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第四章 (王城 過去編)
花村 柊 31−1
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「シュウ、陛下の絵を描くと言ってたが今日なのか?」
「うん。ブルーノさんに今日はアンドリューさまが午後から外出するって教えてもらったから」
ブルーノさんに絵を描く道具を準備してもらっていると、フレッドに声をかけられた。
「てっきり執務室で政務されている姿を描きに来ると思っていたのだがそうではないのか?」
「うん。それがね、お父さんの絵を描いたときに肖像画には自然体の姿を描いてほしいって言われたんだ。
だから、机に向かって仕事しているアンドリューさまじゃなくて、外で城下の人たちの時間を過ごしているアンドリューさまを描く練習したいってお願いしたんだよ。そしたら今日の午後にヒューバートさんたちが城下を見回りに行くのにアンドリューさまがぼくのために同行することにしてくれたみたいで、それでぼくも一緒にって誘ってくださったみたい」
「城下に? そうなのか? 私はそんな話聞いてなかったが?」
「あ、あの、ぼくが外で描きたいって言ったからわざわざ外に行く時間を作ってくれたんだよ。
急に決まったからまだフレッドに話してなかっただけじゃないかな? ねぇ、ブルーノさん」
フレッドの様子に不穏な空気を感じて慌ててブルーノさんに話を振ると、
「はい。先ほど、アンドリューさまがお決めになられて、すぐに私がシュウさまにお伝えに参じましたので、フレデリックさまはご存じなくて当然かと存じます」
と言ってくれた。
「そうか……」
フレッドはほんの少し眉を顰めていたけれど、『ならば、私も一緒に行こう』と言い出した。
まぁ、元々フレッドに一緒に行ってってお願いするつもりだったからいいんだけど、なんとなくフレッドの様子が気になる。
「それでシュウはどうやって陛下の絵を描くつもりなんだ?」
「うーん、それを考えてたんだけど……どうしようかなって思って」
「というと?」
「うん。アンドリューさまはヒューバートさんたちとお馬さんに乗ってお出かけになるみたいで……それを後ろから馬車で追いかけるのもね、変じゃない? だからね、フレッドにちょっとお願いがあって……」
「シュウが私にお願い? 珍しいな、どうした?」
「あのね、フレッドに一緒にお馬さんに乗ってもらって、絵を描いているぼくが落ちないように後ろからぎゅってしてて欲しいなって……ダメかな?」
フレッドを見上げながらそうお願いすると、『うぐぅっ!』と苦しそうな呻き声をあげながら顔を逸らされた。
やっぱり図々しいお願いだったかな……。
「ごめんね、やっぱ――」
「駄目なわけがないだろう!!」
「えっ?」
「私に任せてくれ! シュウは落ち着いて絵を描いてくれたらいい」
「ほんと? わぁっ! ありがとう!!」
得意げな顔でそう言ってくれるフレッドの気持ちが嬉しくて、抱きつきにいくとフレッドの方が嬉しそうな顔をしてぼくをヒョイッと抱き上げた。
「じゃあ、出かける準備をしようか。私が城下へ行く服装を選んでやろう」
「えっ? フレッド、もう執務室へ行く時間じゃないの?」
「ああ。まだ少し時間があるからいいんだ。馬に乗る服はシュウが選ぶのは難しいだろう?
さぁ、服を選ぼう」
「う、うん」
さっきまで眉を顰めてなかったっけ?
