獅子姫の婿殿

七辻ゆゆ

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 確かにドラゴンが倒されていないのだろうとは、リエレも思っていた。乾いていないドラゴンの死体や部位が流通していないからだ。
 しかし戦って森の奥に追いやることはしているのだろうと思っていた。それすらもなく、ドラゴンは強い相手とみればすぐに逃げ出すということだろうか。

 リエレは海に挟まれた森との境界線を見た。

「しかし……ドラゴンが越境してくるから、予定にない討伐……いや、戦いが生まれるのでは?」
「うん。ドラゴンも色々だ。絶対に出てこないやつもいれば、たびたび出てくる好奇心が旺盛なやつもいる。ここからでも時々見えるはずだから、食事をしながら待ってみよう」

 ヴェネッダはにこりと笑って、いそいそと弁当を取り出した。
 いつの間に、と思う。昼食の予定もきちんと立てていたらしい。ちょうど、太陽が真上に差し掛かったところだった。

 木の陰に弁当を広げて座る。実に美味しそうだが、なかなかの量であるし、やはり味は濃そうに見えた。

「ドラゴンを森の奥まで追いやることはできないのか?」
「んー、まあ、難しいな。境界線は狭いだろう? これより奥に押し込むと、前線が広がる」
「ああ」

 それにはすぐに納得できた。
 守るべき境界線が長くなってしまうと、この小さな領地の戦士では対応できなくなるのだ。
 海にぎゅっと締められたような、短い境界線だから耐えられている。

「だから、国土を広げるというのは諦めた方がいい」

 リエレは苦笑した。
 自分が婿に来た意味を、ヴェネッダも理解しているのだろう。そうでなければさすがに、グランノットの後継などとは言えない。
 少なくとも、全く実務に関わっていないお嬢様というわけではないのだ。

「……そうだな。だが、王家としては、北の国々よりは御しやすいと考えている。ドラゴンは長くグランノットの制御下に置かれてきたのだから」
「んん」

 ヴェネッダは苦笑する。

「では兵士を派遣してドラゴンと戦ってみてはどうか、と何度か返事をしたんだがな」
「したのか」
「うん、した。もしかしたら来るかなと思ったんだが、そんなことはなかった。さすがに死ぬだけとわかってるんだろう」

 リエレは半分だけ血のつながった兄の顔を思い出した。
 さて、言われてどう思ったのだろう。激昂したか、鼻で笑ったか。どちらにしても、ドラゴン退治に名乗り出る騎士はいないだろう。

「わかっているわりに、諦めないんだな。君たちに戦えと?」
「ああ。ドラゴンを討伐しろとな。それはあり得ないことだ。我々は暮らしを守りたい。あの森の先に良いことはなにもない」

 見下ろした森が深いことは知れたが、中の様子はまるでわからない。
 その中に本当にドラゴンがいるのかもわからない。

 しかし実際にこの場所を見れば、地図で見るよりもずっと森との境界線が短いのがわかる。守りやすい地だ。同時に、ドラゴンがこちらに入っても来にくいのだろう。
 だから長年、この境界を守ってこられたのだ。

「それで婿殿」
「……なんだろうか」
「腹が減っていないならそう言ってほしい」
「んっ? あ、ああ、いや、減ってはいる。……もらっていいだろうか」
「うん」

 ヴェネッダは嬉しそうに笑うと、ぐいぐいと弁当を押し出してきた。
 食器の類はないのですべて手で持つのだろう。こんなものを出先で食べる経験があまりなかったので、リエレは新鮮に思った。だいたい母とともに離宮にこもっていたのだ。

 リエレは間違いのないよう慎重に、サンドイッチのようなものを手にした。中にたっぷりの肉を挟んだ……パン、なのだろうか。リエレの知るパンより硬い。

「これは、グランノットのパン……だろうか?」
「え?」
「王都のパンは白く柔らかく、薄い」
「あ、そうか。このパンはええと……生地を何度も折り返して重ねている。王都のもののような柔らかさはないが、パリパリしている」
「パリパリ」

 確かに、手にするだけで表面が少し崩れるのがわかった。パンの微細なかけらが風に乗っていく。
 これ以上の散逸がないように、リエレは急いで噛みついた。

「……なるほど」

 パリパリだ。
 いや、ザクザクに近いかもしれない。あまり感じたことのない食感に感動して食べ進めると、中からじゅわっと肉汁が出てくる。

「……む」

 口からこぼさないように大変だった。壊れやすいザクザクに包まれた肉はこぼれんばかりの量である。これは難しい。これは難題だ。
 というか無理だ。

「すまない、あまり、上手に食べられそうにない……」

 なんとか落下を最小限にとどめたが、目の前にあるのは不格好すぎる食べかけだ。王都のマナーでは食事の途中でも美しい皿を保つべきだとされている。完全に終わっている。
 手についた肉汁をせめてなんとかしたいが、ナプキンの類など持っていない。

「婿殿、使ってくれ」
「ああ、ありがとう……いや」

 サッとハンカチを差し出されたが、人の、グランノットの姫のハンカチを汚すのはためらわれた。そのくらいなら袖口を汚した方がいい。
 だが、それもためらった。なんといってもろくに衣服も持ち込んでいない。なんとも情けない婿入りなのだった。
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