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偽聖女の焦燥

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 だが終末は近づいている。

「ああ……」
 廃墟のように人の姿のない町が見え、その背には救いようのない黒がかぶさっていた。マイラは焦りを喉元で飲み込む。まだ、まだ大丈夫だ。
 あまりにも闇が深いので、目前に見えるだけだ。町はまだ飲み込まれていない。

「ここがマイラの故郷なのね」
 リーリエののんきさは変わらず、笑顔を浮かべて窓の外を見ている。マイラは彼女が恐ろしくてならない。
 話の通じないものといる恐怖だ。
 マイラはいつも、そんな相手を避けてきた。言葉で人に取り入ってきたマイラは、言葉を理解しあえない相手にはまったくの無力だ。

(大丈夫、そんなはずはない)
 自分に言い聞かせた。話は通じている。
 リーリエは優しい。マイラの話を聞いている。だからあとひと押し、ひと押しあればきっと、マイラを助けてくれるに違いない。

「ええ、私の、故郷。……今は誰もいないかもしれないけれど」
「そうね」
 まるで何も感じていないようなリーリエの言葉だ。
 意味がわからない。ひとつの町から、まるごと人が消えてしまったのだ。とんでもないことだ。
 世間話のような口調に、違うものを見ているのではないかと疑った。

「マイラの家はどこ?」
 その笑顔には、あまりにも影がない。
「……もっと奥よ」

 馬車は町を横目に、消失の闇をめがけて進んでいく。
 速度は緩んでいた。ここに至っては、いくら金を出しても消失地まで進んでくれる御者はおらず、幼馴染の男が馬を操っている。
 マイラのために尽くしてくれる男だが、それでもこの状況は恐怖なのだろう。

「王都より家がたくさん……!」
「……貧しい家が多いから、隙間がないの」
 この異常な光景に、楽しそうに笑っているのはリーリエだけだ。

「ねえ、マイラ!」
 外を見ていたリーリエが、興奮した声をあげて振り返った。
「……なにかしら」
「故郷にいるってどんな気持ちなの?」
 うきうきとマイラを見つめながら聞いてくる。は、とマイラは喉を引きつらせた。すぐに我に返って首を傾げてみせる。

「どんなって……?」
「嬉しいの?」
「……」
「違うの? 好きな場所じゃないの?」
 好きな場所だ。
 だからこそ、こんな状態にあるのを見たくはなかった。多くの人を失った町は、すぐに元の姿を取り戻すことはないだろう。

「好きな場所だけど、今は、違ってるわ……」
「違う? もう故郷じゃない?」
「故郷は、故郷よ。変なこと言わないで」
「……ごめんなさい」

 叱られたと感じたらしいリーリエが、首をすくめて謝った。マイラは首を振ってなんとか笑みを作る。
「謝って欲しいわけじゃないわ。ただ、とても……大事な場所なの」

 母はもう町を出ていっただろうか。
 出ていけなかったかもしれない。よくよくじっと見ていれば、建物の隙間に、ちらほらと疲れ果てたような人の姿が見られた。
 馬車もなく、あてもなければ、この場にとどまろうと考えるだろう。消失はゆっくり近づいているが、ここまで来るとは限らない。

「大事な場所……」
 リーリエが理解できないという顔をした。
 不理解は互いになのだと気づいて、マイラはゆっくりと呼吸をした。
「どうしても守りたい場所なの。……間に合ってよかった、けれど」

 マイラは自分ではどうすることもできない。
 リーリエに祈らせなければ。
(どうやって?)
 消失の闇は近づいている。馬車はどんどん速度を緩め、ためらいながら先に進んでいる。

「どうしても、守りたいの」
 マイラはどうしようもなくなって、同じことをもう一度言った。
「そうなのね」
 リーリエはあきらかに理解できない様子で、適当な返事をよこした。

(……何も不思議じゃないわ。リーリエには故郷がないから、わからないんだ)
 小さなころから教会に閉じ込められて育ったのだ。リーリエにとっては「中」と「外」の2つしかない。

 故郷というものを、この胸の締め付けられる感情を、リーリエに教えることはできないだろう。あまりにも時間がない。
 とにかく大事なものだと、なくすと悲しいのだと、それだけを伝えるしかない。

(大丈夫、リーリエは、私のことが好き)
 好きな人が悲しむのだ。
 誰もがそうであるように「マイラを助けたい」と思ってくれるはずだ。それが大事なのだ。誰かに思われ、何かをしてもらうためには、こちらから告げたのでは下策だ。
 相手が自発的にそうしたくなるように、話を持っていくのだ。

「悲しいわ」
 つぶやき、マイラは一粒の涙を流した。

「マイラ……っ、どうしたの? どこか痛いの?」
「いえ……そうじゃないの。そうじゃなくて……」
 本当に、どうしてこんなこともわからないのだろう。マイラは内心の苛つきをこらえて、儚げに言葉を紡ぐ。

「この町を守れなかったらどうしようって、不安なの……」
「大丈夫よ!」
 リーリエは強く言って、マイラの手を握った。

「あなたなら大丈夫。マイラほど聖女にふさわしい人はいないわ!」
 そうではないのだ。
 どうして「なら自分が」と言い出さないのだろう。リーリエならできるではないか。どうしてやろうとしないのだろう。
 マイラは好かれているはずだ。

「そんなことはないわ。私がリーリエだったら、きっと、何もかも上手くいったのに……」
「私じゃだめよ。私はもう祈らないんだから」
「でも」
「そう決めたの。聖女はもう、やめたの」

 ……どうして上手くいかないのだろう。
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