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憂いに満ちたリエレの顔を見て、ヴェネッダは初めて、好きな子を困らせたいという子供の衝動がわかる気がした。
困った顔も可愛いので、なかなかに罪である。
と、人のせいにするわけにもいかないので、ヴェネッダは意識してリエレの顔ではなく、書類の数字を見た。
「だが婿殿はもう、うちの婿殿だ」
「そう……言ってもらえると、嬉しいが……」
「別にもう一年くらい何もしなくてもいいが、婿殿はそれでは落ち着かないほうだろう」
「……確かに」
リエレは苦笑した。遊び暮らして不安もなくいられるようなたちではない。
しかし出会ったばかりのヴェネッダに、それを知られているのが恥ずかしいところだ。
「王都ではどんな暮らしを?」
ヴェネッダは内心わくわくしながら聞いた。この可愛い婿殿がどんな上品な暮らしをしていたのか、大変に気になるところだ。
もちろん踊り子の息子である。まともに王子として扱われていたかは怪しい。けれど、グランノットの戦士よりはお綺麗な生活をしていただろう。
「……王都では、落ち着きがなかったよ。母上はあまり良い立場ではなかったから、放っておくとまともに暮らせない。与えられる食事も、うっかりしていると誰かに奪われる」
「食事が……?」
彼が語りだしてすぐに、ヴェネッダは愕然とした。
確かにリエレはあまり体格がよくない。痩せている。しかしまさか、王都にいる王子が食事に困っていたなど考えもしなかった。
「食事というより食材だな。さすがに食事になってしまうと売り先が難しいんだろう。食材はすぐになくなった。盗まれても訴える先がないんだ。立場が弱いから」
「そんな……」
「最初は盗まれないよう管理していたんだけど、それだと四六時中休めない。そこで考え方を変えて、与えられた食材をすぐに売り払うことにした」
「んっ?」
「金にして、俺とクルッサが握っていれば一番安心だ。ついでに言えば料理人を雇わずにすむから更に金が浮いた」
「……食事はどうしていたんだ?」
「下町の店から買ってきた。色々食べられて母上も嬉しそうだったよ」
「…………なるほど」
予想外であるが、ヴェネッダは頷き、リエレの印象を修正した。お上品な王子というよりは、意外としっかりした庶民かもしれない。
「なかなか面白い生活をしていたんだな。……いや、すまない、大変だったと思うが」
「面白かったよ」
リエレは小さく笑った。
ヴェネッダの顔に「予想外だ」と大きく書いてあるのが面白かったのだ。それでいてヴェネッダは、がっかりしたとか、失望したとか、そういう表情をしない。
どこまでも良い人間なのだとリエレは思う。
「とはいえ、いつまでも続かないとは思っていた。だから母上と一緒に受け入れてもらえるという話に乗ったんだ」
だが、土壇場で母は来られないことになった。
リエレにはどうしようもなかった。強引に母を奪う武力などなく、後ろ盾もない。すでにグランノットとの婚姻は約束されており、母は人質に等しかった。
ここまでのことをするとは思わなかった、リエレの甘さの結果だ。
「……お母上は、どこかお悪いのだろうか?」
うっすらと状況を理解したヴェネッダが問いかける。
支え合って生きてきた親子が、どうしてそう簡単に離れられるだろう。もとより母上と共に、と決められていた婚姻だった。
「……はっきりと悪いところはない。ただ、今は、とにかく調子が悪いらしい」
「王都の方がお母上には過ごしやすいのか」
「そうとは……思えない」
「では迎えに行かなければ」
確信を持ってヴェネッダは言った。
「……姫」
「遠い王都にお一人とは、ずいぶん心細くいらっしゃるだろう」
「だが……グランノットには関係のないことだ」
「婿殿」
うつむいたリエレの腕を、ヴェネッダはいささか強引に握った。
「婿殿のお母上なら、私の母上も同じだ」
「……!」
リエレは強く心を揺さぶられて、思わず強く手を握り返した。それはか弱い貴族女性なら悲鳴をあげるほどの力だったが、ヴェネッダにはどうということもない。
問題なのはむしろ、リエレが目を見つめてきたことだった。出来の良すぎる顔でそんなことをされると、ヴェネッダの心臓の方が危うかった。
だがそんな、浮ついた話などしていないのだ。ヴェネッダは自分を恥じつつ、気を引き締めた。
とにかくもこれは自分の夫なのである。
告げたのはまったく本当のことだ。
「姫……」
しっかりと揺らがない瞳に見返されて、リエレは泣きたくなった。この握った手が、どれほど頼りになることか。
