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撮影の日 <side晴>
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あっという間に撮影の日がやってきた。
自分が撮影されると思うと朝からドキドキが止まらない。
隆之さんは緊張している僕を和ませようと、朝カフェに連れて行ってくれた。
「ここは俺が緊張をほぐしたいときに行く店なんだ」
なるほど、たしかに落ち着いている雰囲気でホッとする。
隆之さんのおすすめで、カフェ・オ・レとクロワッサンサンドを頼んだ。
目の前に置かれたカフェ・オ・レボウルには、鮮やかな花の絵が描かれていた。
「あっ、これ、アマリリス……」
「さすが、よく気づいたな」
隆之さんがにっこりと微笑んだ。
「ここは、カフェ・オ・レボウルはもちろん、コーヒーカップもオーナーのコレクションから好きな物を選べるんだ。初めてここにきたときに、その話を聞いて、それ以来その時の気分で選ばせてもらってるんだが、不思議とそれで飲むと気分が落ち着くんだよ。晴にも選ばせようかと思ったが、おじいさまの思い出の花が晴の気持ちを落ち着けるんじゃないかと思って、俺の独断で選ばせてもらった。どうだ?」
隆之さんが祖父との思い出を覚えていてくれたことも嬉しいし、隆之さんの大事な場所に連れてきてもらえたことも嬉しい。
「ありがとうございます。これ、すっごく綺麗で祖父から贈られていた花束思い出しました」
「そうか、よかった。クロワッサンサンドも美味しいから、食べてみてくれ」
クロワッサンサンドを手に取るとパリパリの皮がポロポロと落ちてしまう。
「あっ」
「これは気にしないで、大口開けて食べてくれ。その方が美味しいから」
そう言われて大きな口を開けて、パクッとクロワッサンを齧ると中から溶けたチーズと完熟の甘いトマトが顔を出す。
サクサクの生地にチーズとトマトでしっとりとした中身が絶妙であまりの美味しさに驚いてしまった。
「これ、めちゃくちゃ美味しいです! 特にこのクロワッサン! こんなにサクサクでバターの香りも強くってこんなの初めて食べました」
「ふふっ。良かったよ。気に入ってもらえて。あ、ほらクロワッサンの欠片が口元についてる」
「えっ? どこ? どこ?」
隆之さんにそんな顔を見られているのが恥ずかしくて、慌てて指で口元を拭ったけれど、どうやらまだついているらしい。
「ここだよ」
そういうと、隆之さんは長い腕を伸ばして、僕の頬に付いている欠片をさっととって自分の口へと運んだ。
「えっ?」
「ほんとに美味しいな、ここのクロワッサン」
ウインクしてくるその姿があまりにも格好良すぎて、僕は顔が火照る思いだった。
そんな朝の時間を過ごしたせいか、撮影への緊張はすっかりなくなっていたけれど、隆之さんを見ると顔が赤くなってしまうという別の困りごとができてしまった。
朝食後、撮影スタジオへ向かうと、もうすでに田村さんが来ていた。
「香月くん、おはよう」
「田村さん、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「そういえば、先日はごちそうさまでした。お礼も言わないまま先にお暇してしまって、失礼しました」
ああ、チョコレートに入っていたシャンパンで酔っ払ってしまった時だ。
「あ、いえ、僕こそ、あんまり覚えてないんです。ご招待しておきながら先に寝てしまって……」
「いいえ、早瀬さんといろいろお話ができて楽しかったですよ。普段はなかなかゆっくり話す時間も取れませんから」
そっか、そうだよね。
それなら良かった……。
「あ、田村さん。おはようございます。香月くん、今日のカメラマンさん紹介するよ」
「田村代表、香月くん。こちらが今日の撮影を担当してくださるカメラマンの永山 康平さんです」
「永山さん。こちらがリヴィエラの田村代表と今回のモデルさんの香月 晴くんです」
お互いに名刺を交換し合ってから、スタジオの角に設置されたテーブルスペースへと向かった。
永山さん曰く、撮影をする前に普段の様子を知っておくとどうやって撮影していくか浮かんでくるそうで、僕は永山さんに聞かれるがままいろんな質問に答えていた。
「へー、じゃあ香月くんはカフェでウェイターしてたんだ! リヴィエラさんのあるビルのカフェっていうのも運命的だよね」
「そうですね。最初言われた時は、なんでこんな平凡な僕にモデルのお話なんか持ってくるんだろうって不思議だったんですけど……」
「えっ? 君が平凡? いやいや、何言ってるの? そんじょそこらの芸能人より相当美人だよ」
「ふふっ。永山さんってお世辞がお上手なんですね! ねぇ、田村さん」
永山さんのわかりやすいお世辞が面白くて、田村さんに話を振ったが、田村さんはにこっと笑うだけでそのまま話は別の話題に変わってしまった。
なんでだろ?
僕は隆之さんの方を見やると、隆之さんは永山さんと顔を近づけて小声で何か話しているようだった。
うん? 何か問題でも起こったのかな?
隆之さんはいろんなところに気を配らないといけないから大変だよね。
「さ、さぁ、そろそろ撮影のリハーサル始めるから、ヘアメイクしてきてもらえるかな」
話を終えたらしい永山さんが声をかけてきた。
「はい。わかりました」
最初のリハーサルは僕ではない代役さんが撮影位置にたって、カメラの位置などを確認するらしく、僕はその間、ヘアメイクさんに髪型を整えてもらうことになった。
「ヘアメイクの桧山 由香里さんだよ。彼女にはこの撮影の間、香月くん専属でやってもらうからね」
田村さんに紹介されて、挨拶しようとすると
「田村さん! 香月くんめっちゃ可愛いです! 肌もツルツルだし、髪も艶々~! 香月くんみたいな子のヘアメイクできるなんて……このお仕事やっててよかった~!」
怒涛の勢いで田村さんに話しかけていて、僕は挨拶するチャンスを逃してしまった。
このヘアメイクさん、なんだか妙にテンションが高い。
だ、大丈夫かな?
