獅子姫の婿殿

七辻ゆゆ

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「レッグ殿? なぜここに」

 森の近くに来たヴェネッダは、予想外の相手を見つけて馬を止めた。文官である彼がなぜこんなところにいるのかわからない。
 他に森の近くにいるのはクルッサだ。そう考えて、もしかすると探っていたのだろうかと思った。水路を引かれることは、王家にとってよくないことだ。

「は、いや、ちょっと散歩をしていたら……はあ、その、馬を貸して頂けないでしょうか」

 ヴェネッダは迷った。
 あやしい。だが、藪をつついて水路の話を出したくない。

 それに彼は王都から来た人間だが、グランノットにいる以上は見殺しにできない。苦しげに呼吸をする姿から見て、このまま走って逃げるのは大変そうだ。

 ついてきた隊員の一人にでも送らせるべきかもしれない。
 しかし、ヴェネッダは眉をひそめて彼の体を見た。あまりにも走れなそうな、突き出た腹だ。
 もともと鍛錬とは無縁そうな体ではあったが。

「……レッグ殿、太られたか?」
「いっ……いえ、いや、太った、かな……?」
「……」

 わかりやすい動揺だった。助けを求めていたはずのレッグは、瞳を左右に揺らして今は逃げ場を探しているようだ。

「はは、どうやらお忙しいところだったようだ。どうぞお気になさらず、私はひとりでなんとか逃げますので」
「レッグ殿」
「失礼を!」

 レッグは大きな腹を抱え、背を向けて走り出した。
 その速度はあまりに遅い。追いつくことは可能だったが、ヴェネッダはためらった。あの男が何かしたという証拠はない。それにいったい、何をするというのか。

「え?」

 その時、ヴェネッダの隣を馬が駆け抜けていった。
 見覚えのある白馬、グータだ。ではそこに跨り、ひどく前のめりでいるのはヴェネッダの夫のはずだった。

「ひっ!?」

 レッグが悲鳴をあげた。
 白馬は彼を追い越さなかった。リエレは手を伸ばし、ほとんどぶつかるようにしてレッグの腕を掴んだのだった。

「あ、ぐっ」

 あたりまえにレッグが倒れる。しかしリエレは上手く止まれなかったようで、しばらくレッグを引きずってから手を離した。

「婿殿!」

 ヴェネッダはすぐに駆けつけ、馬から飛び降りてレッグの腕を掴んだ。リエレがあんなことをしたのだから、何かあるはずだという確信がある。
 幸いにしてレッグの意識はすでになかった。実に大人しい。

 衣服をめくると、膨れた腹の下からころんとそれが落ちた。

「た、まご……?」
「ヴェネッダ! たぶんドラゴンの卵だ」
「えあっ」

 動揺したのは後半の内容よりも、リエレに名前で呼ばれたことだった。だいたい「姫」としか呼ばれないものを、はっきり「ヴェネッダ」と呼んだのだ。

 とっさの状況で呼んできたというのは、内心ではずっとヴェネッダと呼んでたのでは?
 などと考えて、ヴェネッダは思わず乙女になりかけた。

 そんな場合ではない。
 すぐにヴェネッダは卵を拾い、しっかりと腕に抱えた。

「温かい……?」

 今にも生まれそうな卵ではないか。ヴェネッダは表情を引きつらせた。
 となれば間違いない、レッグは森からドラゴンの卵を盗んできたのだ。騒動が始まってから森に入ったとはとても思えない。これこそが騒動の発端に違いない。

 ドラゴンの卵を盗んだ前例がないわけではない。
 ずっと古い時代のことだが、卵を得た宴の場をドラゴンが襲い、多くの命を奪い、建物を破壊し尽くしたのだそうだ。

 それを教訓として教えているから、グランノットにドラゴンの卵を盗もうとするものはいない。石を投げても動じないドラゴンだが、弱い卵への攻撃には容赦しないのだ。

「エンゼン殿が教えてくれた。レッグ殿が、ドラゴンを怒らせる画策をしていたらしい」
「エンゼンが……」

 あれも役に立ったのだ、とヴェネッダは少し驚いた。飲んだくれてろくに働いていないと聞いていたが、グランノットのためにという気持ちはあったらしいと思った。
 ならば自分にできることは、新たな道への背中を押すことだ。

「ではその貢献を持って、隊を勇退という形にしよう」
「……それがいい」

 リエレは一瞬迷ったが、きれいな形にすることに否やはない。エンゼンが誘惑に乗らなかったことは確かだ。たまたまそうなっただけかもしれないが。
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