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第二章
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「何の話をしていたんだ?」
西日が射すころ、由紀と東堂を残して屋敷を出た。行きは頭を悩ませた坂道も、下りとなると、可愛いものだ。タイマは、わしを見下げて快活に笑うと、「毛皮さえなきゃ、調節するのも楽だろうな」と、嫌味を言った。わしは、雀の羽根の色に染まってゆく、雲を見上げながら鼻を鳴らした。
「喰えん男じゃ。貴様によう似とる」
「そうだろうか」タイマは苦笑を浮かべた。わしはそれをちら、と見て、舌を出した。
「化け物のくせに、人と交わるつもりか?同情するフリも、ほどほどにしておけよ」
「お前も、はっきり言うなあ」
そう言ったタイマの声は、いくぶん沈んでいた。怪訝に思い、隣を歩く横顔を見上げた。沈みかけの太陽の陽を浴びて、左頬に影が落ちていた。
「違うんだ、八枯れ」
「何がじゃ」
「こればかりは、フリでも、同情でもないんだよ」
わしは声を上げて笑い、空を見上げた。また、ろくでもないことを企んどるのか。そう思い、口を開こうとした時だ。前に飛び出して走るように、信じられないことを口にした。
「由紀には、この世界がどのように見えているのか。それが知りたい。否、同じ景色を見てみたいとさえ、思ったのだ」
タイマはやわらかく笑んでいた。寂しそうに、困ったように笑って、団扇を仰いでいた。茜色が頬を朱に染め、面ざしに、影を落としている。それを見つめながら、眉間に皺をよせた。
「まさか、」
わしの言葉に、真剣な表情をしてまっすぐ見つめてきた。そのまなざしの向こうには、これまで見たことのない色を宿していた。きらきらとかがやく、まるで人の心のように、複雑な模様がそこに映し出されていた。鳥肌が立った。つい、と足を止めて後ずさる。こいつは何だ?これまで、タイマがこんな顔をしたことがあったろうか。こんな目をして、語ることがあったろうか。
いつから、こいつは本物の人のようになったんだ?
「八枯れ」
タイマは、おだやかな笑みを浮かべながら、凝視するわしと対峙する。それを睨みつけるように、目を細め、低くうなり声を上げた。目の前の男が恐い。タイマが、かつての天狗が、今度は得体の知れない、何かであるように思えた。それは、あの女と会ってから、しばしば感じていたことでは、なかったろうか。
「来るな」
毛を逆立てて威嚇した。だが、タイマは何も言わず距離をつめてくる。草履が地を踏みしめる、じゃり、と言う乾いた音が、近づいてくる。逆光で暗くなった顔を見上げると、鳥肌が立った。それは確かな別離の予感だった。
「頼む。聞いてくれ」
わしの体を抱きよせて、背中をなでるタイマの震える手が、煩わしい。人のようなぬくもりを宿し、人のように情をよせるこの男が、たまらなく嫌だった。抑えきれない何かが、わしの内部を喰い荒している。胃液を吐きそうだ。
抱く腕に噛りついた。研ぎ澄ましていた、長い牙を、白い腕に喰いこませ、そこから滲む血を飲み、うなり声を上げる。人の血の味だ。匂いがする。なぜ今まで平気な顔をして、一緒にいられたのか。こいつの肉は、もうとっくに人の味がするんじゃないか。
タイマは、痛みに表情を歪めたが、わしを離そうとはしなかった。
「わしはもう必要ないだろう」
眉間に皺をよせて、低くうなると、タイマはいつもの通り、快活に笑っていた。二の腕から滴る、赤い血が、タイマとわしの生を隔てている。それを知りなお、化け物を手離そうとしない。なぜだ?
「俺はね、もう大分、力も弱くなってきているんだ。だから、人に、お前に、助けてもらわなくちゃあ、生きてゆけないんだよ」
「みな、お前を好いている。京也も、凛も、東堂も、あの女、由紀も。お前を助けてやれるじゃないか。だが、わしは化け物じゃ。貴様らを喰うのが、化け物のあるべき姿だ」
「ひどいことを言うなよ、八枯れ」
タイマは、わしの顔をのぞきこみ、おだやかに笑んだ。陽が沈む。藍色の空にだいだいの色を焼きつけて、闇が迫っている。射陽を受けたタイマの笑顔は、一度まぶしくかがやいた。
「そうやってすぐ一線を引くなよ。分類して片づけるな。友だろう?頼むから見捨てないでくれ」
友?見捨てるだと?わしは、絶句して、腕を吐き出した。タイマは、ようやっとホッとして傷口を抑えた。まっすぐに、わしを見つめたまま「お前に見捨てられたら、途方に暮れる」と、ふざけたことを真剣な声で言った。
「見捨てようとしているのは、貴様だろう」
わしは疑いのまなざしを捨てきれないまま、じっと見つめる。タイマは一度、呆けた顔をして苦笑を浮かべた。
「そうだろうか?俺にはお前が必要だが、お前にはそうじゃないことが、ひどく悲しいと思う時があるよ」
「よく言う」タイマの飄々とした顔を鼻で笑って、尻尾を振った。「毎度、好き勝手やって、わしを巻き込み、迷惑をかけて、そのくせ秘密主義で、のらくら交わして、自由奔放に生きとるくせをして。悲しいだの、寂しいだの、反吐が出るな」
「それは、お前が一緒にいるからやれるんだ。気づいてないのか?」
「知らん」
「自覚がないのか」
「あんまり気色の悪いことを言うと、喰うぞ」
牙を見せて睨むと、タイマは嬉しそうに笑って腕を組んだ。
「お前が思っている以上に、お前の言動には影響力があるってことだよ」
貴様にそっくりそのまま返してやりたい。そう思ったが、憮然として黙り込んだ。決して納得した訳ではなかったが、これ以上居心地の悪い状況には、耐えられそうになかった。
ふん、と鼻を鳴らして歩きだした。尾を振りながら、ちらと、振り返る。「丸めこまれたと、思ってるんだろう」と言って、わしの後ろについて歩きながら、声を上げて笑っていた。その笑いを聞きながら、いつか頭から丸のみにしてやろうと思い、坂を下って行った。
この時、丸めこまれただけではなく、あの女と何の話をしたのかも、うやむやにされていたことに気がついたのは、もっと後のことだった。
そうして、わしのことが「必要だ」と言った、その真意にさえも気づけないでいた。
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