「あ、あの……香月 晴です。よろしくお願いします」
おずおずとあいさつをすると、桧山さんは満面の笑みで
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
と元気いっぱい挨拶された。
ああ、良かった。なんとかやっていけるかも……。
メイク室には大きな鏡が壁一面についていて、その前に椅子が3脚並んでいた。
「香月くん、個室じゃなくてごめんね。ちょっと個室のメイク室が使えなくて……」
田村さんが申し訳なさそうに謝ってくる。
「そんなの全然気にしてないです。すごく広くて鏡も大きくて見やすいし、大体個室なんて僕にはもったいないです」
「さぁ、始めていきますね」
まずはすっぴんでの撮影ということで、髪型のセットから始めていく。
「香月くんの髪の色、すごく珍しいですね。地毛だなんて信じられないくらい綺麗!」
「えっ? そうですか? 明るめの茶色だからどこにでもいそうですけど……」
僕がそう言うと、桧山さんは目をまん丸にして驚いたかと思うと
「なに言ってるんですかー?!」
と大声で叫んだ。
その勢いに僕は言葉が出ず、茫然としてしまっていた。
「香月くんの髪は光に当たると金色に見えたり、白っぽく見えたり、何色にも変化するんですよ! もうホントに天使みたい」
うっとりした表情で僕の髪を弄る桧山さんに、僕も後ろで様子を見ている田村さんもなにもいえなかった。
この髪を生かすデザインを求められているらしく、桧山さんはひとしきり僕の髪を堪能するとテキパキと髪型を整えていった。
いつもは前に下ろしている前髪を柔らかなオールバックにし、右耳の後ろにはアマリリスで作った小さめの花飾りで髪を彩っていた。
髪型をセットした後で、リュウールのスキンケアシリーズを使ってすっぴんのキメを整えていく。
この日に合わせて、晴はリュウールのスキンケアシリーズで毎日ケアをしていたおかげか、元々シミひとつない綺麗な肌だったが、張りと潤いに満ちて艶々としてモチモチな肌に仕上がっていた。
「さぁ、出来ましたよ」
その言葉に僕は鏡を見て驚いてしまった。
「えっ? これ、僕?」
鏡の中には男性とも女性とも見える、本当に『美しい』という形容詞がぴったりな人がいた。
「うわぁ、香月くん! いいね」
田村さんも大満足のようでいろいろな角度から僕の姿を見ている。
あまりにもいつもと違う自分の姿に驚いて鏡に見入ってしまっていると、田村さんが優しく声をかけてくれた。
「次は衣装だよ。香月くん、行こっか。桧山さん、ありがとうね。メイク後の方も楽しみにしてるよ」
「はい。お任せください!」
その言葉を背に田村さんと衣装部屋へと移動した。
「おはようございます、棚橋さん」
田村さんは衣装部屋に入ると、そこにいた女性に声をかけた。
「ああ、田村さん。おはようございます。今日のモデルさんはこの子?」
「はい。香月 晴くんです。よろしくお願いしますね。香月くん、きょうの担当の衣装さんで棚橋さんだよ」
「香月晴です。棚橋さん、今日は宜しくお願いします」
僕が挨拶すると、棚橋さんはささっと近寄ってきて、全身を満遍なくチェックしていた。
「あら、男の子なの? 可愛いわぁ」
「あ、ありがとうございます」
「さぁ、こっちに衣装用意してるから」
と言われて差し出された衣装は真っ白なワンピースで僕は一瞬何事かと思って立ち止まってしまった。
「あの、これ……ですか?」
「ええ、そうよ。ほら、こっちに来て」
戸惑う僕の手をさっと引き、服を脱がせようとする。
田村さんはパッと後ろを向き、
「着替えが終わった頃、来るからね」
と言って部屋を出て行った。
はいと返事する間もなく、棚橋さんの手によって僕はインナーシャツとボクサーパンツだけの状態になっていた。
「これ、専用の下着も用意されているからあのカーテンのところで着替えてきてね」
差し出された下着はどう見ても女の子用だけれど、女性用化粧品のポスターなのだから仕方ないと自分を奮い立たせて試着の場所へと移動した。
インナーシャツを脱ぎ、渡された下着を取ると、どうやらキャミソールと言われる類いのものだった。
まあ、これなら全然イケるよねと思いながら、ドキドキしながら下着の方を見てみると、丈は短いが晴のよく知るボクサーパンツのようだった。
良かったーー!
ほっと胸を撫で下ろしてそれを履き、棚橋さんの元へと戻った。
「ああ、サイズぴったりね。良かったわ。じゃあ次はこっちの衣装ね」
棚橋さんは手慣れた様子でさっきの真っ白なワンピースを着付けてくれた。
「うん。よく似合うわ。香月くん、ほんと、天使だわ!」
自分の姿を見るのが怖かったけれど、恐る恐る鏡を見てみると、白のワンピースが絵本で見ていたようなエンジェルのように見えて、自分でも驚いてしまった。
メイクもしていないのに髪型と洋服でこんなに変わるんだー!
