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牢獄に入れてもらいました。

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「偽聖女リーリエ、おまえとの婚約を破棄する。……正しき聖女であるマイラを虐げ、隠匿してきたことは大罪である。衛兵、偽聖女を地下牢に入れよ!」



 そういうわけでリーリエは地下牢に入れられることになった。
「なんてこと」
 まずどうしていいかわからず、牢の中でぽかんとして、仕方がないのでいつものように祈り始めた。
 ひざまずいた牢の床は硬いが、もっとひどい地で祈りを捧げたこともある。教会の外での祈りなど滅多になく、地面のことなど気にならなかったものだ。
 しかし膝が冷え切ってしまったところで少し、考えた。

(祈らなくてもいいのでは?)
 なにしろ見張っている者がいない。

 牢番である兵士はちらちら見えていたが、彼らはリーリエが脱走しないように見張っているのだろう。
(ちょっと、やめて……みましょうか……)
 教会では眠る時と学ぶ時以外、ずっと神に祈りを捧げていた。
 それが聖女の仕事である。ほんのわずかの間、視察に出たり、王子と顔を合わせたりなどもしていたが、本当にわずかの間だ。
 偽聖女と言った婚約者の王子とも、一言二言、数える程度に話をした覚えしかない。

 そもそも後継者が現れなければリーリエが王子に嫁ぐこともない。先代聖女である現王妃はリーリエが現れたことで適齢期のうちに嫁いだが、これは極めて珍しいことなのだ。

「……」
 祈りの形が染み付いたリーリエは、所在なく立って待った。
「……」
 誰も現れない。
 どうかなさいましたか、と心配そうに、けれどリーリエに祈りを促すことしかしない侍女が来ない。
「……まあ」
 侍女の報を聞いて、どうかお怒りを鎮めてお祈りください、と頭を下げにくる司祭もいない。
「……そう、そうね……」

 ここは地下牢だ。
 そしてリーリエはさきほど、偽聖女と言われた。聖女ではないと。
(なんて素敵な響きなの)
 聖女ではない。
 もう四六時中祈り続けなくてもいいのだ。体が固まってしまうほど跪き、ほんの稀にだけ気まぐれに視線を向ける神のために、常に全力で祈り続ける必要がない。

「じ……っ」
 思わず言葉が詰まった。
 胸を抑える。
「じゆ……、じゆう……自由だわ……!」
 リーリエは思わず神に感謝を捧げた。何もしてくれない神だが、祈り続けてきたリーリエにとって、一番に話しかける相手だ。
「ああ、自由、自由……」
 こんなに嬉しかったことはない。
 ころりと横になり、天井を見上げて大の字になった。

「自由なの……私、自由……ふふっ、ふふ」
 笑いが漏れて仕方がない。
 地下牢の中をリーリエはごろごろと転がった。大きな空間はないが、三回は転がることができた。
「ふふ」
 なんて素晴らしいのだろう。
 ひょこりと頭を起こし、今度は斜めになって転がる。がつんと格子にぶつかって、また笑った。
「ああ。自由……何をしても、いい……」

 祈らなくていい。
 城に呼ばれた時からリーリエは、今日はいい日だと思ってた。何を言われようと何をされようと、とにかく他のことをしている間は祈らなくていいのだ。
 しかし、こんな、人生最良の日になるとは。

「感謝します」
 リーリエは神に祈った。
 しかし、すぐにやめた。
「ま……まるで普通の人みたい……」
 民たちは神への感謝を一瞬だけでやめられる。たったのこれだけでいいのだ。こんなに幸せでいいのだろうか。

 リーリエは地下牢の床に倒れ、ふたたびゴロゴロと転がった。
(すごく……無駄なことをしているわ)
 意味はない。
(ただただ、転がっている……)
 リーリエの胸に喜びが広がった。こんな、時間の無駄といったらない。今までは絶対に許されなかったことだ。

