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第四章 (王城 過去編)

花村 柊   42−2

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「すでにアンドリューさまとトーマさまは中にお入りになっております。シュウさまは本日の主役でございますので、ご入場の声をおかけしましてからアルフレッドさまとご一緒にお入りください」

入り口近くでブルーノさんにそう言われて、しばらく待機をしていると準備が整ったようだ。

「本日の主役で有せられますアルフレッド=サンチェス公爵さま、並びにシュウ公爵夫人さまのご入場でございます」

その声に大広間の扉が開かれ、中にいる人たち全員の視線が一斉にぼくたちに降り注ぐ。

思っていた以上に多くの人が集まっていて、一気に緊張が高まっていく。
足が震えて動かない。

ああ、どうしよう……。

焦りかけていたその時、

「シュウ、案ずる事はない。今日は皆、シュウの絵を見て幸せを共有するものたちに来てもらったのだ。シュウはいつも通り私のそばにいればいい」

フレッドの優しい言葉に緊張の糸が解けていく。
硬くなっていた身体も動かなかった足も途端に動くようになった。

フレッドのおかげで凍りついた血がサラサラと流れていくのを感じながら、ぼくはフレッドと腕を絡めて一歩を踏み出した。

スッと正面を向くと少し高い位置にお父さんとアンドリューさまの姿が見える。

ぼくには見守ってくれる人がたくさんいるんだ。

ふと横を見ると、ギーゲル画伯の姿が見える。
笑顔で微笑む彼の隣には少し若い男性がいた。
雰囲気が似ているから彼も画家なのだろうか……。

そう思った瞬間、彼がユーラ画伯ではないかと思った。
きっとそうだ。

彼はぼくの絵を見てどう思うだろう。

恐る恐るその男性に目を向けると、ニコリと笑みを浮かべているのが見えた。
その笑顔には嘘はなさそうに見える。

きっとギーゲル画伯が話をしておいてくれたのかもしれない。

そのことに安心しながらぼくとフレッドはお父さんとアンドリューさまの両脇に案内され、それぞれ席に腰を下ろした。
フレッドが離れた位置に座っているのが少し心許なかったけれど、お父さんがすぐ近くにいるから安心する。

しばらくの間、大広間はざわざわとしていたけれど、アンドリューさまが今日のお披露目会の開始の挨拶を始めると、しんと静まり返り皆の視線が一斉にアンドリューさまに向いた。


「皆の者、今日はよく集まってくれた。
今日は私とトーマの肖像画完成披露パーティーだ。
我々の肖像画は皆の後ろにあるあの台の上にすでに設置している。
今回、我々の肖像画を描いてくれたのが、ここにいるアルフレッド公爵夫人である、シュウだ。
彼女は数ヶ月に渡り、精魂込めて我々の肖像画を描いてくれた。
そして、この完成をもってアルフレッド公爵と共に郷里へと帰ることとなった。
いわば、我々とこの城に対しての置き土産となるだろう」

ぼくたちが郷里へと帰るというその言葉に驚きの声が漏れていた。
その大半はこの城でぼくたちのお世話をしてくれていた人たちだ。
ロイドさんやダンさんには直接別れの挨拶をすることができたけれど、そのほかの人には人数が多すぎることもあって言えないまま、今日のこの日を迎えてしまった。
もううっすらと涙を浮かべている人たちがいるのがこの席からでも見える。

ああ、こんなにも別れを惜しんでくれる人がぼくにできるなんて……。

ぼくは本当に幸せ者だ。

「シュウは絵の道を進んでいたものではない。
しかし、私はシュウの絵には画力だけではない温かさを感じ取ったのだ。
其方たちもこれからシュウの絵を見れば私が何を言いたいのかきっとわかるだろう。
シュウの絵から溢れてくる愛を感じ取ってほしい。
そうすれば、このオランディアは未来永劫幸せな国となるだろう」

アンドリューさまの挨拶のあと、一瞬の静寂ののちに大広間中にわぁーーーっ! いう大歓声とともに拍手が響き渡った。

ぼくはアンドリューさまがぼくが絵に込めたお父さんやアンドリューさま、そしてパールへの愛を感じ取ってくれたことが本当に嬉しかった。


「肖像画のカバーを外してくれ!」

アンドリューさまの合図とともに、肖像画に掛けられていたカバーが騎士さんたちの手によって、サーっと外され、ぼくの描いた肖像画が大広間にいた人たち全員の眼前に晒された。

