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婚姻
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政略結婚とは血と血の結びつきである。婚姻しただけでは足りない。子をなして、その子を次代にすることが重要なのだ。
裁判長は質問した。
「この婚姻の理由は何だったのですか?」
「……領地だ。ネマット男爵家は困窮し、爵位を返上するという。ネマット家の領地はうちの領地と地続きだ。だから我が領地に編入するにあたって、クリスタ・ネマットと婚姻した」
はあ、とため息のような呆れた声が響いた。
領地は王より与えられるものなので、売買は表向き禁止されている。しかし実際には、小さな領地であれば身内での譲渡は目こぼしがされていた。婚姻の形さえあればよい、ということなのだろう。
ネマット家が爵位を返上するのであれば、夫人に後ろ盾はない。
政略結婚とも言えない、売買取引のような結婚であった。
「なるほど、それで、クリスタ夫人のことは放置したのですね」
「放置などしていない。屋敷に部屋を与えてそこに住まわせた。使用人がいるのだから、食事は作らせればいいではないか」
「クリスタ夫人、使用人がいるのになぜ食費が必要だったのですか?」
「食事をつくることを拒否されました」
「使用人に、ですか?」
「はい。旦那様は、わたくしについて全く使用人に指示を与えず、王都に行ってしまわれました。使用人は指示されていない仕事はできないと言いました」
ネーガスが顔をしかめる。
使用人の教育がなっていないのは、主が無能だとみなされる。
「馬鹿な。おまえが使用人に無茶なことを言ったのではないか」
「いいえ。……実際のやりとりを日記に記しております。読み上げてよろしいですか」
「どうぞ」
裁判長の許可を得て、クリスタは日記帳を取り出した。
どうやら嫁いでから書き始めたらしく、1ページ目を読み始める。
「婚姻の翌日、旦那様が出発なさった日です。昼食の時間に誰も呼びに来ませんので、厨房に行って、わたくしの食事はどうなっていますか、と聞きました。返事は『知らないよ』とのことでした」
「嘘だ! そんな無礼な者など雇っていない!」
「はい。彼らは旦那様ではなく、管理人に雇われた者のようでした」
「は……?」
「旦那様が直接雇われたのは、管理人と三人のメイドのみです。彼らは下働きのものを二人雇い、本邸に旦那様が不在のときには、下働きの者のみで屋敷を管理していたようです。彼らの契約書も確認しています。斡旋業者を通していましたので、そちらに問い合わせていただければ事実は明らかになるでしょう」
ネーガスは呆然とした様子だ。
裁判長は、ありがちなことだと思った。昨今の貴族は王に媚を売るのに必死で、領地の本邸など放置していることがある。
二年も放置したら、使用人たちは雑な仕事を始める。安価な下民を雇って仕事を任せてしまうというのも、ままあることだ。
「そ、れ、ならば、報告を……」
「はい。わたくしは旦那様に現状をお知らせする手紙を書きました。婚姻して三日目のことです。返事はありませんでした」
「届いていない!」
「不着も考えられましたので、その二週間後に再び送りました。更にその三週間後に送りました」
「ネーガス氏、すべて届いていませんか?」
裁判長の言葉にネーガスは青ざめ、黙った。
三通だ。貴族の信書は国に定められた業者が取り扱っている。一通ならまだしも、三通も届かなかったとなればしっかりとした調査が行われることだろう。
「お、覚えが……」
「三通目は内容証明をお願いし、受け取りにサインもいただきました。こちらがお送りした内容です」
クリスタが書類を裁判長へと提出した。
これには完全にネーガスも口を閉じた。クリスタを睨むことはやめていないが、むしろはっきり偽証をする前に提出されたのは、クリスタの優しさではないかと裁判長は思った。
「ネーガス氏、こちらにあなたのサインがありますが、これは別人のものですか?」
