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第五章 (王城〜帰郷編)
フレッド 49−2
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「レオン、それはまことか?」
「はい。もちろん今の記憶ももちろんございます。ですが、ルイ・ハワードとしての記憶は日を追うごとに増すばかりでございます。私はシュウさまをお守りするために騎士を志し、亡くなるその時までシュウさまを思い続けておりました。そして、いつか生まれ変わった時には今度こそシュウさまを一生懸けてお守りすると誓ったのです」
レオンのキッパリとした言葉にアレクはふぅ……と一息ついて、
「あの伝説の勇者ルイ・ハワードが数百年の時を超えて、シュウ殿をお守りするために甦ったとあれば、私が反対することなどできるはずもない。レオンがオランディアの国防にとってなくてはならない人物であることに変わりはないが、神の力によって生まれたシュウ殿をお守りすることは、ひいてはオランディアを守ることになるのだからな。レオンのいる場所が変わるだけだ。結局は我々を守ってくれるのと同義だろう。レオン、其方の心のままに行くが良い。サヴァンスタックでシュウ殿を精一杯お守りしてくれ」
と返した。
「陛下……私のわがままをお聞き届けいただきありがとうございます。この御恩に報いるためにも一生をかけてシュウ殿をお守りいたします」
「ああ、そうしてくれ。それから、フレデリック……出立は明後日だったな?」
「そうだ。慌ただしくさせてすまないな」
「いや、心配ない。ただ、レオンは出立までに引き継ぎだけはしっかりと頼む」
「はっ。承知いたしました」
アレクがレオンをじっと見つめていたのはきっと別れを惜しんでいるのだろう。
流石に出立当日に国王のアレクが悲しげな表情を見せるわけにはいかないからな。
「レオン、其方がルイ・ハワードの生まれ変わりだと聞いて驚いたが……そう考えれば納得するところもある」
「えっ? 納得……でございますか?」
「ああ。其方はどれだけ縁談を持ちかけても首を縦には振らなんだし、誰にも興味を持っているように見えなかったからな。てっきり人を愛することなどわからないと思っていたが、シュウ殿をずっと想っていたのなら無理はない。シュウ殿以上に心惹かれる人などいなかっただろうからな」
「はい。ルイとしての記憶のない頃からその想いは受け継がれてきていたのかもしれません」
「フレデリック、お前よくレオンをシュウ殿の護衛にしようと思ったな? これほどシュウ殿に思いを寄せているものを近くに置くのは心配ではないのか?」
「アレク……私も最初レオンがルイだとわかった時は心底震えた。途轍もないものが好敵手になったものだと不安でたまらなかったが、シュウがはっきりと言ってくれたのだ。私以外に心を動かされることは絶対にないと。それに私たちは唯一だからな、例えレオンがシュウを奪おうとしても無理なんだよ」
「ああ、なるほど。確かにな。フレデリック……お前、シュウ殿にそんなはっきりと言われて嬉しかっただろう?」
「それはもう言葉には言い表せないくらいの幸せに決まっているだろう? これほどの時を超えて思い続けたものよりも私が良いと言ってくれたのだぞ」
「ふふっ。そうだな。レオンはそれでよかったのか? シュウ殿への想いを残したまま二人のそばに居続けられるのか?」
「ご心配くださりありがとうございます。ですが、ルイは初めてシュウ殿とお会いしたときにこの上ないほどに振られているのですよ」
「えっ? そうなのか?」
「はい。それでもシュウ殿をお守りするためだけに騎士になったのです。シュウさまへの想いは恋愛感情ではなく、人間としてそばで仕えたい、守りたいという尊敬の念だったと思います。ですから、おそばにいられるだけでルイの想いは成就されるのですよ」
穏やかな表情で言い切るレオンにアレクは安堵しているようだ。
ようやく私に見つかった唯一であるシュウを巡って私とレオンが血みどろの戦いでもしたらとんでもないことになると想っていたのだろう。
まぁ仮にもしこのオランディア最強騎士団長のレオンとシュウをかけて戦うことになったとしても、私は絶対に負けたりはしないがな。
「アレク、せっかくこの機会だ。もう少し話していたかったが、シュウを部屋に残しているのでそろそろ私は部屋に戻る。またいつかアレクがサヴァンスタックに来てくれた時にでもゆっくりと話そう」
「そうだな。レオン、今まで我々に尽くしてくれてありがとう。これからはシュウ殿を守って差し上げてくれ」
「はい。陛下、本当にありがとうございます」
レオンは何度も頭を下げながら、一緒に部屋を出た。
「フレデリックさま。ご同行賜りありがとうございます」
「いや、私の頼みで其方を貰い受けるのだからな」
「精一杯努めさせていただきます」
「ああ、頼むよ。シュウはかなり危なっかしいところがあるからな」
「危なっかしい? ああ、確かに」
レオンが笑顔を見せたのはあの厩舎での出来事を思い出したのだろうか?
