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言わなければいけないこと
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何を入れようかなんて、悩む必要はない。田淵くんの好みはこの二ヶ月でじっくりと調査済みだ。そのために毎日見舞いに行ってジュースやスイーツを味わってもらったんだから。
コーヒーの類はあまり得意ではなかったようだけど、砂糖とミルクをたっぷり入れたカフェオレは目を輝かせていた。
フルーツ系のジュースは酸味の強いものよりは甘いものが好き。特にストレートの桃と、りんごは嬉しそうに飲んでいた。
24歳の田淵くんはアルコールは飲める年齢だが、調査によると、これまで大学では飲みの誘いを受けたことはない。その理由は常に一緒に行動しているのが砂川くんだからだ。砂川くん自身、酒に弱いらしく家族に酒を飲むのを禁止されているということでそれを大学でもしっかりと話しているせいか、砂川くんの周りでは飲み会の話題にならなかったようだ。
それでも数回田淵くんにも飲み会の誘いはあったが、試験前だったり、それこそ会費自体が捻出できないという理由で一度も参加したことはなかった。
正直なところ、田淵くんの味の好みや好きなものを鑑みると、おそらく酒はあまり強いとは言えない。いや、ほぼほぼ飲めないと言った方が正しいかもしれない。そんな気がする。だから、飲み会に参加できなくてよかったのだ。
ただ、田淵くんがどこまでなら大丈夫かを知るためにも一度二人で酒を飲んでおいた方がいいだろう。もちろんこの家で。田淵くんのデッドラインを知っておくのは大事なことだからな。
この日のために取り寄せておいた、最高級の桃ジュースを田淵くんのグラスに注ぎ、田淵くんの好きなバターがタップリのクッキーを皿に並べて俺のアイスコーヒーと共にリビングに運んだ。
「景色、気に入った?」
「は、はい。こんな高い場所からの景色を見るのは初めてでドキドキしてますけど、楽しいです」
「あれ? 砂川くんの家には行ったことなかったの?」
奴を捕まえるために彼の住んでいるところまで行ったけれど、ここまでと言わずともなかなか高さのあるマンションだった。友人なのだからてっきり家に行ったこともあるのだとばかり思っていた。
「えっ? 砂川くんちですか? 行ったことないです。前に、お兄さんの会社の社長さんのお家を借りてるからって聞いたことあったので、勝手に他人が入ったら迷惑だろうと思って……あ、砂川くんはおいでって言ってくれたんですけど、僕が断ってたんです」
「そうか、砂川くんのことを考えたんだな。偉いね」
今時ここまで気遣いのできる子はいないだろうな。本当に好感が持てる。
「さぁ、おいで。ジュースとお菓子があるよ」
テーブルに持ってきたトレイを置こうとすると、田淵くんが俺を待たせてはいけないと思ったのか、慌てて駆け寄ってくるのが視界に入った。
「わっ!」
焦りすぎて足がもつれたのかそのまま倒れそうになる田淵くんをさっと抱き寄せそのまま抱きかかえた。
「ひゃっ!」
「ダメだよ。まだ足がしっかり治ったわけじゃないんだから。ここでは焦らなくていいからね」
「は、はい」
突然俺が抱きかかえたせいで、顔が間近に見えて、田淵くんの顔が真っ赤になっている。
その理由をまだ理解していないだろうが、少なくとも意識はしてくれていると思う。まだきっと無意識なんだろうけど。
優しくソファーに座らせて、俺は隣に腰を下ろした。
本当は膝に乗せて食べさせたいくらいだが、もう少し進展しないと無理だろうな。
「さぁ、食べて」
「い、いただきます」
さっきのことでまだ緊張しているようだが、ジュースを一口飲むと、ぱあっと顔を綻ばせた。
「――っ、おいしいっ!」
「よかった。いっぱい買ってあるから好きに飲んでいいよ」
「僕のためにわざわざ……? すみません」
「田淵くんが喜ぶのが見たくて買ったんだ。だから美味しいって言ってくれるだけで嬉しいよ」
「河北さん……」
ああ、そうだ。そろそろ本当のことを言っておかないとな。まだ詳しくは言えないけれど、ここだけは変えてもらわないと。
