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いったい何があったのでしょうか。
間違いなくそれはマリーアさんでした。しばらく呆然として眺めていましたが、現実は変わりません。もしかしたら、と思いつくことがありました。
(逃げてきた? 誰かに追われている?)
マリーアさんの状況を思えば、その可能性はあります。
彼女には実質なんの立場もなく、彼女の家もさほど力を持たない子爵家なのです。なにかに襲われて逃げ込む場所が、ここしか思いつかなかったのかもしれません。
必死に窓を開けようとしているマリーアさんは、ひどく追い詰められているように見えました。
「い、今、開けるわ!」
私は慌てて窓を開けました。
そこにいたのはやはりマリーアさんでした。愛らしい姿が、今は泥だらけでワンピースのあちこちが裂けています。蝋燭の小さな明かりでわかるほどにひどいのです。
「いったい何が……ああ早く、入って」
とにかく窓の外にいさせるのは危険です。マリーアさんの細い体のどこにそんな力があったのか、外壁のわずかなおうとつにしがみついているのです。
私はマリーアさんの手を取って部屋の中に引き入れました。私にはそれほど力がありませんが、マリーアさんが強い力で握ってきます。か弱い女性でも、必死になればこれほどの力が出るのでしょうか?
マリーアさんはほとんど片手の力だけで、窓を乗り越えてきました。
そう、片手は、何かを抱きしめています。
(……日記帳?)
自身は言葉もないほどボロボロになりながら、片手にそれをしっかりと抱えています。
私は涙しそうになりました。これほどの愛があるでしょうか。いくら美しい嘘とわかっていても、他の女に執着したような内容です。それを、マリーアさんは完全に信じて愛そのものだと知っているのです。
私は心から感動して、マリーアさんを抱きしめました。この聖母のようなひとを、守ってあげなければなりません。
「しっかりなさって。もう大丈夫よ」
少なくともこうして侯爵家の一室にいれば、狼藉者が入ってくることはないでしょう。私は急いで窓を閉めました。マリーアさんは脱力した様子で、私に抱きしめられるままです。
「恐ろしい目に遭ったのね……」
お可哀そうなことに、マリーアさんはまだ言葉にならないようです。表情は魂が抜けたかのよう、瞳はどこを見ているのかわかりません。
呼吸さえ忘れているように見えて、私はその背中をさすりました。着ているものはずいぶん薄着で、もしかすると寝室着のままなのかもしれません。だとするとベッドにいるときに襲われたということです。
「かわいそうに。……痛いところは? 手当をしましょうね」
大きな傷や酷い出血はなさそうですが、破れたワンピースの下に切り傷、擦り傷が見えます。中庭を走り抜け、木々に傷つけられてきたのでしょう、我が家でしか見ることのない葉がくっついていました。
明日の朝、荒らされた庭にお母様が悲鳴をあげるかもしれません。
そもそもマリーアさんは招かれざる客です。見つからないようにしたほうが良いのでしょうか?
マリーアさんは悪くないというのに。
「ああ、お顔にも傷が」
きっとアルバラート殿下が見たら悲しみます。
ですがマリーアさんはそんなことは気にもならない様子で、ただ日記帳を抱きしめているのです。それは母が子を守るようでもありました。
「マリーアさん、こちらへ」
こんな時間に悪いけれども、ミラを起こして手当てを頼みましょう。日記帳を持っていない片手を取って立ち上がらせると、マリーアさんはふらふらとついてきます。本当に、何があったのか心が壊れてしまったかのようです。
「大丈夫、大丈夫よ」
「……」
「もう怖いことはないわ」
「……い」
「なあに?」
子供にするように問いかけながら、暗い廊下に出ました。片手の燭台でなんとか足元を照らし、片手でマリーアさんの手をしっかりと握ります。冷たい手でした。
声をあげてメイドたちを呼んだほうがいいのでしょう。でも、今は、マリーアさんが落ち着くまで大事にしたくありませんでした。
「な……」
「うん、ここにいれば安全だからね」
「……ない……」
「おうちのことはあとで考えましょう。今はあなたが落ち着かなければ」
暗い廊下、マリーアさんに声をかけながら、ゆっくりと手を引いて進みます。
空が晴れたのか、背後の窓からの月明かりがじわりと強くなりました。目の前に伸びる、自分たちの影を踏んでいきます。
間違いなくそれはマリーアさんでした。しばらく呆然として眺めていましたが、現実は変わりません。もしかしたら、と思いつくことがありました。
(逃げてきた? 誰かに追われている?)
