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マイラ様のお話は難しいです。
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「彼とは幼馴染なの」
馬車の窓から入った風が、マイラの髪をくるくると弄んだ。どんなに強く吹いても、彼女が軽く頭を振れば元に戻る、魔法のような髪だった。
景色に向けられた瞳は大人びている。
「一緒に王都に来たのよ」
「仲良しだったのね」
少し羨ましい。
リーリエには小さな頃の友達などいない。いたのかもしれないが、もう何ひとつ覚えていなかった。
「腐れ縁みたいなものよ。隣の家に住んでて……貧しい地区だった。私は父親がいなくて、彼は母親がいなかった」
「そう……」
母親がいるというのはどんな気持ちなのだろう、とリーリエは想像する。
強くて優しくて、そして無条件で自分を愛してくれる。
それがリーリエの持つ母親の印象だ。そんな人が自分にもいたのだ。うっすらとした、記憶にもならない感覚がそれを訴えている。
「母さんは体を売って生活してた。最低の仕事よ。なぜかわかる?」
「……神に反するから?」
マイラはわずかに顔をしかめた。
「違うわ。危険すぎるの。金で人を買うというのは奴隷と同じ。だから何をしてもいいと、そう思ってる人がいる。大事にしてくれる客がつけばいいけど、それはそれで問題なのよ。相手方の家族に知られれば無事じゃすまない。客同士が争うこともしょっちゅう」
リーリエにはよくわからなかった。幼い頃から教会に閉じ込められてきたリーリエは、喜びも知らなければ、つらさも知らない。
まず貧しいということ、飢えるということが実感としてわからない。
己の力で暮らすというのは、どういうことなのだろう?
大変なのはわかる。しかし知らない世界の、胸の躍ることに思えてしまうのだ。
「それでも母さんは私を大事に育ててくれた。だから、私は……」
「……」
マイラがじっとリーリエを見る。
リーリエはわずかに身をすくめ、それを見返した。伺うような瞳はやはり苦手だった。
「…………だから私は、母さんが大好きだってこと!」
にっこりと笑って言ったマイラは、リーリエを抱きしめた。
「ふふっ、そうなのね!」
抱きしめられるのが好きなリーリエは、すぐに明るい気分になった。大好き。とてもわかりやすくて、いい言葉だ。
「母さんはクッキーの焼き方も教えてくれたわ」
「あのクッキー?」
「そう。今度、一緒につくりましょうよ」
「ええ! でも、できるかしら……」
疲れ切っていた体にも染みる、甘い味だった。作り方などリーリエには想像もつかない。
「誰にでもできるわ。ちょっと慎重さがいるけど……」
「慎重! ……自信がないわ」
「まあ。ふふっ」
「マイラは器用で、なんでもできそう」
「そんなことないわよ。女の子には嫌われがちだし」
「……そうなの?」
「ええ、リーリエは、仲良くなってくれて嬉しいわ」
リーリエはへらりと笑った。少し恥ずかしいけれど。
「私も嬉しい。マイラのことが好き」
「私も好きよ、リーリエ。……母さんにも紹介したいわ。時間があれば……なさそうね」
マイラはつぶやくように言って、遠く窓の外を見つめた。
「このあたりにいるの?」
すでに城からずいぶん遠ざかった。消失の始まった東の果てというのは、どれほど先なのだろう。
「ええ。急がなきゃ……あのまま消失が進んでいたら、もう、町の近くまで迫っているかもしれない」
「消失に巻き込まれても死ぬことはないって教えられたわ。大丈夫よ」
心配そうなマイラを慰めてあげたくて言った。するとマイラは一瞬だけ目を見開き、ゆっくりとまばたきをした。
「でも、母さんはもう若くないから。大陸に飛ばされたら、まともな生活なんてできないわ」
「そう……なの?」
リーリエにとって生活は現実ではない。食べ物を手に入れて家から出たり帰ったりして、そんな想像が上手くできない。
「……そうよ。それに、大事な故郷なの」
「故郷」
「思い出が、たくさんあるの……」
リーリエには理解できない。
