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第四章 (王城 過去編)
フレッド 30
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「アルフレッド、カーティス、どうだ、美しいだろう? トーマの瞳の色そのものなのだ。
ほら、もっと近くで見てくれて良いのだぞ」
今日だけでもう何度目だろう、アンドリューさまの耳に輝くピアスを見せつけられるのは……。
最初『おおっ! 素晴らしいですね』と褒め称えていたカーティスも苦笑気味だ。
トーマ王妃と共にピアスをつけることはアンドリュー王がずっと待ち望んでいた上に、それが神から直々に授けられたトーマ王妃のいわば分身とも言える黒金剛石を耳に付けることができて、喜びも一入なのだろう。
それはわかる。
気持ちが痛いほどわかるのだが、こう何度も仕事が中断されるとなるといい加減集中して仕事をしてくれと文句を言いたくなる。
しかし、それができないのは、相手が陛下だからというだけではなく、自分にも身に覚えがあるからだ。
そう。私もシュウの漆黒の瞳の色を耳に付けたときは嬉しくて、何度も何度もアンドリュー王に見せつけてしまったのだから。
同じ立場になればしてみたいと思うのは人間の性だろう。
朝から頬が緩みっぱなしのアンドリュー王を見ながら、あの時の自分の姿もそうだったのかとほんの少し恥ずかしくも思う。
「陛下。ピアスが嬉しいのはわかりますがどうかお手をお動かしください」
「わかっておる。カーティスは頭がかたいな」
宰相カーティスに文句を言われて反論しながらも顔はニヤけたままだ。
「トーマ王妃はオランディアの作物収穫量を増やすためにはどうするのが良いかと研究され、今日はこの日差しの中、畑で作業されておられるのですよ。陛下も早く政務を終わらせてトーマ王妃の作業をお手伝いされたらいかがですか?」
カーティスはアンドリュー王の仕事速度を速めようとトーマ王妃を持ち出してきた。
どうやらその提案は成功だったようだ。
アンドリュー王はあっという間に午前の仕事を終え、残りはもうすぐだ。
やはりトーマ王妃がかかると仕事が捗るようだ。
ゆっくりと食事の時間をとることも惜しんで仕事を進める様子に、薬が効きすぎたなとカーティスは苦笑いをしていたが、アンドリュー王が仕事の合間に食事ができるようにと厨房に軽食を作らせるあたり、意外と気が利く男だ。
ひとしきり仕事が落ち着いたところで、カーティスが口を開いた。
「陛下。お尋ねしようと思っていたのですが、肖像画を描く絵師はもうお決めになられたのですか?」
「なぜそう思ったのだ?」
「先頃、食事の手配に執務室を出ましたところ、ブルーノがあちらの画室に画材を運んでおりましたので、肖像画を描く準備なのかと……」
「なるほど、よく見ているな。その通りだ。私とトーマの肖像画を描く絵師はもう決まっておる」
「どなたをお選びになったのでございますか?
ジュリアム・ユーラ画伯? それともジョブラン・ギーゲル画伯でございますか?」
今、カーティスから上がった画家はどちらもこの時代のオランディア王国で1、2を争う素晴らしい画家だ。
しかも、それは我々の時代でも変わらない。
本来ならば、国王と王妃の肖像画はそのどちらかが選ばれるべきなのだろう。
しかし、その2人には悪いがもう既に決まっている。
アンドリュー王とトーマ王妃の肖像画を描くのはシュウなのだと。
カーティスはそれを知ってなんというだろうか?
「カーティス、其方がいろいろと資料を準備してくれていたことは感謝しておる。
だが、私が選んだ絵師はその2人のどちらでもない」
「えっ……どちらでもない? ではどなたが陛下と王妃さまの肖像画を描かれるのですか?」
「ここにいるアルフレッドの伴侶、シュウだ」
「はっ???」
カーティスは頭の片隅にもなかった名前が出てきたのでさぞ驚いたことだろう。
私とアンドリュー王の顔を何度も見てはもう一度
『ええっ??』と大声を上げた。
「アルフレッドさまの奥方さまが陛下と王妃さまの肖像画をお描きになるのでございますか?」
カーティスが確かめるように言ってきたのを『ああ、その通りだ』と返してやると、いまいち納得できないような表情で私を見た。
「あの、奥方さまは肖像画に造詣が深いのでございますか?」
「うーん、シュウは特に手習いはしたことがないと申していたな」
「ええっ? 失礼ですが、そのような技量で陛下と王妃さまの肖像画をお任せになるのでございますか?」
「シュウでは力不足だと申すのか?」
「いえ、そこまではっきりと申すつもりはございません。私とて普通の絵画でしたら奥方さまにお願いしても構わないと思いますが、陛下と王妃さまの肖像画は未来永劫受け継がれていく大切なものでございます。
だからこそ、私はこの国で1、2を争うジュリアム・ユーラ画伯とジョブラン・ギーゲル画伯を推薦したのでございます。
アルフレッドさまもその点はおわかりいただけるでしょう?
