獅子姫の婿殿

七辻ゆゆ

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 なだらかな上りの道の途中で、一人の男とすれ違った。彼もグランノットの戦士なのだろう、騎乗している。
 くいくいと体をよじるだけで馬の速度を緩めてみせた。

「よっ、ヴェネ、昨日は大変だったな」
「ああエンゼン、あとを引き受けてくれて助かった。次に早く帰りたい時は言ってくれ、恩を返す」
「そりゃ助かるが、あんたと違って俺は独り身だからな」
「はは、一人に決められない身の間違いだろう?」

「特別な一人が落とせたらいつでも身を固めるさ。そうだ、参考に今度、初夜の話でも聞かせてくれ」
「地獄に落ちる気があるならな。婿殿に汚い話を聞かせるな、ほら、行け」
「男ができたからってお上品になりやがって。いいさいいさ、下品になりたい時は話を聞くぜ!」

 エンゼンという男は、内容に似つかわしくない爽やかな笑顔を残して駆けていった。馬に大した合図もしていないように見え、リエレはじっと眺めてしまった。
 辺境の戦士ともなれば、人馬一体ということか。

「ええと……すまない、男所帯なものだから、品性というものがない」
「いや、彼からすれば、王都の人間の態度の方が異様だろう。ここはグランノットなのだから、俺が慣れなければ」
「異様ではないぞ。婿殿はきちんとしている。無理をしてグランノット流にするべきだとは思わない」

 これで、思ってもいないことを言っているのだとしたらよっぽどだ。
 そう思えるくらいに、ヴェネッダは真剣だ。リエレは思わず微笑んだ。よい人間であることは間違いないのだろう。
 だが、頼れるかはわからない。

 得てして善人ほど大事を成せないものだ。
 だれにでも良い顔をして、できることはないということだろう。

 ましてリエレが望んでいるのは、王城から母を救い出すことだ。絡め手でも、直接的な手段でも構わない。そのどちらも、彼女には向いていないと思った。

(早いうちに諦めるべきかもしれない)

 自分のためにも、彼女のためにもだ。

「あそこから見下ろせる。もうすぐだ」
「……ああ」

 考え事をしていたせいで、疲れていると思われたようだ。リエレは慌てて顔をあげた。ヴェネッダが嬉しそうに笑って、丘の先を指さしている。

 陽が強い。
 そろそろ正午に近いのかもしれない。

 木々が揺れるのどかな景色の中に、小さな建物がある。領地を見下ろせる場所だと言っていたので、監視のための小屋なのだろう。
 さきほどのエンゼンも、ここから帰るところだったのかもしれない。

「グランノットは小さな土地だが、輝いている」
「これは……確かに」

 小さな、というより狭い土地だ。東西を海に押されたような形であり、南には深い森がある。
 ドラゴンの住まう森だ。
 グランノットの戦士たちはそのドラゴンと戦い、森の恵みを勝ち取っているのだという。そうでなければ、人の暮らせる場所ではない。

 キラキラと輝く海は海流が荒い。陸地が切り立っているせいもあり、強風が吹き荒れている。船が沈めば戻っては来られない海だ。
 それでいて海産物も少ない。ドラゴンが近くにいるせいではないかと言われているが、リエレの中では、死んだ海だという印象だった。

 しかしどうだろうか。

「……とてもきれいだ」

 深い青の海だ。
 生命を育まない海だとは、とても信じられない。

「そうだろう。あれに魅入られてどれだけの人間が沈んでいるかわからない。残酷な美しさだ」
「森よりも?」

 ドラゴンと戦う地、それがグランノットの代名詞だ。人の力の及ばぬドラゴンを制し、この土地を守る戦士たちは伝説のごとき強さと謳われていた。
 昔の話だ。
 あまりにも長い間そうだったので、王城ではすでに、ドラゴンは制御可能なものだと言われている。

 そう思いたいだけかもしれない。
 たとえドラゴンが大したことのない生物でも、王城でぬくぬくとすごす兵士より、グランノットの兵士が強いことは間違いない。
 だが北の国々との衝突を恐れた王家は、南のドラゴンの森を切り開くことを考えた。新しい土地、新しい実りを手に入れるのだ。

「ドラゴンは……」

 ヴェネッダはわずかに微笑みながら言った。

「我々を食べない。我々もドラゴンを食べない。我々が死ぬのは弱いせいだ。ドラゴンを倒す必要などないのだから」
「倒す必要が、ない?」
「ああ。我らの強さを認めれば、ドラゴンは森に入ることを許してくれる。我々は森の恵みをいただく」
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