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「どうして僕のことなのに、他の人に聞くの」
「あ、そ、それは……えっと、ごめんなさい、その、学園長先生には、言いやすくて」

 学園長先生は優しいおじいちゃんという印象で、穏やかに私の話を聞いてくれるのです。学園の中でも特に話しやすい先生です。
 もちろん学園長先生ですから、普段はそんなに気軽に話す機会はありません。

「僕より話しやすいの」
「は、はい」
「じゃあ、僕もああいう姿にしたほうがいい?」
「え……」

 機嫌を損ねてしまったかと思ったのに、そんな提案をされて驚きました。私が話しにくいからと、姿を変えてくれると言うのです。
 ウィスプは大きさは変えられませんが、姿は変えることができます。けれど契約して、人に見える姿でいるとき、別の姿になるには力を消耗するそうです。頻繁に、簡単にできることではないはずです。

「いいえ、大丈夫、です……」

 私のためにそんな必要はありません。それにどうせ、どんな姿でもきっと話しやすくはならないのです。人の姿をしたものが、べったりとくっついているのですから。
 人でない姿なら……と少し考えましたが、もともと人の姿で現れたのなら、彼にとってそれが自然な姿なのでしょう。

 ウィスプと契約してすぐは、子犬や子猫、リスなどに姿を変えさせる人が多いようです。でも大人はだいたい、元の光の玉の姿にしています。母もそうです。その方が安定して、扱いやすいようでした。

「何が大丈夫なの?」
「えっ、あの……今のままで……」
「どうして? 姿を変えても話しやすくならない?」
「あ、あんまり……」
「姿は関係なくて、僕がウィスプだから話しにくいってこと?」

 私は動揺して振り返り、彼の顔をじっと見つめてしまいました。ぽかんと口を開いていたかもしれません。
 こんなにも私に興味を持ってくれた人はいませんでした。
 彼は私が口ごもっても質問して、そして私の返事を待ってくれているのです。

 そうだ、彼は私と契約したウィスプだから。
 私のことを見て、話をしてくれる。

「……」
「アイシャ? なにか悲しい?」
「う、ううん、そうじゃないの。……その、しばらくしたら、慣れると思うから、だから……」
「このままでいい?」
「このままで、いい」
「そう」

 彼はふわりと嬉しそうに笑いました。
 私はなんだか泣きそうになっていたのですが、その顔に見惚れてしまいました。たぶん私と同じくらいの年頃の、でも少し、整いすぎて大人びた顔が、笑うと少年のように幼くなるのです。

「名前はつけてくれる?」
「つける、けど、あの……自分でつけた方が、いいのでは?」

 彼は普通のウィスプと違って言葉を話します。人型のウィスプは人間に見えても人間ではないと教えられてきましたが、想像していたよりずっと人間らしいのです。
 なので、自分が好む名前もあるのではないでしょうか。

「アイシャがつけてくれないの……?」
「……っ」

 耳元で甘えるように、悲しそうな声を出されて、私は思わず小刻みに首を振りました。

「つ、つける、けど、どんなのが……」
「アイシャに考えて欲しいな? アイシャが何度も呼びたくなって、僕を愛してくれる名前がいい」
「えっと……」
「ひとつも考えてなかった?」
「そ、そんなことない!」

 彼をこれ以上悲しませたくない一心で、私は急いで言いました。

「さいしょは、ユスって名前を、考えてたの、でも、これは犬の名前で、その、私が昔……家に、いた、だから……あなたは、そういう感じじゃないから」
「犬なんだ。可愛い子だった?」
「えっ? ……うん、可愛い子だった。白くて」
「白いんだ」
「ふわふわしてたの。元気で、よく、動いてたから、ふわふわが……飛んでて」
「うん、うん」
「それに……ごめんなさい」

 どうしようもないことを話してしまいました。せっかく彼が聞いてくれているのに。
 私は悲しくなりました。こんなことは、彼にはどうでもいいことでしょう。でもユスは本当に可愛い子でした。私が上手に説明できないのがいけないのです。

「どうして謝るの。もっと聞かせて」
「でも」
「その子は今、どうしてるの?」
「……どこか、もらわれていったの」
「じゃあ、もういない?」
「いない」
「だったら、僕もそういう感じの名前がいいな。アイシャがその子を好きだったみたいに、僕のことも好きになってくれるように」

 私はとても混乱して、何も言えなくなりました。
 ユスのことは大好きでした。大好きだっただけ、別れは悲しいものでした。考えてみれば根本的に、同じ名前をウィスプにつけるなんておかしな話です。
 でも名前を、と考えたときに、一番に思い浮かんだのがユスだったのです。

「ね、急ぐことはないから、考えておいて。でも考えすぎなくてもいいよ。アイシャ、名前なんてなんでもいい。ただ君にもこうして呼んでほしいんだ、アイシャ」

 名前を呼ばれるのは、たしかに嬉しいことでした。
 彼が「アイシャ」と呼ぶたびに、なんだかびっくりして、どきどきして、なのに心地が良いのです。体をくっつけているせいかもしれません。ぬくもりと一緒に、彼が私を呼ぶ声を響かせるのです。

「あなたは……とても、よく、喋るのね」

 言ってしまったあとで後悔しました。
 うるさいと言っているように聞こえたでしょうか。少なくともディーグ様なら、怒り出しそうな言葉でした。

「喋るよ。今も、これからも、ずっとアイシャと喋るよ」
「あ……」

 嬉しい。
 私はごく自然にそう思って、微笑んでいました。こんな優しいウィスプがいつも一緒にいて、話してくれると言うのです。
 私は一生分の運を使い果たしたに違いありません。それでも構わないくらい、生まれて初めての幸せを感じていました。
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