「まぁじっくり教えていこう」
そう言って私はレオンの肩をポンとたたき、シュウの待つ部屋へ戻った。
出立までの二日は本当にあっという間だった。
おそらくブライアン一人ではこんなに短時間で荷造りを完成することは不可能であっただろう。
馬車一台丸々シュウの荷物でいっぱいになり、もう一台に私の荷物とマクベスや騎士たちの荷物を乗せることでなんとか収まった。
シュウは私が作らせた服に身を包み、名残惜しそうに私たちの部屋をじっくりとみて回っていた。
数ヶ月もの間過ごした[月光の間]。
言ってみれば今から帰るサヴァンスタックよりも思い出深い場所だ。
トーマ王妃との思い出もたくさんあるからな。
そういえば、あの時代に行ったばかりの頃、トーマ王妃が怪我をさせられて代わりにシュウがアンドリュー王と公務に行ったことがあった。
あの日、トーマ王妃に誘われてこの部屋で話をしたのだったな。
ふふっ。窓から入ってきた蜂で慌てふためくトーマ王妃は本当にシュウによく似ていた。
あの時だったな、シュウがトーマ王妃の子だとわかったのは……。
あれからいくつもの日を過ごして私たちはようやくこの時代に帰ってきたのだ。
そう。私の知る、あの暗黒のような時代とは似ても似つかぬほど素晴らしい時代に。
アンドリュー王とトーマ王妃、そしてヒューバートや、そしてパールが私たちのためにより良い世界にしてくれた恩に報いるためにも、これから私はサヴァンスタックを今まで以上に繁栄させ、このオランディアのためになるようにしなければな。
アンドリュー王、みていてください。
私は絶対にやって見せます。
4人で揃いで作った指輪に触れながらそう誓うと、指輪はほんのりと光を放った気がした。
時を超えて、アンドリュー王にきっと伝わっているのだろう。
そう思うだけで私の心は晴れやかになっていた。
「シュウ、そろそろ出発の時間だ。兄上と姉上に挨拶に行こう」
寝室にいたシュウに声をかけ、アレクたちのいる[王と王妃の間]に向かった。
昨日までは少し寂しげにしていたアレクだったが、今日はにこやかな笑顔を見せている。
きっとシュウに対して強がって見せているのだろう。
ふふっ。こういうところは子どもの頃のアレクらしい。
アレクにサヴァンスタックに遊びにきてくれと話をしてから、レオンのことについてもう一度礼を言った。
「レオンの引き継ぎはうまくいったのか?」
「騎士団内は相当驚いていたが、副団長のカイルがやる気を見せてくれたようでな。背中を押してくれたようだ」
「そうか。いい部下に恵まれたのだな」
「そんなレオンを連れて行くのだから、よろしく頼むぞ」
「ああ。任せてくれ」
さて、そろそろ出発の時間だ。
シュウはアリーチェ王妃との挨拶は終わっただろうか。
フッとシュウの方を見やると、なんだかアリーチェ王妃と楽しそうに話をしている。
他所から王族に嫁いできたという同じ立場だからだろうか。
やけに仲良くなっているようだが、どうもアリーチェは同じ嫁のようにシュウを感じているようだな。
アリーチェ王妃はこれまでそのような深い話をできる相手がいなかったのだろうな。
シュウがそばにいればもっと楽しく過ごせるだろうに……。
王都からサヴァンスタックは遠いから二人とも寂しくなるだろうな。
可哀想だとは思いつつ、シュウに声をかけた。
シュウは最後に笑顔でアリーチェ王妃にサヴァンスタックに遊びにきてと誘っていたが、アリーチェ王妃がアレクと一緒に行くと嬉しそうに返していた。
その仲睦まじい様子に私は微笑ましく思ったが、シュウはなぜか顔を赤くしていた。
どうかしたのかと尋ねるとなんでもないと言っていたが、きっと何かあるに違いない。
今はそっとしておくが馬車で二人になったら聞いてみるとしよう。
アレクたちと共に部屋を出ると、マクベスとブライアンが並んで待っていた。
「マクベス、二人をくれぐれも頼むぞ」
アレクにそう言われて、マクベスは自信満々に答えていた。
皆が待つサヴァンスタックへの旅だ。
マクベスもきっと楽しみに違いない。
シュウはブライアンに紅茶のお礼を言っていた。
私もここでブライアンの紅茶を飲めるとは思ってもみなかったから、感動したな。
「ブライアン、本当に達者で暮らしてくれよ。私も久々にお前の紅茶が飲めて嬉しかったのだからな」
また次回、王城に出向いた際にはブライアンの紅茶が飲みたい。
その思いでブライアンに告げると、ブライアンは涙を潤ませながらも必死に堪えようとしていた。
私はお前がこの世を去った時にこの上ないほど涙を流した。
その時の別れに比べれば、お前は生きているのだからな。
今日の別れなど悲しくはない。
ブライアンとまた新たな思い出ができたことに感謝しながら、そして、また会えることを楽しみに私は玄関へと向かった。
玄関に用意された、マクベスの乗ってきたサヴァンスタック公爵家の紋章入りの馬車を見て懐かしさに心が震える。
ああ、この馬車だ。
この馬車に乗って私はシュウとこの城にやってきたんだ。
あの時、初めてみる王都に漆黒の綺麗な瞳を輝かせているシュウと違って、私の心は重かった。
サヴァンスタックにいるよりもずっと嫌悪される姿をシュウに見られるのが怖かったのだ。
この城に着いた後も美しいシュウと醜い私との対比があまりにも凄まじく、同じ部屋に入るのも止められそうになったのだった。
ああ、この馬車に乗って帰る道のりはなんと心軽やかなことか。
同じ馬車に乗り込むとは思えないほどの幸福感だ。
我々の見送りのために集まってくれた者たち、皆の顔に嫌悪感がないのが本当に嬉しい。
シュウを抱き上げ馬車に乗り込むと、すでにパールがいた。
一番忘れてはいけない私たちの戦友とでも言おうか、それくらい大事な存在だからな。
シュウを見て嬉しそうにキューンと鳴くパールの声も、城にやってきた時より明るく感じるのは気のせいではないだろう。
馬車の外では、アレクがレオンと別れを惜しみながらも私とシュウの警護を頼むぞと発破をかけているのが見える。
シュウにはレオンが騎士団を辞め、我々と共にサヴァンスタックに来るということを昨日レオンと共に話をしたのだが、シュウにとってそれはかなりの驚きだったようだ。
ルイだった時も、そしてレオンである今もずっと騎士団長として過ごしてきたのだから、今世も騎士団長として生涯を終えるとでも思っていたのだろう。
レオンが名誉ある騎士団長を辞め、自分の専属護衛となることを決めたことに申し訳なさそうにしていたが、最終的にはレオンが専属護衛となることを認めてくれたのだ。
あの時のレオンの嬉しそうな顔といったら言葉にできないほど幸せそうだった。
レオンがアレクに深々と頭を下げているのが見える。
「私の命に変えてもシュウさまをお守りいたします」