なんでこんなに上機嫌になったのかはわからないけど、フレッドが嬉しいならそっちの方がいいし。
そう思っている間にフレッドに抱きかかえられたまま、ぼくは寝室へと向かった。
フレッドはぼくをベッドにぽすっと下ろして、クローゼットの中をじっくりと吟味し始めた。
こっちにしようか、あっちにしようかと悩むフレッドの姿が可愛くて思わず『ふふっ』と笑ってしまった。
フレッドはしばらく悩んだ末に『よし、これにしよう』とにこやかに服を掲げた。
どうやらやっと決まったようだ。
『これを着て出かける準備をしておくんだぞ』
そう言って、ぼくの唇にサッとキスをしてから部屋を出ていった。
フレッドが出ていった後、選んでくれた服をまじまじと見ると、ものすごい長いドレスだ。
てっきりガウチョパンツみたいなものかと思っていたんだけど、そういえばこの時代の女性はズボンは履かないんだっけ。
でもまぁ、こんなに長ければ中が丸見えになることはないだろう。
ここまで長いドレスは慣れてないけど、こけないようにしないとね。
ああ、お父さんと出かけた以来の城下だ。
しかもお馬さんに乗って行くのは初めてだし、ふふっ。午後が楽しみだな。
「シュウ、準備できているか?」
午前中の仕事を終え、戻ってきたフレッドに準備万端の姿を見せると、
『おお、よく似合っているな』と目を細めて喜んでくれた。
フレッドの付けているウィッグと色合いのよく似たワインカラーのロングドレスは、ぼくはあまり着たことがない色だけれど、大人っぽい色でぼくも気に入ったんだ。
「フレッドが選んでくれる服はぼくもお気に入りだよ。ありがとうね」
「ふふっ。可愛いことを言ってくれるな、私のシュウは」
上機嫌のフレッドと一緒に部屋を出ると、廊下でアンドリューさまとヒューバートさんに出会った。
「おお、シュウ。今日の服装はいつにも増して艶やかで美しいな。なぁ、ヒューバート」
「はい。本当にお美しくて、輝いておられます」
「アンドリューさま、ヒューバートさん。ありがとうございます。今日の服もフレッドが選んでくれたんですよ」
出会って早々に褒められて少し照れながらもお礼をいうと、
「ふふっ、なるほどな」
アンドリューさまに意味深に笑われた。
「えっ?」
「いや、それでは行こうか」
気になって聞き返したけれど、なんだか軽く流されてそのままみんなで玄関へと向かった。
玄関前にはお馬さんたちがぼくたちが来るのを待ってくれていた。
「わぁっ! ユージーンがいるっ!」
並んでいるお馬さんたちの中にユージーンがいるのを見つけてついテンションが上がってしまった。
ユージーンの方もぼくの声に反応してくれたのか、『ヒヒーン、ヒヒーン』と可愛い声で嘶いてくれている。
思わず駆け寄ってユージーンの首筋を優しく撫でると、ユージーンは気持ちよさそうに擦り寄って来た。
「ふふ。くすぐったいよ」
久しぶりのユージーンとの再会に楽しんでいると、スッとフレッドが隣にやってきた。
「シュウ、いくら慣れているとはいえ急に駆け寄っては危ないぞ」
「あ、ごめんなさい……つい……」
「まぁ、今日のところはいいが、次からは気を付けるようにな」
フレッドの目が優しいから、本気で怒っているわけではないことにホッとしながら
ぼくは『はーい』と返事をした。
「今日は我々2人でユージーンに乗ることになった。頼むぞ、ユージーン」
フレッドがユージーンに語りかけると、まるで任せといて! とでもいうかのように
ユージーンは『ヒヒーン!』と大きく嘶いた。
「2人で乗って大丈夫なの?」
「大丈夫だ、ユージーンは強い馬だからな」
「そうなんだ。ユージーン、よろしくね」
笑顔でそう語りかけると、周りにざわめきが起こった。
「なに?」
びっくりして振り返ろうとすると、フレッドに『気にしないでいい』と前を向かされた。
「さぁ、乗るぞ」
フレッドはそういうと、ぼくを抱きかかえたまま片手で器用にユージーンに乗ってしまった。
鞍に跨がるフレッドに横抱きで座らされているから、これからスカートの中も見える心配はなさそうだ。
それにしても抱きかかえられてるとはいえ、1人用の鞍の中にすっぽりと収まっちゃってるのを見ると、フレッドとの体格差を思い知らされる。
やっぱりフレッドって大きくて頼もしい。
これだけすっぽりと入っていたら、絵を描いていても落ちることなんて心配しなくていいな。
「シュウは絵を描くことに集中してくれていいからな」
