15 / 41
15
しおりを挟む
「ヴェネッダ」
いよいよこいつを叩きのめそうとしていたところ、エンゼンのねちっこい声とは違う、明瞭で優しい声に呼ばれた。
少し冷えたとはいえ宴の場だ。ヴェネッダの他には、誰もそんな声を聞き取らなかったかもしれない。
だがヴェネッダは剣先を下げてそちらを見た。
そして少しだけ迷った。やっぱりこれを叩きのめした方がいいのではないか、と思ったからだ。
「遅いから迎えに来たよ」
「……ああ」
しかし気づけば剣を収め、ヴェネッダはふらふらとリエレに近づいていた。
これは顔がいいせいだ。顔がいいというのは問題だと考える。あるいはやはり飲み過ぎかもしれない。
夫への侮辱を忘れ、夫の顔にやられているのである。あまりよくない。しかし、リエレはにこりと笑って、ヴェネッダの背に手を回した。
決めていたことだ。
なんなら何度も打ち合わせした。
けれどヴェネッダは胸がうるさくなるのを感じた。何のための打ち合わせだろうか。いや、だって、それはそうだろう。
「怪我はない?」
「ない……」
ただそれだけの返答で、甘えた声になってしまってはいないだろうか。
向き合って、視線を合わせただけでだめなのだ。自分がこうも弱い女であったということを、ヴェネッダは初めて知った。恥ずかしい。
恥ずかしいが、今はこれでいいのだ。
「無事で良かった、俺の姫」
「む……心配はいらない」
「そっか。姫が強くてとても嬉しい。でも気を付けて」
「わ、わかっている。私は婿殿の妻だから、無茶なことはしない」
「ありがとう」
リエレが自然に笑って、ちょんと顔を近づけてきた。
ヴェネッダはそれを知っていただけ、思わず身を引きそうになるのを耐えなければならなかった。
それにはドラゴンを殴るより強い力が必要だ。ぎしぎし背が音をたてた気がする。我慢、我慢。別に嫌なのではない。ないが、だって、恥ずかしくてめちゃくちゃなのだ。
我慢のかいあって、リエレの唇はそっとヴェネッダの頬に押し付けられた。
「う……」
「かわいいな、俺の姫様」
「そ……うん……」
なにか全力で暴れ出したい衝動があったが、ヴェネッダは耐えた。とても耐えた。なんかいい匂いがする。なんてことはない、石鹸の匂いだ。
グランノットの男からはしたことのない匂いだ。なぜだ?
石鹸には悪い薬のような成分があるのかもしれない。こんなにくらくらするのはおかしい。
ヴェネッダがそう思い始めたころ、邪魔が入った。
「おい」
苦々しく、荒っぽい、よく知った声だ。ヴェネッダはそちらを見なかった。見なくてもわかっている。
エンゼンだ。
(本当にかかった……)
ヴェネッダは信じがたい気分で、目の前にいるリエレを見た。彼が言ったのだ『俺と姫がいちゃついていたら、必ず黙っていられなくなるはずだ』と。
しかし問題はここからである。ヴェネッダの考えでは、ここに続く言葉は『さっさと帰れ』であろう。
リエレの予測は違っていた。彼が言うには、必ず難癖をつけてくるそうだ。
「ふざけんな。うちのヴェネはそんなやつじゃねえんだよ。なんだそんな、そんな、らしくもねえことさせやがって!」
確かに難癖つけてきたが、ヴェネッダは、まあ、そうだなと思った。らしくないことをしている自覚はある。恥ずかしい。
しかしそれならさっさと帰れと言ってほしい。エンゼンには関係のないことなのだから。
「俺の前では、ずっとこうだけどな?」
「はぁ!?」
「ず、ずっとということは」
ないと思う。いや、どうだろうか。わからない。
ヴェネッダはこの婿のことを気に入っているので、なんとも言い切れない。そこまでデレデレはしていないと思うのだが。
いよいよこいつを叩きのめそうとしていたところ、エンゼンのねちっこい声とは違う、明瞭で優しい声に呼ばれた。
少し冷えたとはいえ宴の場だ。ヴェネッダの他には、誰もそんな声を聞き取らなかったかもしれない。
だがヴェネッダは剣先を下げてそちらを見た。
そして少しだけ迷った。やっぱりこれを叩きのめした方がいいのではないか、と思ったからだ。
「遅いから迎えに来たよ」
「……ああ」
しかし気づけば剣を収め、ヴェネッダはふらふらとリエレに近づいていた。
これは顔がいいせいだ。顔がいいというのは問題だと考える。あるいはやはり飲み過ぎかもしれない。
夫への侮辱を忘れ、夫の顔にやられているのである。あまりよくない。しかし、リエレはにこりと笑って、ヴェネッダの背に手を回した。
決めていたことだ。
なんなら何度も打ち合わせした。
けれどヴェネッダは胸がうるさくなるのを感じた。何のための打ち合わせだろうか。いや、だって、それはそうだろう。
「怪我はない?」
「ない……」
ただそれだけの返答で、甘えた声になってしまってはいないだろうか。
向き合って、視線を合わせただけでだめなのだ。自分がこうも弱い女であったということを、ヴェネッダは初めて知った。恥ずかしい。
恥ずかしいが、今はこれでいいのだ。
「無事で良かった、俺の姫」
「む……心配はいらない」
「そっか。姫が強くてとても嬉しい。でも気を付けて」
「わ、わかっている。私は婿殿の妻だから、無茶なことはしない」
「ありがとう」
リエレが自然に笑って、ちょんと顔を近づけてきた。
ヴェネッダはそれを知っていただけ、思わず身を引きそうになるのを耐えなければならなかった。
それにはドラゴンを殴るより強い力が必要だ。ぎしぎし背が音をたてた気がする。我慢、我慢。別に嫌なのではない。ないが、だって、恥ずかしくてめちゃくちゃなのだ。
我慢のかいあって、リエレの唇はそっとヴェネッダの頬に押し付けられた。
「う……」
「かわいいな、俺の姫様」
「そ……うん……」
なにか全力で暴れ出したい衝動があったが、ヴェネッダは耐えた。とても耐えた。なんかいい匂いがする。なんてことはない、石鹸の匂いだ。
グランノットの男からはしたことのない匂いだ。なぜだ?
石鹸には悪い薬のような成分があるのかもしれない。こんなにくらくらするのはおかしい。
ヴェネッダがそう思い始めたころ、邪魔が入った。
「おい」
苦々しく、荒っぽい、よく知った声だ。ヴェネッダはそちらを見なかった。見なくてもわかっている。
エンゼンだ。
(本当にかかった……)
ヴェネッダは信じがたい気分で、目の前にいるリエレを見た。彼が言ったのだ『俺と姫がいちゃついていたら、必ず黙っていられなくなるはずだ』と。
しかし問題はここからである。ヴェネッダの考えでは、ここに続く言葉は『さっさと帰れ』であろう。
リエレの予測は違っていた。彼が言うには、必ず難癖をつけてくるそうだ。
「ふざけんな。うちのヴェネはそんなやつじゃねえんだよ。なんだそんな、そんな、らしくもねえことさせやがって!」
確かに難癖つけてきたが、ヴェネッダは、まあ、そうだなと思った。らしくないことをしている自覚はある。恥ずかしい。
しかしそれならさっさと帰れと言ってほしい。エンゼンには関係のないことなのだから。
「俺の前では、ずっとこうだけどな?」
「はぁ!?」
「ず、ずっとということは」
ないと思う。いや、どうだろうか。わからない。
ヴェネッダはこの婿のことを気に入っているので、なんとも言い切れない。そこまでデレデレはしていないと思うのだが。
201
お気に入りに追加
527
あなたにおすすめの小説

