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後編
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「ふん、考えてみれば、俺を褒めるのは成績の低いものばかりだな。優秀なものほど俺には見向きもしない。義務的な挨拶をして終わりだ」
私は何ともいえずに黙るしかなかった。
陛下が殿下を諦めかけているのは知られている。私のような伯爵令嬢を婚約者にしたせいもあるだろう。たったひとりの王子であるのに、王太子になれない可能性が高いと思われているのだ。
私自身も、殿下のようなバカ王子を相手にすることに時間を割きたくないと思っていた。
何を言っても響かない相手と話すより、魔法の研究をするほうがずっと楽しい。
「で、殿下、そんな」
取り繕うような半笑いで声をかけたのは、殿下の側近だ。いつもそばにいて、殿下と一緒に下品な話で盛り上がっていた。
「まあ、わかるさ。俺におべっかを使うだけなら、努力して勉強する必要なんてないものな。馬鹿に成り下がるだけで、馬鹿な王子が金を払ってくれる。そうだろう?」
「そ、そのようなことは考えておりません! 我々は殿下が素晴らしい人間だからこそ、いかなる場所にも同行したのです」
「いかなる場所? ……ああ、下町の店で豪遊したことか。あれは楽しかったな……あまりにも愚かで、無駄で、馬鹿げていた」
「庶民に混じり、その暮らしを知ろうとするとは、かつての賢王がなさったことと同じです!」
「暮らしを知る? 下町のものは一生見ることもない大金を使ってか」
「それは……で、殿下、しっかりしてください、おかしいですよ!」
「おかしい……おかしい、そうだな……むしろ今までがどうかしていた。なぜ俺はあんなにも愚かでいられたのだろう? 破滅に向かうばかりの愚かさだ」
「破滅など! 殿下の道は栄光に輝いております!」
「王命である婚約を破棄したというのに?」
「あの女がふさわしくないからです!」
「はは、笑わせるな。新入生より知識のないおまえが、首席であり、身分も上のあれをそのように言うか」
「殿下がっ……おっしゃったことです!」
「……そうだったな……」
殿下は悔やむようにため息をついた。
知力にバフをかけたことで、自分がやってきたこと理解したのだろう。私は、この人にも可能性はあったのだと、今更ながらに思った。こうして悪かったと反省することができる。
もっと早くこの魔法が完成していたら、有意義な学園生活を送ったのかもしれない。
「すべては間違っていた。そうだ……ああ、そうだ」
けれど、暗かった殿下の顔が急に輝く。
そして私を見た。
「ははっ、そうだな。婚約破棄など冗談だ」
殿下は大げさに両手を広げて、笑ってみせた。
「卒業パーティのちょっとした余興だ。だいたい、父上が決めた婚約を、俺の一存で破棄できるわけがないではないか?」
「……」
「メイディ・ロッテン。おまえが嫁いでくるのを楽しみにしている。おまえは父上のお気に入りだからな、せいぜい機嫌を取ってくれ」
知力をバフされても性格の悪さが変わるわけではない。
殿下は便利なものとして、私を婚約者に戻すことにしたらしい。謝罪のひとつもする気はないらしかった。
確かに、この場で婚約破棄などそもそも無理だ。
なかったことになる。……普通なら。
「殿下、お喜びください。三年間、私がずっと研究してきた魔法が、ついさきほど完成したのです」
「……何? 価値のある魔法か?」
「魔法省にすでに申請を行っています。認められれば……」
「ほう」
「禁呪と認定されるでしょう」
「ほう。そうか、これからも励めよ」
殿下がにやりと笑う。婚約者である私の成果は、自分のものになると疑ってもいないのだろう。
どうやら殿下に禁呪について教えた人はいなかったらしい。魔法については初歩の初歩から興味がなかったからだろう。
「禁呪と認定されれば、魔法は王家預かりとなり、制作者の就職先は王立研究所となります。そして、政治に関わることは禁止されます」
「それが何……、はぁっ?」
理解の早いことに満足して、私は微笑んだ。
「王太子である殿下の妻になることはできません」
禁呪とは「国家レベルの影響が危惧される魔法」とされている。それらは王家の管理下にうつり、制作者であっても好きに発動することはできなくなる。
まるでこちらに利益のない話に聞こえるけれど、禁呪を制作した者は王立研究所の席を得ることができる。王家に囲われるということだが、たいてい、禁呪の開発者はそれを望んでいるのだ。
私もそうだ。
潤沢な資金、好き勝手な研究。それが許される唯一の職場だ。
一方で、魔法研究者という強い肩書で国を揺るがすことがないよう、政治に関わることは禁止される。こちらも私の望むとおりに。
これが他の魔法なら、殿下の婚約者で居続けるためになかったことにされたかもしれない。
でも知力バフ魔法があれば、私が殿下の婚約者である必要はない。むしろ邪魔になるはずだ。
「なっ、な、な」
「しかしご安心ください。このような事情ですから、婚約が解消されても殿下の咎となることはありません。魔法開発を祝う余興、ありがとうございました」
「そ……」
殿下が青ざめていく。
知力があるだけにわかるのだろう。殿下の勉強不足をフォローできるような、高位の令嬢はもう残っていない。
王太子でいるため、卒業後、殿下は必死に学ばなければいけない。
知力バフがあっても、学ばなければ知識は得られない。もっとも今の殿下は、知力バフの存在も知らないけれど。
「賢明なる殿下の治世を、いち研究者として期待しております」
最後に告げたこの言葉は嘘ではない。
知力バフは永続ではなく、半日、長くても一日で切れてしまう。でもこの魔法が王家の管理下にいけば、きちんと殿下にかけられるだろう。
知力バフが素晴らしいのは、勉強嫌いを克服できるところだ。被験者は皆「色々なことがわかるので、もっと学びたくなる」と言っていた。そもそも勉強嫌いになる大きな理由が「できないから」なのだ。
睡眠時間を削って勉強するのもきっと楽しいですよ、殿下。
性格の悪い殿下が王様になれば、苦しめられる人はいるかもしれない。でも、性格のいい王様なんて最悪な代物よりはきっとマシだろう。
殿下はきっと国を富ませてくれるはずだ。
褒められたい、認められたいという欲求も変わっていないのだから。
私は心配せずに研究に集中できる。なんて素晴らしいハッピーエンドだろう。
私は何ともいえずに黙るしかなかった。
陛下が殿下を諦めかけているのは知られている。私のような伯爵令嬢を婚約者にしたせいもあるだろう。たったひとりの王子であるのに、王太子になれない可能性が高いと思われているのだ。
私自身も、殿下のようなバカ王子を相手にすることに時間を割きたくないと思っていた。
何を言っても響かない相手と話すより、魔法の研究をするほうがずっと楽しい。
「で、殿下、そんな」
取り繕うような半笑いで声をかけたのは、殿下の側近だ。いつもそばにいて、殿下と一緒に下品な話で盛り上がっていた。
「まあ、わかるさ。俺におべっかを使うだけなら、努力して勉強する必要なんてないものな。馬鹿に成り下がるだけで、馬鹿な王子が金を払ってくれる。そうだろう?」
「そ、そのようなことは考えておりません! 我々は殿下が素晴らしい人間だからこそ、いかなる場所にも同行したのです」
「いかなる場所? ……ああ、下町の店で豪遊したことか。あれは楽しかったな……あまりにも愚かで、無駄で、馬鹿げていた」
「庶民に混じり、その暮らしを知ろうとするとは、かつての賢王がなさったことと同じです!」
「暮らしを知る? 下町のものは一生見ることもない大金を使ってか」
「それは……で、殿下、しっかりしてください、おかしいですよ!」
「おかしい……おかしい、そうだな……むしろ今までがどうかしていた。なぜ俺はあんなにも愚かでいられたのだろう? 破滅に向かうばかりの愚かさだ」
「破滅など! 殿下の道は栄光に輝いております!」
「王命である婚約を破棄したというのに?」
「あの女がふさわしくないからです!」
「はは、笑わせるな。新入生より知識のないおまえが、首席であり、身分も上のあれをそのように言うか」
「殿下がっ……おっしゃったことです!」
「……そうだったな……」
殿下は悔やむようにため息をついた。