これなら僕だって気づかれなくていいかもね。
そう思うと、緊張が一気に解れていく気がした。
ヘアメイクと衣装合わせを終え、僕は田村さんとみんなの待つスタジオへと戻った。
「お待たせしました」
田村さんがそう声をかけると、みんなが一斉に僕の方を見た。
女の子のような格好をしていたから、みた瞬間てっきり笑われると思っていたけれど、僕と目が合ったと同時に今までザワザワしていたスタジオ内が一瞬にして水を打ったように静まり返った。
「あ、あの……?」
僕はどうしていいか分からず、隣にいた田村さんに助けを求めるように声をかけると、田村さんは笑って僕の肩をポンと優しく叩いた。
「みなさん、香月くんが困っていますよ」
田村さんの声に、最初に我に返ったのは隆之さんだった。
物凄い勢いで僕の元へとやってきた隆之さんは、
「晴、可愛い! 可愛いすぎるよ!」
と仕事モードを忘れたように僕を褒めてくれた。
「あの、早瀬さん。あんまり褒められると恥ずかしいです」
隆之さんに仕事モードに戻ってもらうように声をかけたけれど、聞こえているのかいないのか、隆之さんはしばらくの間ずっと『晴が可愛すぎる』と繰り返していた。
ようやく隆之さんの様子が落ち着いた頃、他の人たちも僕の近くへと集まってきた。
リュウールの緒方部長は僕の格好を上から下までじっくりと眺めて、
「いやー、香月くん。素晴らしいよ。うちのイメージピッタリだな」
と言ってくれて安心した。
「もう、誰も何も言ってくれないからよっぽど変だったのかなって心配しちゃいましたよ」
「変だなんて! あまりにも良すぎて声が出せなかったんだよ」
少し戯けて言ってみると、リュウールの友利さんが凄い勢いで否定してくれた。
「ふふっ。ありがとうございます。友利さんにそう仰っていただけたら、そんな気がしてきました」
やっぱり営業の人って凄いよね。
隆之さんも、友利さんも僕を褒めて気を楽にさせてくれるんだから。
「香月くん、こっちに来てくれるかな?」
少し離れた撮影ゾーンからカメラマンの永山さんの声がした。
「はーい」
返事をして向かおうとすると、右隣に隆之さん、左隣に田村さんがついて一緒に向かうことになった。
僕、1人でも行けるんだけどなと思いながらも、床にはコードなんかもあるし、転んだりしたらまた整えるのに時間がかかっちゃうしねと自分を納得させて一緒について行ってもらった。
撮影ゾーンに入り、永山さんと目があった途端、急に大笑いし始めた。
「ははっ。急に前室が静かになったと思ったら、これか」
「えっ? どういうことですか?」
僕は意味がわからずに聞き直して見たが、永山さんは笑うばかりで答えてはくれなかった。
「じゃあ、撮影始めようか」
「は、はい」
僕が返事をすると、隆之さんも田村さんもさっと撮影ゾーンから出ていき、カメラの影に隠れるように立っていた。
「香月くん、とりあえず最初はポーズとか気にしないでいいから話をしよっか」
「話……ですか?」
「ああ。そうだな、香月くんはハーフ……いやクォーターかな? 髪の色は地毛なの?」
「はい。母方の祖父がドイツの人で母よりも僕の方が祖父の血を受け継いだみたいで……でも、小さい時の方がもっと明るくって、今は落ち着いてきました」
「そうなんだ。香月くんのイメージによく合ってて良いと思うよ。香月くんは好き? おじいさまもその髪の色も」
「はい。もちろんです! でも、小さい時は嫌だなーって思ったこともあったんです。揶揄われてたので……」
「そっか。でも、今は好きなんだ?」
「はい。祖父がいてくれるから僕がここに居られるんだってわかったから……。鏡見るたび、祖父がついててくれるみたいで安心します」
永山さんはカメラも持たずに優しい目で話しかけてくれたので、僕もなんの気負いもなく祖父との思い出や祖父に対する気持ちも言うことができた。
永山さんは質問が的確で聞き上手だし話していてすごく楽しかった。人を緊張させないように話を振り続けるって大変だろうに、永山さんってほんと凄いなぁ。
「香月くん、次のヘアメイクしよっか」
「えっ? これは撮らなくて良いんですか?」
「ああ、えっと……うん、もうひとつの方でもリハーサルしておきたいから」
「ああ、なるほど。わかりました」
永山さんがカメラの影に立っていた隆之さんたちに『おーい』と声をかけると、すぐに2人は僕の隣に立って、桧山さんのところへ連れて行ってくれた。
隆之さんと田村さんは僕をメイクルームの椅子に座らせると、桧山さんと3人でボソボソと相談を始めた。
「何かあったんですか?」
僕は気になって声をかけて見たけれど、
「いや、リュウールさんからどんなメイクにするかの注文があったからそれを伝えてるんだ」
という返事が返ってきた。
ああ、そっか。それはそうだよね。
僕、ファンデーションとかつけるの初めてだからどんな感じになるのか楽しみだなぁ……。
「香月くん、じゃあ始めよっか」
桧山さんがメイクケープをぼくに付けてくれた。
「衣装はこのままこの服を着るらしいから、汚さないようにしないとね。先にメイクして、あとで軽く髪を整えるからね」
「わかりました。よろしくお願いします」
さっきすっぴんでの撮影の時にスキンケアはやっていたので、今回は下地から入っていくらしい。
すぐファンデーション付けるんじゃないんだ、初めて知ったなぁ。
鼻やおでこ、頬にほんの少し付けた下地を伸ばしていって、次にようやくリキッドファンデーションを伸ばしていく。
「スキンケアをして、すぐファンデーションかと思ったら他にも付けたりするんですね」
「本当はね、下地塗る前に日焼け止め塗ったり、ファンデーションした後は、コンシーラーって言って気になるところを部分的につけたり、全体にフェイスパウダーを付けたり、他にもアイメイクとか頬にチーク入れたり、まだまだやることはいっぱいだよ」
「えー、そんなに? 朝から大変なんですね」
「そんなにやっても香月くんみたいなプルプルで艶々な綺麗な肌になるのは難しいんだから! 香月くんは奇跡なんだよ」
すごく力説されてるけど、特に何にもしてないんだけどな……僕。
これは言わない方がいいのかも……ね。
「普通ならね、ファンデーションのポスターでもフルメイクでうつすんだけど、今回のポスターはファンデーションメインでやるらしいから、仕上げはしないでおくから、顔には触らないように注意してね」
「はい。わかりました」
髪型は、今度は左向きの写真になるから左側をメインに整えてもらって、さっきとは違う形のアマリリスの髪飾りを左耳に付けてもらう。
わぁ、この髪飾りも可愛いな。
「さぁ、出来上がりです。早瀬さん、田村さん、よろしくお願いします」
桧山さんの言葉に2人はさっとやってきて、僕の顔を見るなり目を丸くして驚いていた。
「うわぁ、桧山さんいいよ! 香月くんに色気が加わっていい感じですね。ねぇ、早瀬さん」
「晴、すごく良いよ! すっぴんとはまた印象が変わって、田村さんが言うように色気が出てる」
2人が言う色気ってどんなんだろう?