レオンの決意に満ちたこの言葉が馬車の中にまで聞こえてくる。
その瞬間、シュウは目を大きく見開いて驚いていた。
「レオンさん、もしかしてぼくのためについてきてくれるの?」
シュウの疑問を聞いて私も思い出した。
そういえば、レオンをシュウの専属護衛にと話したのはシュウがアリーチェ王妃とお茶会をしている時だったな。
おそらくシュウはレオンがシュウの専属護衛になると自分で言い出したと思っていたのだろう。
私がレオンにシュウの専属護衛になるように頼んだと教えるとシュウは一番の驚きの表情を見せた。
それはそうだろう。
ルイとしてのレオンがシュウを好きだといっていたのだからな。
そんな者をシュウのそばに置いておくはずがないと思うのは無理もない。
だが、私はレオンのようにシュウを心から守りたいと思ってくれている者にシュウを頼みたいと思ったんだ。
そう話すと、シュウは嬉しそうに顔を綻ばせた。
それにレオンはトーマ王妃やアンドリュー王、そしてヒューバートやブルーノといった、私たちにとって懐かしい人たちの話を知る唯一の者。
懐かしい話ができるのは本当に幸せなことだよ。
私が笑顔を見せると、シュウも安堵の表情を見せてくれた。
別れの挨拶も終わり、皆に見送られながら馬車はサヴァンスタックに向けて出発した。
最初の休憩地までは2時間。
サヴァンスタックまで5日もあれば余裕で着くらしいとシュウに話すとかなり驚いていたが、その理由の一つにシュウが車大工であるバーナードに馬車の改良を教えたことで馬車が格段に進化していると教えると、シュウはそのことをすっかり忘れていたようだったが、良い方向に進んだのならよかったと嬉しそうにしていた。
自分の手柄もすぐに忘れるほど、シュウにとっては大したことを教えたつもりはなかったのだろう。
そんなシュウも愛おしくてたまらない。
そんな話をしていると、シュウが帰り道に行きたい場所があると言い出した。
あまり要望など言わないシュウのことだ。
どんな願いでも叶えてあげたい。
「あのね、ぼく……前にフレッドに食べさせてもらったあのお米が食べられるレストランに行きたいな」
ふふっ。やはりな。
シュウならあそこに行きたがると思っていた。
そうだろうと思って、私はマクベスにその店があるのかどうかを先に尋ねていたのだ。
以前と変わらずアンナとリューイはあの場所に店を構えていたし、シュウが楽しみにしているであろう白米も存在していた。
やはり歴史が変わってもシュウが求めるものは変わっていないようだ。
シュウが残念がる世界にはなっていないということなのだろうな。
アンドリュー王とトーマ王妃の時代にはまだ白米はこのオランディアには流通していなかった。
シュウはそのことを知り、自分だけが主食である白米をここで食べられたことに申し訳なさを抱いていたようでトーマ王妃にも食べさせてやりたいと思っていたようだが、残念ながらあの時代では願いは叶えることはできなかった。
シュウの残念そうな表情にもしかしたら今でもそのことを悔いているのではないか? と心配になったが、どうやらそのことは吹っ切れたようだ。
シュウはアンナとリューイの店に行きたい理由を嬉しそうに教えてくれた。
「ぼくはあっちの世界で主食としてお米を食べてたけど、特別思い出があるわけじゃないんだ。言ってみれば、死なないように最低限ご飯を食べてただけで楽しい思い出があるわけでもない。でもね、今、お米のことを思い出したら、あの時のフレッドとの楽しい食事を思い出すんだ。アンナさんたちと楽しくしゃべって、美味しいお米とお刺身を食べたあの思い出をフレッドとまた一緒にできたらいいなって……だから、アンナさんたちのお店に行きたいんだよ」
シュウは米を食べたいと言い出すだろうと予想はしていた。
だからこそマクベスに調べさせたわけだが、シュウが米を食べて故郷を懐かしむかもしれないと少し不安になっていたのだ。
しかし、シュウは米を食べると私との思い出を懐かしんでくれると言ってくれた。
しかも、シュウにとって故郷はサヴァンスタックであり、私のいる場所がシュウのいる場所なのだと断言してくれたのだ。
愛する伴侶からそのようなことを言われて嬉しくないわけがない。
私はシュウを抱きしめ、馬車に並走して走る騎士たちにシュウの姿が見られないように配慮しながら、甘い口づけを交わし続けた。
パールは我々に気を利かせたのか、寝床となる籠の中で静かにしているようだ。
これならずっと同じ馬車に乗せてやってもいいな。
甘い唾液を堪能し、シュウと抱きしめあっていると不意に私の胸に重みがきた。
重みと言っても微々たるものだが……。
見ればシュウが私の腕の中ですやすやと眠っているのが見える。
おそらく昨日は出立前で熟睡できなかったのだろう。
穏やかな馬車の揺れに眠りを誘われ眠る姿は天使そのもの。
このなにも知らない子どものような寝姿を見せてくれるシュウが、夜には淫らに私の下で艶かしい嬌声を上げるのだからな。
誰も信じられないだろうがそれでいい。
シュウの淫らな姿は私だけが知っていればいいんだ。
私はシュウの軽やかな重みを胸に抱き、幸福感に溢れながら車窓を流れる景色には目もくれずにただひたすらにシュウの可愛らしい寝顔を見て過ごした。
「シュウ、そろそろ最初の休憩地に着くよ」
まだゆっくりと寝かせてやりたいが、休憩はしておかなくてはな。
可哀想だと思いながらシュウに声をかけると、まだ眠そうな顔をして私を見上げた。
寝てしまってごめんと謝るシュウに、寝顔を見られて幸せだと告げると恥ずかしそうに笑う。
その顔すらも愛おしい。
「ほら、目覚めた時はシュウから口づけをしてくれる約束だろう?」
寝室ならいつも唇に口づけをしてくれるが、ここは馬車の中。
きっと頬だろうが、それでもいい。
シュウからやってくれることに意義があるんだ。
シュウに顔を近づけると、唇に柔らかく甘い感触がした。
驚いてシュウを見ると、
「えへへっ。唇にちゅーしちゃった」
と可愛らしく微笑んでくる。
シュウの可愛さにおかしくなりそうだ。
このままシュウを押し倒してしまいたいが、他の者たちに夜のシュウの顔を見せるわけにはいかないからな。
ここは我慢だ。
唇に軽く重ねてからシュウを抱きかかえて馬車を降りた。
「きゃーっ! サヴァンスタック公爵さま~!!」
「ご伴侶さま~!!」
警護の騎士たちのはるか遠くから私たちを呼ぶ声が聞こえる。
その声にシュウはビクリと身体を震わせて私に強く抱きついてきた。
ふふっ。怖がるシュウもかわいい。
私たちを歓迎しているのだと教えてやると安堵の表情を見せていた。
嬉しそうにしていたというのに、シュウが突然私の腕から下りると言い出した。
なぜだ?
