メイドとして務めてはや5年、ご主人様が連続殺人鬼な気がしてならないのですが

どん

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 街の噴水広場で速報新聞を配っている男がいた。私は、すぐ横の屋台に興味があったのだ。りんご飴を売っていた。特別にりんご飴が好きなわけではないけれど、たまに食べたくなる。
 しかし、男に新聞を押し付けられた。胸元に差し出されたので、受け取らないわけにはいかなかった。
「ありがとう」
 反射的にお礼を言うと、「お姉さんも、気をつけな」とウインクされた。八重歯が片方抜けていることが気になって、顔は覚えられなかった。
 新聞の見出しには、
『またもや! 連続不審死事件』
 と大きな文字。ここ最近街を賑わせている事件だ。もう何人犠牲者が出たのだろう。思い出そうとして記事に目を通すと、通算十五人目だと書いてあった。これは、正直嘘ではないかと思っている。この街はそれほど大きくない。それほど死人が出ていたら、知り合いの知り合いには一人くらい犠牲者がいそうなものだ。最近の新聞は人の注意を惹こうと、やたらめったら大袈裟に書きたがる。だから新聞は取っていない。私の仕える主人、ニコラ・モンフォール様も同じ意見だと賛同してくれた。
 歩きながら、適当に読み進めていく。前回の事件は十月八日。今回は十月二十日。なんだか気になる日付だな、と思案していると、そうか、二日ともニコラ様がおでかけなされた日だ、と思い至った。ニコラ様は薬学者で、普段は家から一歩も出ない。屋敷で働く者は私だけで、大きな屋敷に二人きりの生活をしている。
 彼はかなり日光が嫌いなようで、屋敷は一日中カーテンを閉めている。特に彼の部屋は厳重で、窓自体に黒いペンキを塗ってしまっている。部屋の植物に障るからだ、と説明されていたが、正直病的だと思う。
 新聞に記載されている、事件の起きた時刻を確認する。過去の事件は全て夜中に起きており、どれも一人きりの女性をターゲットにしている。
 ターゲットにされた女性は、一週間ほどでどんどん衰弱していき、死んでしまう。そして、なぜか死体が消えてしまうのだ。ほとんどが、死亡した翌日の夜に消えていて、親族が見張っていた場合にも、気づかれることなく姿を消している。
 この不気味な不審死事件に関する考察は数多あったが、どれも信頼性に欠けており、街中の人々の関心を集めている。
 ニコラ様がおでかけしていた日、それは女性たちが衰弱し始めた日と一致する。もしニコラ様が関係しているのならば……という考えを振り払った。
 私のよくない癖だ。少ない証拠をこじつけるように繋げてしまう。「君の癖はユニークだけど、ほどほどにね」とニコラ様に言われたではないか。それに、ニコラ様はそんなことをする人ではない。私を雇ってくれているのも、ニコラ様の温情なのだ。五年前、両親を失った13歳の頃に拾ってもらってから、今までずっと不自由ない暮らしをさせてもらった。ニコラ様を疑うなど、やってはいけないことだ。それに、私は五年もそばにいて、叩かれたことすら一度もない。私が無傷であるということが、彼の無実を証明する一番の証拠だ。
 新聞を、道沿いに座っていた少年にあげた。きっと、彼のお尻拭きにでもしてくれるだろう。
 そのまま街の教会へ向かう。週に一度、教会に寄付をする。ニコラ様のおつかいだ。稼いだお金の使い道がないらしく、誰かの役に立つのなら、と寄付をしているそうだ。毎回の額は多くはない。私に持ち歩かせるのだから、当たり前だ。しかし、何年も続けていれば、大きな額になる。そろそろ家を一軒買えるのではないだろうか。ちまちま計算していることは、ニコラ様には秘密。
 教会の扉を叩く。金髪の青年が顔を出した。
「やあ、アナベル」
「久しぶり、今日もおつかいで」
「そうだろうと思った」
 幼馴染のロイは、教会で神父見習いをしている。代々教会を継ぐ家系なので、選択肢がないと嘆いていた日もあった。しかし、彼が当時片思いしていたフランという女の子に、神父ってかっこいいと言われたことでやる気が出たらしい。本当に単純でバカだなあと思っている。しかし、今やそのフランと付き合っているのだから、よくやる男だと感心もしている。
 教会の聖堂で、ニコラ様から受け取った現金を手渡す。ロイは仰々しくそれを受け取り、十字架の前に立った。しばらくお祈りをして、二人で椅子に腰掛けた。
「今週はどうだった?」
 ロイが心配そうに聞いてくる。家族を失った日から、彼はずっと私を心配している。
「普段通りいい日々を送っているわ」
「そうか、それならいいんだ」
 ロイは満足そうに頷いた。そして、何かを思い出したように声を上げた。
「そうだ、アナベルは、例の不審死事件、知ってるよな?」
「ええ、有名なやつでしょう?」
「そう、あれさ、教会でも調査が始まってて。何か気づいたこととか、気になることがあったら教えて欲しいんだ」
「そんなに大袈裟になってるの?」
「不審な点が多すぎてさ。悪魔とか、そこら辺の仕業じゃないかって説が有力視されているんだ」
「そうなのね……。わかった、気づいたことがあったら言いにくる」
「頼んだよ」
 立ち上がり、聖堂の出口へ向かう。ロイが扉を開けてくれ、私は外に出る。
「じゃあまた来週」
「あ、ちょっと待って」
 ロイが慌ててポケットに手を突っ込んだ。そして、メッセージカードのようなものを取り出して、渡してきた。ポケットに入っていたせいで少し皺になったそれは、招待状、と書いてあった。
「なあにこれ?」
「実はさ、結婚することになったんだ」
 照れたように笑うロイ。私は、あまりにも驚いて、しばらくロイの顔を見つめていた。
「どうした? 寂しくなったかい?」
「まさか。気持ち悪いこと言わないでよ。でも、え、フランと? よね?」
「フラン以外に誰がいるんだよ」
「え、いつ⁉︎」
「来月。結婚式あげるから、来てくれ」
「もちろん! もちろん行く! すごいよロイ、おめでとう!」
 散々おめでとうを言いまくって、興奮も冷めぬままロイと別れた。そっか、ついに結婚するのか、と嬉しい気持ちが湧き上がってくる。ニコラ様にも報告しなきゃ。彼は、私の話を聞くのが好きみたいなのだ。家から出ないから、外の世界の話が新鮮なのかもしれない。
 私は鼻歌を歌いながら、街から少し離れた大きな屋敷へと向かった。