今までずっと必死に描いてきたものだ。
これ以上はかけないというところまで必死に描き上げた。
だから、後悔なんてものは一切ない。

批判も何もかも受け入れる。
そういう心づもりで今日この場にきたわけだけれど、やっぱり実際にその場に立つとぼくはみんなの反応を見る勇気が出なくて、怖くて俯いてしまった。

ぼくの耳には何も入ってこない。
カバーが外されて、みんなが見ているというのに……。
やっぱり受け入れてはもらえなかったんだろうか。

後悔はないけれど、やっぱりその事実は悲しくてぼくは涙を潤ませた。

すると、そっとぼくに覆いかぶさってきた影があった。

「柊、大丈夫だよ。ほら、見てごらん」

お父さんの優しい声に恐る恐る顔を上げると、そこにはぼくの目を疑うような驚きの光景が広がっていた。

「えっ――」

ぼくは目の前の現実が信じられかった。

だって……

そこにはぼくの絵を見ながら、涙する人で溢れかえっていたのだ。

「泣いてる……?」

「みんな柊の絵から愛を感じ取ったんだよ」

お父さんの声がぼくの耳に優しく入ってくる。

驚きの涙から今度は一斉に

『これは素晴らしいっ!』
『これほどとは……!』
『画家でないのが信じられないくらいだ!』
『あの陛下のお顔……なんと柔らかで優しい表情をしておられるのだろう』
『王妃さまのお顔もまるで聖母のようだわ』
『それにあれはリンネルかしら? 真っ白でまさに神使というにぴったり』

と賛辞の声があがる。

「柊、みんな柊の描いてくれた絵が好きみたいだよ」

「うん、ありがとう。本当によかった」

ずっと緊張していた。
せめて少しでも受け入れてくれる人が多ければいい。
そう思ってた。

でも、みんないい絵だと褒めてくれて……。

ここ数ヶ月、いろんな思いを抱えながら一生懸命描いて来たのが、こんなにも自分の思いが報われて本当に感謝しかない。

「ありがとう、ありがとう」

ぼくの口からは嬉しさのあまり、お礼の言葉しか出なかった。

「シュウ、泣いているのか?」

離れた場所に座っていたフレッドがぼくの様子が気になったのか、わざわざぼくのそばまでやって来てくれた。

「柊は嬉し泣きしてるんだよ。みんなが柊の絵を褒めてくれたから」

「そうか……」

泣いて話もできないぼくに代わってお父さんが説明をすると、フレッドは突然ぼくを抱きしめた。

「ふ、れっど……?」

フレッドの突然の行動にびっくりして涙が止まったぼくはどうしたの? と尋ねようとした。

「シュウの可愛い泣き顔を皆に見せたくなくて隠してしまったんだ」

「えっ? 泣き、顔? ふふっ、なにそれっ」

思いがけないフレッドの言葉にぼくはおかしくて笑ってしまった。

「ねぇ、もしかしてぼくを笑わせようとして言ってくれたの?」

「違う、私は本気だぞ。シュウの涙がどれだけ人を惹きつけるかわかっていないのか?」

「まさかそんなこと――」

そう言いながら、さっと大広間にいる人たちに視線を向けると、なぜかみんな肖像画ではなくぼくとフレッドの方を見ている。

「わっ――!」

「ほら、言っただろう?」

ぼくはびっくりしてフレッドの胸元に顔を隠した。

「だからもう少し落ち着くまでここに隠れていてくれ」

そう言われてぼくは恥ずかしさのあまりうん、うんと頷いた。

ぼくの泣いている顔なんて、涙でぐしゃぐしゃだったからみんな注目しちゃったんだろうな。
今、見た目は女の子なんだ。
公爵夫人として恥ずかしくないようにしないといけなかったのに……。