ぼくは鏡を覗いていろんな方向から見て、たしかにすっぴんとは全然違うけど、色気? がどんなのかはわからなかった。
永山さんの待つ撮影ゾーンに連れて行ってもらうと、
「ここに立ってて。また質問するからゆっくり話そう」
と言われ、また永山さんとの会話を楽しんだ。
「香月くん。香月くんは恋人いるの?」
てっきりまた家族の話とかそういうのだと思っていたのに……。
こ、恋人って、隆之さんのことだよね。
そういえば、誰にも話したことないや。
えーっ。なんて言ったらいいかなぁ……。
「い、いますよ」
うわーっ。多分今きっと僕、顔真っ赤になってる。
「どんな人なの?」
えーっ。どうしよう。
「えっと、すごく綺麗な人です」
「へぇー、香月くん、面食いなんだ!」
「い、いいえ。僕がその人を好きになったのは、顔が綺麗なのはもちろんありますけど、最初に気になったのは……匂いでしたね」
初めて電車の中で隆之さんの近くに立った時、ふわっと香ってきた匂い、あれは香水とかの香りじゃなかった。
多分あれは、隆之さん自身の匂いなのかもしれない。
「匂い? へぇ、どんな?」
「うーん、うまく言えないんですけど……レモンとシトラスを合わせたような爽やかな香りでなんだかすごく気持ちが落ち着いた気がしたんですよね。同じ空間にいるだけで安心するっていうか……その後でその香りの人がカッコいい……あ、いや綺麗な人だって分かって……。だから、きっかけは匂いですね」
危ない、危ない。
格好良いって言いかけちゃった。
隆之さんだって分かったら、迷惑かけちゃうよね。
「そうか。匂いか……。ねぇ、香月くん、知ってる? 良い匂いだって感じる人はアレの相性も良いらしいよ」
あれ?
あれってなんだろう?
「永山さん、あれって……」
「永山さん、いたずらが過ぎますよ!」
あっ、隆之さん! 田村さんもなんだか怒ってるみたい。
なに?
どうなってるの?
「ははっ。すみません。つい……」
永山さんは2人に謝ってから、僕にも
「ごめんねー、香月くん」
と謝ってくれたけれど、正直2人が怒った理由も、謝られた理由も何も分からなかった。
「じゃあ、香月くん。着替えよっか」
「次はすっぴんの方の写真の本番ですか?」
「いや、もう撮影は終わり。自分の服に着替えてもらって大丈夫だよ」
終わり?
撮影終わりって言った?
えっ? いつのまに?
「えっ? あの、撮影終わりって……」
「そっか。香月くん、本当に気づいてなかったんだ」
「気づいてないって?」
「さっき話してた時、実は手に持ってたワイヤレスリモコンでシャッター切ってたんだ。香月くんの素の表情が撮りたくて。はじめての撮影だと緊張しちゃうからね」
えーーっ。ただ話してるだけだと思ってたのに。
どんな写真が撮れてるんだろ?
着替えに向かおうとすると、
「田村さん、早瀬さん。ちょっといいですか?」
リュウールの緒方部長が2人を呼び止めた。
隆之さんも田村さんも、僕を着替えと荷物を運び込んでいる楽屋へと案内しようと思っていたらしく、一瞬どうしようかと悩んでいる様子だった。
「大丈夫ですよ。僕、先に行ってますね」
「すぐ向かうから、気をつけるんだよ」
2人して心配症だなぁ……。
ここから楽屋へ向かうくらいそんなに長い距離でもないんだから。
心配かけないように、
「はーい」と返事をしてスタジオを出た。
楽屋は一つ下の階にあり、エレベーターでいく距離でもないし……と階段で行くことにした。
楽屋のある階に着き、部屋へと向かう途中
「すみませーん」
後ろから声をかけられた。
あれ、この人誰だったかな?
「あの……?」
「ああ、僕……ここのスタジオスタッフの田中と言います。香月さんの楽屋の場所が変更になったのでお伝えにきました」
ああ、ここのスタッフの人か。
確かに見覚えがある気がする。
「そうなんですね。わざわざありがとうございます」
「こちらです。どうぞ」
カチャとドアノブを回し、連れてこられた部屋はスタジオやメイクルームと違って、物凄く簡素な部屋だった。
ふーん、楽屋ってこんな感じなんだ。
まあ、荷物置いたりするだけだし、シンプルなんだろうな。
「あの、荷物なんですけど……前の部屋に置いてあるんで急いで取ってきますね。撮影でお疲れのところすみません」
「ああ、急遽変更になったんですよね。仕方ないですよ。というか、僕……自分で取りに行きますよ?」
撮影もあっという間に終わったし、全然疲れてないし……。
「いえ、すぐ持ってきますんで。良かったらこれどうぞ! 撮影すると喉乾きますよね」
あ、僕の好きなアプフェルショーレだ。
「このジュース! 僕好きなんです。凄い! 久しぶりだから嬉しいな」
グラスを渡され受け取ると、田中さんはトプトプとアプフェルショーレを入れてくれた。
シュワシュワと炭酸の弾ける音に喉が鳴ってしまう。
「うわぁ、久しぶりだな」
クイっと喉に流し込むと、シュパースで飲んでいるものとはほんの少しいつもと違う気がした。
「あれ……? これ……」
そう声を出した途端、急に身体がフラフラし出したかと思うと、電気が消えてしまったかのように目の前が真っ暗になった。
これ、どういうこと?