「あのね、今日からここで田淵くんに住んでもらうから、いろいろ話をしておきたいことがあるんだけど」
「はい。なんでも言ってください。僕、頑張ります」
「そんな気を張らなくていいよ。実は……田淵くんに内緒にしていたことがあるんだ」
「えっ? 河北さんが、僕に? なんですか?」
「その名前だよ。本当は俺……河北じゃないんだ」
「えっ? 河北じゃない? どういうことですか?」
驚くのも無理はない。あの日出会ってから今までずっと河北で通してきたんだから。騙されたと思っていても不思議はないな。
「言ったろう? 本社から、あの店長の動向を調べるために内偵調査で来たって」
「は、はい。あっ! それで……」
「そうなんだ。流石に内偵調査で本名を使うわけにもいかなくてね。それで河北と名乗ったんだ。田淵くんと出会った時はまだ店長も捕まってない時だったし、田淵くんが砂川くんと話をした時に俺の名前が違うとややこしくなるだろうと思ったんだ」
「そう、ですよね……わかります」
「最初にそう名乗った手前、なかなか訂正する機会がなくて、結果的に田淵くんを騙すようなことになってしまった。本当にごめん」
「そんなっ、謝らないでください。お仕事ですから仕方のないことです。僕、騙されたなんて思ってませんから、河北さんが河北さんじゃなくても中身は変わらないです」
「よかった……本当のことを言って嫌われたらどうしようかと思った……」
「僕が河北さんを嫌うなんて、そんな……」
田淵くんが俺のことを思ってくれているのは確実だ。それが早く恋愛感情だと判らせないといけないな。
「あ、あの……」
「どうした?」
「あの……じゃ、お名前はなんて言うんですか?」
「ああ、そっか。俺は甲斐慎一だよ」
「甲斐、さん……」
「うん、だけど田淵くんには名前で呼んでもらいたいな」
「えっ? 名前、ですか?」
「ああ。これからまた仕事で偽名を使うこともあるし、下の名前は変わらないから」
「あ、そうですね。あの、じゃあ……慎一、さん……?」
「――っ、ああ! それで頼むよ」
田淵くんに名前を呼ばれただけで、飛び上がるほど嬉しかったなんてユウさんに言ったら驚かれるだろうな。いや、きっとユウさんも理解してくれるだろう。砂川くんに速攻で優一さんと呼ばせていたユウさんなら。
コーヒーの類はあまり得意ではなかったようだけど、砂糖とミルクをたっぷり入れたカフェオレは目を輝かせていた。
フルーツ系のジュースは酸味の強いものよりは甘いものが好き。特にストレートの桃と、りんごは嬉しそうに飲んでいた。
24歳の田淵くんはアルコールは飲める年齢だが、調査によると、これまで大学では飲みの誘いを受けたことはない。その理由は常に一緒に行動しているのが砂川くんだからだ。砂川くん自身、酒に弱いらしく家族に酒を飲むのを禁止されているということでそれを大学でもしっかりと話しているせいか、砂川くんの周りでは飲み会の話題にならなかったようだ。
それでも数回田淵くんにも飲み会の誘いはあったが、試験前だったり、それこそ会費自体が捻出できないという理由で一度も参加したことはなかった。
正直なところ、田淵くんの味の好みや好きなものを鑑みると、おそらく酒はあまり強いとは言えない。いや、ほぼほぼ飲めないと言った方が正しいかもしれない。そんな気がする。だから、飲み会に参加できなくてよかったのだ。
ただ、田淵くんがどこまでなら大丈夫かを知るためにも一度二人で酒を飲んでおいた方がいいだろう。もちろんこの家で。田淵くんのデッドラインを知っておくのは大事なことだからな。
この日のために取り寄せておいた、最高級の桃ジュースを田淵くんのグラスに注ぎ、田淵くんの好きなバターがタップリのクッキーを皿に並べて俺のアイスコーヒーと共にリビングに運んだ。
「景色、気に入った?」
「は、はい。こんな高い場所からの景色を見るのは初めてでドキドキしてますけど、楽しいです」
「あれ? 砂川くんの家には行ったことなかったの?」
奴を捕まえるために彼の住んでいるところまで行ったけれど、ここまでと言わずともなかなか高さのあるマンションだった。友人なのだからてっきり家に行ったこともあるのだとばかり思っていた。