 遊びたい盛りの子供の頃だって、こんなことをしていればすぐに侍女がすっ飛んでくる。リーリエが癇癪を起こすと、侍女は優しくリーリエを宥め、そして絶対に許してはくれなかった。
 だいたい最後には侍女は泣き落としてくる。
 侍女にも生活があるのだ。この仕事を辞めさせられたら、老いた両親が死んでしまう。子をどう育てていいかわからない。明日の行き場もない……そのような話を聞かされ続けた。

(知らないわ、もう!)
 リーリエだってがんばったのだ。
 がんばってきたのだ。
 もう疲れた。
 少しくらい自由を満喫したっていいだろう。

(どうせ……)
 つかの間のことだ。
(でも、もしかしたら……)
 あのマイラという聖女見習いが、リーリエよりも神に祈りを届けられるのだろうか?
 あまり都合のいい夢は見たくないが、そうだったらいいのに。
「はあ」
 まあ無理だろう。神に祈る時、リーリエは他の人々の祈りも感じてきた。どれも神へと届く前に落ちていく。稀に強く純粋な思いが上がっていくことがあるが、大抵は一度だけ、多くても二度、三度で終わる。
 リーリエほど高い位置まで、常に祈りを届けられる者はいない。

「でも、いつかは私も引退するのだし……」
 この国に聖女がいなかったことはない。
 どんな時代でも、神に祈りを届けられる者はいたのだ。リーリエが祈らなくなったとしても、新しい聖女が生まれるのだろう。きっと。

 強い聖女から弱い聖女へ引き継がれると、世界はそのぶん衰えると言う。
 聖女の力の強さとは、どれだけ神の気を惹けるかだ。神の目を向けられなくなれば、この国は形を保っていられない。
 それでも誰かが祈っていれば、滅びてしまうことはないはずだ。

「……私、祈らなくてもいいんじゃない?」
 そうだったらいい。
 今までやってきたことは無駄だったかもしれないが、それでもいい。とにかくもうリーリエは祈りたくなかった。

「……ずいぶん荒れているようだな?」
 リーリエは転がったままで目を上げた。
「あ、王子」
「はっ。聖女の地位がそれほど惜しかったか? だが、二度とおまえのもとに戻ることはない」
「……本当ですか?」
 そうだったらいいのに。
 飛び上がりたくなるような想像だった。もう祈らなくていいのだ。

「何があろうとも、おまえのような悪女に二度と聖女を名乗らせることはない。心しておけ。おまえの終の地はここだ。冷たい牢獄で朽ち果てるがいい」
「わ、わかりました!」
 リーリエは喜んで返事をした。
 なんて素晴らしい王子だろう。
 もし明日死を迎えるのだとしても、リーリエの胸には喜びがあった。聖女という、祈りを捧げ続けるだけの人形として死ななくてすむ。
「……頭がおかしくなったのか? 無理もなかろうな。今までどれだけ教会の金を無為に使い、贅沢にふけってきたか。マイラから聞いている」
「そうですね」

 リーリエは頷いた。
 確かに無駄であった。
 人々から捧げられた家具も、美しい布も、装飾品も、リーリエに使う暇などない。そばに座り心地のいい椅子があっても、リーリエはひざまずいて祈らなければならないのだ。
 豪華な食事も同じだ。リーリエが食事に使える時間は限られている。できるだけ噛まずにすむ、消化にいいドロドロのスープばかりを飲んでいた。

「おまえが心から反省し、マイラに侘びたくなった頃にまた来よう。それまでせいぜい、この牢獄を楽しむのだな」
 そうして王子は去っていった。
 リーリエは頭を下げて見送り、それからまたごろりと転がった。外の事情には関わるな考えるな、と言われてきたリーリエには、王子の言葉があまり理解できない。
 が、いい人であることは間違いないだろう。

 リーリエにとって酷い人間とは、リーリエを讃え、喜ばせ、少しの休息も許さずにリーリエに祈らせる者たちだ。
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