「うん。ありがとう」
「シュウさま、こちらをどうぞ」
スッとぼくたちの前に来てくれたブルーノさんが画板に挟んだ紙と木炭を渡してくれた。
画板があるおかげですごく描きやすそう。
「わっ、ありがとう」
お見送りしてくれるブルーノさんたちに手を振っていると、アンドリューさまに続いてユージーンはゆっくりと歩き始めた。
城下の見回りを始めると、広場にたくさんの人が集まり出した。
どうやらアンドリューさまが来ているとの情報が一瞬にして城下を駆け巡ったようだ。
集まった人たちを前にアンドリューさまがスタッとお馬さんから降りた。
その姿に前にお父さんが噴水の前で集まってくれた人たちの前で話をしていたのを思い出す。
やっぱりアンドリューさまもお父さんと同じく国民の皆さんに対するサービス精神が旺盛なんだ。
本当にすごい。
こういうところが伝説の国王と後世まで語り継がれる由縁なのかもしれないな。
アンドリューさまが集まってくれた人たちに囲まれながら、話をしている表情がすごく柔らかくてこの表情を描いてみたい、描き残しておきたいって思ったんだ。
「ねぇ、フレッド。ぼく、今のアンドリューさまを描きたいんだ。少し離れた場所で止まってくれる?」
「ああ。わかった。この辺でいいか?」
アンドリューさまの顔が見えやすい木の下にユージーンを止まらせてくれた。
フレッドに支えられ安定した体勢で画板を首に吊るし、絵を描き始めた。
ああ、アンドリューさま……本当に楽しそう。
ふふっ。楽しそうなアンドリューさまをみているだけでぼくも笑顔になってしまうな。
惹きつけられるようにアンドリューさまに視線を向けていると、自分の意識とは別のところで指が動いている感覚がする。
まるで目と指が一本の線で繋がっているようだ。
ぼくは元々絵を描くのは好きだったけれど、向こうで絵を描いていた時にはこんな感覚に陥ったことはなかったと思う。
初めてこの感覚に気がついたのはフレッドの似顔絵を描いたときだ。
あの時もフレッドの素の表情に惹き寄せられる感覚があった。
紙に視線を落とすことなく、指が自然に動いている感覚だけを感じ取りながら、ぼくは被写体から目を離してはいけないという何かわからないものの力の言いなりになっていた気がする。
けれど、出来上がった絵はぼくが見たままの、表現したかったフレッドそのものの姿だったんだ。
この不思議な現象に驚きながらも、もしかしたら神さまの力をいただいているのかもしれないと思った。
そして、お父さんの絵を描いたとき、その仮説が真実だと分かった。
あの時もぼくは惹きつけられるようにお父さんを見つめていた。
それこそ自分の体調も気にならないほどに。
その間、ぼくは一度も紙に目を向けた記憶がない。
絵を描く人間としてそれは不可能だろう。
フッと力が抜けて紙に目を向けた時、そこにはお父さんが存在したんだ。
あのとき、ぼくは全てを理解したんだ。
ぼくには有名な画家さんたちのような技術はない。
絵が上手いと言われることがあっても、それはやはり素人レベルだ。
けれど、お父さんやアンドリューさまの普段の表情を引き出すことはぼくにはできる。
だから、肖像画を描くうえで必要な技術を持たないぼくのために神さまがぼくに絵を描くという能力を与えてくださったのだと思う。
ぼくはせっかく与えてくださったこの能力を活かして、お父さんたちが喜んでくれるような……
そしてこれから先のオランディアの人たちが、アンドリューさまとお父さんがこんな素晴らしい国王と王妃さまだったと分かってくれるような絵を描きたいと思う。
それがぼくが肖像画の絵師に選ばれた本当の理由だと思っている。
一心不乱にアンドリューさまを見つめていると、
「……ウ、シュウ」
と耳元で声をかけられた。
突然の声に身体がビクッと震えたけれど、ユージーンから落ちなかったのはフレッドがしっかりと抱きしめてくれていたからだろう。
フッと意識が戻ってきて、フレッドを見上げた。
「悪い、シュウ……驚かせてしまったな」
「ううん。大丈夫。ごめんね」
「陛下が移動されるようだ。私たちもついて行こう」
「あっ、そうなんだ。気づかないでごめんね」
フレッドが声をかけてくれたのは移動する為だったみたいだ。
「今日はシュウは絵を描くこと以外気にすることはないよ」
そう言ってそっと頬にキスをする、フレッドの優しい気持ちに癒される。
ぼくが画板を元の状態に戻すと、フレッドは手綱を操りユージーンをゆっくりと歩かせた。