 ***

 森の入り口に立つ大きな洋館は、周りを木に囲まれているからか、常に薄暗い。古い建物なので、玄関の扉を開けるたびに、蝶番ちょうつがいの錆びた音が鳴り響く。毎回、ニコラ様はその音を聞きつけて私を出迎えてくれる。ただのメイドにそんなことをする必要はないのだが、彼は出迎えるのが楽しいのだと言った。
「おかえり、アナベル」
「ただいま帰りました」
 ニコラ様が、自然な流れで私の荷物を持ってくれる。そのままキッチンへと向かう間に、外での話をする。この安らかな時間が最近の習慣となっていた。ロイが結婚するという話をしている間にキッチンにつき、カバンの中から買った食材をテーブルに広げる。ニコラ様は食事をあまり摂らないので、ほとんど私のための買い物になっている気がする。好きなだけ食べていいからね、とニコラ様に甘やかされているせいで、子供時代からは考えられないくらい肉がついた気がする。特に胸。
 ニコラ様をこっそり見る。彼は、私の胸がいかに存在感を増していても、気づいていないようだ。彼から、私に対する劣情のようなものを感じたことがないし、彼の視線が胸に行っていたことも一度もない。なんだろう。この胸はなんのためにあるのか。役に立たないなら邪魔なだけなのだが。
「アナベル、何を考えているの?」
 気づけばニコラ様に顔を覗き込まれていた。冬の山岳のような美しい顔に、心臓が跳ねる。
「い、いえ、特に何も。どうかしましたか?」
 ニコラ様はしばらく何も言わなかったので、二人で見つめ合う不思議な時間が流れてしまった。冷や汗をかきそうだ。こちらから何か言ったほうがいいのだろうか。いや。もしかしたらニコラ様には透視能力があって、私の考えていたバカなことが伝わっているのだろうか。そうだとしたら非常に恥ずかしいのだが。
「アナベルは、欲しいもの、ある?」
「ほ、欲しいものですか? 特にありませんが」
「遠慮しているのではないか? 君はいつも欲を言わない」
「いえ、本当に。ここでの生活で贅沢させてもらっているので」
「たまには特別なものをプレゼントしたくなるんだ。そうだ、アクセサリーとか、流行りのものでもいいし」
「どうしてそんなに良くしてくれるのですか? 私はただのメイドですよ」
「アナベルには、なぜか尽くしたくなるんだ。不思議だよ」
「そ、そうですか」
 え、それって私のこと……? いやいや、期待はやめておこう。彼はきっと純粋に慕ってくれているだけなのだ。十三歳の頃から世話になっているから、妹とか娘みたいな感じで……。
「最近は、独占欲もあるかもしれないけど」
「え? なんとおっしゃいましたか?」
「いや、なんでもない。部屋に戻るよ」
 背を向けたニコラ様を呼び止める。なんとなく、軽い世間話のつもりで。
「いつも、夜はどこにお出かけされているのですか?」
 彼の動きが止まった。こちらを振り返ることなく、
「起こしてた? ごめん」
 とだけ返ってきた。
「答えては……くれないのですか」
「……散歩だよ、ただの」
 ニコラ様はそう言ってキッチンから出て行った。なんだか、少し怪しい。黒い気持ちが胸の中で渦を巻いて、心臓を締め付けていく。これを不安というのか、女の勘というのかは分からないが、彼は何か隠している。それだけは確信できた。

