは妖怪として、現実と幻想のはざまで、生きる一人の青年の生き様を描いています。シリーズ化してます。 表紙はイラストレーターのkani様作 https://twitter.com/cocoacco1?s=11&t=OlwSjHv8OqXPU1-QUIsiVw

処理中です...