「シュウ、集中していたな。木炭を持った指だけがずっと動いていたから驚いた」
パカパカと蹄鉄の音に混じって、フレッドが話しかけてくれた。
「うん。ねぇ、フレッド……ぼくね、お父さんたちの肖像画を描けることになって本当に嬉しいって思ってるんだ。
フレッドのおかげだよ。フレッドがお父さんたちにお願いしてくれたから……本当にありがとう」
こみ上げてくる思いをどうしてもフレッドに伝えたくて、お礼をいうとフレッドは何か不思議な表情をしていたけれど、
「私はシュウの絵を残したいと思っただけだ。だが、シュウがそう思ってくれるのはすごく嬉しいぞ」
と、満面の笑みに変わった。
腕の中にぎゅっと抱かれながら城下を進むアンドリューさまの後に続いていると、突然前を進んでいたアンドリューさまがUターンをしてぼくたちの元へとやってきた。
「陛下。どうなされたのですか?」
「いや、先ほど少し話しすぎてな、喉が渇いたのだ。近くでお茶でもして行こうかと誘いにきたのだが……」
「シュウ、どう――」
「わぁっ!! 行きたいですっ!!」
アンドリューさまのお誘いがあまりにも嬉しくて、フレッドの言葉にかぶりながらつい食い気味に答えると
『ククッ』と笑われてしまったけれど、
「それじゃあ行くとしよう。アルフレッド、ついてこい」
と行って、颯爽と手綱を操り前に進んで行った。
前を進むアンドリューさまの乗る馬が一軒のお店の前で止まった。
ここ、初めて来るお店だな。
お父さんチョイスのお店とはやっぱり雰囲気が違って、なんとなく大人な雰囲気が漂っている。
いち早くヒューバートさんが軽やかにお馬さんから降りると、急いでぼくたちの元へと駆け寄ってきた。
何事かと思ったら、
「アルフレッドさま、シュウさまがお降りになるのをお手伝いさせていただきます」
と言ってくれた。
そうか、確かに一緒に降りるのは難しいのかもしれない。
ぼくを抱きかかえたまま乗るのも難しいとは思うんだけどね。
でも、高いところから降りるのはぼくも少し怖い気がする。
ヒューバートさんの優しさが嬉しくて手を出そうとしたら、『いや、いい』とフレッドに引っ込められた。
ああ、そっか。
フレッドはぼくがヒューバートさんに触れるのが嫌なのかもしれない。
それならフレッドと一緒に降りたほうがいいかと思っていると、ストっと軽やかに降りたアンドリューさまがぼくたちの様子をみていたらしく、傍まできてくれて、『私が手伝おう』と手を出してくれた。
アンドリューさま直々に手を差し出してくれるのを断るわけにはいかないよね?
だけどなんとなく、ヒューバートさんよりアンドリューさまの手をとるのを嫌がりそうなんだよね、フレッドは。
どうだろう?
そう思って、一瞬フレッドの顔を見上げると、フレッドはほんの少し眉を顰めていたけれど、
『シュウ、怪我をすると危ないから陛下にお願いしよう』とアンドリューさまの手を取るように促した。
フレッドがそういうならと差し出されたアンドリューさまの手を取ると、フレッドの手よりほんの少し硬い手触りに一瞬ドキッとした。
そういえば、フレッドとお父さん以外の人の手に触れるのはなかったかもしれない。
ギュッと握られた手の感触にフレッドとの違いを感じながら、引っ張られるようにユージーンから降りるとアンドリューさまのもう片方の手がぼくの背中をそっと抱き寄せてくれて高いところから降りた衝撃はほとんど感じなかった。
アンドリューさまの大きな身体にきゅっと抱き込まれると、フレッドとは違う爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
うわぁっ、なんか変な感じ。
でもなんだろう……フレッドに抱きついた時はいつでもドキドキしちゃうけど、アンドリューさまの場合はなんとなく安心するというか、そんな感じがする。
あっ、そうだ。お父さんに抱きしめてもらった時のようなそんな感覚だ。
うん、安心する。
なんだか嬉しくなってきてもう一度匂いを嗅いでみると、今度は大好きなフレッドの匂いがした。
えっ? と見上げると、気づかないうちにユージーンから降りていたフレッドの腕の中に代わっていた。
あれっ? いつの間に?
そう思ってしまうほどの早技に思わず『えっ?』と声をあげてしまった。
「シュウ、私の腕の中では不満か?」
少し剥れた様子のフレッドがぼくを見下ろしている。