シュウをこのまま抱いていたいのに。
するとシュウは
「せっかくだからフレッドと手を繋いでこの街を歩きたいなって……」
可愛く見上げてきた。
そんなことを言われて下ろさないわけにはいかない。
シュウを腕から下ろし、以前シュウから教えてもらった『恋人繋ぎ』をするとシュウはよく覚えていたねと嬉しそうに笑っていた。
シュウが教えてくれたものを忘れるわけがないだろう。
それくらいあの時の『でーと』は私にとって幸せな出来事だったのだから。
マクベスが声をかけておいてくれたというカフェに向かう途中、
「フレッド、呼ばれてるよ!」
とシュウに声をかけられた。
シュウしか目に入っていないから気づきもしなかった。
シュウに言われて声の聞こえた方に手を振ると、
「きゃーーっ!」
と黄色い声が上がった。
私を見ても嫌悪感もないのは嬉しいが、彼女たちの視線はシュウを見ているのがわかる。
まぁそうだろう。
トーマ王妃にこれほどそっくりなのだからな。
そう思っていると、突然シュウが腕を組んで歩きたいと言い出し、私の腕にぎゅっと抱きついてきた。
シュウが人前で自分から積極的に抱きついてくるとは実に珍しい。
驚いたがシュウに抱きつかれるのが嫌なわけがない。
そのままシュウと寄り添ったままカフェに向かった。
カフェの店員に歓待されたのが嬉しくてつい、いつも頼む個室ではなく他の客もいる場所を選んでしまった。
シュウも私がそんな席を選んだことに驚いていたが見せびらかしたいのだから仕方がない。
本当はずっとこうしていたかったのだ。
紅茶と少しの焼き菓子を頼む店員はすぐに持ってきた。
シュウのために注文したものだから好きなだけ食べていいというと、シュウは焼き菓子をひとつ手に取り、
「あ~ん」
と差し出してきた。
まさかシュウからこんなことをしてくれようとは……。
「ねぇ、食べて……」
こんなに可愛らしく言われてはかえって照れてしまうな。
シュウの指ごと口に入れると、店内は一気に騒がしくなったが、レオンが周囲に眼光鋭く見せるとあたりはまた静けさを取り戻した。
それを確認してシュウにも食べさせると、今度はシュウまでもが私の指まで舐め
「ふふっ。フレッドの指まで食べちゃったね」
と天使のような笑顔を見せる。
そのあまりにも可愛らしい笑顔にレオンの鋭い眼光は威力を一気に失って、店内はあちらこちらから上がった大声で収拾がつかない状況になってしまい、シュウはその大きな声に身体を震わせていた。
ああ、私が見せびらかしたいなどと思ったばかりにシュウを怖がらせてしまったな。
すぐにレオンに個室を用意するように頼み、私たちは個室へと移動した。
頭を下げる店員に店内を騒がせて悪かったと声をかけ、改めてもう一度紅茶と焼き菓子を頼んだ。
レオンも外に出ていき、ようやく二人だけの空間が訪れた。
ああ、やはりこのようが落ち着く。
私が人気者だから大騒ぎになったとシュウはいうが、いやいや、明らかにシュウの笑顔で大騒ぎになっていただろう。
だが、シュウはカフェの外で声をかけてきた子たちのことを話題に出し、頬を少し膨らませながらあの子たちが可愛かったと言い出した。
これはもしかして嫉妬しているのか?
