獅子姫の婿殿

七辻ゆゆ

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「充分に気をつけて」
「はい。……リエレ様も」
「うん」

 クルッサは時間をかけてリエレを見つめ、そして目をそらした。
 本来ならば、頼りのない地に王子を置いてなどいけない。けれどクルッサは王都に戻らねばならなかった。リエレの望み通り、彼の母親を守るためにだ。

「母上によろしく。クルッサがついていれば安心だけれど」
「お任せください。ですがマルーニャ様もあなたを心配していることを、どうぞお忘れなきよう」
「わかっている。無理はしないし、簡単に諦めもしないよ。いつか迎えに行く」

 クルッサはそれでも別れがたい様子で、なかなか馬に乗ろうとしなかった。

「……獅子姫は、少なくとも歓迎してくれている。見た限りでは、なんというか……あけっぴろげな性格だから、ある程度は信用していいと思う。大丈夫だ」
「は」
「まあほらそれに、俺は顔がいいから」
「……顔を好きになったところで」
「大事にするかはわからないけど、生きるチャンスは増えるだろう。クルッサ、本当に、急いで、母を守ってくれ」
「お任せください」

 強く言うとようやくクルッサは騎乗し、そこからは振り返らずに走り出した。
 リエレはしばらく見送ってから、グランノット辺境伯邸に戻る。まだ他人の家としか思えないが、少なくともしばらくはここを離れられないだろう。

 陽こそ登っているが早朝だ。夫婦の寝室として与えられた部屋を出るとき、ヴェネッダもまだ眠っていた。
 その無防備なさまを見て、また落ち着かない気になったものだ。ヴェネッダからすればリエレは厄介者だ。それが歓待を受けたというのに、リエレは母のことばかり考えている。

「婿殿!」
「……姫?」

 ちょうど考えていたところに、考えていた人が登場した。
 彼女はなぜか片手に剣を持ち、まだ寝癖のついたままの髪だ。衣服に至っては、部屋着の上にマントをまとっただけではないだろうか。

「いったい……?」
「良かった! 無事なようだ。誰にも絡まれなかったか?」
「……ええと、そんなことはなかった」
「ならいいんだ。すまない、婿殿はとても顔がいいので心配してしまった」

 リエレは苦笑する。
 いくらなんでも、辺境伯邸にいておかしな絡まれ方をすることはないだろう。嫌味くらいは言われるかもしれないが、それで何が起こるわけでもない。

 王城でも「踊り子ゆずりの顔のよさ」と嘲られることが常々だった。もっともリエレとしては、母に似ていることは悪い気がしない。少なくとも父に似ているよりはずっとましだ。

 グランノットに婿に来ることが決まったときも、兄王子たちは「ようやくその顔が役立つじゃないか」と嘲った。
 顔がいいというだけで、グランノットをどうにかできると思っているなら実に過分な評価だ。正直、馬鹿ではないかとリエレは思う。

「妻となったからには守り抜く。私はグランノットの戦士だから」

 剣を握り、なんでもないことのように言うヴェネッダは確かに頼れる女だった。朝日の中ですっくと立つ。マントから突き出すのも、貴族女性のような弱々しい足ではない。
 悪いことではない。
 ずっと母を心配し続けたリエレにとって、安心できる足だ。

(立派な足……いや?)

 はっとリエレは我に返った。

「なんて格好なんだ! 姫、早く着替えを」
「うん? ああ、すまない。婿殿の前でみっともないところを見せてしまったな」

 ヴェネッダは自分の姿を見て、がっくりと肩を落としてしまった。いや、そんな場合ではない。
 いくら形だけでも妻である。世間的に言うならば、妻をこのような格好で外に出させてはいけないだろう。

 リエレはまともな育ちをしていない。
 母親はひとりでは生きていけない女であったし、父親はいないようなものだ。あまり常識を知らない。
 そういう自覚があるので、周囲を見て「それが普通である」と感じることは外さないようにしているのだ。

「……姫、こちらを」

 リエレは上着を脱いでヴェネッダの腰に巻いた。なんだかこういうのは肩にかけてやるべきな気もする。だが、今隠すべきは足なのだから仕方がない。

 上着も、リエレはろくな荷物もないので一張羅だ。これが帰ってこないと困る。だがそれはおくびにも出さず、ヴェネッダの手を取って部屋に戻った。
 ヴェネッダは「ありがとう」と恥ずかしそうに言ったが、笑ってくれたので良かった。

「……」

 しかしそれから困った。
 夫婦の寝室だ。リエレが案内されたのはここだけだ。新婚なのだし、別の部屋に移動することはできないだろう。
 つまり何を話していいかわからない。
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