そういう意味で言ったんじゃないんだけどなと思いながら、
「違うよ。アンドリューさまからフレッドの匂いがするなぁと思ったらフレッドだったからびっくりしたんだよ」
と言うと、フレッドは途端に『そうか、そうか』とにっこり笑ってそのまま抱きしめ続けた。
「アルフレッド、シュウ。抱き合うのはその辺にして、そろそろ店に入ろう」
少し呆れたような声でアンドリューさまが声を上げると、
「ああ、失礼いたしました。さぁ、陛下。参りましょう」
とぼくの腕を絡めて歩き始めた。
前を歩くアンドリューさまの方から何か声が聞こえた気がしたけれど、なんと言ったのかぼくには聞こえなかった。
ユージーンたちを騎士さんたちが見てくれている間にアンドリューさまに連れられてやってきたのは、外壁が蔦に覆われていて趣がある落ち着いた雰囲気の大人なカフェ。
このレトロ感漂うカフェの扉を開けると、中から香ばしい焼き菓子の匂いがした。
思わず、スンスンと匂いを嗅いでいるとアンドリューさまが
「ここにはシュウの気に入る菓子があるぞ」
と教えてくれた。
きっとお父さんも好きなお菓子なんだろうな。ふふっ。
「楽しみです。トーマさまにもお土産買っていきましょうね」
と答えるとアンドリューさまは『そうだな』と言って嬉しそうに目を細めていた。
「うん。ブルーノさんに今日はアンドリューさまが午後から外出するって教えてもらったから」
ブルーノさんに絵を描く道具を準備してもらっていると、フレッドに声をかけられた。
「てっきり執務室で政務されている姿を描きに来ると思っていたのだがそうではないのか?」
「うん。それがね、お父さんの絵を描いたときに肖像画には自然体の姿を描いてほしいって言われたんだ。
だから、机に向かって仕事しているアンドリューさまじゃなくて、外で城下の人たちの時間を過ごしているアンドリューさまを描く練習したいってお願いしたんだよ。そしたら今日の午後にヒューバートさんたちが城下を見回りに行くのにアンドリューさまがぼくのために同行することにしてくれたみたいで、それでぼくも一緒にって誘ってくださったみたい」
「城下に? そうなのか? 私はそんな話聞いてなかったが?」
「あ、あの、ぼくが外で描きたいって言ったからわざわざ外に行く時間を作ってくれたんだよ。
急に決まったからまだフレッドに話してなかっただけじゃないかな? ねぇ、ブルーノさん」
フレッドの様子に不穏な空気を感じて慌ててブルーノさんに話を振ると、
「はい。先ほど、アンドリューさまがお決めになられて、すぐに私がシュウさまにお伝えに参じましたので、フレデリックさまはご存じなくて当然かと存じます」
と言ってくれた。
「そうか……」
フレッドはほんの少し眉を顰めていたけれど、『ならば、私も一緒に行こう』と言い出した。
まぁ、元々フレッドに一緒に行ってってお願いするつもりだったからいいんだけど、なんとなくフレッドの様子が気になる。
「それでシュウはどうやって陛下の絵を描くつもりなんだ?」
「うーん、それを考えてたんだけど……どうしようかなって思って」
「というと?」
「うん。アンドリューさまはヒューバートさんたちとお馬さんに乗ってお出かけになるみたいで……それを後ろから馬車で追いかけるのもね、変じゃない? だからね、フレッドにちょっとお願いがあって……」
「シュウが私にお願い? 珍しいな、どうした?」
「あのね、フレッドに一緒にお馬さんに乗ってもらって、絵を描いているぼくが落ちないように後ろからぎゅってしてて欲しいなって……ダメかな?」
フレッドを見上げながらそうお願いすると、『うぐぅっ!』と苦しそうな呻き声をあげながら顔を逸らされた。
やっぱり図々しいお願いだったかな……。
「ごめんね、やっぱ――」
「駄目なわけがないだろう!!」
「えっ?」
「私に任せてくれ! シュウは落ち着いて絵を描いてくれたらいい」
「ほんと? わぁっ! ありがとう!!」
得意げな顔でそう言ってくれるフレッドの気持ちが嬉しくて、抱きつきにいくとフレッドの方が嬉しそうな顔をしてぼくをヒョイッと抱き上げた。
「じゃあ、出かける準備をしようか。私が城下へ行く服装を選んでやろう」
「えっ? フレッド、もう執務室へ行く時間じゃないの?」
「ああ。まだ少し時間があるからいいんだ。馬に乗る服はシュウが選ぶのは難しいだろう?
さぁ、服を選ぼう」
「う、うん」
さっきまで眉を顰めてなかったっけ?