この肖像画は素人が手を出すことなどできませぬ、それは無謀というものでございます」
「カーティスの気持ちはよくわかる。が、私はシュウ以外に陛下と王妃さまの肖像画を任すことなどできぬ」
カーティスが必死に私を説得しようという気持ちはありありと伝わってくるが、シュウが肖像画を描くという事はもうすでに決定事項なのだ。
我々が元の時代へと帰るためにもこのことを譲る訳にはいかない。
「陛下。陛下はなぜアルフレッドさまの奥方さまに決められたのですか?」
カーティスの必死な様子が伝わってくる。
宰相という立場を考えればそれは当然のことだろう。
カーティスが納得する理由を伝えない限り、この議論は終わる事はない。
技量のないものを陛下の一存で決めたとあれば、それはそれで反感を買うことにもなりうる。
特にジュリアム・ユーラ画伯やジョブラン・ギーゲル画伯から見れば、
名も知らぬ素人に『陛下と王妃さまの肖像画の絵師』という称号をとられたと思わないとも限らない。
陛下はなんと言ってカーティスを黙らせることができるだろうか。
「カーティス、其方の心配はよくわかる。しかし、もう決めたのだ」
「ですから、私にも納得できるような理由を教えてくださいませ」
尚も噛み付いてくるカーティスにアンドリュー王はため息を吐いた。
「其方が納得する理由はあるにはあるのだが……」
「本当でございますか!! では、ぜひ!!」
「うむ、アルフレッド、良いか?」
アンドリュー王が私の顔色を窺ってくる。
あれは私の大切な宝物だから私の中に留めておきたいのだが、こう言われれば見せないわけにはいかないだろう。
仕方なく『わかりました』と了承し、部屋へ取りに帰った。
部屋にはシュウがいるかと思っていたのだが、見張りの騎士に尋ねるとどうやらブルーノと散策に出かけたらしい。
シュウの顔が見られなかったことを残念に思いながら、一直線に寝室に向かうとベッドのすぐ横にある棚に飾っている画帳を手に取った。
これはあのグラシュリンの森の小川でシュウが描いてくれたあの似顔絵が描かれている。
この絵を見て、私はあの時に見たアンドリュー王とトーマ王妃の肖像画の絵師がシュウだと確信したのだ。
確かに名だたる画伯たちに技量は及ばないだろう。
それでも、このシュウの描く絵には名だたる画伯には到底表せないものがある。
シュウは人間の外側を綺麗に写しとるのではなく、内面を描いているのだ。
シュウの絵は心を震わせるのだ。
カーティスはこの絵を見てそのことに気づくことができるだろうか。
私はシュウの心がこもった画帳を持ち、部屋を後にした。
執務室へ戻ると、カーティスの視線が私の手の中にある画帳へと向けられている。
シュウの技量がどれだけのものかと思っているのだろう。
「陛下。お持ちいたしました」
持ってきた画帳をアンドリュー王に手渡すと、『悪いな』と小声で謝られた。
本来ならば見せたくはないが今回は仕方がない。
「どうぞお気になさらず」
そう返すと、アンドリュー王はほんの少し安堵した表情を見せた。
「カーティス、これを見てくれ。アルフレッドの伴侶、シュウが描いたアルフレッドの似顔絵だ」
広げられた画帳を半信半疑で覗き込んだカーティスの顔から笑みが消え、目を大きく見開いた驚愕の表情へと変わっていった。
「こ、これを……奥方さま、が……?」
「ああ。そうだ。確かに技量はあの2人の画伯よりは劣るやも知れぬ。だが、私は技量などでは測れぬものがシュウの絵にあると思っているのだ。だからこそ、私はシュウの絵を我々の肖像画の絵師に選んだのだ。
シュウの描く我々の絵はきっと未来永劫この国の大切なものとなるに違いない。そう思わないか?」
私はアンドリュー王の言葉が嬉しかった。
シュウの絵をそこまで理解し、愛してくれていることが何よりも嬉しかったのだ。
カーティスはか細い声で
『アルフレッドさま。出過ぎたことを申しまして大変失礼致しました。
奥方さまの描く絵は、陛下と王妃さまの肖像画を描くのに相応しい。
いえ、奥方さまの絵以外には考えられませぬ。本当に申し訳ございませんでした』
と身体を震わせながら謝罪の言葉を口にした。
「カーティス、其方が陛下とトーマ王妃のことを思って言ってくれたことだ。
気にすることはない。私は其方がシュウの絵の素晴らしさを理解してくれたことを嬉しく思っている」
「その通りだ。カーティス、其方が我々の肖像画をどれほどまでに大切に思ってくれているのかということがわかって、私も感謝しておるのだぞ。其方にもさまざまな思いがあっただろうが、私とトーマがアルフレッドの伴侶であるシュウの絵を見て決めたのだ。それが其方にも通じたのだな」
アンドリュー王はカーティスを見て嬉しそうに微笑んでいた。
「陛下。アルフレッドさま。私は宰相として、これから先、奥方さまがなんの憂いを持たずに陛下と王妃さまの肖像画を完成することができますよう手助けして参ります。アルフレッドさま、奥方さまが何かお困りごとがあれば何なりとお申し付けください」
「ああ、よろしく頼む」
「完成が楽しみでございますね」
「本当にな……」
先ほどまで張り詰めていた雰囲気の執務室は、シュウの描いてくれた私の似顔絵を囲んで和やかな空気が流れていた。
この話で中断していた仕事を再開すると、なぜか3人とも先ほどよりもものすごい集中力を発揮し、あっという間に今日の政務を終えることができた。
これもシュウの持つ力のせいなのかどうなのかはわからぬが、早く終わるのは素晴らしいことだ。
さぁ、シュウの元へと向かうとするか。
そういえば、シュウはブルーノと散策に行ったと言っていたが、どこにいるのだろう。
あ、そうか。
もしかしたらトーマ王妃のところではないか?
