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6(お忍びの国王ルガー)
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「ありがとうございます」
彼女はしっかりタライを持ち、息を吐いて安堵したあと、斜めになったまま、にこりと笑って礼を言った。
「あ、ああ……」
あまりに開けっぴろげで素直な笑顔なので、ルガーは一瞬動揺した。彼はこの国の王であるが、今はお忍びであり、下働きの格好をしている。こっそりリアンナ王女の様子を伺いにきたのだ。
下々のものは国王の顔など知らないし、逆に貴族は下々のものの顔などいちいち見ていない。おかげで衣装を変えただけで、簡単に忍ぶことができる。
「その……助かったと思うにはまだ早い」
「あ! そうですね! すみません、ちょっと引っ張って頂いて、すみません!」
「いや、大丈夫だ」
このところの執務でなまっているとはいえ、ルガーは若く、それなりに鍛えている。もともと王になる予定ではなかったので、剣で身を立てることも考えたのだ。
少女ははつらつとした表情と裏腹にひどく軽く、ルガーを切なくさせた。これほど近くにいる民が痩せ衰えているとは、己の不出来をつきつけられているようなものだ。
「ふう。力持ちさんが来てくれて助かりました!」
「それほどでもない」
「なんのお礼もできないのですが……」
「気にするな。……それより、降りるなら向こうの方がいいんじゃないか?」
水路にはきちんと下り口がついている。指差して見せると「おお……」と少女は口を大きく開いた。
ルガーは思わず笑った。
城に勤めるとなれば最低限の礼儀は必須とされているはずだが、なんとも無邪気だ。
「君は新人か?」
「あ、はい、そうなんです。慣れなくて……でも前の仕事も似たような感じだったんで、これからがんばります!」
「前の仕事……」
この年の少女が、すでに働いていたのか。
「君は、いくつだ?」
「え? こないだ16になりました」
「……そうか」
どう見ても12,3歳だ。城で働くには年齢制限があるはずだが、それも嘘をつかれては見破るのが難しい。
城が直接雇うのは侍女までで、それ以下は、侍女たちの采配で募集が行われている。貴族である侍女に縁のある者であるため、それでも比較的身元ははっきりしているのだ。
が、年齢程度はいくらでも偽れる。
偽ってでも働かなければならない理由があるならなおさらだ。そしてそんな少女をくびにしても、なんの救いにもならないだろう。
「……不便はないか?」
「はい! よくしていただいています」
彼女が屈託ない顔で笑うので、ルガーは少し安堵した。
「そうか。嫌な上司とかいないか?」
「嫌な……いないですね。よくしてくださる方ならいて、ええと、たしかオレーリア様? が、美味しいものを食べさせてくださいました!」
「オレーリア……、嬢が? そうか、そうか」
ルガーは安堵した。
王になる予定ではなかったため、執務について困ることも多い彼にとって、オレーリアは頼りになる才女だ。しかし、実のところ彼女の評判はあまりよくない。特に下位のものを人とも思わぬ扱いをすると言われていた。
しかし、やはり噂は噂であったらしい。
オレーリアは隙のない令嬢であるから、そのように冷たく見えてしまうのだろう。
「彼女……いや、あの方は誤解されがちだから、君のような人がいてくれると嬉しいよ」
「そうなんですか? そういえば、レニさんも怖がってましたね」
「ああ、そうなんだ。……うん、そうか」
レニはリアンナ付きにしている。
彼女を知っているということは、この少女もリアンナに近いのだろう。水路の降り口に向かうのを付き添いながら聞いた。
「リアンナ姫を知っているかい?」
「えっ。……ええと」
少女は少し困ったように首をかしげた。
そういえば、リアンナ姫の嫁入りはできるだけ内密にとオレーリアに頼んでいた。
三年で帰ってもらう予定なので、大げさにしたくないのだ。彼女の瑕疵になるだろうし、王妃として力を持たれても困る。
「嫁いでこられただろう? そうだ、俺はルーと言うんだが、実は我が主人が、絶世の美女だという彼女を一目見たいと言っていてね」
「絶世の美女!?」
「そうじゃないのかい?」
こちらまで驚くほど、少女は目を丸くして声をあげた。
そして、こらえきれないように笑い始めたのだった。
「ぷっ、ふふっ、そんな感じじゃないですよ。なんていうか……うーんと……普通です」
「普通。普通の姫君?」
「いえ、普通の……そのあたりにいるみたいな、人ですよ」
「……ほう」
ルガーはオレーリアの言葉を思い出した。
(そうだ、まるで下々のもののようだと言っていた)
間違いなくロキスタ国からやってきた姫のはずだ。本当に身代わりや、最悪、暗殺者の可能性もあるのだろうか。
どちらにしてもルガーとしては、平穏に3年がすぎればいい。
いや、送り返すことに心が傷まなくなるから、その方がいいかもしれないとさえ思った。