なんでこんなに上機嫌になったのかはわからないけど、フレッドが嬉しいならそっちの方がいいし。
そう思っている間にフレッドに抱きかかえられたまま、ぼくは寝室へと向かった。
フレッドはぼくをベッドにぽすっと下ろして、クローゼットの中をじっくりと吟味し始めた。
こっちにしようか、あっちにしようかと悩むフレッドの姿が可愛くて思わず『ふふっ』と笑ってしまった。
フレッドはしばらく悩んだ末に『よし、これにしよう』とにこやかに服を掲げた。
どうやらやっと決まったようだ。
『これを着て出かける準備をしておくんだぞ』
そう言って、ぼくの唇にサッとキスをしてから部屋を出ていった。
フレッドが出ていった後、選んでくれた服をまじまじと見ると、ものすごい長いドレスだ。
てっきりガウチョパンツみたいなものかと思っていたんだけど、そういえばこの時代の女性はズボンは履かないんだっけ。
でもまぁ、こんなに長ければ中が丸見えになることはないだろう。
ここまで長いドレスは慣れてないけど、こけないようにしないとね。
ああ、お父さんと出かけた以来の城下だ。
しかもお馬さんに乗って行くのは初めてだし、ふふっ。午後が楽しみだな。
「シュウ、準備できているか?」
午前中の仕事を終え、戻ってきたフレッドに準備万端の姿を見せると、
『おお、よく似合っているな』と目を細めて喜んでくれた。
フレッドの付けているウィッグと色合いのよく似たワインカラーのロングドレスは、ぼくはあまり着たことがない色だけれど、大人っぽい色でぼくも気に入ったんだ。
「フレッドが選んでくれる服はぼくもお気に入りだよ。ありがとうね」
「ふふっ。可愛いことを言ってくれるな、私のシュウは」
上機嫌のフレッドと一緒に部屋を出ると、廊下でアンドリューさまとヒューバートさんに出会った。
「おお、シュウ。今日の服装はいつにも増して艶やかで美しいな。なぁ、ヒューバート」
「はい。本当にお美しくて、輝いておられます」
「アンドリューさま、ヒューバートさん。ありがとうございます。今日の服もフレッドが選んでくれたんですよ」
出会って早々に褒められて少し照れながらもお礼をいうと、
「ふふっ、なるほどな」
アンドリューさまに意味深に笑われた。
「えっ?」
「いや、それでは行こうか」
気になって聞き返したけれど、なんだか軽く流されてそのままみんなで玄関へと向かった。
玄関前にはお馬さんたちがぼくたちが来るのを待ってくれていた。
「わぁっ! ユージーンがいるっ!」
並んでいるお馬さんたちの中にユージーンがいるのを見つけてついテンションが上がってしまった。
ユージーンの方もぼくの声に反応してくれたのか、『ヒヒーン、ヒヒーン』と可愛い声で嘶いてくれている。
思わず駆け寄ってユージーンの首筋を優しく撫でると、ユージーンは気持ちよさそうに擦り寄って来た。
「ふふ。くすぐったいよ」
久しぶりのユージーンとの再会に楽しんでいると、スッとフレッドが隣にやってきた。
「シュウ、いくら慣れているとはいえ急に駆け寄っては危ないぞ」
「あ、ごめんなさい……つい……」
「まぁ、今日のところはいいが、次からは気を付けるようにな」
フレッドの目が優しいから、本気で怒っているわけではないことにホッとしながら
ぼくは『はーい』と返事をした。
「今日は我々2人でユージーンに乗ることになった。頼むぞ、ユージーン」
フレッドがユージーンに語りかけると、まるで任せといて! とでもいうかのように
ユージーンは『ヒヒーン!』と大きく嘶いた。
「2人で乗って大丈夫なの?」
「大丈夫だ、ユージーンは強い馬だからな」
「そうなんだ。ユージーン、よろしくね」
笑顔でそう語りかけると、周りにざわめきが起こった。
「なに?」
びっくりして振り返ろうとすると、フレッドに『気にしないでいい』と前を向かされた。
「さぁ、乗るぞ」
フレッドはそういうと、ぼくを抱きかかえたまま片手で器用にユージーンに乗ってしまった。
鞍に跨がるフレッドに横抱きで座らされているから、これからスカートの中も見える心配はなさそうだ。
それにしても抱きかかえられてるとはいえ、1人用の鞍の中にすっぽりと収まっちゃってるのを見ると、フレッドとの体格差を思い知らされる。
やっぱりフレッドって大きくて頼もしい。
これだけすっぽりと入っていたら、絵を描いていても落ちることなんて心配しなくていいな。
「シュウは絵を描くことに集中してくれていいからな」
「うん。ありがとう」
「シュウさま、こちらをどうぞ」
スッとぼくたちの前に来てくれたブルーノさんが画板に挟んだ紙と木炭を渡してくれた。
画板があるおかげですごく描きやすそう。
「わっ、ありがとう」
お見送りしてくれるブルーノさんたちに手を振っていると、アンドリューさまに続いてユージーンはゆっくりと歩き始めた。
城下の見回りを始めると、広場にたくさんの人が集まり出した。