「陛下。今からトーマ王妃のお手伝いに向かわれるのでしょう?」
「ああ。そうだな。この日差しの中、畑にいるのであれば何か差し入れでも持っていってやるか。
ブルーノはいないか?」
「ブルーノはシュウと出かけているようです」
「そうか、ならばカーティス、ジェスを呼べ」
「はい。畏まりました」
カーティスはすぐに執務室を出て、ジェスを連れてきた。
ジェスはアンドリュー王とトーマ王妃の専属従者の1人であり、ブルーノが私とシュウについてくれている時はこのジェスがアンドリュー王とトーマ王妃の身の回りのお世話をする。
「陛下、お呼びでございますか」
「ああ。トーマは今どこにいる?」
「はい。トーマ王妃はただいま、中庭の畑で作業をしていらっしゃいます」
「そうか。私もそこに向かう。飲み物と軽食を準備してくれ」
「はい。すぐにご用意いたします」
それからものの数分で飲み物と軽食を準備したジェスと共に私は陛下とトーマ王妃がいるという中庭の畑へと向かった。
「仕事が早く終わったのに、シュウのところへ行かずとも良いのか?」
「いえ、それが、シュウがブルーノと散策にでたと聞いたので、もしかしたらトーマ王妃の元へ行ったのではと思いまして……」
「ああ。なるほどな。それはあるかも知れぬな。シュウはトーマを好いておるからな」
「な――っ! 陛下、それは……」
「ははっ。冗談だ。シュウがトーマの元へ行ったとすれば、何か考えがあってのことだろう。
そうでなければ、シュウは其方の元へ訪ねてくるだろうからな」
アンドリュー王の言葉に内心安堵しつつも、シュウが何をしにトーマ王妃の元へ向かったのか、私はとてつもなく気になっていた。
もうすぐトーマ王妃のいる中庭へと差し掛かりそうになった時、突然ブルーノが外から駆け込んできた。
「ブルーノ、そんなに慌ててどうしたんだ?!」
「ああっ、アルフレッドさま……」
顔面蒼白なその表情に私はシュウに何かあったのではないかと一瞬にして悟った。
「どうした? シュウは? シュウはどこだ?」
「アルフレッド、落ち着け!」
掴みかからん勢いでブルーノに駆け寄ったのをアンドリュー王に制されて、心を落ち着けようとしたものの、シュウのことが気になってとっても落ち着けそうにない。
「ブルーノ、説明しろ」
アンドリュー王の言葉にブルーノはピシッと背筋を伸ばして口を開いた。
「はい。シュウさまはトーマさまの絵をお描きになると仰って、中庭で描いていらっしゃっいました。
ですが、この強い日差しの中、お帽子もなく水分もお取りにならずに集中してお描きになっていらしたので、少し体調を崩されたようで今は日陰で休まれております」
「なんだと? ブルーノ、お前がついていてなぜそんなことに!」
今度は先ほどまで私を制していたアンドリュー王がブルーノに食ってかかる。
「申し訳ございません。何度もお声がけしようとしたのですが、シュウさまの鬼気迫る迫力にお声がけするのを躊躇ってしまいまして……」
ブルーノが申し訳なさげに話すのを聞いて、私はあのグラシュリンの森の小川でシュウに絵を描いてもらった時のことを思い出していた。
あの時のシュウも不思議だった。
ずっと視線は私の方を向いているのにも関わらず、シュウが握った木炭だけが画帳を流れるように滑っていた。
瞬きすらしていないのではないかと思うほど、一心不乱に描き続けるシュウに私でも声をかけるのを戸惑ったほどだ。
絵を描いている時のシュウにはただならぬ何かを感じるのだ。
そう、シュウに宿る何かが絵を描く時にだけ憑依してあの絵を描かせているのではないか……そんなことを考えてしまうほどに絵を描いている時のシュウは何か鬼気迫るものがある。
そんな集中しているシュウにブルーノが声をかけることなどできないだろう。
そう考えれば、ブルーノがついていながらシュウが体調を崩したのはなぜだ! と責めることは憚られるな。
「それで、シュウの様子はどうなのだ?」
できるだけ落ち着いた声でブルーノに問いかけると、ブルーノはほんの少し安堵した表情を見せた。
おそらく私の声に怒りの感情がないことに気づいたのだろう。
「はい。日陰にお連れいたしましたので今は落ち着いていらっしゃいます」
「そうか。それなら安心だな、アルフレッド」
「はい。ブルーノ、さっきは悪かったな」
「いえ、滅相もない。私が至らなかっただけでございます。申し訳ございませんでした」
「いや、もう謝るな。それでブルーノ、お前は今どこに向かっておったのだ?」
平身低頭するブルーノにアンドリュー王が尋ねると、ブルーノは『あっ!』と思い出したように
「シュウさまのレモン水を取りに行くところでございました」
と答えた。
「そうか、ならばジェス、すぐにレモン水を」
「はっ」
ジェスは持っていた荷物からグラスを取り出し、それにレモン水を注いだ。
「ブルーノ、これを持っていけ。それから、我々が来ていることはシュウには話すな」
「はい。かしこまりました。レモン水頂戴いたします」
そういうとブルーノは頭を下げ、急いで中庭にいるシュウの元へ駆けて行った。
「陛下。さっきのはどういう意味でございますか?」
「んっ? なんのことだ?」
「いえ、シュウには話すなと仰っていましたのでなぜかと思いまして」
「ああ。そのことか。シュウがトーマの絵を描いていたのなら、今頃トーマはシュウが体調を崩したことに気づいているはずだ。2人が何を話すか気になるだろう?」
確かに。ふたりっきりで何を話しているのか興味がないと言えば嘘になる。
「はい。それはもちろん」
「ふふっ。そうだろう。だから2人の近くでこっそりと聞いてみたくないか?」
「えっ、ですがそれは……」
そう言いながらも、私の中で2人の会話を聞いてみたい……その欲はどんどん増していく。
結局アンドリュー王の意見に乗り、ジェスを部屋へと帰らせ、我々は2人でこっそりシュウたちの元へと向かった。
中庭の奥にあるトーマ王妃の畑へと向かうと、少し離れた木の下にシュウが座っているのが見えた。
「んっ? トーマの姿が見えないな」
「そうですね。シュウの横にいるのは……あれはブルーノか。何か掃除でもしているように見えますね」
なんだ? 何があったんだ?