ふふっ。
本当になんて愛らしいのだろう。
私はシュウ以外なにも見えていないというのに。
だが、シュウがこう思うくらいシュウを不安にさせてしまっただろうかと心配になり聞いてみると、
「可愛い女の子たちがフレッドに声をかけてるの見たら、なんだか急にぼくが隣にいて似合わないって思われてないかなって不安になっちゃって……」
と言い出した。
シュウがそんなことを思っていたとは……。
こうなったらシュウには私の思いをしっかりと伝えておかねばな。
「私たちの戻った世界がどんな世界になっていようとも、私はシュウだけを愛し続けると。そうアンドリュー王とトーマ王妃の前でかたく誓っただろう? 私はそれをおいそれと反故にするほど生半可な気持ちで誓ったわけではないぞ。私はどんな世界であってもシュウだけを愛し続ける。だから安心してそばにいてくれ」
そういうとシュウはようやく理解してくれたのか涙を潤ませながら頷いてくれた。
今回はシュウが嫉妬してくれたが、私の方こそ嫉妬してばかりだ。
見目で嫌悪されない世界に来たのだからもう少し寛大にならなければ。
そして、シュウに呆れられないようにしなければな。
できるかどうかは難しいところではあるが……。
「はい。もちろん今の記憶ももちろんございます。ですが、ルイ・ハワードとしての記憶は日を追うごとに増すばかりでございます。私はシュウさまをお守りするために騎士を志し、亡くなるその時までシュウさまを思い続けておりました。そして、いつか生まれ変わった時には今度こそシュウさまを一生懸けてお守りすると誓ったのです」
レオンのキッパリとした言葉にアレクはふぅ……と一息ついて、
「あの伝説の勇者ルイ・ハワードが数百年の時を超えて、シュウ殿をお守りするために甦ったとあれば、私が反対することなどできるはずもない。レオンがオランディアの国防にとってなくてはならない人物であることに変わりはないが、神の力によって生まれたシュウ殿をお守りすることは、ひいてはオランディアを守ることになるのだからな。レオンのいる場所が変わるだけだ。結局は我々を守ってくれるのと同義だろう。レオン、其方の心のままに行くが良い。サヴァンスタックでシュウ殿を精一杯お守りしてくれ」
と返した。
「陛下……私のわがままをお聞き届けいただきありがとうございます。この御恩に報いるためにも一生をかけてシュウ殿をお守りいたします」
「ああ、そうしてくれ。それから、フレデリック……出立は明後日だったな?」
「そうだ。慌ただしくさせてすまないな」
「いや、心配ない。ただ、レオンは出立までに引き継ぎだけはしっかりと頼む」
「はっ。承知いたしました」
アレクがレオンをじっと見つめていたのはきっと別れを惜しんでいるのだろう。
流石に出立当日に国王のアレクが悲しげな表情を見せるわけにはいかないからな。
「レオン、其方がルイ・ハワードの生まれ変わりだと聞いて驚いたが……そう考えれば納得するところもある」
「えっ? 納得……でございますか?」
「ああ。其方はどれだけ縁談を持ちかけても首を縦には振らなんだし、誰にも興味を持っているように見えなかったからな。てっきり人を愛することなどわからないと思っていたが、シュウ殿をずっと想っていたのなら無理はない。シュウ殿以上に心惹かれる人などいなかっただろうからな」
「はい。ルイとしての記憶のない頃からその想いは受け継がれてきていたのかもしれません」
「フレデリック、お前よくレオンをシュウ殿の護衛にしようと思ったな? これほどシュウ殿に思いを寄せているものを近くに置くのは心配ではないのか?」
「アレク……私も最初レオンがルイだとわかった時は心底震えた。途轍もないものが好敵手になったものだと不安でたまらなかったが、シュウがはっきりと言ってくれたのだ。私以外に心を動かされることは絶対にないと。それに私たちは唯一だからな、例えレオンがシュウを奪おうとしても無理なんだよ」
「ああ、なるほど。確かにな。フレデリック……お前、シュウ殿にそんなはっきりと言われて嬉しかっただろう?」
「それはもう言葉には言い表せないくらいの幸せに決まっているだろう? これほどの時を超えて思い続けたものよりも私が良いと言ってくれたのだぞ」
「ふふっ。そうだな。レオンはそれでよかったのか? シュウ殿への想いを残したまま二人のそばに居続けられるのか?」
「ご心配くださりありがとうございます。ですが、ルイは初めてシュウ殿とお会いしたときにこの上ないほどに振られているのですよ」
「えっ? そうなのか?」
「はい。それでもシュウ殿をお守りするためだけに騎士になったのです。シュウさまへの想いは恋愛感情ではなく、人間としてそばで仕えたい、守りたいという尊敬の念だったと思います。ですから、おそばにいられるだけでルイの想いは成就されるのですよ」
穏やかな表情で言い切るレオンにアレクは安堵しているようだ。
ようやく私に見つかった唯一であるシュウを巡って私とレオンが血みどろの戦いでもしたらとんでもないことになると想っていたのだろう。
まぁ仮にもしこのオランディア最強騎士団長のレオンとシュウをかけて戦うことになったとしても、私は絶対に負けたりはしないがな。
「アレク、せっかくこの機会だ。もう少し話していたかったが、シュウを部屋に残しているのでそろそろ私は部屋に戻る。またいつかアレクがサヴァンスタックに来てくれた時にでもゆっくりと話そう」
「そうだな。レオン、今まで我々に尽くしてくれてありがとう。これからはシュウ殿を守って差し上げてくれ」
「はい。陛下、本当にありがとうございます」
レオンは何度も頭を下げながら、一緒に部屋を出た。
「フレデリックさま。ご同行賜りありがとうございます」
「いや、私の頼みで其方を貰い受けるのだからな」
「精一杯努めさせていただきます」
「ああ、頼むよ。シュウはかなり危なっかしいところがあるからな」
「危なっかしい? ああ、確かに」
レオンが笑顔を見せたのはあの厩舎での出来事を思い出したのだろうか?