ただマイラが悲しそうにしているので、慰めてあげたかった。何と言えば慰められるのかわからない。
リーリエに故郷はない。
馬車の窓から入った風が、マイラの髪をくるくると弄んだ。どんなに強く吹いても、彼女が軽く頭を振れば元に戻る、魔法のような髪だった。
景色に向けられた瞳は大人びている。
「一緒に王都に来たのよ」
「仲良しだったのね」
少し羨ましい。
リーリエには小さな頃の友達などいない。いたのかもしれないが、もう何ひとつ覚えていなかった。
「腐れ縁みたいなものよ。隣の家に住んでて……貧しい地区だった。私は父親がいなくて、彼は母親がいなかった」
「そう……」
母親がいるというのはどんな気持ちなのだろう、とリーリエは想像する。
強くて優しくて、そして無条件で自分を愛してくれる。
それがリーリエの持つ母親の印象だ。そんな人が自分にもいたのだ。うっすらとした、記憶にもならない感覚がそれを訴えている。
「母さんは体を売って生活してた。最低の仕事よ。なぜかわかる?」
「……神に反するから?」
マイラはわずかに顔をしかめた。
「違うわ。危険すぎるの。金で人を買うというのは奴隷と同じ。だから何をしてもいいと、そう思ってる人がいる。大事にしてくれる客がつけばいいけど、それはそれで問題なのよ。相手方の家族に知られれば無事じゃすまない。客同士が争うこともしょっちゅう」
リーリエにはよくわからなかった。幼い頃から教会に閉じ込められてきたリーリエは、喜びも知らなければ、つらさも知らない。
まず貧しいということ、飢えるということが実感としてわからない。
己の力で暮らすというのは、どういうことなのだろう?
大変なのはわかる。しかし知らない世界の、胸の躍ることに思えてしまうのだ。
「それでも母さんは私を大事に育ててくれた。だから、私は……」
「……」
マイラがじっとリーリエを見る。
リーリエはわずかに身をすくめ、それを見返した。伺うような瞳はやはり苦手だった。
「…………だから私は、母さんが大好きだってこと!」
にっこりと笑って言ったマイラは、リーリエを抱きしめた。
「ふふっ、そうなのね!」
抱きしめられるのが好きなリーリエは、すぐに明るい気分になった。大好き。とてもわかりやすくて、いい言葉だ。
「母さんはクッキーの焼き方も教えてくれたわ」
「あのクッキー?」
「そう。今度、一緒につくりましょうよ」
「ええ! でも、できるかしら……」
疲れ切っていた体にも染みる、甘い味だった。作り方などリーリエには想像もつかない。
「誰にでもできるわ。ちょっと慎重さがいるけど……」
「慎重! ……自信がないわ」
「まあ。ふふっ」
「マイラは器用で、なんでもできそう」
「そんなことないわよ。女の子には嫌われがちだし」
「……そうなの?」
「ええ、リーリエは、仲良くなってくれて嬉しいわ」
リーリエはへらりと笑った。少し恥ずかしいけれど。
「私も嬉しい。マイラのことが好き」
「私も好きよ、リーリエ。……母さんにも紹介したいわ。時間があれば……なさそうね」
マイラはつぶやくように言って、遠く窓の外を見つめた。
「このあたりにいるの?」
すでに城からずいぶん遠ざかった。消失の始まった東の果てというのは、どれほど先なのだろう。
「ええ。急がなきゃ……あのまま消失が進んでいたら、もう、町の近くまで迫っているかもしれない」
「消失に巻き込まれても死ぬことはないって教えられたわ。大丈夫よ」
心配そうなマイラを慰めてあげたくて言った。するとマイラは一瞬だけ目を見開き、ゆっくりとまばたきをした。
「でも、母さんはもう若くないから。大陸に飛ばされたら、まともな生活なんてできないわ」
「そう……なの?」
リーリエにとって生活は現実ではない。食べ物を手に入れて家から出たり帰ったりして、そんな想像が上手くできない。
「……そうよ。それに、大事な故郷なの」
「故郷」
「思い出が、たくさんあるの……」
リーリエには理解できない。
ただマイラが悲しそうにしているので、慰めてあげたかった。何と言えば慰められるのかわからない。
リーリエに故郷はない。
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