2人でおかしいなと顔を見合わせていると、トーマ王妃が奥の扉からシュウの元へと走り寄ってくる。
その手にはグラスを持っているのが見えた。
トーマ王妃はシュウの隣に腰を下ろし、グラスに入った水を飲ませている。
「もしかしたらさっきのグラスを落としてしまったのかも知れぬな」
「なるほど。確かにあり得ますね」
そう考えれば、ブルーノが掃除をしていたのもトーマ王妃がグラスを持って走ってきたのも合点がいく。
このまま少し離れた場所から2人の様子を眺めていると、トーマ王妃がシュウの隣に座ったまま楽しそうに会話をし始めた。
「どうやら、シュウの体調は戻ったようだな」
「そうですね。安心致しました」
そんなことを話していると、ブルーノが何やらシュウに紙を手渡している。
あれはなんだ?
ああ、そうか。
「あれはさっきまで描いていたというトーマ王妃の絵かも知れませんね」
同じく怪訝そうな表情をしていたアンドリュー王に告げると、『ああなるほど』と納得の声をあげた。
「我々にも見せてもらいたいものだな」
「ふふっ。そうですね。あとでゆっくり見せてもらいましょうか」
「そうだな」
そう言いながらも、どんな会話をしているのかが気になって、2人に気づかれないようにこっそりと近づいていった。
「柊ちゃんっ! すごいよ! すごいよ、この絵っ! 僕感動しちゃった」
トーマ王妃のはしゃいだ声が少し離れた私たちの耳にまで飛び込んで来る。
その声に少し涙の色が混ざっていて、思わずアンドリュー王と顔を見合わせた。
「トーマが泣いているな」
「それほどまでにシュウの絵に心を奪われたということでしょうね」
「シュウも一緒に泣いているのではないか?」
「そう、ですね……。おそらく、トーマ王妃の涙を見て貰い泣きをしているのでしょう。
トーマ王妃に絵を見せられたことが嬉しかったのかも知れませぬ」
「そうか……。シュウにとっては初めてのことだろうからな。父の絵を描くというのは……」
しみじみとそう語るアンドリュー王の言葉に私は大いに納得させられた。
親に褒められることがどれだけ嬉しいことか……虐げられながら育った私でも一度や二度は父、母に褒められたことがある。
かなり幼い頃の出来事で何をして褒められたかすら定かではないが、父がいつにもなく明るい声で私の頭を優しく撫でてくれたあの温もりは今でも忘れていない。
「シュウにとって嬉しい記憶になったことでしょう。トーマ王妃には素晴らしい思い出を作っていただいて感謝します」
「アルフレッド、それは違うぞ」
「えっ?」
「いや、シュウにとって嬉しい記憶になったことは間違いないが、それはトーマも同じだ。
子が自分が汗水流して働いているところを見て描いてくれるというのはどれだけ嬉しいことか……。
私の伴侶としての人生を選んでくれたトーマにとっては一生叶えられない夢だったろう。
それが今こうして叶ったのだ。トーマにとってはこの上ないほど嬉しい記憶になったはずだ」
「はい。その通りですね。今日のこの日は2人にとってかけがえのない日になったことでしょう」
「我々もその場に居合わせることができたということを神に感謝することにしよう」
ニコリと笑顔を向けるアンドリュー王に私もまた笑顔で返した。
ああ、今日は何て素晴らしい日なんだ。
『ぷーっ、くくくっ』
『ふふっ、はははっ』
突然シュウたちがいる方向から大きな笑い声が聞こえてきた。
あまりにも楽しそうなその声に私たちも釣られて笑ってしまう。
「何やら楽しそうだな」
「そうですね。何を話しているのか気になりますね」
「もう少し近づいてみるか」
ニヤリと笑うアンドリュー王にそっと頷き、私たちはゆっくりとシュウたちの後方へと近づいた。
「今度はアンドリューさまのスケッチを練習に行かなくちゃ!」
楽しそうなシュウの声が聞こえる。
アンドリュー王の絵を練習?
なるほど、今日の絵は肖像画を描くための練習というわけか。
にしてもアンドリュー王の姿を描くということは今日のトーマ王妃のようにシュウが働いているアンドリュー王をじっくりと見つめて描くということか。
肖像画を描くためには仕方のないことだとわかっていても、なんとなくモヤモヤとした感情が蠢く。
しかし、
「アルフレッド、私の傍にはいつも其方があるのだから、シュウとふたりきりになるわけではないぞ」
だから安心しろ、小声でそう言われれば『はい』としか言えないが。
まぁ、ふたりきりで描かれるよりはましか。
「アンディーは僕より難しいかもね。なんてったってあのカッコ良さを絵にするのは大変だよ」
トーマ王妃の惚気にアンドリュー王は分かりやすく破顔した。
「ふふっ。大丈夫だよ。ぼくずっと近くでフレッドを見てるんだから! カッコいいものは見慣れてるよ」
アンドリュー王のニヤけた顔に少し呆れていた私だったが、シュウの口からすぐに溢れた私への惚気の言葉に私もニヤケが止まらなかった。
「あーあ、柊ちゃん、僕の前で惚気るようになったんだ。僕よりアルフレッドさんの方が好きなんだーっ、寂しいなぁ」
「な――っ! トーマさまだって惚気てたでしょ。ぼくよりアンドリューさまといっつもラブラブしてるくせに」
『ふふっ』
『ははっ』
シュウとトーマ王妃は我々が聞いているのも知らずに楽しそうに惚気あっている。
シュウのこんな一面が見られるとは……今日はなんという素晴らしい日なのだ。
私は幸せすぎておかしくなってしまいそうだ。
「楽しそうだな」
シュウたちがお茶をし始めたのを見計らって、さも今、到着したかのように声をかけた。
「アンディー!」
「フレッド!」
シュウの呼び声が甘く感じられて嬉しい。