そう思うだけで声にすることも出来ず、僕は床に倒れ込んだ。
自分が撮影されると思うと朝からドキドキが止まらない。
隆之さんは緊張している僕を和ませようと、朝カフェに連れて行ってくれた。
「ここは俺が緊張をほぐしたいときに行く店なんだ」
なるほど、たしかに落ち着いている雰囲気でホッとする。
隆之さんのおすすめで、カフェ・オ・レとクロワッサンサンドを頼んだ。
目の前に置かれたカフェ・オ・レボウルには、鮮やかな花の絵が描かれていた。
「あっ、これ、アマリリス……」
「さすが、よく気づいたな」
隆之さんがにっこりと微笑んだ。
「ここは、カフェ・オ・レボウルはもちろん、コーヒーカップもオーナーのコレクションから好きな物を選べるんだ。初めてここにきたときに、その話を聞いて、それ以来その時の気分で選ばせてもらってるんだが、不思議とそれで飲むと気分が落ち着くんだよ。晴にも選ばせようかと思ったが、おじいさまの思い出の花が晴の気持ちを落ち着けるんじゃないかと思って、俺の独断で選ばせてもらった。どうだ?」
隆之さんが祖父との思い出を覚えていてくれたことも嬉しいし、隆之さんの大事な場所に連れてきてもらえたことも嬉しい。
「ありがとうございます。これ、すっごく綺麗で祖父から贈られていた花束思い出しました」
「そうか、よかった。クロワッサンサンドも美味しいから、食べてみてくれ」
クロワッサンサンドを手に取るとパリパリの皮がポロポロと落ちてしまう。
「あっ」
「これは気にしないで、大口開けて食べてくれ。その方が美味しいから」
そう言われて大きな口を開けて、パクッとクロワッサンを齧ると中から溶けたチーズと完熟の甘いトマトが顔を出す。
サクサクの生地にチーズとトマトでしっとりとした中身が絶妙であまりの美味しさに驚いてしまった。
「これ、めちゃくちゃ美味しいです! 特にこのクロワッサン! こんなにサクサクでバターの香りも強くってこんなの初めて食べました」
「ふふっ。良かったよ。気に入ってもらえて。あ、ほらクロワッサンの欠片が口元についてる」
「えっ? どこ? どこ?」
隆之さんにそんな顔を見られているのが恥ずかしくて、慌てて指で口元を拭ったけれど、どうやらまだついているらしい。
「ここだよ」
そういうと、隆之さんは長い腕を伸ばして、僕の頬に付いている欠片をさっととって自分の口へと運んだ。
「えっ?」
「ほんとに美味しいな、ここのクロワッサン」
ウインクしてくるその姿があまりにも格好良すぎて、僕は顔が火照る思いだった。
そんな朝の時間を過ごしたせいか、撮影への緊張はすっかりなくなっていたけれど、隆之さんを見ると顔が赤くなってしまうという別の困りごとができてしまった。
朝食後、撮影スタジオへ向かうと、もうすでに田村さんが来ていた。
「香月くん、おはよう」
「田村さん、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「そういえば、先日はごちそうさまでした。お礼も言わないまま先にお暇してしまって、失礼しました」
ああ、チョコレートに入っていたシャンパンで酔っ払ってしまった時だ。
「あ、いえ、僕こそ、あんまり覚えてないんです。ご招待しておきながら先に寝てしまって……」
「いいえ、早瀬さんといろいろお話ができて楽しかったですよ。普段はなかなかゆっくり話す時間も取れませんから」
そっか、そうだよね。
それなら良かった……。
「あ、田村さん。おはようございます。香月くん、今日のカメラマンさん紹介するよ」
「田村代表、香月くん。こちらが今日の撮影を担当してくださるカメラマンの永山 康平さんです」
「永山さん。こちらがリヴィエラの田村代表と今回のモデルさんの香月 晴くんです」
お互いに名刺を交換し合ってから、スタジオの角に設置されたテーブルスペースへと向かった。
永山さん曰く、撮影をする前に普段の様子を知っておくとどうやって撮影していくか浮かんでくるそうで、僕は永山さんに聞かれるがままいろんな質問に答えていた。
「へー、じゃあ香月くんはカフェでウェイターしてたんだ! リヴィエラさんのあるビルのカフェっていうのも運命的だよね」
「そうですね。最初言われた時は、なんでこんな平凡な僕にモデルのお話なんか持ってくるんだろうって不思議だったんですけど……」
「えっ? 君が平凡? いやいや、何言ってるの? そんじょそこらの芸能人より相当美人だよ」
「ふふっ。永山さんってお世辞がお上手なんですね! ねぇ、田村さん」
永山さんのわかりやすいお世辞が面白くて、田村さんに話を振ったが、田村さんはにこっと笑うだけでそのまま話は別の話題に変わってしまった。
なんでだろ?
僕は隆之さんの方を見やると、隆之さんは永山さんと顔を近づけて小声で何か話しているようだった。
うん? 何か問題でも起こったのかな?
隆之さんはいろんなところに気を配らないといけないから大変だよね。
「さ、さぁ、そろそろ撮影のリハーサル始めるから、ヘアメイクしてきてもらえるかな」
話を終えたらしい永山さんが声をかけてきた。
「はい。わかりました」
最初のリハーサルは僕ではない代役さんが撮影位置にたって、カメラの位置などを確認するらしく、僕はその間、ヘアメイクさんに髪型を整えてもらうことになった。
「ヘアメイクの桧山 由香里さんだよ。彼女にはこの撮影の間、香月くん専属でやってもらうからね」
田村さんに紹介されて、挨拶しようとすると
「田村さん! 香月くんめっちゃ可愛いです! 肌もツルツルだし、髪も艶々~! 香月くんみたいな子のヘアメイクできるなんて……このお仕事やっててよかった~!」
怒涛の勢いで田村さんに話しかけていて、僕は挨拶するチャンスを逃してしまった。
このヘアメイクさん、なんだか妙にテンションが高い。
だ、大丈夫かな?
