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よろしくお願いしますとも
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「それで、どうだったの、エミュ、シカ」
夕食の場の沈黙を切り裂いて、侯爵夫人、いやお母様がぎこちなく聞いてきた。
全員のフォークが止まったような気がする。そのくらいの沈黙だ。私はなんとか微笑みを浮かべて答えた。
「殿下は、感じの良いお方でした」
外面は。
内面はたぶん悪いものがめいっぱい詰まっているに違いない。それか、愛する彼女への恋でもう何もかも見えなくなっているのだろう。
だってあれだ。
私が何をしたって?
そっちの都合に巻き込まれてるっていうのに。それさえ理解しない人と結婚するのか、私は。
「え、ええっ、そうでしょうね。ダーヴァリッド殿下が優秀な方だというのは有名なの。ほんの5歳の頃から利発で、パーティでもにこにこしながら挨拶していたのよ。恐れ多いけれど、殿下を孫のように見ていた方も多いんじゃないかしら」
私は「そうなのですね」と頷いた。5歳からすでに外面が良かったなんて、まったく筋金入りだ。
「ですが、噂では、愛する方がいると……」
「あっ、そ……それは、私がお話するのは……」
「そうですね。すみません」
私が謝るとお母様は唇を震わせ、慌てたように早口で言う。
「ご、ごめんなさい、私達は家族なのだものね。内密の……内密の話ね」
「……ええと」
「殿下が愛した方はシュナさんと言って、男爵家のご令嬢よ。身分は低いけれど可愛らしい方でね、楽しそうにダンスを踊るって人気があったの。……ええもちろん、下位貴族の間で、ですけれど」
「素敵な方だったのですね」
私は気を取り直して無難に応じた。
夕食の席はもうひどい空気で、私にはどうしようもない。お父様は私達を見ながら無言で食事をしているし、お兄様は視線さえ向けてこない。妹に至っては貴族と思えないわかりやすい表情で「はやくこの人いなくならないかな」と思っている。
被害妄想だろうか。
でも私だって、8歳で離れた家族にそんな思い入れがない。赤子じゃなかったんだから家族への愛情くらいあったと思うんだけど、なんか他人事みたいに遠かった。教会に迎え入れられてからが忙しすぎたのかもしれない。
でもそんな子供だった私がそうなのだ。
大人だったお母様は、すっかり割り切って娘の存在を忘れたに違いない。それでいいと思う。まさかこんなことになるなんて誰も想像しない。
(はあ……)
内心のため息を殺して食事をする。
教会の皆が懐かしい。気のおけない、話の弾む食卓を心から求めている。シスターの姉さまたちの笑顔、大司教様の、難しそうな顔と裏腹の優しい瞳。マナーの話は三度に一回だけ。
(でもこの人たちが悪いわけじゃないしね。拒絶されないだけありがたく思うべきなんだろうなあ)
いまさら家族になんて戻れない。それは仕方ないことだ。さみしいけど。
(さみしいなあ……難しい顔してる大司教様を笑わせることもできない)
笑顔なんて知らなそうな硬い顔を、くしゃくしゃにさせる方法を私は知っている。あのコツをみんなに伝授しておくべきだった。今からでも手紙を送っておこうかな……。
でも今の私の現実はこっちなのだ。せめてもう少し落ち着いてからでないと、返事が来たら泣いてしまいそう。
「またお会いできて光栄です」
どうせ現実に夢も希望もないのだ。
私は諦めて殿下と同じに、外面よし女として生きることにした。微笑み。まあ微笑みだけならね、たくさん練習しましたよ。民の前で不機嫌な顔とかできないから。
でもあの頃は楽しかったなあ。そりゃ奉仕活動とかしてて嫌な人にぶつかることもあるんだけど、みんなに話を聞いてもらっただけで、でも良い人もいるしねという気分になれた。
今は悪意の塊な王子様と関わって、誰も愚痴を聞いてくれる人がいない。かなしい。
「シュナさんという方と親しいとお聞きしたのですが、どんな方だったのですか?」
「……」
ダーヴァリッド殿下の微笑みが少しこわばった気がする。ざまぁみろという気分になってしまった。外面をよくすると内面が腐ってくるものなのかしら。
護衛と侍女たちも空気をピリッとさせたけれど、気付かないふりをしておこう。私は貴族社会外で育った気の利かない女です。
「彼女は……君に少し似ているな」
ちょっと驚いた。