だが、今まで盗み聞きをしていたことは決して知られてはいけない。
緩む頬を押さえながらシュウの元へと歩いていった。
何食わぬ顔でトーマ王妃に声をかけ、当たり前のように隣にスッと腰を下ろすアンドリュー王を見習って、私もシュウの隣に腰を下ろした。
こういう場所に腰を下ろすのはいつぶりだったろうか。
それでもシュウと一緒ならば高価なソファーよりも座り心地がいい。
まずは、一番気になることを聞いておかなければと体調について尋ねると、もう大丈夫だと笑顔で答えた。
顔色もいいし、なんせあんなに楽しそうにトーマ王妃と会話をしていたのだからまず問題はないだろう。
すでに知ってはいるが、シュウの描いたあの絵を見せてもらいたくてここで何をしていたのだと問いかけると、口籠ったシュウに代わってトーマ王妃が絵を描いていたのだとシュウの絵を広げて見せてくれた。
願った通りになり、喜び勇んでその絵を見て私は驚いた。
あまりにも素晴らしい絵に私もアンドリュー王も驚き賛辞を送った。
しかし、続くシュウの返答はいただけない。
「トーマさまがすっごくカッコ良かったから、夢中になって描いちゃった」
などと笑顔でそんなことを言ってくるシュウに思わず本音が漏れてしまった。
「シュウ、私よりもトーマ王妃の方が格好いいか?」
子どもじみた嫉妬だとわかっていながら、シュウにそう問わずにはいられなかった。
すると、シュウは
「えっ? フレッドはいつでもカッコいいよ。決まってるじゃない」
当たり前でしょと言い放ったのだ。
そうか、シュウにとって私が格好いいのは当たり前のことなのか……その言葉が私を天まで浮上させた。
シュウを抱きしめながら笑い合っていると、トーマ王妃とアンドリュー王も2人で見つめ合いながら笑っている。
そんなほのぼのとしたこの幸せな時間に感謝していると、シュウが突然アンドリュー王に声をかけた。
「今度はアンドリューさまの絵を描かせてくださいね」
アンドリュー王の絵の練習をしたいと申し出るシュウにアンドリュー王は頬を緩めながらいつでも来てくれていいと返答すると、シュウは嬉しさのあまり私の腕から抜け出てアンドリュー王の元へと行こうとした。
腕の力を強くし、全力で止めながら
「シュウ、陛下の絵を描くときは私も一緒にいるからな!!」
と強く訴えると、シュウは少し怯えたような声で
「う、うん。わかった……フレッドも一緒にね」
と言ってくれた。
いくらアンドリュー王とはいえ、絶対にふたりきりなどにはさせない!
私はそう心に誓った。
ほら、もっと近くで見てくれて良いのだぞ」
今日だけでもう何度目だろう、アンドリューさまの耳に輝くピアスを見せつけられるのは……。
最初『おおっ! 素晴らしいですね』と褒め称えていたカーティスも苦笑気味だ。
トーマ王妃と共にピアスをつけることはアンドリュー王がずっと待ち望んでいた上に、それが神から直々に授けられたトーマ王妃のいわば分身とも言える黒金剛石を耳に付けることができて、喜びも一入なのだろう。
それはわかる。
気持ちが痛いほどわかるのだが、こう何度も仕事が中断されるとなるといい加減集中して仕事をしてくれと文句を言いたくなる。
しかし、それができないのは、相手が陛下だからというだけではなく、自分にも身に覚えがあるからだ。
そう。私もシュウの漆黒の瞳の色を耳に付けたときは嬉しくて、何度も何度もアンドリュー王に見せつけてしまったのだから。
同じ立場になればしてみたいと思うのは人間の性だろう。
朝から頬が緩みっぱなしのアンドリュー王を見ながら、あの時の自分の姿もそうだったのかとほんの少し恥ずかしくも思う。
「陛下。ピアスが嬉しいのはわかりますがどうかお手をお動かしください」
「わかっておる。カーティスは頭がかたいな」
宰相カーティスに文句を言われて反論しながらも顔はニヤけたままだ。
「トーマ王妃はオランディアの作物収穫量を増やすためにはどうするのが良いかと研究され、今日はこの日差しの中、畑で作業されておられるのですよ。陛下も早く政務を終わらせてトーマ王妃の作業をお手伝いされたらいかがですか?」
カーティスはアンドリュー王の仕事速度を速めようとトーマ王妃を持ち出してきた。
どうやらその提案は成功だったようだ。
アンドリュー王はあっという間に午前の仕事を終え、残りはもうすぐだ。
やはりトーマ王妃がかかると仕事が捗るようだ。
ゆっくりと食事の時間をとることも惜しんで仕事を進める様子に、薬が効きすぎたなとカーティスは苦笑いをしていたが、アンドリュー王が仕事の合間に食事ができるようにと厨房に軽食を作らせるあたり、意外と気が利く男だ。
ひとしきり仕事が落ち着いたところで、カーティスが口を開いた。
「陛下。お尋ねしようと思っていたのですが、肖像画を描く絵師はもうお決めになられたのですか?」
「なぜそう思ったのだ?」
「先頃、食事の手配に執務室を出ましたところ、ブルーノがあちらの画室に画材を運んでおりましたので、肖像画を描く準備なのかと……」
「なるほど、よく見ているな。その通りだ。私とトーマの肖像画を描く絵師はもう決まっておる」
「どなたをお選びになったのでございますか?
ジュリアム・ユーラ画伯? それともジョブラン・ギーゲル画伯でございますか?」
今、カーティスから上がった画家はどちらもこの時代のオランディア王国で1、2を争う素晴らしい画家だ。
しかも、それは我々の時代でも変わらない。
本来ならば、国王と王妃の肖像画はそのどちらかが選ばれるべきなのだろう。
しかし、その2人には悪いがもう既に決まっている。
アンドリュー王とトーマ王妃の肖像画を描くのはシュウなのだと。
カーティスはそれを知ってなんというだろうか?