「あ、あの……香月 晴です。よろしくお願いします」
おずおずとあいさつをすると、桧山さんは満面の笑みで
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
と元気いっぱい挨拶された。
ああ、良かった。なんとかやっていけるかも……。
メイク室には大きな鏡が壁一面についていて、その前に椅子が3脚並んでいた。
「香月くん、個室じゃなくてごめんね。ちょっと個室のメイク室が使えなくて……」
田村さんが申し訳なさそうに謝ってくる。
「そんなの全然気にしてないです。すごく広くて鏡も大きくて見やすいし、大体個室なんて僕にはもったいないです」
「さぁ、始めていきますね」
まずはすっぴんでの撮影ということで、髪型のセットから始めていく。
「香月くんの髪の色、すごく珍しいですね。地毛だなんて信じられないくらい綺麗!」
「えっ? そうですか? 明るめの茶色だからどこにでもいそうですけど……」
僕がそう言うと、桧山さんは目をまん丸にして驚いたかと思うと
「なに言ってるんですかー?!」
と大声で叫んだ。
その勢いに僕は言葉が出ず、茫然としてしまっていた。
「香月くんの髪は光に当たると金色に見えたり、白っぽく見えたり、何色にも変化するんですよ! もうホントに天使みたい」
うっとりした表情で僕の髪を弄る桧山さんに、僕も後ろで様子を見ている田村さんもなにもいえなかった。
この髪を生かすデザインを求められているらしく、桧山さんはひとしきり僕の髪を堪能するとテキパキと髪型を整えていった。
いつもは前に下ろしている前髪を柔らかなオールバックにし、右耳の後ろにはアマリリスで作った小さめの花飾りで髪を彩っていた。
髪型をセットした後で、リュウールのスキンケアシリーズを使ってすっぴんのキメを整えていく。
この日に合わせて、晴はリュウールのスキンケアシリーズで毎日ケアをしていたおかげか、元々シミひとつない綺麗な肌だったが、張りと潤いに満ちて艶々としてモチモチな肌に仕上がっていた。
「さぁ、出来ましたよ」
その言葉に僕は鏡を見て驚いてしまった。
「えっ? これ、僕?」
鏡の中には男性とも女性とも見える、本当に『美しい』という形容詞がぴったりな人がいた。
「うわぁ、香月くん! いいね」
田村さんも大満足のようでいろいろな角度から僕の姿を見ている。
あまりにもいつもと違う自分の姿に驚いて鏡に見入ってしまっていると、田村さんが優しく声をかけてくれた。
「次は衣装だよ。香月くん、行こっか。桧山さん、ありがとうね。メイク後の方も楽しみにしてるよ」
「はい。お任せください!」
その言葉を背に田村さんと衣装部屋へと移動した。
「おはようございます、棚橋さん」
田村さんは衣装部屋に入ると、そこにいた女性に声をかけた。
「ああ、田村さん。おはようございます。今日のモデルさんはこの子?」
「はい。香月 晴くんです。よろしくお願いしますね。香月くん、きょうの担当の衣装さんで棚橋さんだよ」
「香月晴です。棚橋さん、今日は宜しくお願いします」
僕が挨拶すると、棚橋さんはささっと近寄ってきて、全身を満遍なくチェックしていた。
「あら、男の子なの? 可愛いわぁ」
「あ、ありがとうございます」
「さぁ、こっちに衣装用意してるから」
と言われて差し出された衣装は真っ白なワンピースで僕は一瞬何事かと思って立ち止まってしまった。
「あの、これ……ですか?」
「ええ、そうよ。ほら、こっちに来て」
戸惑う僕の手をさっと引き、服を脱がせようとする。
田村さんはパッと後ろを向き、
「着替えが終わった頃、来るからね」
と言って部屋を出て行った。
はいと返事する間もなく、棚橋さんの手によって僕はインナーシャツとボクサーパンツだけの状態になっていた。
「これ、専用の下着も用意されているからあのカーテンのところで着替えてきてね」
差し出された下着はどう見ても女の子用だけれど、女性用化粧品のポスターなのだから仕方ないと自分を奮い立たせて試着の場所へと移動した。
インナーシャツを脱ぎ、渡された下着を取ると、どうやらキャミソールと言われる類いのものだった。
まあ、これなら全然イケるよねと思いながら、ドキドキしながら下着の方を見てみると、丈は短いが晴のよく知るボクサーパンツのようだった。
良かったーー!
ほっと胸を撫で下ろしてそれを履き、棚橋さんの元へと戻った。
「ああ、サイズぴったりね。良かったわ。じゃあ次はこっちの衣装ね」
棚橋さんは手慣れた様子でさっきの真っ白なワンピースを着付けてくれた。
「うん。よく似合うわ。香月くん、ほんと、天使だわ!」
自分の姿を見るのが怖かったけれど、恐る恐る鏡を見てみると、白のワンピースが絵本で見ていたようなエンジェルのように見えて、自分でも驚いてしまった。
メイクもしていないのに髪型と洋服でこんなに変わるんだー!