思わずしげしげ殿下を見てしまった。殿下はうっすらと翡翠色の瞳を細める。思い出すように遠くを見る、ようにみせて私を馬鹿にしているような目だ。
「シュナは幼い頃は虚弱で、あまり教育されずに育ったらしい。幸い、十を超えた頃には丈夫になったらしいが、いつ何があるかわからないと、好きなことを好きなだけ許されてきたらしい」
「それは、珍しいことですね?」
「ああ。普通なら、教育の足りない貴族など侮蔑の対象になってしまっただろう。だがシュナはその優しさで皆に慕われた」
「優しさで……」
「そう。馬鹿正直に率直に人を思いやる……その貴族らしくない率直な物言いが君と似ていると思ったんだ。でもやっぱり……うん、違うな」
はいはい。その笑っていない目をどうにかしなさいよ。っていうか、周りはこのひとを本当に優しい王太子殿下と思ってるんだろうか。
「もちろん人間だから、全く違う。君には君の良さがあるのだろうね」
自分にはその良さはさっぱりわからないが、と聞こえてきそうだ。
でもなんかいい具合にまとめた……ような、まとめきれてないような気もする。言ったのが不細工だったらけっこう失礼なような気もする。シュナさんを褒めておいて「お前とは全く違う」だ。
まあ、突っ込めない。
私は微笑んだ。
「だと良いのですけれど」
そりゃ良いところがたくさんあるのは知っている。大司教様に小さい頃から褒められたからね。人の顔と名前をよく覚えているとか、急いでるときほど冷静になれるとか。大司教様は難しい顔で難しい言い方をするけど、よく聞けばちゃんと褒め言葉なのだ。
顔を覚えるのが得意なのは教会で育ったからっていうのもあるだろうけど、もともと素質があったと思うことにしてる。向いてない人は向いてないからね。
「では、今日はこれで」
きっちりほどほどの時間を過ごしたあとで、殿下が終了を宣言した。私も微笑んで頷く。
「はい。貴重な時間をありがとうございました」
「……婚約者となったのだから、気にしないで」
殿下はにこやかに立ち上がって、別れの握手をしながら小さな声で言った。
「とは、言わないけど」
「ええ、よろしくお願いします」
私も小声で、笑顔で返した。
殿下はまだ何か言おうとしていたけど、私がすっと体を離したので何も言えなかったようだ。私はにこにこ、へらへらとお花畑な笑顔で殿下の退出を見送った。
夕食の場の沈黙を切り裂いて、侯爵夫人、いやお母様がぎこちなく聞いてきた。
全員のフォークが止まったような気がする。そのくらいの沈黙だ。私はなんとか微笑みを浮かべて答えた。
「殿下は、感じの良いお方でした」
外面は。
内面はたぶん悪いものがめいっぱい詰まっているに違いない。それか、愛する彼女への恋でもう何もかも見えなくなっているのだろう。
だってあれだ。
私が何をしたって?
そっちの都合に巻き込まれてるっていうのに。それさえ理解しない人と結婚するのか、私は。
「え、ええっ、そうでしょうね。ダーヴァリッド殿下が優秀な方だというのは有名なの。ほんの5歳の頃から利発で、パーティでもにこにこしながら挨拶していたのよ。恐れ多いけれど、殿下を孫のように見ていた方も多いんじゃないかしら」
私は「そうなのですね」と頷いた。5歳からすでに外面が良かったなんて、まったく筋金入りだ。
「ですが、噂では、愛する方がいると……」
「あっ、そ……それは、私がお話するのは……」
「そうですね。すみません」
私が謝るとお母様は唇を震わせ、慌てたように早口で言う。
「ご、ごめんなさい、私達は家族なのだものね。内密の……内密の話ね」
「……ええと」
「殿下が愛した方はシュナさんと言って、男爵家のご令嬢よ。身分は低いけれど可愛らしい方でね、楽しそうにダンスを踊るって人気があったの。……ええもちろん、下位貴族の間で、ですけれど」
「素敵な方だったのですね」
私は気を取り直して無難に応じた。
夕食の席はもうひどい空気で、私にはどうしようもない。お父様は私達を見ながら無言で食事をしているし、お兄様は視線さえ向けてこない。妹に至っては貴族と思えないわかりやすい表情で「はやくこの人いなくならないかな」と思っている。
被害妄想だろうか。
でも私だって、8歳で離れた家族にそんな思い入れがない。赤子じゃなかったんだから家族への愛情くらいあったと思うんだけど、なんか他人事みたいに遠かった。教会に迎え入れられてからが忙しすぎたのかもしれない。
でもそんな子供だった私がそうなのだ。