「まぁじっくり教えていこう」
そう言って私はレオンの肩をポンとたたき、シュウの待つ部屋へ戻った。
出立までの二日は本当にあっという間だった。
おそらくブライアン一人ではこんなに短時間で荷造りを完成することは不可能であっただろう。
馬車一台丸々シュウの荷物でいっぱいになり、もう一台に私の荷物とマクベスや騎士たちの荷物を乗せることでなんとか収まった。
シュウは私が作らせた服に身を包み、名残惜しそうに私たちの部屋をじっくりとみて回っていた。
数ヶ月もの間過ごした[月光の間]。
言ってみれば今から帰るサヴァンスタックよりも思い出深い場所だ。
トーマ王妃との思い出もたくさんあるからな。
そういえば、あの時代に行ったばかりの頃、トーマ王妃が怪我をさせられて代わりにシュウがアンドリュー王と公務に行ったことがあった。
あの日、トーマ王妃に誘われてこの部屋で話をしたのだったな。
ふふっ。窓から入ってきた蜂で慌てふためくトーマ王妃は本当にシュウによく似ていた。
あの時だったな、シュウがトーマ王妃の子だとわかったのは……。
あれからいくつもの日を過ごして私たちはようやくこの時代に帰ってきたのだ。
そう。私の知る、あの暗黒のような時代とは似ても似つかぬほど素晴らしい時代に。
アンドリュー王とトーマ王妃、そしてヒューバートや、そしてパールが私たちのためにより良い世界にしてくれた恩に報いるためにも、これから私はサヴァンスタックを今まで以上に繁栄させ、このオランディアのためになるようにしなければな。
アンドリュー王、みていてください。
私は絶対にやって見せます。
4人で揃いで作った指輪に触れながらそう誓うと、指輪はほんのりと光を放った気がした。
時を超えて、アンドリュー王にきっと伝わっているのだろう。
そう思うだけで私の心は晴れやかになっていた。
「シュウ、そろそろ出発の時間だ。兄上と姉上に挨拶に行こう」
寝室にいたシュウに声をかけ、アレクたちのいる[王と王妃の間]に向かった。
昨日までは少し寂しげにしていたアレクだったが、今日はにこやかな笑顔を見せている。
きっとシュウに対して強がって見せているのだろう。
ふふっ。こういうところは子どもの頃のアレクらしい。
アレクにサヴァンスタックに遊びにきてくれと話をしてから、レオンのことについてもう一度礼を言った。
「レオンの引き継ぎはうまくいったのか?」
「騎士団内は相当驚いていたが、副団長のカイルがやる気を見せてくれたようでな。背中を押してくれたようだ」
「そうか。いい部下に恵まれたのだな」
「そんなレオンを連れて行くのだから、よろしく頼むぞ」
「ああ。任せてくれ」
さて、そろそろ出発の時間だ。
シュウはアリーチェ王妃との挨拶は終わっただろうか。
フッとシュウの方を見やると、なんだかアリーチェ王妃と楽しそうに話をしている。
他所から王族に嫁いできたという同じ立場だからだろうか。
やけに仲良くなっているようだが、どうもアリーチェは同じ嫁のようにシュウを感じているようだな。
アリーチェ王妃はこれまでそのような深い話をできる相手がいなかったのだろうな。
シュウがそばにいればもっと楽しく過ごせるだろうに……。
王都からサヴァンスタックは遠いから二人とも寂しくなるだろうな。
可哀想だとは思いつつ、シュウに声をかけた。
シュウは最後に笑顔でアリーチェ王妃にサヴァンスタックに遊びにきてと誘っていたが、アリーチェ王妃がアレクと一緒に行くと嬉しそうに返していた。
その仲睦まじい様子に私は微笑ましく思ったが、シュウはなぜか顔を赤くしていた。
どうかしたのかと尋ねるとなんでもないと言っていたが、きっと何かあるに違いない。
今はそっとしておくが馬車で二人になったら聞いてみるとしよう。
アレクたちと共に部屋を出ると、マクベスとブライアンが並んで待っていた。
「マクベス、二人をくれぐれも頼むぞ」
アレクにそう言われて、マクベスは自信満々に答えていた。
皆が待つサヴァンスタックへの旅だ。
マクベスもきっと楽しみに違いない。
シュウはブライアンに紅茶のお礼を言っていた。
私もここでブライアンの紅茶を飲めるとは思ってもみなかったから、感動したな。
「ブライアン、本当に達者で暮らしてくれよ。私も久々にお前の紅茶が飲めて嬉しかったのだからな」
また次回、王城に出向いた際にはブライアンの紅茶が飲みたい。
その思いでブライアンに告げると、ブライアンは涙を潤ませながらも必死に堪えようとしていた。
私はお前がこの世を去った時にこの上ないほど涙を流した。
その時の別れに比べれば、お前は生きているのだからな。
今日の別れなど悲しくはない。
ブライアンとまた新たな思い出ができたことに感謝しながら、そして、また会えることを楽しみに私は玄関へと向かった。
玄関に用意された、マクベスの乗ってきたサヴァンスタック公爵家の紋章入りの馬車を見て懐かしさに心が震える。
ああ、この馬車だ。
この馬車に乗って私はシュウとこの城にやってきたんだ。
あの時、初めてみる王都に漆黒の綺麗な瞳を輝かせているシュウと違って、私の心は重かった。
サヴァンスタックにいるよりもずっと嫌悪される姿をシュウに見られるのが怖かったのだ。
この城に着いた後も美しいシュウと醜い私との対比があまりにも凄まじく、同じ部屋に入るのも止められそうになったのだった。
ああ、この馬車に乗って帰る道のりはなんと心軽やかなことか。
同じ馬車に乗り込むとは思えないほどの幸福感だ。
我々の見送りのために集まってくれた者たち、皆の顔に嫌悪感がないのが本当に嬉しい。
シュウを抱き上げ馬車に乗り込むと、すでにパールがいた。
一番忘れてはいけない私たちの戦友とでも言おうか、それくらい大事な存在だからな。
シュウを見て嬉しそうにキューンと鳴くパールの声も、城にやってきた時より明るく感じるのは気のせいではないだろう。
馬車の外では、アレクがレオンと別れを惜しみながらも私とシュウの警護を頼むぞと発破をかけているのが見える。
シュウにはレオンが騎士団を辞め、我々と共にサヴァンスタックに来るということを昨日レオンと共に話をしたのだが、シュウにとってそれはかなりの驚きだったようだ。
ルイだった時も、そしてレオンである今もずっと騎士団長として過ごしてきたのだから、今世も騎士団長として生涯を終えるとでも思っていたのだろう。
レオンが名誉ある騎士団長を辞め、自分の専属護衛となることを決めたことに申し訳なさそうにしていたが、最終的にはレオンが専属護衛となることを認めてくれたのだ。
あの時のレオンの嬉しそうな顔といったら言葉にできないほど幸せそうだった。
レオンがアレクに深々と頭を下げているのが見える。
「私の命に変えてもシュウさまをお守りいたします」