「カーティス、其方がいろいろと資料を準備してくれていたことは感謝しておる。
だが、私が選んだ絵師はその2人のどちらでもない」
「えっ……どちらでもない? ではどなたが陛下と王妃さまの肖像画を描かれるのですか?」
「ここにいるアルフレッドの伴侶、シュウだ」
「はっ???」
カーティスは頭の片隅にもなかった名前が出てきたのでさぞ驚いたことだろう。
私とアンドリュー王の顔を何度も見てはもう一度
『ええっ??』と大声を上げた。
「アルフレッドさまの奥方さまが陛下と王妃さまの肖像画をお描きになるのでございますか?」
カーティスが確かめるように言ってきたのを『ああ、その通りだ』と返してやると、いまいち納得できないような表情で私を見た。
「あの、奥方さまは肖像画に造詣が深いのでございますか?」
「うーん、シュウは特に手習いはしたことがないと申していたな」
「ええっ? 失礼ですが、そのような技量で陛下と王妃さまの肖像画をお任せになるのでございますか?」
「シュウでは力不足だと申すのか?」
「いえ、そこまではっきりと申すつもりはございません。私とて普通の絵画でしたら奥方さまにお願いしても構わないと思いますが、陛下と王妃さまの肖像画は未来永劫受け継がれていく大切なものでございます。
だからこそ、私はこの国で1、2を争うジュリアム・ユーラ画伯とジョブラン・ギーゲル画伯を推薦したのでございます。
アルフレッドさまもその点はおわかりいただけるでしょう?
この肖像画は素人が手を出すことなどできませぬ、それは無謀というものでございます」
「カーティスの気持ちはよくわかる。が、私はシュウ以外に陛下と王妃さまの肖像画を任すことなどできぬ」
カーティスが必死に私を説得しようという気持ちはありありと伝わってくるが、シュウが肖像画を描くという事はもうすでに決定事項なのだ。
我々が元の時代へと帰るためにもこのことを譲る訳にはいかない。
「陛下。陛下はなぜアルフレッドさまの奥方さまに決められたのですか?」
カーティスの必死な様子が伝わってくる。
宰相という立場を考えればそれは当然のことだろう。
カーティスが納得する理由を伝えない限り、この議論は終わる事はない。
技量のないものを陛下の一存で決めたとあれば、それはそれで反感を買うことにもなりうる。
特にジュリアム・ユーラ画伯やジョブラン・ギーゲル画伯から見れば、
名も知らぬ素人に『陛下と王妃さまの肖像画の絵師』という称号をとられたと思わないとも限らない。
陛下はなんと言ってカーティスを黙らせることができるだろうか。
「カーティス、其方の心配はよくわかる。しかし、もう決めたのだ」
「ですから、私にも納得できるような理由を教えてくださいませ」
尚も噛み付いてくるカーティスにアンドリュー王はため息を吐いた。
「其方が納得する理由はあるにはあるのだが……」
「本当でございますか!! では、ぜひ!!」
「うむ、アルフレッド、良いか?」
アンドリュー王が私の顔色を窺ってくる。
あれは私の大切な宝物だから私の中に留めておきたいのだが、こう言われれば見せないわけにはいかないだろう。
仕方なく『わかりました』と了承し、部屋へ取りに帰った。
部屋にはシュウがいるかと思っていたのだが、見張りの騎士に尋ねるとどうやらブルーノと散策に出かけたらしい。
シュウの顔が見られなかったことを残念に思いながら、一直線に寝室に向かうとベッドのすぐ横にある棚に飾っている画帳を手に取った。
これはあのグラシュリンの森の小川でシュウが描いてくれたあの似顔絵が描かれている。
この絵を見て、私はあの時に見たアンドリュー王とトーマ王妃の肖像画の絵師がシュウだと確信したのだ。
確かに名だたる画伯たちに技量は及ばないだろう。
それでも、このシュウの描く絵には名だたる画伯には到底表せないものがある。
シュウは人間の外側を綺麗に写しとるのではなく、内面を描いているのだ。
シュウの絵は心を震わせるのだ。
カーティスはこの絵を見てそのことに気づくことができるだろうか。
私はシュウの心がこもった画帳を持ち、部屋を後にした。
執務室へ戻ると、カーティスの視線が私の手の中にある画帳へと向けられている。
シュウの技量がどれだけのものかと思っているのだろう。
「陛下。お持ちいたしました」
持ってきた画帳をアンドリュー王に手渡すと、『悪いな』と小声で謝られた。
本来ならば見せたくはないが今回は仕方がない。
「どうぞお気になさらず」
そう返すと、アンドリュー王はほんの少し安堵した表情を見せた。
「カーティス、これを見てくれ。アルフレッドの伴侶、シュウが描いたアルフレッドの似顔絵だ」
広げられた画帳を半信半疑で覗き込んだカーティスの顔から笑みが消え、目を大きく見開いた驚愕の表情へと変わっていった。
「こ、これを……奥方さま、が……?」
「ああ。そうだ。確かに技量はあの2人の画伯よりは劣るやも知れぬ。だが、私は技量などでは測れぬものがシュウの絵にあると思っているのだ。だからこそ、私はシュウの絵を我々の肖像画の絵師に選んだのだ。
シュウの描く我々の絵はきっと未来永劫この国の大切なものとなるに違いない。そう思わないか?」
私はアンドリュー王の言葉が嬉しかった。
シュウの絵をそこまで理解し、愛してくれていることが何よりも嬉しかったのだ。
カーティスはか細い声で
『アルフレッドさま。出過ぎたことを申しまして大変失礼致しました。
奥方さまの描く絵は、陛下と王妃さまの肖像画を描くのに相応しい。
いえ、奥方さまの絵以外には考えられませぬ。本当に申し訳ございませんでした』
と身体を震わせながら謝罪の言葉を口にした。
「カーティス、其方が陛下とトーマ王妃のことを思って言ってくれたことだ。
気にすることはない。私は其方がシュウの絵の素晴らしさを理解してくれたことを嬉しく思っている」
「その通りだ。カーティス、其方が我々の肖像画をどれほどまでに大切に思ってくれているのかということがわかって、私も感謝しておるのだぞ。其方にもさまざまな思いがあっただろうが、私とトーマがアルフレッドの伴侶であるシュウの絵を見て決めたのだ。それが其方にも通じたのだな」
アンドリュー王はカーティスを見て嬉しそうに微笑んでいた。
「陛下。アルフレッドさま。私は宰相として、これから先、奥方さまがなんの憂いを持たずに陛下と王妃さまの肖像画を完成することができますよう手助けして参ります。アルフレッドさま、奥方さまが何かお困りごとがあれば何なりとお申し付けください」
「ああ、よろしく頼む」
「完成が楽しみでございますね」
「本当にな……」
先ほどまで張り詰めていた雰囲気の執務室は、シュウの描いてくれた私の似顔絵を囲んで和やかな空気が流れていた。
この話で中断していた仕事を再開すると、なぜか3人とも先ほどよりもものすごい集中力を発揮し、あっという間に今日の政務を終えることができた。
これもシュウの持つ力のせいなのかどうなのかはわからぬが、早く終わるのは素晴らしいことだ。
さぁ、シュウの元へと向かうとするか。
そういえば、シュウはブルーノと散策に行ったと言っていたが、どこにいるのだろう。
あ、そうか。
もしかしたらトーマ王妃のところではないか?