大人だったお母様は、すっかり割り切って娘の存在を忘れたに違いない。それでいいと思う。まさかこんなことになるなんて誰も想像しない。
(はあ……)
内心のため息を殺して食事をする。
教会の皆が懐かしい。気のおけない、話の弾む食卓を心から求めている。シスターの姉さまたちの笑顔、大司教様の、難しそうな顔と裏腹の優しい瞳。マナーの話は三度に一回だけ。
(でもこの人たちが悪いわけじゃないしね。拒絶されないだけありがたく思うべきなんだろうなあ)
いまさら家族になんて戻れない。それは仕方ないことだ。さみしいけど。
(さみしいなあ……難しい顔してる大司教様を笑わせることもできない)
笑顔なんて知らなそうな硬い顔を、くしゃくしゃにさせる方法を私は知っている。あのコツをみんなに伝授しておくべきだった。今からでも手紙を送っておこうかな……。
でも今の私の現実はこっちなのだ。せめてもう少し落ち着いてからでないと、返事が来たら泣いてしまいそう。
「またお会いできて光栄です」
どうせ現実に夢も希望もないのだ。
私は諦めて殿下と同じに、外面よし女として生きることにした。微笑み。まあ微笑みだけならね、たくさん練習しましたよ。民の前で不機嫌な顔とかできないから。
でもあの頃は楽しかったなあ。そりゃ奉仕活動とかしてて嫌な人にぶつかることもあるんだけど、みんなに話を聞いてもらっただけで、でも良い人もいるしねという気分になれた。
今は悪意の塊な王子様と関わって、誰も愚痴を聞いてくれる人がいない。かなしい。
「シュナさんという方と親しいとお聞きしたのですが、どんな方だったのですか?」
「……」
ダーヴァリッド殿下の微笑みが少しこわばった気がする。ざまぁみろという気分になってしまった。外面をよくすると内面が腐ってくるものなのかしら。
護衛と侍女たちも空気をピリッとさせたけれど、気付かないふりをしておこう。私は貴族社会外で育った気の利かない女です。
「彼女は……君に少し似ているな」
ちょっと驚いた。
思わずしげしげ殿下を見てしまった。殿下はうっすらと翡翠色の瞳を細める。思い出すように遠くを見る、ようにみせて私を馬鹿にしているような目だ。
「シュナは幼い頃は虚弱で、あまり教育されずに育ったらしい。幸い、十を超えた頃には丈夫になったらしいが、いつ何があるかわからないと、好きなことを好きなだけ許されてきたらしい」
「それは、珍しいことですね?」
「ああ。普通なら、教育の足りない貴族など侮蔑の対象になってしまっただろう。だがシュナはその優しさで皆に慕われた」
「優しさで……」
「そう。馬鹿正直に率直に人を思いやる……その貴族らしくない率直な物言いが君と似ていると思ったんだ。でもやっぱり……うん、違うな」
はいはい。その笑っていない目をどうにかしなさいよ。っていうか、周りはこのひとを本当に優しい王太子殿下と思ってるんだろうか。
「もちろん人間だから、全く違う。君には君の良さがあるのだろうね」
自分にはその良さはさっぱりわからないが、と聞こえてきそうだ。
でもなんかいい具合にまとめた……ような、まとめきれてないような気もする。言ったのが不細工だったらけっこう失礼なような気もする。シュナさんを褒めておいて「お前とは全く違う」だ。
まあ、突っ込めない。
私は微笑んだ。
「だと良いのですけれど」
そりゃ良いところがたくさんあるのは知っている。大司教様に小さい頃から褒められたからね。人の顔と名前をよく覚えているとか、急いでるときほど冷静になれるとか。大司教様は難しい顔で難しい言い方をするけど、よく聞けばちゃんと褒め言葉なのだ。
顔を覚えるのが得意なのは教会で育ったからっていうのもあるだろうけど、もともと素質があったと思うことにしてる。向いてない人は向いてないからね。
「では、今日はこれで」
きっちりほどほどの時間を過ごしたあとで、殿下が終了を宣言した。私も微笑んで頷く。
「はい。貴重な時間をありがとうございました」
「……婚約者となったのだから、気にしないで」
殿下はにこやかに立ち上がって、別れの握手をしながら小さな声で言った。
「とは、言わないけど」
「ええ、よろしくお願いします」
私も小声で、笑顔で返した。
殿下はまだ何か言おうとしていたけど、私がすっと体を離したので何も言えなかったようだ。私はにこにこ、へらへらとお花畑な笑顔で殿下の退出を見送った。
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