 ***

 一週間が過ぎ、あれから毎晩、彼が出かけないか観察していたが、一度も屋敷を出た形跡はなかった。
 今日は、教会に寄付をしに行く日だったので、ニコラ様の部屋に伺った。しかし、扉の取手に巾着がかけられており、その中に現金が入っていた。これを持って行けということだろう。
 避けられている。
 これほど分かりやすく怪しいことをしないでほしい。別に私も、本気で疑っていたわけじゃない。むしろ、絶対違うと信じていたのに。
 ロイに伝えるか迷っていた。気になることはなんでも話してくれと頼まれていた。でも、もしそれでニコラ様がいなくなったりしたらどうしよう。もちろん、被害者がいるのは分かっている。それでも、優しいニコラ様が人を殺したりするだろうか、と思ってしまう。
 気持ちの整理がつかないまま出かけようと準備をしていた。しかし、屋敷の扉を叩く音がして、玄関に向かった。
「どちら様でしょうか?」
 中から声をかけると、
「ロイだ」
 と声がした。
「ロイ? どうしたの?」
 急いで扉を開けると、そこには痩けてボロボロのロイが立っていた。唇に血色がなく、瞳は充血している。先週とはあまりにもかけ離れた姿に驚いてしまう。
「どうしたの⁉︎」
「アナベル……俺はどうしたらいいんだ」
 ロイが膝をついて、泣き出した。こんなに弱っているロイを見るのは初めてで、どうしたものかと困り果ててしまう。とりあえずロイの肩に手を置き、優しく撫でた。
「どうしたの? 振られた?」
「……死んだ」
「え?」
「フランが死んだんだ」
「っ……」
 絶句、とはこういう時のための言葉なのだと、初めて知った。
「どうかしましたか?」
 後ろから声がして、肩が跳ねる。今ニコラ様に来られるのは、少しまずい。しかし、ロイはそんなことを知っているはずもなく、さらに大声で泣き出した。
 ニコラ様は驚いた様子だったが、「中へどうぞ」と客間にロイを案内した。
 私がお茶を出そうと席を立つと、「私が入れるので、アナベルは彼についてあげて」とニコラ様がお茶を入れてくれた。
 一向に泣き止まないロイは、泣き過ぎてまともに話もできないみたいだった。ほとんど過呼吸のような状態でお茶を飲み、しばらくして少し落ち着いた。
「何があったのですか?」
 ニコラ様が聞く。
「フランが……うっ」
 話そうとするとまた涙が出てきたのか、ロイが言葉に詰まる。続きを私が受け持つ。
「フランが亡くなったようです。私もまだそれしか聞いていないのですが」
「それは……何と言ったらいいか。辛いですね」
 ニコラ様は悲痛な面持ちでそれ以上何も言わず、ロイが話し始めるのを待っていた。
「フランが、先週の、そう、アナベルが来た日の翌朝から様子がおかしくて。なんだか元気がないというか、顔に血色がないというか。それで、大丈夫?って聞いたら、ちょっと貧血っぽい、寝てたら治るよって言ってたんだ」
 泣きながら、途切れ途切れに話すロイは、見ているだけで辛いものがあった。
「でも、どんどんひどくなって、医者にも診せたし、悪魔祓いもしたけど、どんどん顔が青白くなっていくんだ。最後には自分で起き上がることもできなくて、水も飲めなくて」
 その時の様子を思い出したのか、ロイの表情は険しさを増した。
「とうとう、息をしてないって、フランはもう返ってこないって分かって。俺は、フランから離れられなくて、信じたくなかっただけかもしれないけど、ずっと手を握ってた。そのまま俺、寝ちゃったんだ。寝なければよかった。俺が目覚めた時には、フランはいなくなってた」
 きっとひどく後悔しているのだろう。ロイは自身の手を強く握りしめていた。私はチラっとニコラ様を伺う。彼は、とても辛そうな顔をしている。こんなに親身になって聞いている彼が、犯人なわけない。でも、少し疑っているだけで、全て怪しく見えてしまう。ロイは徐々に落ち着いて話せるようになった。
「ニコラ様、俺は、フランが攫さらわれたと思っているんです」
「攫われた、ですか?」
「ええ、俺は、フランの首筋に噛み跡のような出血痕しゅっけつこんを発見していました。教会の方でも、それを元に捜査を進めています。今までの被害者はほとんどが未婚の、肌の露出がない女性ばかりだったので分かりませんが、もしかしたら全員、同じ傷跡があったのではないかと。犯人の歯形と一致すれば、捕まえることができます」
「なるほど、大きな手掛かりですね」
「ニコラ様、一緒に捜査をしていただけませんか?」
「私がですか? しかしそのような分野は専門外で……」
「今はどんな知識でも必要なんです。異なった視点から見えてくるものもあると思うので」
「……わかりました。お役に立てるかはわかりませんが、協力させてください」
「ありがとうございます! 捜査は教会の方で進めていて、今すぐにでも来て欲しいくらいですが」
「いろいろ準備もありますので、夜に伺います。過去の文献も少し漁ってみます」
「わかりました。お待ちしております」
 受け答えをするニコラ様の目は、なんだか暗かった。心ここに在らずというか、別のことを考えているみたい。ロイが心配だったが、今までの被害者は全員女性みたいだから、大丈夫だろう。それに、彼が家を空けるというのは、チャンスでもある。彼の部屋を調べてみることができるかもしれない。