「陛下。今からトーマ王妃のお手伝いに向かわれるのでしょう?」
「ああ。そうだな。この日差しの中、畑にいるのであれば何か差し入れでも持っていってやるか。
ブルーノはいないか?」
「ブルーノはシュウと出かけているようです」
「そうか、ならばカーティス、ジェスを呼べ」
「はい。畏まりました」
カーティスはすぐに執務室を出て、ジェスを連れてきた。
ジェスはアンドリュー王とトーマ王妃の専属従者の1人であり、ブルーノが私とシュウについてくれている時はこのジェスがアンドリュー王とトーマ王妃の身の回りのお世話をする。
「陛下、お呼びでございますか」
「ああ。トーマは今どこにいる?」
「はい。トーマ王妃はただいま、中庭の畑で作業をしていらっしゃいます」
「そうか。私もそこに向かう。飲み物と軽食を準備してくれ」
「はい。すぐにご用意いたします」
それからものの数分で飲み物と軽食を準備したジェスと共に私は陛下とトーマ王妃がいるという中庭の畑へと向かった。
「仕事が早く終わったのに、シュウのところへ行かずとも良いのか?」
「いえ、それが、シュウがブルーノと散策にでたと聞いたので、もしかしたらトーマ王妃の元へ行ったのではと思いまして……」
「ああ。なるほどな。それはあるかも知れぬな。シュウはトーマを好いておるからな」
「な――っ! 陛下、それは……」
「ははっ。冗談だ。シュウがトーマの元へ行ったとすれば、何か考えがあってのことだろう。
そうでなければ、シュウは其方の元へ訪ねてくるだろうからな」
アンドリュー王の言葉に内心安堵しつつも、シュウが何をしにトーマ王妃の元へ向かったのか、私はとてつもなく気になっていた。
もうすぐトーマ王妃のいる中庭へと差し掛かりそうになった時、突然ブルーノが外から駆け込んできた。
「ブルーノ、そんなに慌ててどうしたんだ?!」
「ああっ、アルフレッドさま……」
顔面蒼白なその表情に私はシュウに何かあったのではないかと一瞬にして悟った。
「どうした? シュウは? シュウはどこだ?」
「アルフレッド、落ち着け!」
掴みかからん勢いでブルーノに駆け寄ったのをアンドリュー王に制されて、心を落ち着けようとしたものの、シュウのことが気になってとっても落ち着けそうにない。
「ブルーノ、説明しろ」
アンドリュー王の言葉にブルーノはピシッと背筋を伸ばして口を開いた。
「はい。シュウさまはトーマさまの絵をお描きになると仰って、中庭で描いていらっしゃっいました。
ですが、この強い日差しの中、お帽子もなく水分もお取りにならずに集中してお描きになっていらしたので、少し体調を崩されたようで今は日陰で休まれております」
「なんだと? ブルーノ、お前がついていてなぜそんなことに!」
今度は先ほどまで私を制していたアンドリュー王がブルーノに食ってかかる。
「申し訳ございません。何度もお声がけしようとしたのですが、シュウさまの鬼気迫る迫力にお声がけするのを躊躇ってしまいまして……」
ブルーノが申し訳なさげに話すのを聞いて、私はあのグラシュリンの森の小川でシュウに絵を描いてもらった時のことを思い出していた。
あの時のシュウも不思議だった。
ずっと視線は私の方を向いているのにも関わらず、シュウが握った木炭だけが画帳を流れるように滑っていた。
瞬きすらしていないのではないかと思うほど、一心不乱に描き続けるシュウに私でも声をかけるのを戸惑ったほどだ。
絵を描いている時のシュウにはただならぬ何かを感じるのだ。
そう、シュウに宿る何かが絵を描く時にだけ憑依してあの絵を描かせているのではないか……そんなことを考えてしまうほどに絵を描いている時のシュウは何か鬼気迫るものがある。
そんな集中しているシュウにブルーノが声をかけることなどできないだろう。
そう考えれば、ブルーノがついていながらシュウが体調を崩したのはなぜだ! と責めることは憚られるな。
「それで、シュウの様子はどうなのだ?」
できるだけ落ち着いた声でブルーノに問いかけると、ブルーノはほんの少し安堵した表情を見せた。
おそらく私の声に怒りの感情がないことに気づいたのだろう。
「はい。日陰にお連れいたしましたので今は落ち着いていらっしゃいます」
「そうか。それなら安心だな、アルフレッド」
「はい。ブルーノ、さっきは悪かったな」
「いえ、滅相もない。私が至らなかっただけでございます。申し訳ございませんでした」
「いや、もう謝るな。それでブルーノ、お前は今どこに向かっておったのだ?」
平身低頭するブルーノにアンドリュー王が尋ねると、ブルーノは『あっ!』と思い出したように
「シュウさまのレモン水を取りに行くところでございました」
と答えた。
「そうか、ならばジェス、すぐにレモン水を」
「はっ」
ジェスは持っていた荷物からグラスを取り出し、それにレモン水を注いだ。
「ブルーノ、これを持っていけ。それから、我々が来ていることはシュウには話すな」