知力にバフをかけたことで、自分がやってきたこと理解したのだろう。私は、この人にも可能性はあったのだと、今更ながらに思った。こうして悪かったと反省することができる。
もっと早くこの魔法が完成していたら、有意義な学園生活を送ったのかもしれない。
「すべては間違っていた。そうだ……ああ、そうだ」
けれど、暗かった殿下の顔が急に輝く。
そして私を見た。
「ははっ、そうだな。婚約破棄など冗談だ」
殿下は大げさに両手を広げて、笑ってみせた。
「卒業パーティのちょっとした余興だ。だいたい、父上が決めた婚約を、俺の一存で破棄できるわけがないではないか?」
「……」
「メイディ・ロッテン。おまえが嫁いでくるのを楽しみにしている。おまえは父上のお気に入りだからな、せいぜい機嫌を取ってくれ」
知力をバフされても性格の悪さが変わるわけではない。
殿下は便利なものとして、私を婚約者に戻すことにしたらしい。謝罪のひとつもする気はないらしかった。
確かに、この場で婚約破棄などそもそも無理だ。
なかったことになる。……普通なら。
「殿下、お喜びください。三年間、私がずっと研究してきた魔法が、ついさきほど完成したのです」
「……何? 価値のある魔法か?」
「魔法省にすでに申請を行っています。認められれば……」
「ほう」
「禁呪と認定されるでしょう」
「ほう。そうか、これからも励めよ」
殿下がにやりと笑う。婚約者である私の成果は、自分のものになると疑ってもいないのだろう。
どうやら殿下に禁呪について教えた人はいなかったらしい。魔法については初歩の初歩から興味がなかったからだろう。
「禁呪と認定されれば、魔法は王家預かりとなり、制作者の就職先は王立研究所となります。そして、政治に関わることは禁止されます」
「それが何……、はぁっ?」
理解の早いことに満足して、私は微笑んだ。
「王太子である殿下の妻になることはできません」
禁呪とは「国家レベルの影響が危惧される魔法」とされている。それらは王家の管理下にうつり、制作者であっても好きに発動することはできなくなる。
まるでこちらに利益のない話に聞こえるけれど、禁呪を制作した者は王立研究所の席を得ることができる。王家に囲われるということだが、たいてい、禁呪の開発者はそれを望んでいるのだ。
私もそうだ。
潤沢な資金、好き勝手な研究。それが許される唯一の職場だ。
一方で、魔法研究者という強い肩書で国を揺るがすことがないよう、政治に関わることは禁止される。こちらも私の望むとおりに。
これが他の魔法なら、殿下の婚約者で居続けるためになかったことにされたかもしれない。
でも知力バフ魔法があれば、私が殿下の婚約者である必要はない。むしろ邪魔になるはずだ。
「なっ、な、な」
「しかしご安心ください。このような事情ですから、婚約が解消されても殿下の咎となることはありません。魔法開発を祝う余興、ありがとうございました」
「そ……」
殿下が青ざめていく。
知力があるだけにわかるのだろう。殿下の勉強不足をフォローできるような、高位の令嬢はもう残っていない。
王太子でいるため、卒業後、殿下は必死に学ばなければいけない。
知力バフがあっても、学ばなければ知識は得られない。もっとも今の殿下は、知力バフの存在も知らないけれど。
「賢明なる殿下の治世を、いち研究者として期待しております」
最後に告げたこの言葉は嘘ではない。
知力バフは永続ではなく、半日、長くても一日で切れてしまう。でもこの魔法が王家の管理下にいけば、きちんと殿下にかけられるだろう。
知力バフが素晴らしいのは、勉強嫌いを克服できるところだ。被験者は皆「色々なことがわかるので、もっと学びたくなる」と言っていた。そもそも勉強嫌いになる大きな理由が「できないから」なのだ。
睡眠時間を削って勉強するのもきっと楽しいですよ、殿下。
性格の悪い殿下が王様になれば、苦しめられる人はいるかもしれない。でも、性格のいい王様なんて最悪な代物よりはきっとマシだろう。
殿下はきっと国を富ませてくれるはずだ。
褒められたい、認められたいという欲求も変わっていないのだから。
私は心配せずに研究に集中できる。なんて素晴らしいハッピーエンドだろう。
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