「お前を愛することはない」と言った夫がざまぁされて、イケメンの弟君に変わっていました!?
kieiku
恋愛
「お前を愛することはない。私が愛するのはただひとり、あの女神のようなルシャータだけだ。たとえお前がどんな汚らわしい手段を取ろうと、この私の心も体も、」
「そこまでです、兄上」
「なっ!?」
初夜の場だったはずですが、なんだか演劇のようなことが始まってしまいました。私、いつ演劇場に来たのでしょうか。

てめぇの所為だよ
章槻雅希
ファンタジー
王太子ウルリコは政略によって結ばれた婚約が気に食わなかった。それを隠そうともせずに臨んだ婚約者エウフェミアとの茶会で彼は自分ばかりが貧乏くじを引いたと彼女を責める。しかし、見事に返り討ちに遭うのだった。
『小説家になろう』様・『アルファポリス』様の重複投稿、自サイトにも掲載。

【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました
山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。
王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。
レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。
3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。
将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ!
「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」
ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている?
婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?

乙女ゲームはエンディングを迎えました。
章槻雅希
ファンタジー
卒業パーティでのジョフロワ王子の婚約破棄宣言を以って、乙女ゲームはエンディングを迎えた。
これからは王子の妻となって幸せに贅沢をして暮らすだけだと笑ったゲームヒロインのエヴリーヌ。
だが、宣言後、ゲームが終了するとなにやら可笑しい。エヴリーヌの予想とは違う展開が起こっている。
一体何がどうなっているのか、呆然とするエヴリーヌにジョフロワから衝撃的な言葉が告げられる。
『小説家になろう』様・『アルファポリス』様・自サイトに重複投稿。

押し付けられた仕事は致しません。
章槻雅希
ファンタジー
婚約者に自分の仕事を押し付けて遊びまくる王太子。王太子の婚約破棄茶番によって新たな婚約者となった大公令嬢はそれをきっぱり拒否する。『わたくしの仕事ではありませんので、お断りいたします』と。
書きたいことを書いたら、まとまりのない文章になってしまいました。勿体ない精神で投稿します。
『小説家になろう』『Pixiv』(敬称略)に重複投稿、自サイトにも掲載しています。

冷たかった夫が別人のように豹変した
京佳
恋愛
常に無表情で表情を崩さない事で有名な公爵子息ジョゼフと政略結婚で結ばれた妻ケイティ。義務的に初夜を終わらせたジョゼフはその後ケイティに触れる事は無くなった。自分に無関心なジョゼフとの結婚生活に寂しさと不満を感じながらも簡単に離縁出来ないしがらみにケイティは全てを諦めていた。そんなある時、公爵家の裏庭に弱った雄猫が迷い込みケイティはその猫を保護して飼うことにした。
ざまぁ。ゆるゆる設定
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

あなたを忘れる魔法があれば
美緒
恋愛
乙女ゲームの攻略対象の婚約者として転生した私、ディアナ・クリストハルト。
ただ、ゲームの舞台は他国の為、ゲームには婚約者がいるという事でしか登場しない名前のないモブ。
私は、ゲームの強制力により、好きになった方を奪われるしかないのでしょうか――?
これは、「あなたを忘れる魔法があれば」をテーマに書いてみたものです――が、何か違うような??
R15、残酷描写ありは保険。乙女ゲーム要素も空気に近いです。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載してます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる