愛のために平民になった(短編倉庫)

七辻ゆゆ

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「おまえを愛することはない!」って、堂々と言ってくださったおかげで婚姻無効になりました。

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「ああ、なんて良い酒だ!」

 スアンは久々にいい気分でいた。
 朝から有象無象の者共が祝いの酒を持ち込み、これらがすべて高級酒なのだ。どれを口にしても美味い。かつての栄光の日々が戻ってきたようだった。

 スアンは伝統ある侯爵家に生まれ、何不自由なく育ってきた。良いもの美味いもの価値のあるものに囲まれ、それを当然と受け取ってきたのだ。
 それがここ数年、ひどいものだ。侯爵家に金がないのだという。馬鹿げたことだ。金など領地からいくらでも取れるものだ。領地は侯爵家のものなのだから。

 だというのに、今までのやり方が通じないのだという。領民たちは反抗し、騒ぎ、ついには領地を捨てて出ていった。
 すべて、成金の新興貴族のせいだ。奴らが工場をつくり、人を雇う。民は田畑の世話をするよりそちらがよいと領地を出ていってしまう。

「くそっ、この酒だって元は我らのものじゃないか!」
「そうですとも、閣下の酒です」
「どうぞどうぞ、いくらでも」
「やあ、めでたい席だ。もっと酒を!」
「ふん!」

 何が気に入らないといって、酒を持ってくる奴らがその新興貴族の者共なのだ。
 今日、この上なく腹立たしいことに、スアンは新興貴族の娘と結婚することになっている。

 もちろん形だけのものだ。そのようなどこの馬の骨ともしれない女を、青い血を持つスアンが愛するはずがない。
 しかしその女と結婚しなければ、タダ飯喰らいとして侯爵家から追い出されてしまう。スアン自身としても、美味い飯を食い、良いものに囲まれた暮らしを取り戻したいのだ。

(なぜこの高貴なる俺が……なんという苦渋、苦難か! だが一瞬だけの我慢だ。式さえあげてしまえばいくらでも金を引き出せる。くそっ、その金だってもとは俺のものじゃないか。詐欺師どもめ。永遠に許すものか)

 差し出されるままに杯を重ねながら、スアンの思考はヒートアップしていく。

(結婚した暁には、ほぼ平民の妻など使用人として扱ってやる。当然の、ふさわしい扱いだ。いや、それですら生ぬるい。奴隷だ。奴隷でいい。奴隷との結婚生活などありえないのだから、正しい妻が必要だ)

 金さえあれば迎えられる。
 その正当な妻に産ませた子こそが、侯爵家の後継だ。

(奴隷に子が産まれたら、そいつも奴隷だ。女なら娼館に売り、男なら鉱山だ。……そうだ、たくさん産ませれば良い。たくさんたくさんたくさんたくさん奴隷がいれば、侯爵家ももう困るまい)

「ふっふふ」
「閣下、楽しそうですなあ」
「ははは! そうだとも、今から平民の女を買うところだ!」
「……さて、では、少しの我慢ですな。こちらへ閣下、誓いを」
「ああ? うん……」

 そうだ、式をしなければならないのだった。
 しかしおかしい。

「招待客がいないではないか。次期侯爵の式だぞ! 会場は、料理は、大司教はどうした!」
「しかし閣下、相手は平民の娘ですぞ」
「むっ」
「そのように多くのものに、侯爵家の恥を喧伝することはないでしょう」
「……それもそうだな」
「さ、こちらに」

 スアンは納得して、神父服を来た知らぬ男を相手に誓った。

「その女を妻として迎えてやる!」
「はい、よろしいですよ」
「ささ、閣下、式はつつがなく終了いたしました。祝杯をどうぞ」
「うむ……うむ、この酒はうまい」

 ところで目の前にいる奴らは誰だっただろうか。
 スアンを取り巻いて持ち上げていた者たちは、侯爵家が傾くと波が引くように消えていった。

「いや、そんな……はずはない、侯爵家の栄光は……永遠に……」
「そうですとも!」
「さあさあ」
「さあ」
「このあとは初夜ですよ」
「言ってやってください!」
「スアン閣下、侯爵家の栄光を!」
「栄光を!」

「ああ……そうだな……」

 飲みすぎてしまったらしい。
 くらくらする。いい気分でゆらゆらしていると、誰かが支えて連れて行ってくれる。気づけば前に誰かがいた。

 あの女だ。
 ベールをつけたまま顔を近づけて、スアンに囁く。

「やっと、ふたりきりになれましたね?」
「……」
「これから、私を愛してくださいますね?」

 スアンはかっと目を見開き、女を突き飛ばした。

「あっ」
「おまえなどを愛することなどない! おまえは奴隷だ、侯爵家の奴隷になるのだ!」

「なんということを!」

 ふたりしかいないはずの初夜の場で、知らぬ男が声をあげた。
 凄まじい声量だ。そして神父服を身に着けている。

 スアンはぼうっとそれを見つめる。そして自分が支えられて立っていることに気づいた。

「ここは……?」

「お聞きになりまして?」
「なんてこと……」
「泥酔して現れたときは、ずいぶん浮かれているのだと思ったが」
「上位貴族はここまで傲慢ですのね」
「領民を奴隷のように扱い、贅沢で家を傾けたというのに……」
「やはり、温情など必要ないのではないか?」

 スアンは震えた。
 式服を着た自分、倒れたウェディングドレスの女。赤いバージンロード。そして顔を赤くして、大司教が声をあげる。

「これは神を冒涜する行為だ。この婚姻は認められない!」

 披露宴の場だった。
 多くの招待客の前でスアンは、新婦を奴隷にすると宣言したのだった。





「あら、お取り潰しになったのね」

 新聞記事をちらりと見て、ミーファは特に感慨もなく言った。
 その取り潰しになった侯爵家の息子と、先月、式を迎えようとしていた令嬢だ。

「ま、そりゃそうだろうな。大司教を呼んだ式で、おまえを愛することはない、奴隷にする、と言ったんだから」
「ふふ。すごかったわね、特等席で見ちゃった」
「金づるとの婚姻が無効になれば、もう終わりだ。しぶとく残っていただけの家だからな」
「ばれなかった?」
「ああ、もちろん」

 なら良いだろう。
 実はスアンには酒と同時に、人の言うことを信じやすくなる薬も飲んでもらっていた。もちろん禁制のものだ。
 もっともばれたらばれたで、いくらでも揉み消しようはある。

「でも不思議よねえ」

 ミーファは首をかしげて言った。

「侯爵家に逆らったらどうなると思う、とか脅してきたけど、こっちは貴族家を養えるくらいのお金を稼いでるのよ。甘いだけの家なわけがないのにね」

 とはいえもう潰れた家に用事はない。
 ミーファは新聞をめくって、次の記事に目を向けた。
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