レオンの決意に満ちたこの言葉が馬車の中にまで聞こえてくる。
その瞬間、シュウは目を大きく見開いて驚いていた。
「レオンさん、もしかしてぼくのためについてきてくれるの?」
シュウの疑問を聞いて私も思い出した。
そういえば、レオンをシュウの専属護衛にと話したのはシュウがアリーチェ王妃とお茶会をしている時だったな。
おそらくシュウはレオンがシュウの専属護衛になると自分で言い出したと思っていたのだろう。
私がレオンにシュウの専属護衛になるように頼んだと教えるとシュウは一番の驚きの表情を見せた。
それはそうだろう。
ルイとしてのレオンがシュウを好きだといっていたのだからな。
そんな者をシュウのそばに置いておくはずがないと思うのは無理もない。
だが、私はレオンのようにシュウを心から守りたいと思ってくれている者にシュウを頼みたいと思ったんだ。
そう話すと、シュウは嬉しそうに顔を綻ばせた。
それにレオンはトーマ王妃やアンドリュー王、そしてヒューバートやブルーノといった、私たちにとって懐かしい人たちの話を知る唯一の者。
懐かしい話ができるのは本当に幸せなことだよ。
私が笑顔を見せると、シュウも安堵の表情を見せてくれた。
別れの挨拶も終わり、皆に見送られながら馬車はサヴァンスタックに向けて出発した。
最初の休憩地までは2時間。
サヴァンスタックまで5日もあれば余裕で着くらしいとシュウに話すとかなり驚いていたが、その理由の一つにシュウが車大工であるバーナードに馬車の改良を教えたことで馬車が格段に進化していると教えると、シュウはそのことをすっかり忘れていたようだったが、良い方向に進んだのならよかったと嬉しそうにしていた。
自分の手柄もすぐに忘れるほど、シュウにとっては大したことを教えたつもりはなかったのだろう。
そんなシュウも愛おしくてたまらない。
そんな話をしていると、シュウが帰り道に行きたい場所があると言い出した。
あまり要望など言わないシュウのことだ。
どんな願いでも叶えてあげたい。
「あのね、ぼく……前にフレッドに食べさせてもらったあのお米が食べられるレストランに行きたいな」
ふふっ。やはりな。
シュウならあそこに行きたがると思っていた。
そうだろうと思って、私はマクベスにその店があるのかどうかを先に尋ねていたのだ。
以前と変わらずアンナとリューイはあの場所に店を構えていたし、シュウが楽しみにしているであろう白米も存在していた。
やはり歴史が変わってもシュウが求めるものは変わっていないようだ。
シュウが残念がる世界にはなっていないということなのだろうな。
アンドリュー王とトーマ王妃の時代にはまだ白米はこのオランディアには流通していなかった。
シュウはそのことを知り、自分だけが主食である白米をここで食べられたことに申し訳なさを抱いていたようでトーマ王妃にも食べさせてやりたいと思っていたようだが、残念ながらあの時代では願いは叶えることはできなかった。
シュウの残念そうな表情にもしかしたら今でもそのことを悔いているのではないか? と心配になったが、どうやらそのことは吹っ切れたようだ。
シュウはアンナとリューイの店に行きたい理由を嬉しそうに教えてくれた。
「ぼくはあっちの世界で主食としてお米を食べてたけど、特別思い出があるわけじゃないんだ。言ってみれば、死なないように最低限ご飯を食べてただけで楽しい思い出があるわけでもない。でもね、今、お米のことを思い出したら、あの時のフレッドとの楽しい食事を思い出すんだ。アンナさんたちと楽しくしゃべって、美味しいお米とお刺身を食べたあの思い出をフレッドとまた一緒にできたらいいなって……だから、アンナさんたちのお店に行きたいんだよ」
シュウは米を食べたいと言い出すだろうと予想はしていた。
だからこそマクベスに調べさせたわけだが、シュウが米を食べて故郷を懐かしむかもしれないと少し不安になっていたのだ。
しかし、シュウは米を食べると私との思い出を懐かしんでくれると言ってくれた。
しかも、シュウにとって故郷はサヴァンスタックであり、私のいる場所がシュウのいる場所なのだと断言してくれたのだ。
愛する伴侶からそのようなことを言われて嬉しくないわけがない。
私はシュウを抱きしめ、馬車に並走して走る騎士たちにシュウの姿が見られないように配慮しながら、甘い口づけを交わし続けた。
パールは我々に気を利かせたのか、寝床となる籠の中で静かにしているようだ。
これならずっと同じ馬車に乗せてやってもいいな。
甘い唾液を堪能し、シュウと抱きしめあっていると不意に私の胸に重みがきた。
重みと言っても微々たるものだが……。
見ればシュウが私の腕の中ですやすやと眠っているのが見える。
おそらく昨日は出立前で熟睡できなかったのだろう。
穏やかな馬車の揺れに眠りを誘われ眠る姿は天使そのもの。
このなにも知らない子どものような寝姿を見せてくれるシュウが、夜には淫らに私の下で艶かしい嬌声を上げるのだからな。
誰も信じられないだろうがそれでいい。
シュウの淫らな姿は私だけが知っていればいいんだ。
私はシュウの軽やかな重みを胸に抱き、幸福感に溢れながら車窓を流れる景色には目もくれずにただひたすらにシュウの可愛らしい寝顔を見て過ごした。
「シュウ、そろそろ最初の休憩地に着くよ」
まだゆっくりと寝かせてやりたいが、休憩はしておかなくてはな。
可哀想だと思いながらシュウに声をかけると、まだ眠そうな顔をして私を見上げた。
寝てしまってごめんと謝るシュウに、寝顔を見られて幸せだと告げると恥ずかしそうに笑う。
その顔すらも愛おしい。
「ほら、目覚めた時はシュウから口づけをしてくれる約束だろう?」
寝室ならいつも唇に口づけをしてくれるが、ここは馬車の中。
きっと頬だろうが、それでもいい。
シュウからやってくれることに意義があるんだ。
シュウに顔を近づけると、唇に柔らかく甘い感触がした。
驚いてシュウを見ると、
「えへへっ。唇にちゅーしちゃった」
と可愛らしく微笑んでくる。
シュウの可愛さにおかしくなりそうだ。
このままシュウを押し倒してしまいたいが、他の者たちに夜のシュウの顔を見せるわけにはいかないからな。
ここは我慢だ。
唇に軽く重ねてからシュウを抱きかかえて馬車を降りた。
「きゃーっ! サヴァンスタック公爵さま~!!」
「ご伴侶さま~!!」
警護の騎士たちのはるか遠くから私たちを呼ぶ声が聞こえる。
その声にシュウはビクリと身体を震わせて私に強く抱きついてきた。
ふふっ。怖がるシュウもかわいい。
私たちを歓迎しているのだと教えてやると安堵の表情を見せていた。
嬉しそうにしていたというのに、シュウが突然私の腕から下りると言い出した。
なぜだ?