 ***

 寝たふりをしていて正解だった。ニコラ様が、私の部屋に入ってきたのは分かったが、あまりにも足音が立たないので少し怖いほどだった。私の寝顔を確認して、そっと出ていった。しかし、もしかしたらまだいるかもしれない、と警戒していたので、それから三十分ほどそのまま寝たふりをした。
 恐る恐る目を開けると、ほとんど真っ暗な部屋の中に、カーテンの隙間から差し込む月明かりがあるだけで、ニコラ様の姿は見当たらなかった。天蓋ベッドから起き上がり、部屋の扉の前に立つ。2メートルほどもある高い扉。ゴージャスなこの部屋は、メイドの私にはもったいないとずっと思っている。しかし、貸せるのがこの部屋しかないとニコラ様は言っていた。おそらく嘘だろう。だって、掃除のために屋敷中を歩き回った際、埃をかぶった空き部屋は山ほどあった。空き部屋の中で1番豪勢な部屋を割り振られている。彼は私に甘い。だから、何も証拠が出なければいいと思っている。彼の部屋に入るのだって、疑っているからじゃない。疑いを晴らしたいからだ。深く深呼吸をして、扉を押す。
「あれ?」
 扉はぴくりとも動かない。何度も押したり引いたりしたが、どうやら鍵がかかっているみたいだ。
 やられた。私は部屋に閉じ込められたようだ。どうしてこんなことをするのだろう。ますます怪しいではないか。部屋から出るのを諦めて、部屋を見渡した。他に出られそうなところは一つだけ。
 窓だ。
 刺繍の施されたワインレッドのカーテンに触れる。ここは二階だから、布を垂らせば降りれるだろう。カーテンを引っ張る。体重をかけて下に引っ張ると、やっとカーテンレールから外れてくれた。カーテンが床に落ちると、月明かりに部屋を照らされ、明るくなった。
 ベッドの足にカーテンを縛りつける。引っ張っても取れないことを確認して、窓を開けた。カーテンを垂らそうと下を見た時、見覚えのある女性がいた。
「フラン…」
 小さく呟いただけだったが、彼女に声が届いたらしい。こちらを見上げたその顔は、間違いなく、ロイの婚約者のフランだった。信じられない気持ちだった。死んだはずではなかったのか。しかし、私をじっと見つめる彼女は、少し様子がおかしい。記憶の中のフランは、目が合うといつでもニコッと微笑んでくれる可愛らしい女性だった。しかし今は、ただ無表情で私をじっと見つめているどころか、私を見つめたままゆっくり歩いて近づいてくるのだ。なんだか不気味で、悪魔か何かがフランの姿を借りていると言われた方が納得できる。
「ニコラは?」
 フランが唐突に話しかけてきた。声には抑揚がなく、一瞬何を言っているのか分からなかった。
「えっ? あ、ニコラ様は出かけています」
 正直に伝えてしまったことを、即座に後悔した。
 フランはニヤリと笑い、私のいる二階まで飛び上がって、窓の縁に着地した。
「ニコラの邪魔が入らないなんて最高だ」
 近くで見るフランは、以前とは全く異なった風貌だ。痩せて少し骨ばった腕、凶器になりそうな長い爪。服もボロボロで、今にも乳房がはみ出そうな状態なのに、なぜか目を離せない魅力がある。目を合わせたらぼーっとしてしまいそうな不思議な感覚。これは少し、ニコラ様の目を見た時と似ているかもしれない。
 フランはその大きな爪で、私の首筋をなぞった。
「痛っ」
 身を引いて首を触ると、ほのかに出血していた。フランは、瞳孔どうこうの開いた目でじっと私を見つめていた。私が一歩下がった瞬間、フランが飛びかかってきた。逃げようにも、部屋の扉は閉まっている。私は手近にあったコップを投げつけた。フランはサッと避け、私の肩を強く押した。背中から棚にぶつかり、その棚が倒れてきた。私は棚にぶつかった痛みで立つことができず、頭を守るように丸まって、床を転がる。ギリギリのところで避けることができたが、フランが倒れ込む私にゆっくりと近づいてきた。私は床を這うようにフランから逃げようとしたが、それも無駄だった。フランは容易く私の髪を掴み、私の頭を引き寄せた。首筋を舐められ、鳥肌が立つ。鋭い歯が徐々に食い込んでくる痛みを感じた。私は咄嗟に、手に触れた固いものをフランの背中に突き刺した。
 フランは悲鳴をあげて、私から離れた。
「お前、何をした」
 低い声で凄まれ、息が止まるほど震え上がった。自分の握っているものを見ると、銀色に光る十字架だった。数少ない親の形見だったが、ずっと棚にしまっていたもの。本来はネックレスとして身につけておくものなのに、どうしてこんなところにしまっておいたんだっけ。
 フランは未だ呻き声をあげ、痛みが治らないようだ。私は十字架をフランに向ける。フランは明らかに動揺した。私は立ち上がり、フランに近づいた。体は痛んだが、なぜか動ける。フランは後退あとずさり、窓まで追い詰められた。
 フランは私を睨みつけていたが、十字架にはなぜか近づけないようだった。悔しそうに窓から飛び降り、走り去っていった。
 フランの姿が見えなくなるのを確認し、窓の鍵を閉めた。膝から崩れ落ち、十字架のネックレスを首にかけた。そこでふと、思い出した。
 ニコラ様が嫌がったのだ。私が十字架のネックレスをつけていることを。
 この家に住み始めてすぐだった。「僕は信仰心が無いから、見たくないんだ」と言っていた。幼い私は彼に嫌われたくなかったので、棚の奥に片付けたのだろう。
 床に散乱したものは、殆どがその存在を忘れていたものばかりだった。親から貰ったものばかりで、ちゃんと片付けないとと思った。
 棚は、幸いそこまで重たいものでは無いので、一人で立ち上げることができた。散乱したものを一つ一つ拾って、引き出しに入れていく。それぞれに思い出があり、少しばかり休まる気持ちと、寂しい気持ちが溢れてきた。
 ある本を手に取った時、私はその内容を全く思い出せなかった。タイトルも掠れてよく読めない。目次を開くと、『怪奇図鑑』と書いてあった。子供が好きな都市伝説をまとめた本のようだ。パラパラとページを巡っていると、気になる記載を見つけた。
「ヴァンパイア……」
 長いマントを羽織った青白い顔の男。描かれたイラストは、なぜかニコラ様と重なるように見えた。

 ヴァンパイアの特徴:
 鋭い牙と爪、美しい美貌、青白い顔。人間の生き血を吸い、噛まれたものもヴァンパイアになる。弱点は、日光、ニンニク、聖水、十字架、銀製のもの。殺害方法は、銀製の刃物で頭を切り落とす、もしくは心臓を杭で打つなど。