「……私のものだ。手紙は届いていた。しかし領地からの手紙は毎月、何事もなかったと知らせるだけなものだから、うっかりしていた」
何事もなかったと知らせるだけのものでも、放置していいわけではない。むしろ月に一度しか連絡されないのに、確認を怠るのはどうかしている。
聴衆もそのように感じたのか、皮肉げな視線がネーガスに向けられている。完全に彼はいい加減な男という評価を得たようだ。
もともと、領地を放って王都で王族に媚びる家に好かれる要素などない。
「内容を読み上げます。ふむ、領地の本邸では本来の管理人がおらず、何も伝えられていない下働きの者がいるのみであり、また、生活のための資金もなく……なるほど、クリスタ夫人の証言の通りですな」
「て、手紙がそうだからと、事実とは限らないだろう!」
「管理人と、下働きの者の契約書の控えがこちらにあります」
「そんなもの、どうとでもなる! だいたい、下働きしかいなかったとしても、管理人と連絡を取ることはできたはずだ!」
「はい。下働きの者は、依頼主である管理人に毎日報告しておりましたので、住所を知っていました。そちらに行って、お会いすることはできました。しかし形ばかり婚姻しただけのわたくしにはなんの権利もないため、命令に従う理由はない、とのことでした」
クリスタは日記を読みながら告げていく。詳細に書かれているためか、その言葉によどみはなかった。
「更に、おまえを追い出すのは簡単だ。旦那様に告げ口などしてみろ、旦那様が信じるのはこちらだ、と脅しのような言葉もありましたので、わたくしはその足で護衛の斡旋所に行き、ユナを雇いました」
「家にいるだけの女が護衛など……っ、明らかに無駄な金ではないか!」
「管理人も、下働きの者も男性です。屋敷に女性はわたくしだけなのです。初夜もなく旦那様がいなくなったので、わたくしは自分を守る必要があると感じました。そうでなければ、不貞を行ったとして離縁されるのではないかと思ったのです」
だろうな、と聴衆は頷いている。
ネーガスはあきらかに妻を歓迎していないのだから、隙を見せればこれ幸いと離縁するに決まっている。
裁判長は質問した。
「この婚姻の理由は何だったのですか?」
「……領地だ。ネマット男爵家は困窮し、爵位を返上するという。ネマット家の領地はうちの領地と地続きだ。だから我が領地に編入するにあたって、クリスタ・ネマットと婚姻した」
はあ、とため息のような呆れた声が響いた。
領地は王より与えられるものなので、売買は表向き禁止されている。しかし実際には、小さな領地であれば身内での譲渡は目こぼしがされていた。婚姻の形さえあればよい、ということなのだろう。
ネマット家が爵位を返上するのであれば、夫人に後ろ盾はない。
政略結婚とも言えない、売買取引のような結婚であった。
「なるほど、それで、クリスタ夫人のことは放置したのですね」
「放置などしていない。屋敷に部屋を与えてそこに住まわせた。使用人がいるのだから、食事は作らせればいいではないか」
「クリスタ夫人、使用人がいるのになぜ食費が必要だったのですか?」
「食事をつくることを拒否されました」
「使用人に、ですか?」
「はい。旦那様は、わたくしについて全く使用人に指示を与えず、王都に行ってしまわれました。使用人は指示されていない仕事はできないと言いました」
ネーガスが顔をしかめる。
使用人の教育がなっていないのは、主が無能だとみなされる。
「馬鹿な。おまえが使用人に無茶なことを言ったのではないか」
「いいえ。……実際のやりとりを日記に記しております。読み上げてよろしいですか」
「どうぞ」
裁判長の許可を得て、クリスタは日記帳を取り出した。
どうやら嫁いでから書き始めたらしく、1ページ目を読み始める。
「婚姻の翌日、旦那様が出発なさった日です。昼食の時間に誰も呼びに来ませんので、厨房に行って、わたくしの食事はどうなっていますか、と聞きました。返事は『知らないよ』とのことでした」
「嘘だ! そんな無礼な者など雇っていない!」
