獅子姫の婿殿

七辻ゆゆ

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「ええと、レッグさんだっけ。どうしたの?」
「……これはこれは、リエレ様のお母上」
「そうよ。ねえ、ここから先は行ってはいけないんだって。ドラゴンさんを怯えさせたら可哀想だわ」

 森までの距離はまだ遠い。けれど濃い緑を茂らせた森の大きさは把握しづらく、ともすれば目前にあるのではないかと錯覚する。
 そしてその中に、ざわざわと木々を揺らすものがある。あれほどの力はドラゴンに違いない。

 マルーニャはこの光景をことのほか気に入って、開けたこの場所で踊っていた。いつもならクルッサが付き添っているが、今日は寝ていたので置いてきた。
 クルッサは勉強熱心なのだ。マルーニャは彼が、夜通しグランノットの植生を調べていることを知っている。起こしては可哀想だ。

 だから一人で来た。
 一人で歩き回るなと言われているが、王都と違って、皆よくしてくれるし大丈夫だ。今は誰もいないけれど、レッグがやってきた。彼は踊れるだろうか?

「ドラゴンが怯える?」
「そう、ドラゴンさんはとっても繊細なの」
「近づいたら逃げていく?」
「時々ね、子供が石を投げるの。小さいドラゴンさんはすぐ逃げていくのよ、可哀想に」
「ふむ……」

 レッグは首をひねった。
 王都で思っていたよりずっと、グランノットでドラゴンは脅威とされていない。この場から見ても、森に何の囲いもされていないのだ。

 ドラゴンという強い種族がおり、それが侵入してくるというのなら、バリケードをつくるのが当然だろう。たとえ壊されてしまうにしても、時間稼ぎにくらいなる。
 だからレッグはグランノットに来るまで、てっきり前線基地のような様相を想像していた。全くそんなことはなかった。平和な森の風景だ。

(恐ろしいドラゴンなんて、やっぱりいないんじゃないですか)

 グランノットは、ドラゴンがいるからこそ放置されてきた。好きにすることを許されてきた。
 その兵力は管理されず、王家への税も軽い。他領なら当たり前の資材の供出もない。

(羨ましい話だ。まあ、そりゃ、私でもそうする)

 ドラゴンさえいればグランノットは安泰なのだ。
 どうせ領地を広げたところで、王家のものになってしまう。このままでいるのがグランノットにとって最適で、これ以上はない。

(まいったねこりゃ)

 となれば、ドラゴンの征伐を進言したところで無駄だ。のらりくらりと辺境伯はかわし続けるだろう。
 水源が脅しになるといっても、そんなことより領地そのものだ。交換条件になどならない。

(とすると、王都から討伐隊を出すしかないが、王家はそんなリスクのあることはしないだろうな)

 そういったわけで、めでたくグランノットは特殊な地位に居続けることができる。

 レッグとしてはそれでは困る。
 デルシェード第二王子のもとでようやく、出世の可能性のある仕事を手に入れたのだ。あの第二王子は偉そうなわりに権力の持ち合わせがないので、これは奇跡的なことだ。

 グランノットをドラゴン討伐に動かせたのなら、王家に新しい土地をもたらすに等しい。王が報奨を出すほどのことだ。

(……ドラゴンが大人しいのがいけないねえ。もっと危険なものじゃないと)

 ちらりとレッグはマルーニャを見た。今も阿呆のように踊っている。これは王都から来たはずだが、グランノットの民はみなこのような様子で、危機感というものがない。
 そんな民に危機感をもたらして、ドラゴン討伐に向かわせる……それしかないだろう。辺境伯がドラゴンを討伐したがるはずがないのだから。

 民というのは危険を感じれば、誰にだって牙を剥く。

(ああ、嫌だ嫌だ、平民ってやつは)

 目先のことしか考えない愚物だ。彼らは怠惰でできているので、楽なことしかやらない。ドラゴンが脅威でないなら、それ以上のものを求めたりもしない。

 収穫の日の宴のバカバカしいことといったらない。ただドラゴンを少し押しやっただけで、わずかな森の恵みを得られただけで満足している。
 ドラゴンを完全に討伐すれば、いつでも手に入れられるものだ。
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