どうやらアンドリューさまが来ているとの情報が一瞬にして城下を駆け巡ったようだ。
集まった人たちを前にアンドリューさまがスタッとお馬さんから降りた。
その姿に前にお父さんが噴水の前で集まってくれた人たちの前で話をしていたのを思い出す。
やっぱりアンドリューさまもお父さんと同じく国民の皆さんに対するサービス精神が旺盛なんだ。
本当にすごい。
こういうところが伝説の国王と後世まで語り継がれる由縁なのかもしれないな。
アンドリューさまが集まってくれた人たちに囲まれながら、話をしている表情がすごく柔らかくてこの表情を描いてみたい、描き残しておきたいって思ったんだ。
「ねぇ、フレッド。ぼく、今のアンドリューさまを描きたいんだ。少し離れた場所で止まってくれる?」
「ああ。わかった。この辺でいいか?」
アンドリューさまの顔が見えやすい木の下にユージーンを止まらせてくれた。
フレッドに支えられ安定した体勢で画板を首に吊るし、絵を描き始めた。
ああ、アンドリューさま……本当に楽しそう。
ふふっ。楽しそうなアンドリューさまをみているだけでぼくも笑顔になってしまうな。
惹きつけられるようにアンドリューさまに視線を向けていると、自分の意識とは別のところで指が動いている感覚がする。
まるで目と指が一本の線で繋がっているようだ。
ぼくは元々絵を描くのは好きだったけれど、向こうで絵を描いていた時にはこんな感覚に陥ったことはなかったと思う。
初めてこの感覚に気がついたのはフレッドの似顔絵を描いたときだ。
あの時もフレッドの素の表情に惹き寄せられる感覚があった。
紙に視線を落とすことなく、指が自然に動いている感覚だけを感じ取りながら、ぼくは被写体から目を離してはいけないという何かわからないものの力の言いなりになっていた気がする。
けれど、出来上がった絵はぼくが見たままの、表現したかったフレッドそのものの姿だったんだ。
この不思議な現象に驚きながらも、もしかしたら神さまの力をいただいているのかもしれないと思った。
そして、お父さんの絵を描いたとき、その仮説が真実だと分かった。
あの時もぼくは惹きつけられるようにお父さんを見つめていた。
それこそ自分の体調も気にならないほどに。
その間、ぼくは一度も紙に目を向けた記憶がない。
絵を描く人間としてそれは不可能だろう。
フッと力が抜けて紙に目を向けた時、そこにはお父さんが存在したんだ。
あのとき、ぼくは全てを理解したんだ。
ぼくには有名な画家さんたちのような技術はない。
絵が上手いと言われることがあっても、それはやはり素人レベルだ。
けれど、お父さんやアンドリューさまの普段の表情を引き出すことはぼくにはできる。
だから、肖像画を描くうえで必要な技術を持たないぼくのために神さまがぼくに絵を描くという能力を与えてくださったのだと思う。
ぼくはせっかく与えてくださったこの能力を活かして、お父さんたちが喜んでくれるような……
そしてこれから先のオランディアの人たちが、アンドリューさまとお父さんがこんな素晴らしい国王と王妃さまだったと分かってくれるような絵を描きたいと思う。
それがぼくが肖像画の絵師に選ばれた本当の理由だと思っている。
一心不乱にアンドリューさまを見つめていると、
「……ウ、シュウ」
と耳元で声をかけられた。
突然の声に身体がビクッと震えたけれど、ユージーンから落ちなかったのはフレッドがしっかりと抱きしめてくれていたからだろう。
フッと意識が戻ってきて、フレッドを見上げた。
「悪い、シュウ……驚かせてしまったな」
「ううん。大丈夫。ごめんね」
「陛下が移動されるようだ。私たちもついて行こう」
「あっ、そうなんだ。気づかないでごめんね」
フレッドが声をかけてくれたのは移動する為だったみたいだ。
「今日はシュウは絵を描くこと以外気にすることはないよ」
そう言ってそっと頬にキスをする、フレッドの優しい気持ちに癒される。
ぼくが画板を元の状態に戻すと、フレッドは手綱を操りユージーンをゆっくりと歩かせた。
「シュウ、集中していたな。木炭を持った指だけがずっと動いていたから驚いた」
パカパカと蹄鉄の音に混じって、フレッドが話しかけてくれた。
「うん。ねぇ、フレッド……ぼくね、お父さんたちの肖像画を描けることになって本当に嬉しいって思ってるんだ。
フレッドのおかげだよ。フレッドがお父さんたちにお願いしてくれたから……本当にありがとう」
こみ上げてくる思いをどうしてもフレッドに伝えたくて、お礼をいうとフレッドは何か不思議な表情をしていたけれど、
「私はシュウの絵を残したいと思っただけだ。だが、シュウがそう思ってくれるのはすごく嬉しいぞ」
と、満面の笑みに変わった。
腕の中にぎゅっと抱かれながら城下を進むアンドリューさまの後に続いていると、突然前を進んでいたアンドリューさまがUターンをしてぼくたちの元へとやってきた。
「陛下。どうなされたのですか?」