ああ、恥ずかしい。

しばらく経ってようやく涙のあとも引いた頃、ギーゲル画伯が若い男性を伴ってアンドリューさまの元へとやってきた。

ああ、さっきの人だ。

フレッドに抱きしめられたまま、彼らの方をドキドキしながら見ているとアンドリューさまがぼくたちに声をかけた。

「アルフレッド、シュウ。彼らが其方たちと話がしたいそうだ。少し、いいか?」

「陛下。もちろんでございます。ギーゲル画伯、先日は素晴らしい贈り物をありがとう。あれは大切に郷里に持って帰ることにするよ。なぁシュウ」

フレッドがそういうと、ギーゲル画伯は嬉しそうにぼくたちの元へとやってきた。

「ギーゲル画伯、本当にありがとうございます」

「それはそれは。お気に召していただきまして光栄でございます」

ぼくたちの言葉に深々と頭を下げるギーゲル画伯に、フレッドが

「彼を紹介してもらえるか?」

と尋ねると、ギーゲル画伯は嬉しそうに微笑んだ。

「彼はジュリアム・ユーラ。私と同じ画家として邁進しているものでございます」

「そうか、其方がジュリアム・ユーラ画伯か……」

フレッドが感慨深そうに彼を見つめる。
やっぱり彼が前にフレッドが言っていたオランディアの巨匠・ユーラ画伯だったんだ。

歴史上の偉人として後世まで語り継がれているような人に出会うのは、やっぱり何度でも緊張するな。

「お初にお目にかかります。ジュリアム・ユーラと申します。アルフレッド公爵さまと奥方さまのお話はギーゲル画伯よりお伺いしておりました。本日、こうやってお話が出来まして光栄でございます」

ギーゲル画伯よりは随分と若そうだけど、この人の絵もすごいんだろうな。
もっとオランディアの歴史を勉強しておけばよかったと今更後悔しても遅いけど……。

「ああ、私もシュウも其方にあえて嬉しいぞ。それで、ユーラ画伯。
其方はシュウの絵を見てどう思った? 正直に感想を聞かせてほしい」

「よろしいのですか?」

「ああ、嘘偽りのない素直な感想を聞かせてくれ。シュウもそれを望んでいる。シュウ、そうだな?」

「はい。是非とも聞かせてください。それをこれからの糧にします」

ユーラ画伯はギーゲル画伯に一度目を合わせたけれど、ギーゲル画伯からも正直にと目で合図されて、ゆっくりと口を開いた。

「奥方さまの絵は確かに私たちのように絵を生業としているものから見れば荒削りで物足りないと思うところもあるでしょう。しかしながら、絵というものは精巧に描くということだけではございません。もし、私やこちらにいらっしゃるギーゲル画伯が陛下と王妃さまの肖像画を描いたとして、確かに技量は上回るでしょうが、奥方さまの絵から溢れる心の美しさを上回ることはできないでしょう。我々が描いてもまずお二人のあの笑顔を導き出すことはできないでしょうし、こうやってみなさまにお披露目をいたしました時に感嘆の声を受け取ることができても、奥方さまのように感動の涙を引き出すことなど到底できないことでございます。あの肖像画は、奥方さまだからこそ描くことができた素晴らしい肖像画でございます」