「えっ? 砂川くんちですか? 行ったことないです。前に、お兄さんの会社の社長さんのお家を借りてるからって聞いたことあったので、勝手に他人が入ったら迷惑だろうと思って……あ、砂川くんはおいでって言ってくれたんですけど、僕が断ってたんです」
「そうか、砂川くんのことを考えたんだな。偉いね」
今時ここまで気遣いのできる子はいないだろうな。本当に好感が持てる。
「さぁ、おいで。ジュースとお菓子があるよ」
テーブルに持ってきたトレイを置こうとすると、田淵くんが俺を待たせてはいけないと思ったのか、慌てて駆け寄ってくるのが視界に入った。
「わっ!」
焦りすぎて足がもつれたのかそのまま倒れそうになる田淵くんをさっと抱き寄せそのまま抱きかかえた。
「ひゃっ!」
「ダメだよ。まだ足がしっかり治ったわけじゃないんだから。ここでは焦らなくていいからね」
「は、はい」
突然俺が抱きかかえたせいで、顔が間近に見えて、田淵くんの顔が真っ赤になっている。
その理由をまだ理解していないだろうが、少なくとも意識はしてくれていると思う。まだきっと無意識なんだろうけど。
優しくソファーに座らせて、俺は隣に腰を下ろした。
本当は膝に乗せて食べさせたいくらいだが、もう少し進展しないと無理だろうな。
「さぁ、食べて」
「い、いただきます」
さっきのことでまだ緊張しているようだが、ジュースを一口飲むと、ぱあっと顔を綻ばせた。
「――っ、おいしいっ!」
「よかった。いっぱい買ってあるから好きに飲んでいいよ」
「僕のためにわざわざ……? すみません」
「田淵くんが喜ぶのが見たくて買ったんだ。だから美味しいって言ってくれるだけで嬉しいよ」
「河北さん……」
ああ、そうだ。そろそろ本当のことを言っておかないとな。まだ詳しくは言えないけれど、ここだけは変えてもらわないと。
「あのね、今日からここで田淵くんに住んでもらうから、いろいろ話をしておきたいことがあるんだけど」
「はい。なんでも言ってください。僕、頑張ります」
「そんな気を張らなくていいよ。実は……田淵くんに内緒にしていたことがあるんだ」
「えっ? 河北さんが、僕に? なんですか?」
「その名前だよ。本当は俺……河北じゃないんだ」
「えっ? 河北じゃない? どういうことですか?」
驚くのも無理はない。あの日出会ってから今までずっと河北で通してきたんだから。騙されたと思っていても不思議はないな。
「言ったろう? 本社から、あの店長の動向を調べるために内偵調査で来たって」
「は、はい。あっ! それで……」
「そうなんだ。流石に内偵調査で本名を使うわけにもいかなくてね。それで河北と名乗ったんだ。田淵くんと出会った時はまだ店長も捕まってない時だったし、田淵くんが砂川くんと話をした時に俺の名前が違うとややこしくなるだろうと思ったんだ」
「そう、ですよね……わかります」
「最初にそう名乗った手前、なかなか訂正する機会がなくて、結果的に田淵くんを騙すようなことになってしまった。本当にごめん」
「そんなっ、謝らないでください。お仕事ですから仕方のないことです。僕、騙されたなんて思ってませんから、河北さんが河北さんじゃなくても中身は変わらないです」
「よかった……本当のことを言って嫌われたらどうしようかと思った……」
「僕が河北さんを嫌うなんて、そんな……」
田淵くんが俺のことを思ってくれているのは確実だ。それが早く恋愛感情だと判らせないといけないな。
「あ、あの……」
「どうした?」
「あの……じゃ、お名前はなんて言うんですか?」
「ああ、そっか。俺は甲斐慎一だよ」
「甲斐、さん……」
「うん、だけど田淵くんには名前で呼んでもらいたいな」
「えっ? 名前、ですか?」
「ああ。これからまた仕事で偽名を使うこともあるし、下の名前は変わらないから」
「あ、そうですね。あの、じゃあ……慎一、さん……?」
「――っ、ああ! それで頼むよ」
田淵くんに名前を呼ばれただけで、飛び上がるほど嬉しかったなんてユウさんに言ったら驚かれるだろうな。いや、きっとユウさんも理解してくれるだろう。砂川くんに速攻で優一さんと呼ばせていたユウさんなら。
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