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夜は自由です。

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「待って……、待ちなさい、よ……!」
 ようやく見つけたリーリエは、声をかけるとまた走り去っていく。
 ろくに外にも出ない育ちでは体力などないはずだ。けれど子供の好奇心のたまものか、あちこちを走り回っているようだった。

 探し回ったマイラの足は引きずるほどに重い。
「もう……! 時間がないの!」
 消失の闇が迫っている。

 それだけではない。夜の闇もまた空に迫ってきて、消失の闇との境目をあやふやにしている。
(怖い)
 夜になってしまったら、消失がどこまで迫っているかも、もはや見えないのだ。寝ている間に飲み込まれてしまうかもしれない。

「リーリエ! お願い、戻ってきて!」
 大きな声をあげてみたが成果はなかった。
 マイラはその場にがっくりと腰を下ろす。この町に残った人々と同じ姿勢になって、夜に混じりつつある闇を見上げた。

 暗い中で歩き出すほど無謀ではない。
 何よりひどく疲れていて、リーリエを追いかける気力がなかった。
「……母さん」
 まだ家にいるだろうか。
 マイラが王都に行くことに反対し「いつでも帰ってきて」と手紙で伝えてきた母だ。残っているに違いない。

 マイラは棒のようになった足で、ゆっくりと家路についた。夕日に照らされれば、見捨てられた町も人々も美しい。
 ただの帰宅の道なのだ。きっとそう。
「王都なんて、」
 やっぱりろくでもなかったよ。

 そう伝えよう。
 高貴なる人々はマイラの言葉に簡単に感動して、色々と良くしてくれた。だがどんな高貴な貴族も、ひとりで好き勝手にはできない。必ず邪魔者が現れた。
「王子様ならって、思ったのになあ」
 上手くいかない。
 きっとそういう星の下に生まれているのだ。母さんに慰めてもらおう。自分はがんばったのだから、そうされていいはずだ。

「母さん、母さん!」
 懐かしい道を辿れば生家はそこにあった。変わらない。今にも壊れそうな、寄せ集めの家だ。
 いや、少しきれいになったかもしれない。王都から送り続けたわずかな金が、役に立っていればいい。

「母さん!」
 しかし何度呼んでも返事はなかった。

 いやな感じがしながら、マイラは家の扉を開けた。この貧しい地区に鍵などない。あったとしても、壁を打ち壊せば済む話だ。
 ゆえに大事なものを置くこともない室内には、粗末な生活品だけが転がっている。

「……母さん」
 いなかった。
 マイラは匂いさえも懐かしい玄関にしゃがみこんで、ぼうっと空を見上げた。暗い。闇が、いつ迫ってくるかわからない。
 マイラは震えた。

 この家を飲み込むまでも、そう時間はかからないだろう。
「そんな……」
 ここがなくなったら、母はどこに帰るのだろう。マイラから探し出すのは不可能だ。母は手紙をくれるだろうか? 王都に?
 城にマイラの居場所はもはやないだろう。

 マイラは愕然とした。
 闇がこの家を飲み込んだら、もう、永遠に母とは会えないかもしれないのだ。




 夕日が落ちていく。
 こんなふうに夜が来るのだと、リーリエは感嘆のため息をついた。
「きれい」
 見捨てられた町の一角に腰を下ろして、空を見ている。馬車から見るよりもずっと広い空だ。
 それが橙色に染まり、美しさに見惚れているうちに消えていく。

「夜……」
 しかしわずかな光を月が与えてくれていた。静寂の中に風の音が聞こえる。あるいは虫の音。緑のない町の中にも生き物はいるらしかった。

「はあ」
 リーリエは地面に転がった。
 落ちていた誰かのストールを、構わず体に敷いてしまう。目を閉じて開ければ、小さな星々のきらめきが見えた。

 夜の中にいる。
 祈りの間でも、牢でも馬車の中でもない、リーリエは夜のただ中にいる。
「自由だわ」
 それは確かに心細く、頼りない心地がした。けれど何よりも、リーリエの心には遮るものがない。それが自由であり、心細さなのだ。表裏一体で、離れられないものだ。

(外にいる。どこにでもいける)
 それだけでリーリエは幸福を感じた。
 町を駆け抜けてもいいし、森を目指してもいい。なんなら消失に飛び込んでみてもいい。

(その方がいいかしら)
 マイラに捕まりたくない。
 彼女の声を聞き、その姿を見るだけで、リーリエの胸はぐつぐつと煮立つ。怒りだ。苛立ちだ。

(ひどい)
 マイラはリーリエに嘘をついたのだ。
 一番ひどい嘘だ。
 結局彼女も皆と同じで、リーリエに祈らせたいのだ。それを上手く隠して近づいてきて、仲良くなったところで告げたのだ。
 悲しみと怒りが一体となって、リーリエはぎゅっと眉間に力を入れた。
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