シュウをこのまま抱いていたいのに。
するとシュウは
「せっかくだからフレッドと手を繋いでこの街を歩きたいなって……」
可愛く見上げてきた。
そんなことを言われて下ろさないわけにはいかない。
シュウを腕から下ろし、以前シュウから教えてもらった『恋人繋ぎ』をするとシュウはよく覚えていたねと嬉しそうに笑っていた。
シュウが教えてくれたものを忘れるわけがないだろう。
それくらいあの時の『でーと』は私にとって幸せな出来事だったのだから。
マクベスが声をかけておいてくれたというカフェに向かう途中、
「フレッド、呼ばれてるよ!」
とシュウに声をかけられた。
シュウしか目に入っていないから気づきもしなかった。
シュウに言われて声の聞こえた方に手を振ると、
「きゃーーっ!」
と黄色い声が上がった。
私を見ても嫌悪感もないのは嬉しいが、彼女たちの視線はシュウを見ているのがわかる。
まぁそうだろう。
トーマ王妃にこれほどそっくりなのだからな。
そう思っていると、突然シュウが腕を組んで歩きたいと言い出し、私の腕にぎゅっと抱きついてきた。
シュウが人前で自分から積極的に抱きついてくるとは実に珍しい。
驚いたがシュウに抱きつかれるのが嫌なわけがない。
そのままシュウと寄り添ったままカフェに向かった。
カフェの店員に歓待されたのが嬉しくてつい、いつも頼む個室ではなく他の客もいる場所を選んでしまった。
シュウも私がそんな席を選んだことに驚いていたが見せびらかしたいのだから仕方がない。
本当はずっとこうしていたかったのだ。
紅茶と少しの焼き菓子を頼む店員はすぐに持ってきた。
シュウのために注文したものだから好きなだけ食べていいというと、シュウは焼き菓子をひとつ手に取り、
「あ~ん」
と差し出してきた。
まさかシュウからこんなことをしてくれようとは……。
「ねぇ、食べて……」
こんなに可愛らしく言われてはかえって照れてしまうな。
シュウの指ごと口に入れると、店内は一気に騒がしくなったが、レオンが周囲に眼光鋭く見せるとあたりはまた静けさを取り戻した。
それを確認してシュウにも食べさせると、今度はシュウまでもが私の指まで舐め
「ふふっ。フレッドの指まで食べちゃったね」
と天使のような笑顔を見せる。
そのあまりにも可愛らしい笑顔にレオンの鋭い眼光は威力を一気に失って、店内はあちらこちらから上がった大声で収拾がつかない状況になってしまい、シュウはその大きな声に身体を震わせていた。
ああ、私が見せびらかしたいなどと思ったばかりにシュウを怖がらせてしまったな。
すぐにレオンに個室を用意するように頼み、私たちは個室へと移動した。
頭を下げる店員に店内を騒がせて悪かったと声をかけ、改めてもう一度紅茶と焼き菓子を頼んだ。
レオンも外に出ていき、ようやく二人だけの空間が訪れた。
ああ、やはりこのようが落ち着く。
私が人気者だから大騒ぎになったとシュウはいうが、いやいや、明らかにシュウの笑顔で大騒ぎになっていただろう。
だが、シュウはカフェの外で声をかけてきた子たちのことを話題に出し、頬を少し膨らませながらあの子たちが可愛かったと言い出した。
これはもしかして嫉妬しているのか?
ふふっ。
本当になんて愛らしいのだろう。
私はシュウ以外なにも見えていないというのに。
だが、シュウがこう思うくらいシュウを不安にさせてしまっただろうかと心配になり聞いてみると、
「可愛い女の子たちがフレッドに声をかけてるの見たら、なんだか急にぼくが隣にいて似合わないって思われてないかなって不安になっちゃって……」
と言い出した。
シュウがそんなことを思っていたとは……。
こうなったらシュウには私の思いをしっかりと伝えておかねばな。
「私たちの戻った世界がどんな世界になっていようとも、私はシュウだけを愛し続けると。そうアンドリュー王とトーマ王妃の前でかたく誓っただろう? 私はそれをおいそれと反故にするほど生半可な気持ちで誓ったわけではないぞ。私はどんな世界であってもシュウだけを愛し続ける。だから安心してそばにいてくれ」
そういうとシュウはようやく理解してくれたのか涙を潤ませながら頷いてくれた。
今回はシュウが嫉妬してくれたが、私の方こそ嫉妬してばかりだ。
見目で嫌悪されない世界に来たのだからもう少し寛大にならなければ。
そして、シュウに呆れられないようにしなければな。
できるかどうかは難しいところではあるが……。
応援ありがとうございます!
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