 ***

 朝になり、ベッドで横になっていると、部屋の扉が開いた。ニコラ様が帰ってきたのだ。物音で目が覚めたふりをした。服の下には、十字架を隠している。
「おはよう、よく眠れた?」
「はい。ロイは、どうでしたか? 何か手掛かりが掴めましたか?」
 ニコラ様は首を振り、ベッドの端に腰掛けた。
「肝心のご遺体が消失しているからね。殆どが考察の域を出ない。確証はつかめなかった」
「そうですか……。お腹は空いていませんか? すぐに朝食を用意しますが」
「ああ、頼むよ」
「着替えるので、先にキッチンに向かっていて頂けますか」
「分かった」
 ニコラ様が部屋を出ていった。どうやら、昨晩何かあったとは思わなかったようだ。あの後一所懸命部屋を元通りにしたのだ。それに、試したいことがあった。
 キッチンに向かうと、ニコラ様はテーブルで静かに座っていた。
「かなりお疲れのご様子ですね」
「久しぶりの外出だったからね。アナベルの顔を見たら少し回復したけど」
 曖昧に笑って、スープを温める。ニコラ様は基本的に、固形物をあまり食べない。それも、なんだか彼が人間ではないからな気がして、泣きたくなってしまった。
 お皿に盛り付け、ニコラ様の前に置く。
「アナベル、こんな食器持ってたっけ?」
「はい、以前いただいたものです。ずっと使うのを忘れていました」
「そうか……」
 ニコラ様は食器に手を触れず、しばらくじっとしていた。
 ああ、やっぱりそうなのかもしれない。
 ニコラ様にお出しした皿とスプーンは、どちらも銀製のもの。昨夜の散乱した物の中から見つけて、先ほどこっそり持ってきたのだ。
「食べないんですか?」
「やはり寝ることにするよ。すまない、用意してもらったのに」
 ニコラ様が席を立つ。
「どうしてですか?」
 私の声は震えていた。ニコラ様が私の顔を見て、何かを察したみたいだった。ゆっくり近づいてきて、触れられるほど近くに立った。
「正直に答えて。私を疑っているね?」
 ニコラ様の目は赤い。その美しい網膜から目が離せない。頭がぼんやりとして、ニコラ様の顔以外がぼやけていく。
「はい」
 自分の声が、まるで他人の言葉のように遠くから聞こえる。不思議な感覚だった。
「何を疑っているの?」
「ニコラ様が、最近の不審死事件の犯人なのではないかと」
「それだけ?」
「ニコラ様が、ヴァンパイアかもしれないとも」
「それで、確かめるために銀の食器を?」
「はい」
 ニコラ様に見つめられると、どうしてこんなに幸せなのだろう。他のことは何も考えられない。
「残念だ」
 ニコラ様が顔を近づけてくる。首筋に彼の髪が触れ、少しくすぐったい。彼から漂う魅惑の香りが、お腹の奥に響いた。
 彼が首を舐め、唇を這わす。それだけでゾクゾクして、背中が震える。
「ごめんね、アナベル」
 ニコラ様に全身を包まれた、その瞬間。
 バチっと電気が弾けて、ニコラ様が後ろに飛ばされた。
 ニコラ様は右手を強く押さえている。私は、徐々に視界が広がって、正気を戻した。
「アナベル、何をした?」
「えっ……」
 胸元を見ると、服が少し破けていた。そこから、銀の十字架が見えている。ニコラ様は痛みに苦しんで、動けない様子だ。
 私は、キッチンから走り去った。ニコラ様から逃げるために。屋敷を出て、森を抜ける間に、どんどん涙が溢れて止まらなかった。