「いや、先ほど少し話しすぎてな、喉が渇いたのだ。近くでお茶でもして行こうかと誘いにきたのだが……」
「シュウ、どう――」
「わぁっ!! 行きたいですっ!!」
アンドリューさまのお誘いがあまりにも嬉しくて、フレッドの言葉にかぶりながらつい食い気味に答えると
『ククッ』と笑われてしまったけれど、
「それじゃあ行くとしよう。アルフレッド、ついてこい」
と行って、颯爽と手綱を操り前に進んで行った。
前を進むアンドリューさまの乗る馬が一軒のお店の前で止まった。
ここ、初めて来るお店だな。
お父さんチョイスのお店とはやっぱり雰囲気が違って、なんとなく大人な雰囲気が漂っている。
いち早くヒューバートさんが軽やかにお馬さんから降りると、急いでぼくたちの元へと駆け寄ってきた。
何事かと思ったら、
「アルフレッドさま、シュウさまがお降りになるのをお手伝いさせていただきます」
と言ってくれた。
そうか、確かに一緒に降りるのは難しいのかもしれない。
ぼくを抱きかかえたまま乗るのも難しいとは思うんだけどね。
でも、高いところから降りるのはぼくも少し怖い気がする。
ヒューバートさんの優しさが嬉しくて手を出そうとしたら、『いや、いい』とフレッドに引っ込められた。
ああ、そっか。
フレッドはぼくがヒューバートさんに触れるのが嫌なのかもしれない。
それならフレッドと一緒に降りたほうがいいかと思っていると、ストっと軽やかに降りたアンドリューさまがぼくたちの様子をみていたらしく、傍まできてくれて、『私が手伝おう』と手を出してくれた。
アンドリューさま直々に手を差し出してくれるのを断るわけにはいかないよね?
だけどなんとなく、ヒューバートさんよりアンドリューさまの手をとるのを嫌がりそうなんだよね、フレッドは。
どうだろう?
そう思って、一瞬フレッドの顔を見上げると、フレッドはほんの少し眉を顰めていたけれど、
『シュウ、怪我をすると危ないから陛下にお願いしよう』とアンドリューさまの手を取るように促した。
フレッドがそういうならと差し出されたアンドリューさまの手を取ると、フレッドの手よりほんの少し硬い手触りに一瞬ドキッとした。
そういえば、フレッドとお父さん以外の人の手に触れるのはなかったかもしれない。
ギュッと握られた手の感触にフレッドとの違いを感じながら、引っ張られるようにユージーンから降りるとアンドリューさまのもう片方の手がぼくの背中をそっと抱き寄せてくれて高いところから降りた衝撃はほとんど感じなかった。
アンドリューさまの大きな身体にきゅっと抱き込まれると、フレッドとは違う爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
うわぁっ、なんか変な感じ。
でもなんだろう……フレッドに抱きついた時はいつでもドキドキしちゃうけど、アンドリューさまの場合はなんとなく安心するというか、そんな感じがする。
あっ、そうだ。お父さんに抱きしめてもらった時のようなそんな感覚だ。
うん、安心する。
なんだか嬉しくなってきてもう一度匂いを嗅いでみると、今度は大好きなフレッドの匂いがした。
えっ? と見上げると、気づかないうちにユージーンから降りていたフレッドの腕の中に代わっていた。
あれっ? いつの間に?
そう思ってしまうほどの早技に思わず『えっ?』と声をあげてしまった。
「シュウ、私の腕の中では不満か?」
少し剥れた様子のフレッドがぼくを見下ろしている。
そういう意味で言ったんじゃないんだけどなと思いながら、
「違うよ。アンドリューさまからフレッドの匂いがするなぁと思ったらフレッドだったからびっくりしたんだよ」
と言うと、フレッドは途端に『そうか、そうか』とにっこり笑ってそのまま抱きしめ続けた。
「アルフレッド、シュウ。抱き合うのはその辺にして、そろそろ店に入ろう」
少し呆れたような声でアンドリューさまが声を上げると、
「ああ、失礼いたしました。さぁ、陛下。参りましょう」
とぼくの腕を絡めて歩き始めた。
前を歩くアンドリューさまの方から何か声が聞こえた気がしたけれど、なんと言ったのかぼくには聞こえなかった。
ユージーンたちを騎士さんたちが見てくれている間にアンドリューさまに連れられてやってきたのは、外壁が蔦に覆われていて趣がある落ち着いた雰囲気の大人なカフェ。
このレトロ感漂うカフェの扉を開けると、中から香ばしい焼き菓子の匂いがした。
思わず、スンスンと匂いを嗅いでいるとアンドリューさまが
「ここにはシュウの気に入る菓子があるぞ」
と教えてくれた。
きっとお父さんも好きなお菓子なんだろうな。ふふっ。
「楽しみです。トーマさまにもお土産買っていきましょうね」
と答えるとアンドリューさまは『そうだな』と言って嬉しそうに目を細めていた。
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