ユーラ画伯の言葉が心に刺さる。

ああ、もうこれで何も不安なことがなくなった。
ぼくの描いた肖像画は受け入れられたんだ。

ぼくたちのいたあの時代まで、きっとこの場所で見守ってくれているはずだ。

「ユーラ画伯の嬉しいお言葉、郷里に帰っても一生忘れることはないでしょう。
素晴らしい思い出ができました。ありがとうございます」

ぼくが涙を潤ませながらお礼をいうと、ユーラ画伯は少し焦った様子だったけれど、

「私も今日は素晴らしい学びを頂いたと感謝しております。ありがとうございます」

と深々とお礼を言って、ギーゲル画伯と共に戻っていった。

「シュウ、良かったな」

「うん。本当に……ぼく頑張って描いて良かったよ」

ギーゲル画伯とユーラ画伯にぼくの肖像画を認めてもらえて本当によかった。

アンドリューさまは今日集まってくれた全ての人に

「今日は我々の肖像画が完成した祝いだ。皆の者、今日は楽しんで行ってくれ」

と声をかけ、その言葉を合図にロイドさんをはじめ王城シェフの人たちが作ったたくさんの料理が大広間に運ばれ、ぼくの肖像画を肴に大宴会が始まった。

「さぁ、トーマさま。シュウさま。お召し上がりくださいませ」

ブルーノさんがぼくたちのところにもたくさんの料理を運んでくれて、

「柊、食べよう!」

とお父さんが笑顔で誘ってくれた。

これがお父さんと食べる最後の食事だ。
きっとこの光景を、そしてこの味を忘れることはないだろうな。

「お父さん、美味しいね。一緒に食べられて嬉しいよ」

誰に聞かれているかもわからない。
本当ならトーマさまと言わなければならないけれど……でも、最後だから許してほしい。

「ああ、本当に美味しいね」

お父さんの笑顔が眩しい。
きっとぼくの気持ちを理解してくれたんだ。

もう胸がいっぱいであんまり食べられないけど、それでもいいんだ。
最後にこうやって一緒の時間を過ごせただけで……。

「陛下。一つお尋ねがございます」

そう声をかけてきたのは宰相のカーティスさん。

「カーティス、どうした?」

「肖像画に陛下と王妃さまと一緒に描かれております真っ白なリンネルでございますが、実際に拝見いたしたく存じます。
このリンネルは実際に存在するのでしょうか?」

「ああ、あのリンネルか。そうだな、皆にも見せてやるか。ブルーノ、私たちの部屋から連れてきてくれるか?」

「畏まりました」

「ああ、ブルーノちょっと待ってくれ」

フレッドはアンドリューさまに言われてパールを連れに行こうとするブルーノさんを呼び止めて、

「シュウ、ポケットに入れているハンカチを出してくれ」

と手を差し出してきた。

「パールはシュウの匂いのついているものがあった方が安心するだろうからな」

「あ、そっか。そうだね」

ぼくは急いでポケットからハンカチを取り出し、ぎゅっと手で握って匂いをつけてみた。
匂いがするかはわからないけれど、リンネルはものすごい嗅覚を持っているそうだからなんとか大丈夫かな。

フレッドに手渡したハンカチをブルーノさんが受け取り、急いで大広間を出ていった。

しばらく経って戻ってきたブルーノさんの手には蓋付きの大きな籐の籠を持っている。
『キューン』と微かにパールの声が聞こえる。

ふふっ。起きているみたいだ。
久しぶりのパール、ぼくのことを覚えていてくれているかな?

ブルーノさんはアンドリューさまに籠を渡そうとすると、

「ブルーノ、シュウに渡してくれ」

と言い、ブルーノさんはその言葉通りぼくに籠を手渡した。

「シュウさま、どうぞ」

手渡された籠の蓋を開けると、パールが『キューン』と可愛い声をあげながら、ぼくに飛び込んできた。

『キュンキュンキューン!』

「わっ、もうっ! パール! くすぐったいってばぁ~! やぁ~、もうっ、だめっ!――あっ!」

パールが飛びついてきた瞬間、ぼくの首筋や顔を小さな舌でぺろぺろと舐めてきてもうくすぐったくてたまらない。
でもパールがぼくを覚えていてくれて嬉しいなと思いながら戯れていると、さっと隣から大きな手が現れて、パールが連れ去られてしまった。

さっきの可愛らしい声から一転、フーッフーッと唸っているパールを抱っこしているのはフレッドだ。

「フレッド? どうしたの?」

なぜかものすごく怒っているように見えて尋ねると、

「シュウを舐めていいのは私だけだ。いくらパールでも許すことはできない」

と強い口調で言うと、パールにも

「していいこととやっていけないことがあるのだぞ!」

と怒っていた。
そんなフレッドにぼくとお父さんは笑ってしまった。

「久しぶりだったから、甘えただけだよ。パールもちゃんとわかってるって」

「ですが、トーマ王妃」

フレッドは反論しようとしていたが、

「アルフレッド、とりあえず落ち着け」

とアンドリューさまに制されてなんとか落ち着いたように見えた。

パールとフレッドのさっきの騒ぎで大広間はざわざわとしていたけれど、アンドリューさまが

「静まれ!」

と声をかけると一斉に静まり返った。

パールがぼくとお父さんに『大丈夫だよ』と頭を撫でられフレッドの手の中で大人しく座り込んだのをみて、アンドリューさまは一息ついてからゆっくりと口を開いた。

「この子が肖像画に我々と共に描かれたリンネルだ。
この真っ白なリンネルは我々の絵を描いてくれたシュウの守護獣としてシュウの安全を見守ってくれていたが、今回我々とアルフレッド公爵夫妻の友好の証としてシュウより譲り受け、この城で大切に育てていくこととなった。
このリンネルはこれから先、オランディアの守り神として我々のそばに、そしてこれからの国王と王妃のもとにいて安全を見守ってくれるのだ。決して乱雑に扱ってはならぬ。カーティス、良いな? そして皆の者も良いな?」

「はっ。かしこまりました」

アンドリューさまの言葉にカーティスさんが頭を下げると、それに続いて招待客全員も頭を下げた。

よかった、パールもこの時代の人に受け入れられたみたいだ。
これできっと未来は変わる。

「パール、これからはみんなに可愛がってもらってね。いつかまた会えるのを楽しみにしてるから……」

フレッドのお屋敷の地下で出会ってから、何度も何度もぼくを助けてくれた。
パールの存在にどれだけ救われたか……。
これからいっぱいぼくの分までお父さんたちと楽しい時間を過ごしてね。

『キューン』

パールは小さな鳴き声をあげながら、ぼくの頬に伝った涙を優しく舐めてくれた。
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