 ***

 屋敷に戻ったのは、夜のことだった。三日月が眩しく、森の木々も騒がしい。私は、右手に銀製のナイフを持っていた。これはロイに渡されたものだ。
 あのあと、教会に逃げ込んだ私は、ロイに全てを話した。フランが生きていることも、彼女がヴァンパイアになってしまっていることも。ロイは、「それはもう僕の知っているフランじゃない」とだけ言って、それから彼女の話題に触れようとはしなかった。そして、教会の聖職者たちと共に、ニコラ様を倒す計画が始動した。
 私の後ろにはロイを含めた数人の男性がついている。全員銀製の武器や十字架を持って挑んでいる。私は屋敷の扉を叩いた。押してみると、鍵がかかっていない。そのまま中に入る。屋敷の広間はいつにも増して暗かった。
「ニコラ様、いらっしゃいますか」
 呼びかけると、扉が閉まった。ロイが慌てて扉を揺らしたが、開かないようだった。
「クソ、閉じ込められた」
「勝手に入っておいて、随分と態度が悪いようですね」
 ニコラ様の声が響いた。部屋は真っ暗で何も見えない。声も反響して、どこから聞こえているのか判断できない。私は十字架を握りしめた。
「怯えているの?」
 耳に吐息がかかった。驚いて十字架を突き出すと、笑い声が聞こえる。
「アナベルに近寄るな!」
 ロイが叫ぶ。
「アナベルだけ前に進め」
 また声がする。
「無視だアナベル」
「このまま全員を殺す事もできる。全く見えていないんだろう?」
 ロイが舌打ちをする。私は、剣を構えながらゆっくり前に向かって歩いた。
「そこでいいよ」
 声のした場所で止まる。ここは広間のどのあたりだろう。すると正面、すぐ近くにニコラ様の気配を感じた。私は、ニコラ様の顔があるだろう場所に目を凝らした。
「教えて、フランを殺したの?」
「殺したわけではない。血を吸った」
「他の女性たちもあなたが?」
「そうだ」
 ニコラ様は簡単に肯定した。もう隠すつもりがないその態度は、開き直っているようにも、何かを諦めているようにも感じ取れる。
「どうして?」
「 なぜ食事をするのか、に理由など必要? お腹が空くから食べる、それだけでは?」
 てめぇ、と後ろからロイの声が聞こえた。
「殺していないなら、フランはどこにいったの?」
「わからない。彼女も今頃誰かの血を吸っているだろうね」
 あまり興味がない、というような抑揚のない返事だった。そんなニコラ様は今までに見たことがなくて、私の知っているニコラ様はもう存在しないのかもしれないと思った。
「どうして、私の血は吸わなかったのですか? 一番簡単だったはずです」
「それは……君の血色の良い頬が、愛おしかったからだ」
 その時、カーテンの隙間から月明かりが差し込んだ。私は息を呑む。目の前には、床に座り込んで項垂れているニコラ様の姿があった。真っ白な肌が照らされ、淡く発光している。やはり人間的ではない美しさに、こんな時でさえ見惚れてしまう。
「私を殺すのか?」
「……はい」
「それが君の望みなら、受け入れる」
 そこで初めて目があった。ニコラ様は、とても悲しそうな瞳をしていた。
「ならば決まりだ」
 ロイが後ろから、剣を構えて近づいてきた。
「近寄るな」
 ニコラ様が、ロイを睨む。ロイは足を止め、ニコラ様を睨んだ。
「君に手を下してほしい。君になら殺されても構わない」
 ニコラ様は立ち上がり、私に懇願した。私が迷っている間に、ニコラ様は私に近寄り、手を握った。初めて握られる手が、こんな形なのが辛かった。私が持っていた短剣の先端を、ニコラ様は自身の心臓の位置にあてがった。
「これで、すぐにでも私の命を奪えるよ」
「……」
「最後に一言だけ、聞いてくれる?」
 私が頷くと、ニコラ様は、ありがとう、と微笑んだ。
「ずっと伝えられなかったけど、君のことを愛していた。今も愛している。君に出会えたことが、僕の生きた意味だった」
「……っ、私もです」
 涙が溢れて止まらなかった。最後まで、結局私はこの人が好きで好きでたまらない。今も、本当は彼を殺したくなどなかった。
「ありがとう、アナベル」
 ニコラ様の手にグッと力が入った。私は息を呑む。彼の目に迷いはなかった。
「ぐはっ……」
 ニコラ様の顔が歪んだ。私は驚いてニコラ様の胸元を見た。私が持っている剣は刺さっておらず、しかしこちら側に、剣の先が突き出している。
 ニコラ様の背中から、ロイが剣を貫通させたのだ。
「ロイ、どうして……?」
「僕からフランを奪っておいて、こいつだけ死に方を選べるなど不公平だろ」
 ロイの顔は、影に隠れて見えない。ロイが剣を引き抜く。痛みに顔を顰めたニコラ様が、口から血を吐いた。そのまま床に倒れ込む。
「帰ろう」
 ロイが手を差し伸べてきた。私は、血に濡れたロイの手を掴むことができなかった。ロイは、腕を下ろして一人で歩いていく。屋敷の扉も簡単に開いたようで、聖職者たちはゾロゾロ帰っていく。
「アナベル。ずっとそばについておくつもりか?」
「……」
 ロイは諦めたように首を振り、屋敷を出ていった。
 私はニコラ様の横に座り、ただ涙を流した。動くことのない彼の頬を撫で、体に抱きついた。元から体温など無かったのではないかと思うほど冷たい彼の体。彼を離したくなかった。