これなら僕だって気づかれなくていいかもね。
そう思うと、緊張が一気に解れていく気がした。
ヘアメイクと衣装合わせを終え、僕は田村さんとみんなの待つスタジオへと戻った。
「お待たせしました」
田村さんがそう声をかけると、みんなが一斉に僕の方を見た。
女の子のような格好をしていたから、みた瞬間てっきり笑われると思っていたけれど、僕と目が合ったと同時に今までザワザワしていたスタジオ内が一瞬にして水を打ったように静まり返った。
「あ、あの……?」
僕はどうしていいか分からず、隣にいた田村さんに助けを求めるように声をかけると、田村さんは笑って僕の肩をポンと優しく叩いた。
「みなさん、香月くんが困っていますよ」
田村さんの声に、最初に我に返ったのは隆之さんだった。
物凄い勢いで僕の元へとやってきた隆之さんは、
「晴、可愛い! 可愛いすぎるよ!」
と仕事モードを忘れたように僕を褒めてくれた。
「あの、早瀬さん。あんまり褒められると恥ずかしいです」
隆之さんに仕事モードに戻ってもらうように声をかけたけれど、聞こえているのかいないのか、隆之さんはしばらくの間ずっと『晴が可愛すぎる』と繰り返していた。
ようやく隆之さんの様子が落ち着いた頃、他の人たちも僕の近くへと集まってきた。
リュウールの緒方部長は僕の格好を上から下までじっくりと眺めて、
「いやー、香月くん。素晴らしいよ。うちのイメージピッタリだな」
と言ってくれて安心した。
「もう、誰も何も言ってくれないからよっぽど変だったのかなって心配しちゃいましたよ」
「変だなんて! あまりにも良すぎて声が出せなかったんだよ」
少し戯けて言ってみると、リュウールの友利さんが凄い勢いで否定してくれた。
「ふふっ。ありがとうございます。友利さんにそう仰っていただけたら、そんな気がしてきました」
やっぱり営業の人って凄いよね。
隆之さんも、友利さんも僕を褒めて気を楽にさせてくれるんだから。
「香月くん、こっちに来てくれるかな?」
少し離れた撮影ゾーンからカメラマンの永山さんの声がした。
「はーい」
返事をして向かおうとすると、右隣に隆之さん、左隣に田村さんがついて一緒に向かうことになった。
僕、1人でも行けるんだけどなと思いながらも、床にはコードなんかもあるし、転んだりしたらまた整えるのに時間がかかっちゃうしねと自分を納得させて一緒について行ってもらった。
撮影ゾーンに入り、永山さんと目があった途端、急に大笑いし始めた。
「ははっ。急に前室が静かになったと思ったら、これか」
「えっ? どういうことですか?」
僕は意味がわからずに聞き直して見たが、永山さんは笑うばかりで答えてはくれなかった。
「じゃあ、撮影始めようか」
「は、はい」
僕が返事をすると、隆之さんも田村さんもさっと撮影ゾーンから出ていき、カメラの影に隠れるように立っていた。
「香月くん、とりあえず最初はポーズとか気にしないでいいから話をしよっか」
「話……ですか?」
「ああ。そうだな、香月くんはハーフ……いやクォーターかな? 髪の色は地毛なの?」
「はい。母方の祖父がドイツの人で母よりも僕の方が祖父の血を受け継いだみたいで……でも、小さい時の方がもっと明るくって、今は落ち着いてきました」
「そうなんだ。香月くんのイメージによく合ってて良いと思うよ。香月くんは好き? おじいさまもその髪の色も」
「はい。もちろんです! でも、小さい時は嫌だなーって思ったこともあったんです。揶揄われてたので……」
「そっか。でも、今は好きなんだ?」
「はい。祖父がいてくれるから僕がここに居られるんだってわかったから……。鏡見るたび、祖父がついててくれるみたいで安心します」
永山さんはカメラも持たずに優しい目で話しかけてくれたので、僕もなんの気負いもなく祖父との思い出や祖父に対する気持ちも言うことができた。
永山さんは質問が的確で聞き上手だし話していてすごく楽しかった。人を緊張させないように話を振り続けるって大変だろうに、永山さんってほんと凄いなぁ。
「香月くん、次のヘアメイクしよっか」
「えっ? これは撮らなくて良いんですか?」
「ああ、えっと……うん、もうひとつの方でもリハーサルしておきたいから」
「ああ、なるほど。わかりました」
永山さんがカメラの影に立っていた隆之さんたちに『おーい』と声をかけると、すぐに2人は僕の隣に立って、桧山さんのところへ連れて行ってくれた。
隆之さんと田村さんは僕をメイクルームの椅子に座らせると、桧山さんと3人でボソボソと相談を始めた。
「何かあったんですか?」
僕は気になって声をかけて見たけれど、
「いや、リュウールさんからどんなメイクにするかの注文があったからそれを伝えてるんだ」
という返事が返ってきた。
ああ、そっか。それはそうだよね。
僕、ファンデーションとかつけるの初めてだからどんな感じになるのか楽しみだなぁ……。
「香月くん、じゃあ始めよっか」
桧山さんがメイクケープをぼくに付けてくれた。
「衣装はこのままこの服を着るらしいから、汚さないようにしないとね。先にメイクして、あとで軽く髪を整えるからね」
「わかりました。よろしくお願いします」
さっきすっぴんでの撮影の時にスキンケアはやっていたので、今回は下地から入っていくらしい。
すぐファンデーション付けるんじゃないんだ、初めて知ったなぁ。
鼻やおでこ、頬にほんの少し付けた下地を伸ばしていって、次にようやくリキッドファンデーションを伸ばしていく。
「スキンケアをして、すぐファンデーションかと思ったら他にも付けたりするんですね」
「本当はね、下地塗る前に日焼け止め塗ったり、ファンデーションした後は、コンシーラーって言って気になるところを部分的につけたり、全体にフェイスパウダーを付けたり、他にもアイメイクとか頬にチーク入れたり、まだまだやることはいっぱいだよ」
「えー、そんなに? 朝から大変なんですね」
「そんなにやっても香月くんみたいなプルプルで艶々な綺麗な肌になるのは難しいんだから! 香月くんは奇跡なんだよ」
すごく力説されてるけど、特に何にもしてないんだけどな……僕。
これは言わない方がいいのかも……ね。
「普通ならね、ファンデーションのポスターでもフルメイクでうつすんだけど、今回のポスターはファンデーションメインでやるらしいから、仕上げはしないでおくから、顔には触らないように注意してね」
「はい。わかりました」
髪型は、今度は左向きの写真になるから左側をメインに整えてもらって、さっきとは違う形のアマリリスの髪飾りを左耳に付けてもらう。
わぁ、この髪飾りも可愛いな。
「さぁ、出来上がりです。早瀬さん、田村さん、よろしくお願いします」
桧山さんの言葉に2人はさっとやってきて、僕の顔を見るなり目を丸くして驚いていた。
「うわぁ、桧山さんいいよ! 香月くんに色気が加わっていい感じですね。ねぇ、早瀬さん」
「晴、すごく良いよ! すっぴんとはまた印象が変わって、田村さんが言うように色気が出てる」
2人が言う色気ってどんなんだろう?
