上 下
4 / 16

「だってあなたは結局、奥様のものなんだもの」

しおりを挟む
「ラーミア」
「……あら」
 まるで悪戯が見つかったかのように、ラーミア様は肩をすくめて微笑んだようです。きっと少女のようにきらきらと瞳を輝かせているでしょう。

「なぜ、そんなことを……」
 クリフト様が暗い顔で言いました。
 私も緊張して彼の言葉を待ち、笑っているのはラーミア様ばかりです。もっとも私の存在は、お二人の知るところではありませんが。

「なぜって?」
 まさかわかっていないわけではないでしょう。ラーミア様は不思議そうに言って、上目遣いにクリフト様を見ました。
 視線も向けずにぽとりと、ラーミア様の手から財布が落ちて、もとの上着の中に戻ります。

 クリフト様は恐れたように一歩を退きました。
 華奢なラーミア様がクリフト様に危害を加えることは難しいでしょう。それなのに、その美しさのせいでしょうか。それとも、ラーミア様が盗みを働くような人である、と知っているせいでしょうか。クリフト様は怯えを隠せていません。

 ラーミア様は大胆に距離を詰めます。決して下品な動きではないのです。ゆったりとした足運びに、ふわりと衣が踊りました。

「金は十分に渡しているはずだろう!」
 美しく可憐な恋人に、クリフト様は声をあげました。使用人が駆けつけるほどではありません。けれど確かに乱れた声でした。

 ついさきほどのことでした。
 ラーミア様は先日と同じようにクリフト様の上着から財布を取り、そして、お金を抜こうとしたところで、クリフト様が戻ってきたのです。

 クリフト様はそうとわかっていて、彼女を咎めるつもりだったのでしょう。
 けれどラーミア様は、まったく困る様子も見せないのです。

「お金……? そうね、きちんと貰っているわ」
「だったらなぜ……!」
 理解できないとクリフト様は大きく首を振りました。あるいはその勢いで、ラーミア様を引き離したいようにも見えました。

「なぜって、それとこれとは別の問題でしょう」
「別……?」
「だって」
「うあっ」

 クリフト様は押されるまま、ソファに押し倒される形になりました。その膝に、すとんと、華奢な人が腰をおろします。
「あなたから貰えるものは、なんだって貰いたいの」
 ぞくりと、私は背筋が震えるのを感じました。
 ラーミア様の、甘い声。きっとクリフト様は、至近距離でラーミア様の微笑みを見ています。クリフト様も震えていました。

(ああ、なんて)
 私は胸を押さえました。
(なんて悪い、いけない、美しい……ひと……)
 耳障りのいい抑揚をつけているのに、感情というものの見えない声で、甘く囁くのです。この方は何を考えているのでしょう? わかりません。わからないから、いっそう魅力的なのです。

「あ……与えてなど、いない、君が、勝手に奪ったんだ! それは……罪だ」
「そうなの?」
 不思議そうな声でした。いいえ、わかっていないはずがないのです。ラーミア様は何も知らない貴族のご令嬢ではないのですから。

「そうだ、君は、行動をあらためなければ……」
「あなたがくれたんじゃ、なかったの?」
「……」
 悲しげなような、すねたような声に、クリフト様が何も言えなくなったようでした。

「嬉しかったのに。違ったの?」
「ちが……」
「そう。違ったのね……」
「……!」

 離れていこうとしたラーミア様の背を、クリフト様の腕が引き止めました。何も考えていない、衝動のような動きでした。
 ラーミア様は切なそうに息を吐き、少し困ったように身を捩りながら、結局、クリフト様に体を擦り寄せました。

「ねえ、あなたから貰えるものは、なんだって貰いたいの」
 同じ言葉を、今度はクリフト様の耳元で言います。囁くように。けれど天井裏の私にも聞こえるくらいに、はっきりとした言葉でした。

「だってあなたは結局、奥様のものなんだもの」

 は、と息を呑む音が聞こえました。
 クリフト様と、そして私の喉からです。お二人を見ていた私はすっかり私自身を忘れていましたので、急に舞台に引っ張り上げられたような、ひどく気まずい気持ちになったのです。

「そ……な……」
「そうでしょう? 神前で誓いをたてたんでしょう?」
「彼女とは、ただの……家同士の利益の結婚だ」

 そうです。私は思わず頷きました。
 私とクリフト様の間に、愛などというものはまったくありません。お二人の間で話題になることすら、ひどい間違いであるように思います。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『白い結婚』が好条件だったから即断即決するしかないよね!

三谷朱花
恋愛
私、エヴァはずっともう親がいないものだと思っていた。亡くなった母方の祖父母に育てられていたからだ。だけど、年頃になった私を迎えに来たのは、ピョルリング伯爵だった。どうやら私はピョルリング伯爵の庶子らしい。そしてどうやら、政治の道具になるために、王都に連れていかれるらしい。そして、連れていかれた先には、年若いタッペル公爵がいた。どうやら、タッペル公爵は結婚したい理由があるらしい。タッペル公爵の出した条件に、私はすぐに飛びついた。だって、とてもいい条件だったから!

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、マリアは片田舎で遠いため、会ったことはなかった。でもある時、マリアは、妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは、結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

【完結】お飾り妃〜寵愛は聖女様のモノ〜

恋愛
今日、私はお飾りの妃となります。 ※実際の慣習等とは異なる場合があり、あくまでこの世界観での要素もございますので御了承ください。

婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?

すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。 人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。 これでは領民が冬を越せない!! 善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。 『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』 と……。 そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。

もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」 婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。 もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。 ……え? いまさら何ですか? 殿下。 そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね? もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。 だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。 これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。 ※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。    他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。

この誓いを違えぬと

豆狸
恋愛
「先ほどの誓いを取り消します。女神様に嘘はつけませんもの。私は愛せません。女神様に誓って、この命ある限りジェイク様を愛することはありません」 ──私は、絶対にこの誓いを違えることはありません。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。 ※7/18大公の過去を追加しました。長くて暗くて救いがありませんが、よろしければお読みください。 なろう様でも公開中です。

姉の所為で全てを失いそうです。だから、その前に全て終わらせようと思います。もちろん断罪ショーで。

しげむろ ゆうき
恋愛
 姉の策略により、なんでも私の所為にされてしまう。そしてみんなからどんどんと信用を失っていくが、唯一、私が得意としてるもので信じてくれなかった人達と姉を断罪する話。 全12話

処理中です...