今の今まで自分ひとりで抱えていたことを、共に支えるとヴェネッダが言ってくれたのだ。
困った顔も可愛いので、なかなかに罪である。
と、人のせいにするわけにもいかないので、ヴェネッダは意識してリエレの顔ではなく、書類の数字を見た。
「だが婿殿はもう、うちの婿殿だ」
「そう……言ってもらえると、嬉しいが……」
「別にもう一年くらい何もしなくてもいいが、婿殿はそれでは落ち着かないほうだろう」
「……確かに」
リエレは苦笑した。遊び暮らして不安もなくいられるようなたちではない。
しかし出会ったばかりのヴェネッダに、それを知られているのが恥ずかしいところだ。
「王都ではどんな暮らしを?」
ヴェネッダは内心わくわくしながら聞いた。この可愛い婿殿がどんな上品な暮らしをしていたのか、大変に気になるところだ。
もちろん踊り子の息子である。まともに王子として扱われていたかは怪しい。けれど、グランノットの戦士よりはお綺麗な生活をしていただろう。
「……王都では、落ち着きがなかったよ。母上はあまり良い立場ではなかったから、放っておくとまともに暮らせない。与えられる食事も、うっかりしていると誰かに奪われる」
「食事が……?」
彼が語りだしてすぐに、ヴェネッダは愕然とした。
確かにリエレはあまり体格がよくない。痩せている。しかしまさか、王都にいる王子が食事に困っていたなど考えもしなかった。
「食事というより食材だな。さすがに食事になってしまうと売り先が難しいんだろう。食材はすぐになくなった。盗まれても訴える先がないんだ。立場が弱いから」
「そんな……」
「最初は盗まれないよう管理していたんだけど、それだと四六時中休めない。そこで考え方を変えて、与えられた食材をすぐに売り払うことにした」
「んっ?」
「金にして、俺とクルッサが握っていれば一番安心だ。ついでに言えば料理人を雇わずにすむから更に金が浮いた」
「……食事はどうしていたんだ?」
「下町の店から買ってきた。色々食べられて母上も嬉しそうだったよ」
「…………なるほど」
予想外であるが、ヴェネッダは頷き、リエレの印象を修正した。お上品な王子というよりは、意外としっかりした庶民かもしれない。
「なかなか面白い生活をしていたんだな。……いや、すまない、大変だったと思うが」
「面白かったよ」
リエレは小さく笑った。
ヴェネッダの顔に「予想外だ」と大きく書いてあるのが面白かったのだ。それでいてヴェネッダは、がっかりしたとか、失望したとか、そういう表情をしない。
どこまでも良い人間なのだとリエレは思う。
「とはいえ、いつまでも続かないとは思っていた。だから母上と一緒に受け入れてもらえるという話に乗ったんだ」
だが、土壇場で母は来られないことになった。
リエレにはどうしようもなかった。強引に母を奪う武力などなく、後ろ盾もない。すでにグランノットとの婚姻は約束されており、母は人質に等しかった。
ここまでのことをするとは思わなかった、リエレの甘さの結果だ。
「……お母上は、どこかお悪いのだろうか?」
うっすらと状況を理解したヴェネッダが問いかける。
支え合って生きてきた親子が、どうしてそう簡単に離れられるだろう。もとより母上と共に、と決められていた婚姻だった。
「……はっきりと悪いところはない。ただ、今は、とにかく調子が悪いらしい」
「王都の方がお母上には過ごしやすいのか」
「そうとは……思えない」
「では迎えに行かなければ」
確信を持ってヴェネッダは言った。
「……姫」
「遠い王都にお一人とは、ずいぶん心細くいらっしゃるだろう」
「だが……グランノットには関係のないことだ」
「婿殿」
うつむいたリエレの腕を、ヴェネッダはいささか強引に握った。
「婿殿のお母上なら、私の母上も同じだ」
「……!」
リエレは強く心を揺さぶられて、思わず強く手を握り返した。それはか弱い貴族女性なら悲鳴をあげるほどの力だったが、ヴェネッダにはどうということもない。
問題なのはむしろ、リエレが目を見つめてきたことだった。出来の良すぎる顔でそんなことをされると、ヴェネッダの心臓の方が危うかった。
だがそんな、浮ついた話などしていないのだ。ヴェネッダは自分を恥じつつ、気を引き締めた。
とにかくもこれは自分の夫なのである。
告げたのはまったく本当のことだ。
「姫……」
しっかりと揺らがない瞳に見返されて、リエレは泣きたくなった。この握った手が、どれほど頼りになることか。
今の今まで自分ひとりで抱えていたことを、共に支えるとヴェネッダが言ってくれたのだ。
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