会ったこともないリアンナ姫は、ルガーにとってその程度のものだ。
彼女はしっかりタライを持ち、息を吐いて安堵したあと、斜めになったまま、にこりと笑って礼を言った。
「あ、ああ……」
あまりに開けっぴろげで素直な笑顔なので、ルガーは一瞬動揺した。彼はこの国の王であるが、今はお忍びであり、下働きの格好をしている。こっそりリアンナ王女の様子を伺いにきたのだ。
下々のものは国王の顔など知らないし、逆に貴族は下々のものの顔などいちいち見ていない。おかげで衣装を変えただけで、簡単に忍ぶことができる。
「その……助かったと思うにはまだ早い」
「あ! そうですね! すみません、ちょっと引っ張って頂いて、すみません!」
「いや、大丈夫だ」
このところの執務でなまっているとはいえ、ルガーは若く、それなりに鍛えている。もともと王になる予定ではなかったので、剣で身を立てることも考えたのだ。
少女ははつらつとした表情と裏腹にひどく軽く、ルガーを切なくさせた。これほど近くにいる民が痩せ衰えているとは、己の不出来をつきつけられているようなものだ。
「ふう。力持ちさんが来てくれて助かりました!」
「それほどでもない」
「なんのお礼もできないのですが……」
「気にするな。……それより、降りるなら向こうの方がいいんじゃないか?」
水路にはきちんと下り口がついている。指差して見せると「おお……」と少女は口を大きく開いた。
ルガーは思わず笑った。
城に勤めるとなれば最低限の礼儀は必須とされているはずだが、なんとも無邪気だ。
「君は新人か?」
「あ、はい、そうなんです。慣れなくて……でも前の仕事も似たような感じだったんで、これからがんばります!」
「前の仕事……」
この年の少女が、すでに働いていたのか。
「君は、いくつだ?」
「え? こないだ16になりました」
「……そうか」
どう見ても12,3歳だ。城で働くには年齢制限があるはずだが、それも嘘をつかれては見破るのが難しい。
城が直接雇うのは侍女までで、それ以下は、侍女たちの采配で募集が行われている。貴族である侍女に縁のある者であるため、それでも比較的身元ははっきりしているのだ。
が、年齢程度はいくらでも偽れる。
偽ってでも働かなければならない理由があるならなおさらだ。そしてそんな少女をくびにしても、なんの救いにもならないだろう。
「……不便はないか?」
「はい! よくしていただいています」
彼女が屈託ない顔で笑うので、ルガーは少し安堵した。
「そうか。嫌な上司とかいないか?」
「嫌な……いないですね。よくしてくださる方ならいて、ええと、たしかオレーリア様? が、美味しいものを食べさせてくださいました!」
「オレーリア……、嬢が? そうか、そうか」
ルガーは安堵した。
王になる予定ではなかったため、執務について困ることも多い彼にとって、オレーリアは頼りになる才女だ。しかし、実のところ彼女の評判はあまりよくない。特に下位のものを人とも思わぬ扱いをすると言われていた。
しかし、やはり噂は噂であったらしい。
オレーリアは隙のない令嬢であるから、そのように冷たく見えてしまうのだろう。
「彼女……いや、あの方は誤解されがちだから、君のような人がいてくれると嬉しいよ」
「そうなんですか? そういえば、レニさんも怖がってましたね」
「ああ、そうなんだ。……うん、そうか」
レニはリアンナ付きにしている。
彼女を知っているということは、この少女もリアンナに近いのだろう。水路の降り口に向かうのを付き添いながら聞いた。
「リアンナ姫を知っているかい?」
「えっ。……ええと」
少女は少し困ったように首をかしげた。
そういえば、リアンナ姫の嫁入りはできるだけ内密にとオレーリアに頼んでいた。
三年で帰ってもらう予定なので、大げさにしたくないのだ。彼女の瑕疵になるだろうし、王妃として力を持たれても困る。
「嫁いでこられただろう? そうだ、俺はルーと言うんだが、実は我が主人が、絶世の美女だという彼女を一目見たいと言っていてね」
「絶世の美女!?」
「そうじゃないのかい?」
こちらまで驚くほど、少女は目を丸くして声をあげた。
そして、こらえきれないように笑い始めたのだった。
「ぷっ、ふふっ、そんな感じじゃないですよ。なんていうか……うーんと……普通です」
「普通。普通の姫君?」
「いえ、普通の……そのあたりにいるみたいな、人ですよ」
「……ほう」
ルガーはオレーリアの言葉を思い出した。
(そうだ、まるで下々のもののようだと言っていた)
間違いなくロキスタ国からやってきた姫のはずだ。本当に身代わりや、最悪、暗殺者の可能性もあるのだろうか。
どちらにしてもルガーとしては、平穏に3年がすぎればいい。
いや、送り返すことに心が傷まなくなるから、その方がいいかもしれないとさえ思った。
会ったこともないリアンナ姫は、ルガーにとってその程度のものだ。
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