 ***

 教会の朝は早い。シスター長のノックと共に部屋から出て、朝食の準備をする。その後洗濯に使う水を汲みに、私は一人で川に向かった。森を進んでいると、遠くの方に懐かしい屋敷が見える。
 あれから三年。
 彼がいなくなってから、三年が経った。
 屋敷は閉鎖され、誰も住んでいない。私はあの後、ロイを訪れ、シスターとして一生を過ごしたいと心願した。もう、一人で何のために生きていけば良いかわからなかったのだ。ここでの生活は気に入っている。シスターたちはとても優しいし、毎日決められた作業をしているだけで何も考えなくていい。ただ、私はロイに隠していることがあった。
 川に辿り着き、持っていた桶に水を入れる。水がいっぱいになった桶は、まあまあ重い。持ち上げて、戻ろうとした矢先、草むらから物音がした。
 そちらに目を向けると、何やら黒い髪が見えた。人のようだ。
「どうかなさいましたか?」
 声をかけると、その人物は動きを止めた。その時、朝日が木々の間から差し込み、彼を照らした。
「うっ……」
 彼は体から煙を発した。まるで日光に焼かれているようだ。私は慌てて近寄り、彼に水をかけた。そしてやっと顔を確認して、息が止まった。
「ニコラ様⁉︎」
 火傷で少し肌が爛れているが、間違いなくニコラ様だった。ニコラ様は足が動かせないようだった。ヴァンパイア用の罠に嵌ったのだ。
 ロイが開発したその罠は、ヴァンパイアが空を飛び木に留まるという特性を活かしたものだ。木に設置して、ヴァンパイアの足を挟んで地面に落とすものだった。彼らの動きを封じていれば、昼に日光を浴びて勝手に消失する。人員もいらない、効率のいいヴァンパイア駆除方法。ロイは、定期的に設置した罠を見回っている。表向きは罠の整備だろうけど、本当はフランを探しているのではないかと思っている。
 私はその罠の解除方法を知っていた。ロイは誰にも教えたがらなかったが、こっそり跡をつけて、地面に落ちている罠をもう一度設置し直すところを見ていたのだ。
 私は、ニコラ様の足を解放する。ニコラ様は、不思議そうに私を見たが、それも一瞬のことで、すぐに走り去ってしまう。
「待って……!」
 私は慌てて追いかける。しかし、シスターの服は走りにくく、すぐに姿を見失ってしまった。
 それでも、私は嬉しかった。ニコラ様が生きていた。やはりそうではないかと思っていた。
 あの夜、彼が死んだと思った夜、私は彼に抱きついたまま眠ってしまった。朝になり、目を覚ますと、彼の遺体は消えていた。そして、私の肩には毛布がかけられていた。
 ロイにそのことは言っていない。屋敷を封鎖してきた、と伝えた。ロイは、特に怪しんだりしなかった。
 私は、ニコラ様が消えた方向に向かって歩き続けた。どんどん暗くなっていく森の奥。きっと見つけられるはずだと信じていた。
 時間の感覚もわからなくなるほど歩いた。
 足がパンパンで、少し休憩しようと思った矢先、目の前がひらけて、小さな小屋が現れた。それは蔦だらけで、木にはカビが生えている。窓は曇ってほとんど中が見えないが、誰かいるようには見えなかった。私は、小屋の扉を叩く。周りから物音が一切しないせいで、私のノック音がやけに大きく響いた。
 ノブに手を置き、ゆっくり開ける。
「すみません、誰かいらっしゃいますか?」
 扉から顔を出し声をかけるが、誰もいない。一歩踏み出して小屋の中に入ると、背後の扉が閉まり、背中から強く抱きしめられた。
「どうしてついてきてしまったの?」
 知っているその声に、涙が溢れる。
「だって……会いたかった」
「そんなこと言わないでくれ、君を離せなくなる」
 顔を掴まれ、横を向かされる。透き通った赤い瞳がすぐそばにあった。
「んむっ」
 口付けを落とされ、変な声が出てしまった。私は体を彼の方に向け、正面から抱きしめた。彼は私の後頭部に手を添えて、舌を入れてきた。
 初めての柔らかな感触。口の中を蹂躙され、脳内が幸せに包まれる。彼の舌を必死に吸っていると、彼の手が私の胸に触れた。
「んっ」
「脱がせるよ」
 頷くと、彼はあっという間に私の服を剥ぎ、一糸纏わぬ姿にしてしまう。
「私だけ……、恥ずかしいです」
「っ、かわいい」
 顔を赤くしたニコラ様は、私にキスをしながら、自身の服も脱ぎ始めた。そして、私を抱き抱えて部屋の奥の小さなベッドに下ろす。初めて見る彼の肌。細身ながらしっかり筋肉のついた腕。そして、そそり立つ男性器。
「あんまりじっと見られると、照れるよ」
 言いながら、彼は私の腕を掴んで横に広げた。私の全身をくまなく眺めて、ため息をつく。
「綺麗だ。ずっとこうしたかった」
 上から眺められる羞恥に顔を逸らすと、胸に柔らかな感触があった。
「ひゃっ」
 口に含まれた突起は、上下に撫でられるような刺激を与えられ、徐々に感度を上げていく。彼の指が、その間にも全身を優しく撫で、くすぐったいような気持ちいいような、幸せの海で揺られているような感じがした。
 彼に触れたくて、胸元の頭を撫でる。
 すると彼が視線をあげ、私を見つめてくれた。
「やっぱり生きてたんですね」
「ああ、運よく心臓を外れていたんだ。治るのに時間はかかったけど」
「どうして会いにきてくださらなかったのですか」
「私のことは忘れた方がいいと思ったんだ。君には、普通の人間と幸せになって欲しかった」
「三年も貴方を想い続けて、私がどれだけ苦しかったかわかりますか?」
 溢れた涙を、ニコラ様が指で拭いた。そして、真剣な顔になった。
「わかるよ。私も寂しかった。時々君の姿を見るために、教会のそばまで近づいたりもした」
「だからあんなところで罠に嵌っていたんですか」
「ああ、君に助けられるとは思ってもみなかったけど」
「私は……三年前のあの日からずっと後悔していたんです、貴方を失ったことを」
「アナベル……私も後悔していたんだ。さっさと君を自分のものにしてしまえばよかったって」
 彼が私の首筋に舌を這わす。そして、柔らかく首を噛みながら、指を私の秘部に伸ばした。