ぼくは鏡を覗いていろんな方向から見て、たしかにすっぴんとは全然違うけど、色気? がどんなのかはわからなかった。
永山さんの待つ撮影ゾーンに連れて行ってもらうと、
「ここに立ってて。また質問するからゆっくり話そう」
と言われ、また永山さんとの会話を楽しんだ。
「香月くん。香月くんは恋人いるの?」
てっきりまた家族の話とかそういうのだと思っていたのに……。
こ、恋人って、隆之さんのことだよね。
そういえば、誰にも話したことないや。
えーっ。なんて言ったらいいかなぁ……。
「い、いますよ」
うわーっ。多分今きっと僕、顔真っ赤になってる。
「どんな人なの?」
えーっ。どうしよう。
「えっと、すごく綺麗な人です」
「へぇー、香月くん、面食いなんだ!」
「い、いいえ。僕がその人を好きになったのは、顔が綺麗なのはもちろんありますけど、最初に気になったのは……匂いでしたね」
初めて電車の中で隆之さんの近くに立った時、ふわっと香ってきた匂い、あれは香水とかの香りじゃなかった。
多分あれは、隆之さん自身の匂いなのかもしれない。
「匂い? へぇ、どんな?」
「うーん、うまく言えないんですけど……レモンとシトラスを合わせたような爽やかな香りでなんだかすごく気持ちが落ち着いた気がしたんですよね。同じ空間にいるだけで安心するっていうか……その後でその香りの人がカッコいい……あ、いや綺麗な人だって分かって……。だから、きっかけは匂いですね」
危ない、危ない。
格好良いって言いかけちゃった。
隆之さんだって分かったら、迷惑かけちゃうよね。
「そうか。匂いか……。ねぇ、香月くん、知ってる? 良い匂いだって感じる人はアレの相性も良いらしいよ」
あれ?
あれってなんだろう?
「永山さん、あれって……」
「永山さん、いたずらが過ぎますよ!」
あっ、隆之さん! 田村さんもなんだか怒ってるみたい。
なに?
どうなってるの?
「ははっ。すみません。つい……」
永山さんは2人に謝ってから、僕にも
「ごめんねー、香月くん」
と謝ってくれたけれど、正直2人が怒った理由も、謝られた理由も何も分からなかった。
「じゃあ、香月くん。着替えよっか」
「次はすっぴんの方の写真の本番ですか?」
「いや、もう撮影は終わり。自分の服に着替えてもらって大丈夫だよ」
終わり?
撮影終わりって言った?
えっ? いつのまに?
「えっ? あの、撮影終わりって……」
「そっか。香月くん、本当に気づいてなかったんだ」
「気づいてないって?」
「さっき話してた時、実は手に持ってたワイヤレスリモコンでシャッター切ってたんだ。香月くんの素の表情が撮りたくて。はじめての撮影だと緊張しちゃうからね」
えーーっ。ただ話してるだけだと思ってたのに。
どんな写真が撮れてるんだろ?
着替えに向かおうとすると、
「田村さん、早瀬さん。ちょっといいですか?」
リュウールの緒方部長が2人を呼び止めた。
隆之さんも田村さんも、僕を着替えと荷物を運び込んでいる楽屋へと案内しようと思っていたらしく、一瞬どうしようかと悩んでいる様子だった。
「大丈夫ですよ。僕、先に行ってますね」
「すぐ向かうから、気をつけるんだよ」
2人して心配症だなぁ……。
ここから楽屋へ向かうくらいそんなに長い距離でもないんだから。
心配かけないように、
「はーい」と返事をしてスタジオを出た。
楽屋は一つ下の階にあり、エレベーターでいく距離でもないし……と階段で行くことにした。
楽屋のある階に着き、部屋へと向かう途中
「すみませーん」
後ろから声をかけられた。
あれ、この人誰だったかな?
「あの……?」
「ああ、僕……ここのスタジオスタッフの田中と言います。香月さんの楽屋の場所が変更になったのでお伝えにきました」
ああ、ここのスタッフの人か。
確かに見覚えがある気がする。
「そうなんですね。わざわざありがとうございます」
「こちらです。どうぞ」
カチャとドアノブを回し、連れてこられた部屋はスタジオやメイクルームと違って、物凄く簡素な部屋だった。
ふーん、楽屋ってこんな感じなんだ。
まあ、荷物置いたりするだけだし、シンプルなんだろうな。
「あの、荷物なんですけど……前の部屋に置いてあるんで急いで取ってきますね。撮影でお疲れのところすみません」
「ああ、急遽変更になったんですよね。仕方ないですよ。というか、僕……自分で取りに行きますよ?」
撮影もあっという間に終わったし、全然疲れてないし……。
「いえ、すぐ持ってきますんで。良かったらこれどうぞ! 撮影すると喉乾きますよね」
あ、僕の好きなアプフェルショーレだ。
「このジュース! 僕好きなんです。凄い! 久しぶりだから嬉しいな」
グラスを渡され受け取ると、田中さんはトプトプとアプフェルショーレを入れてくれた。
シュワシュワと炭酸の弾ける音に喉が鳴ってしまう。
「うわぁ、久しぶりだな」
クイっと喉に流し込むと、シュパースで飲んでいるものとはほんの少しいつもと違う気がした。
「あれ……? これ……」
そう声を出した途端、急に身体がフラフラし出したかと思うと、電気が消えてしまったかのように目の前が真っ暗になった。
これ、どういうこと?
そう思うだけで声にすることも出来ず、僕は床に倒れ込んだ。
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