マリーアさんの状況を思えば、その可能性はあります。
彼女には実質なんの立場もなく、彼女の家もさほど力を持たない子爵家なのです。なにかに襲われて逃げ込む場所が、ここしか思いつかなかったのかもしれません。
必死に窓を開けようとしているマリーアさんは、ひどく追い詰められているように見えました。
「い、今、開けるわ!」
私は慌てて窓を開けました。
そこにいたのはやはりマリーアさんでした。愛らしい姿が、今は泥だらけでワンピースのあちこちが裂けています。蝋燭の小さな明かりでわかるほどにひどいのです。
「いったい何が……ああ早く、入って」
とにかく窓の外にいさせるのは危険です。マリーアさんの細い体のどこにそんな力があったのか、外壁のわずかなおうとつにしがみついているのです。
私はマリーアさんの手を取って部屋の中に引き入れました。私にはそれほど力がありませんが、マリーアさんが強い力で握ってきます。か弱い女性でも、必死になればこれほどの力が出るのでしょうか?
マリーアさんはほとんど片手の力だけで、窓を乗り越えてきました。
そう、片手は、何かを抱きしめています。
(……日記帳?)
自身は言葉もないほどボロボロになりながら、片手にそれをしっかりと抱えています。
私は涙しそうになりました。これほどの愛があるでしょうか。いくら美しい嘘とわかっていても、他の女に執着したような内容です。それを、マリーアさんは完全に信じて愛そのものだと知っているのです。
私は心から感動して、マリーアさんを抱きしめました。この聖母のようなひとを、守ってあげなければなりません。
「しっかりなさって。もう大丈夫よ」
少なくともこうして侯爵家の一室にいれば、狼藉者が入ってくることはないでしょう。私は急いで窓を閉めました。マリーアさんは脱力した様子で、私に抱きしめられるままです。
「恐ろしい目に遭ったのね……」
お可哀そうなことに、マリーアさんはまだ言葉にならないようです。表情は魂が抜けたかのよう、瞳はどこを見ているのかわかりません。
呼吸さえ忘れているように見えて、私はその背中をさすりました。着ているものはずいぶん薄着で、もしかすると寝室着のままなのかもしれません。だとするとベッドにいるときに襲われたということです。
「かわいそうに。……痛いところは? 手当をしましょうね」
大きな傷や酷い出血はなさそうですが、破れたワンピースの下に切り傷、擦り傷が見えます。中庭を走り抜け、木々に傷つけられてきたのでしょう、我が家でしか見ることのない葉がくっついていました。
明日の朝、荒らされた庭にお母様が悲鳴をあげるかもしれません。
そもそもマリーアさんは招かれざる客です。見つからないようにしたほうが良いのでしょうか?
マリーアさんは悪くないというのに。
「ああ、お顔にも傷が」
きっとアルバラート殿下が見たら悲しみます。
ですがマリーアさんはそんなことは気にもならない様子で、ただ日記帳を抱きしめているのです。それは母が子を守るようでもありました。
「マリーアさん、こちらへ」
こんな時間に悪いけれども、ミラを起こして手当てを頼みましょう。日記帳を持っていない片手を取って立ち上がらせると、マリーアさんはふらふらとついてきます。本当に、何があったのか心が壊れてしまったかのようです。
「大丈夫、大丈夫よ」
「……」
「もう怖いことはないわ」
「……い」
「なあに?」
子供にするように問いかけながら、暗い廊下に出ました。片手の燭台でなんとか足元を照らし、片手でマリーアさんの手をしっかりと握ります。冷たい手でした。
声をあげてメイドたちを呼んだほうがいいのでしょう。でも、今は、マリーアさんが落ち着くまで大事にしたくありませんでした。
「な……」
「うん、ここにいれば安全だからね」
「……ない……」
「おうちのことはあとで考えましょう。今はあなたが落ち着かなければ」
暗い廊下、マリーアさんに声をかけながら、ゆっくりと手を引いて進みます。
空が晴れたのか、背後の窓からの月明かりがじわりと強くなりました。目の前に伸びる、自分たちの影を踏んでいきます。
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