「はい。彼らは旦那様ではなく、管理人に雇われた者のようでした」
「は……?」
「旦那様が直接雇われたのは、管理人と三人のメイドのみです。彼らは下働きのものを二人雇い、本邸に旦那様が不在のときには、下働きの者のみで屋敷を管理していたようです。彼らの契約書も確認しています。斡旋業者を通していましたので、そちらに問い合わせていただければ事実は明らかになるでしょう」
ネーガスは呆然とした様子だ。
裁判長は、ありがちなことだと思った。昨今の貴族は王に媚を売るのに必死で、領地の本邸など放置していることがある。
二年も放置したら、使用人たちは雑な仕事を始める。安価な下民を雇って仕事を任せてしまうというのも、ままあることだ。
「そ、れ、ならば、報告を……」
「はい。わたくしは旦那様に現状をお知らせする手紙を書きました。婚姻して三日目のことです。返事はありませんでした」
「届いていない!」
「不着も考えられましたので、その二週間後に再び送りました。更にその三週間後に送りました」
「ネーガス氏、すべて届いていませんか?」
裁判長の言葉にネーガスは青ざめ、黙った。
三通だ。貴族の信書は国に定められた業者が取り扱っている。一通ならまだしも、三通も届かなかったとなればしっかりとした調査が行われることだろう。
「お、覚えが……」
「三通目は内容証明をお願いし、受け取りにサインもいただきました。こちらがお送りした内容です」
クリスタが書類を裁判長へと提出した。
これには完全にネーガスも口を閉じた。クリスタを睨むことはやめていないが、むしろはっきり偽証をする前に提出されたのは、クリスタの優しさではないかと裁判長は思った。
「ネーガス氏、こちらにあなたのサインがありますが、これは別人のものですか?」
「……私のものだ。手紙は届いていた。しかし領地からの手紙は毎月、何事もなかったと知らせるだけなものだから、うっかりしていた」
何事もなかったと知らせるだけのものでも、放置していいわけではない。むしろ月に一度しか連絡されないのに、確認を怠るのはどうかしている。
聴衆もそのように感じたのか、皮肉げな視線がネーガスに向けられている。完全に彼はいい加減な男という評価を得たようだ。
もともと、領地を放って王都で王族に媚びる家に好かれる要素などない。
「内容を読み上げます。ふむ、領地の本邸では本来の管理人がおらず、何も伝えられていない下働きの者がいるのみであり、また、生活のための資金もなく……なるほど、クリスタ夫人の証言の通りですな」
「て、手紙がそうだからと、事実とは限らないだろう!」
「管理人と、下働きの者の契約書の控えがこちらにあります」
「そんなもの、どうとでもなる! だいたい、下働きしかいなかったとしても、管理人と連絡を取ることはできたはずだ!」
「はい。下働きの者は、依頼主である管理人に毎日報告しておりましたので、住所を知っていました。そちらに行って、お会いすることはできました。しかし形ばかり婚姻しただけのわたくしにはなんの権利もないため、命令に従う理由はない、とのことでした」
クリスタは日記を読みながら告げていく。詳細に書かれているためか、その言葉によどみはなかった。
「更に、おまえを追い出すのは簡単だ。旦那様に告げ口などしてみろ、旦那様が信じるのはこちらだ、と脅しのような言葉もありましたので、わたくしはその足で護衛の斡旋所に行き、ユナを雇いました」
「家にいるだけの女が護衛など……っ、明らかに無駄な金ではないか!」
「管理人も、下働きの者も男性です。屋敷に女性はわたくしだけなのです。初夜もなく旦那様がいなくなったので、わたくしは自分を守る必要があると感じました。そうでなければ、不貞を行ったとして離縁されるのではないかと思ったのです」
だろうな、と聴衆は頷いている。
ネーガスはあきらかに妻を歓迎していないのだから、隙を見せればこれ幸いと離縁するに決まっている。
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