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さらわれてしまいました。

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 それからリーリエは数日を馬車で過ごした。
「果ての地で祈るのが当初の予定でしたが、連れ去られた王妃殿下が、すでに祈りを……」
「おばさまが!? なんてこと……」

「お待ち下さい!」
 飛び出しかけたリーリエの腕を、護衛の兵士が掴んだ。
「失礼を。しかし、王妃殿下はこのことを覚悟されておりました」
「そんな……」
 暴徒に捕らえられ祈らされるなど、リーリエにはとても耐えられない。恐ろしい。死んでしまいそうに、嫌だ。

「リーリエ様が行かれたところで、何もできはしません」
「……!」
 その通りだ。
 けれど家族が、唯一ひとりの家族がこんな状況で、心配しないではいられない。だが馬車の周囲は護衛に囲まれ、わずかな時間外に出るときにも必ず彼らがついてきた。彼らに油断はなく、リーリエに出し抜くような力はない。

 何よりリーリエは、ユーファミアがどこにいるかさえわからない。
 動くこともこれからを考えることもできず、時がじりじりと流れるのを待つしかなかった。

「おばさま……」
 狭い場所で過ごすことは苦痛ではない。そのはずだった。しかしただ待ち続けるしかない今は、ひどいものだった。
 司教が時折やってきたが、護衛が追い返してくれた。ユーファミアの護衛であった彼らは、リーリエを守るよう言われているようだった。
 大事にされているのに、リーリエは彼女に何もできない。

 そのうちに司教もやって来なくなった。
 そして一度だけ、ユーファミアの侍女が戻ってきて話をしてくれた。

「ユーファミア様は無事です」
「毎日祈らされているんじゃ、」
「いえ、民は掌握しました」
「……え?」

「祭り上げられることが有利とも限りませんが、彼らがユーファミア様を害することはないでしょう。彼らにとって、ユーファミア様は聖女なのですから」
「そんな」
 リーリエは悲痛に首を振った。
 とても安心できない。聖女様、聖女様と持ち上げながら、祈らせるだけがリーリエの知っている人間だ。

「共に祈ろうと、ユーファミア様は語りかけておられます」
「共に……?」
「そうです。上手くいけば、聖女だけが祈る必要はなくなるでしょう」
「……でも」

 祈りの中にいる時、他者の祈りが見えることがある。それはどれもリーリエの祈りに比べてか細く、大抵は天に届く前に落ちていく。
 届くのは極めてまれなことだ。
 リーリエならば一日に百は届けるだろう祈りが、一日にひとつ、ふたつあればいい。その程度のものなのだ。

「上手くいくとは思えない……」
 すると侍女はかすかに微笑んだ。
「それでも今、やらねばならないと、ユーファミア様はお考えになったのです」

「やらねばならない……」
 聞きたくもない言葉だった。
 侍女も司祭もそう言った。リーリエが聖女であるから、やらねばならないことだ、決して投げ出せない役目なのだと。

「リーリエ様はどうかこのまま、動かないでください。私はユーファミア様が無理をなさらないよう、おそばにいなければ」
「おばさまは、お元気なのですね?」
「はい。私がついています」

 リーリエはこの侍女がどういう人間なのか、それほど知っているわけではない。
 けれど彼女が優秀で、ユーファミアが信頼していたのは知っている。
「……私は大丈夫です。おばさまを……よろしくお願いします」
「はい。リーリエ様、くれぐれもお気をつけて」

 何よりも彼女を早くユーファミアのもとに返したくて、リーリエは話を打ち切った。彼女もそれを理解してくれたのだろう、ためらわずに去っていった。

 そしてまた馬車で一人、もっと話を聞いておけばよかったと悔やむ。だが考えることがあるだけ幸いだったかもしれない。
 時が過ぎる。
 ひたすらにユーファミアを案じる日が、いくつすぎただろう。

「リーリエ様、王家よりの使者が……っ」
「退け!」
 何をすることもできず、ぼんやりと時を過ごしていたリーリエは、上手く反応できなかった。

 薄暗い馬車の中に光が差す。
 まぶしい。誰かが扉を勢いよく開けたのだ。

「聖女リーリエ様ですね?」
「……いいえ」
 リーリエは震え、身を竦ませた。自分は聖女ではない。聖女はマイラだ。いや、今はユーファミアなのだろうか?

 考えてわずかに動揺した。
 自分が聖女でなければ、ユーファミアが聖女とされてしまうのだろうか?

「……元聖女のリーリエ様ですか?」
 騎士のような姿の男だった。言い換えて聞かれ、リーリエはそれには頷いた。
「……はい」
「失礼!」
「きゃあっ!?」
 何があったのか理解できないうちに、リーリエは彼に抱え上げられていた。

「な、何を……」
「緊急時です、お許しを。……陛下の命により、リーリエ様を王都までお連れします」
「えっ……」
「東の果てから消失が始まりました。リーリエ様の力を必要としています」

「……い、嫌です!」
 リーリエは暴れたが、男の腕の力は緩まず。ふわりと体が浮き上がった。
「っ……!?」
 景色が高い。

「あまり喋ると舌を噛みます。お気をつけて」
 地面が大きく揺れ、走り出してから、リーリアは馬上にいることを理解した。馬車とは比べものにならない、恐ろしい勢いで景色が通り過ぎていく。

「……下ろしてください! おばさま……!」
「申し訳ないですが、私は命じられたことをやるのみです。話は陛下となさってください」

 風が切るように、あまりにも鋭い。
 リーリエは怯えながらも、それでも暴れた。しかし男はしっかりとリーリエを押さえ、それでも暴れ続けていると、最後にはリーリエを自らにくくりつけてしまった。

 そのまま半日も走り続け、どちらから来たかもわからなくなる。諦める他なかった。

 何度も舌を噛み、旅路は進んでいく。
 騎士はリーリエに譲りはしなかったが、乱暴にも扱わなかった。食事を与えられるとリーリエは弱い。
 聖女として敬われるという感覚とは、少し違うように感じられた。
 不思議に思って聞いてみる。

「あなたは、私のことをどう思っているんですか?」
「は。命じられたからには王都まで無事にお届けします。それだけです」

「それって、楽しいの?」
「いいえ。仕事です」
「仕事なんかで……」
 リーリエにとっての聖女の仕事は、何の楽しみも、喜びもないことだった。いつでも、教会から出られたならそのまま帰らなかっただろう。

 彼が当たり前のようにひとり命令に従っていることが不思議だ。眠るリーリエを抱え、彼自身は睡眠を削って馬を走らせる。

 それとも普通は、そうなのだろうか?
 城の兵士もリーリエに同情しつつ、上に言われるままに働いていた。
 そして何よりユーファミアも、リーリエには理解出来ないことをしている。ずっと馬車の中で考えていた。聖女から逃げた自分は間違っていたのだろうか?

「それによって、給金を頂き、生活しております」
「給金……」
「はい」
「……給金がなかったら、どうするの?」

 彼はすぐに答えた。
「それでは働く理由がありません」

 その言葉にリーリエはほっとして「そうよね」と言った。
 聖女として働いても何ももらえなかった。では給金を受け取っていれば、自分は聖女を続けたのだろうか。

「給金があったら、どんな仕事でもするの?」
「……場合によっては辞めますが、まあ、今のところ不満はないです」
「辞められなかったら?」
「逃げます」
 リーリエは少し笑ってまた「そうよね」と言った。
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