 周りの部分を優しく撫でられ、気持ち良さと焦れったさで腰がうねる。
「淫乱だね。どこで覚えたのそんな動き」
「知らないっ……、初めてです!」
「ふふっ、怒らないで。分かってるよ。誰も近づかないようにしていたのは私だからね」
 芯芽に彼の指が触れ、快感が強くなる。その度に腰も勝手に動き、彼に乞うような視線を送ってしまう。
「アナベルっ……、君が痛がらないように我慢してるのに。悪い子だ」
 少し余裕のない表情の彼が、顔を私の足の間に埋める。彼の柔らかい舌で与えられる快感が、勝手に嬌声となって漏れてしまう。
「あっ、んん……、はぅ」
「ビクビクしてる。指入れるよ、痛かったら言って」
 十分に濡れたそこは、彼の指を簡単に受け入れたようだった。正直、入ってきている感覚があまりなかったが、それはすぐに覆された。
「んあっ⁉︎ なにそれっ」
 彼の指が的確に、気持ちいいところを押す。舌と指に挟み込まれた私の芯が、ドクドクと脈打つ。
「待って、すぐいっちゃう、いやっ」
 彼は動きを止めてくれない。私は、腰を情けなく揺らし、絶頂を迎えた。
「んっ、ああぁっ……!」
「上手にいけたね。そろそろ十分かな」
 放心状態の私の腰を持ち、彼は自身の肉棒にあてがった。入り口に感じる圧迫感と、少しの痛み。顔を顰めていると、彼は指でいったばかりの芯芽を押しあげた。
「うあっ!」
 敏感なそこを刺激されると、痛みも少しの快楽になる。彼はそれでも、とてもゆっくり時間をかけて挿れてくれた。
「最後まで入った?」
「まだ。半分くらい」
「うそっ」
 敬語すら忘れていたが、そんなことも考えられないほど余裕がなかった。
 もう限界まで入っているのではと思ったが、それでも彼は押し上げてくる。痛いはずなのに、ビクビクと体が痙攣し、声が漏れる。私がそんな痴態を晒すたび、彼のものは太く固くなっていく。
「なんでまだおっきくなるのぉ⁉︎」
「アナベルがやらしすぎる」
「そんなの知らないっ」
 奥の、そのまたさらに奥まで入っているのではというほどの圧迫感。なかの壁が彼のものに吸い付いて脈打つ。
「やばっ……持っていかれそう」
「きもちいの?」
「うん、凄く」
 それがとても嬉しくて、笑ってしまう。それが彼の欲情に火をつけるとも知らずに。
「そんなかわいい顔しないで。我慢できなくなる」
 彼が動き始めた。それでも私が痛くないように、ゆっくり少しずつだった。しかし、私にとってはそれでも強い刺激となり、頭が真っ白になる。
「ひっ、うぅ、あんっ、あっ」
「痛くない?」
「痛くなぃ、それより、なんかやばいっ」
 快楽から逃げようと腰を引くと、彼に引き戻される。
「もっと気持ちよくなって」
「無理、これ以上は、死んじゃうっ!」
「死にそうになったら噛んであげる。ヴァンパイアは不死身なんだよ」
「そういう問題じゃ……あぁああっ!」
 さらに奥を激しく突かれる。徐々に遠慮がなくなってきた彼は、手加減せず私の気持ちいいところを刺激し続ける。
「はっ、いっく、イグうっ!」
 プシャっ、と何かが噴き出す音がしたが、そんなことに構う暇も与えず彼は動きを止めない。ただ、
「潮も吹けるんだね、えらいよ」
 と嬉しそうな声がしたので、いいことなのだろう。
「おかしくなる、ああっ、んっ」
「白目剥いてかわいい。もっと乱れて」
 何度目かもわからない絶頂を思い知らされて、意識を失いかけることもしょっちゅうだった。しかし、そうなると彼は動きを止めて、私が落ち着くのを待つ。いっそ気絶した方が楽なのに、と彼を睨みつける。
「全て記憶に刻んでほしい。僕のもので気持ちよくなってること」
「もう、くるしい……」
「でも、ここはもっと欲しがってるよ」
 また奥を突く。何度もいったせいで全身が敏感になって、たったひと突きでいってしまいそうになる。
「ああアナベル、どうしよう、私ももう限界だ」
「うんっ、出して、私の中にいっぱい」
「ごめんっ、動かすよ」
 今までより少し乱暴なその動きに、なぜかゾクゾクと鳥肌が立ち、感じたことのない快感が広がっていく。
「えっ? あっ、はっ」
「すごいうねってる……、出る、うっ」
 奥に出されて、じんわりと全身に痙攣が広がっていく。彼のものに吸い付き、逃したくないと締め付ける。口からだらしなく涎を垂らし、虚空を見つめる。そんな私を、彼は優しく抱きしめた。
「アナベル、ちょっといじめすぎた?」
 本気で心配そうな彼に、返事もできない。長く続く穏やかな快楽に、身を任せていた。
 しばらくして正気に戻った私は、
「なんかすごかった」
 と語彙力の消失した感想しか言えなかった。
「ごめん、今更私がいうセリフではないのだけれど、早く帰らないと心配されるよ」
 ニコラ様が窓の外を見る。ほとんど木しか見えなかったが、それでも葉の隙間から空を覗くと、もう夜になっているようだった。そんなに長い間やっていたのか。驚いて、さすがに少し引いてしまったが、それよりも、ニコラ様に伝えたいことがあった。
「私、もう帰りたくないです」
「えっ……私は嬉しいけど、いいの?」
「はい。私、ニコラ様と共に生きていきたいです」
「アナベル……! ありがとう」
 ニコラ様が優しくキスをくれた。しかし、それと同時に、むくむくと大きくなっているものがあった。
「なんでまだ元気なんですか」
「アナベルは何回もいってるかもしれないけど、私はまだ一回だよ」
「いや、いけばよかったじゃないですか我慢せずに」
「私がいったら、君が帰ってしまうかと思って」
 子猫のようにしゅんとしたニコラ様が、私の胸に顔を埋めた。そうされると、なんだか許してしまう。
「もう……仕方ないですね」
「本当? じゃあもう一回、いや、もう三回」
 ガバッと起き上がったニコラ様が覆い被さってくる。そして、私の首筋をぺろりと舐めた。
「噛むの?」
 少し怖かったが、聞いてみた。
「噛まないよ、今は」
 そして、深い口付けを落とされた。
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