「はい。かしこまりました。レモン水頂戴いたします」
そういうとブルーノは頭を下げ、急いで中庭にいるシュウの元へ駆けて行った。
「陛下。さっきのはどういう意味でございますか?」
「んっ? なんのことだ?」
「いえ、シュウには話すなと仰っていましたのでなぜかと思いまして」
「ああ。そのことか。シュウがトーマの絵を描いていたのなら、今頃トーマはシュウが体調を崩したことに気づいているはずだ。2人が何を話すか気になるだろう?」
確かに。ふたりっきりで何を話しているのか興味がないと言えば嘘になる。
「はい。それはもちろん」
「ふふっ。そうだろう。だから2人の近くでこっそりと聞いてみたくないか?」
「えっ、ですがそれは……」
そう言いながらも、私の中で2人の会話を聞いてみたい……その欲はどんどん増していく。
結局アンドリュー王の意見に乗り、ジェスを部屋へと帰らせ、我々は2人でこっそりシュウたちの元へと向かった。
中庭の奥にあるトーマ王妃の畑へと向かうと、少し離れた木の下にシュウが座っているのが見えた。
「んっ? トーマの姿が見えないな」
「そうですね。シュウの横にいるのは……あれはブルーノか。何か掃除でもしているように見えますね」
なんだ? 何があったんだ?
2人でおかしいなと顔を見合わせていると、トーマ王妃が奥の扉からシュウの元へと走り寄ってくる。
その手にはグラスを持っているのが見えた。
トーマ王妃はシュウの隣に腰を下ろし、グラスに入った水を飲ませている。
「もしかしたらさっきのグラスを落としてしまったのかも知れぬな」
「なるほど。確かにあり得ますね」
そう考えれば、ブルーノが掃除をしていたのもトーマ王妃がグラスを持って走ってきたのも合点がいく。
このまま少し離れた場所から2人の様子を眺めていると、トーマ王妃がシュウの隣に座ったまま楽しそうに会話をし始めた。
「どうやら、シュウの体調は戻ったようだな」
「そうですね。安心致しました」
そんなことを話していると、ブルーノが何やらシュウに紙を手渡している。
あれはなんだ?
ああ、そうか。
「あれはさっきまで描いていたというトーマ王妃の絵かも知れませんね」
同じく怪訝そうな表情をしていたアンドリュー王に告げると、『ああなるほど』と納得の声をあげた。
「我々にも見せてもらいたいものだな」
「ふふっ。そうですね。あとでゆっくり見せてもらいましょうか」
「そうだな」
そう言いながらも、どんな会話をしているのかが気になって、2人に気づかれないようにこっそりと近づいていった。
「柊ちゃんっ! すごいよ! すごいよ、この絵っ! 僕感動しちゃった」
トーマ王妃のはしゃいだ声が少し離れた私たちの耳にまで飛び込んで来る。
その声に少し涙の色が混ざっていて、思わずアンドリュー王と顔を見合わせた。
「トーマが泣いているな」
「それほどまでにシュウの絵に心を奪われたということでしょうね」
「シュウも一緒に泣いているのではないか?」
「そう、ですね……。おそらく、トーマ王妃の涙を見て貰い泣きをしているのでしょう。
トーマ王妃に絵を見せられたことが嬉しかったのかも知れませぬ」
「そうか……。シュウにとっては初めてのことだろうからな。父の絵を描くというのは……」
しみじみとそう語るアンドリュー王の言葉に私は大いに納得させられた。
親に褒められることがどれだけ嬉しいことか……虐げられながら育った私でも一度や二度は父、母に褒められたことがある。
かなり幼い頃の出来事で何をして褒められたかすら定かではないが、父がいつにもなく明るい声で私の頭を優しく撫でてくれたあの温もりは今でも忘れていない。
「シュウにとって嬉しい記憶になったことでしょう。トーマ王妃には素晴らしい思い出を作っていただいて感謝します」
「アルフレッド、それは違うぞ」
「えっ?」
「いや、シュウにとって嬉しい記憶になったことは間違いないが、それはトーマも同じだ。
子が自分が汗水流して働いているところを見て描いてくれるというのはどれだけ嬉しいことか……。
私の伴侶としての人生を選んでくれたトーマにとっては一生叶えられない夢だったろう。
それが今こうして叶ったのだ。トーマにとってはこの上ないほど嬉しい記憶になったはずだ」
「はい。その通りですね。今日のこの日は2人にとってかけがえのない日になったことでしょう」
「我々もその場に居合わせることができたということを神に感謝することにしよう」
ニコリと笑顔を向けるアンドリュー王に私もまた笑顔で返した。
ああ、今日は何て素晴らしい日なんだ。
『ぷーっ、くくくっ』
『ふふっ、はははっ』
突然シュウたちがいる方向から大きな笑い声が聞こえてきた。
あまりにも楽しそうなその声に私たちも釣られて笑ってしまう。
「何やら楽しそうだな」
「そうですね。何を話しているのか気になりますね」
「もう少し近づいてみるか」
ニヤリと笑うアンドリュー王にそっと頷き、私たちはゆっくりとシュウたちの後方へと近づいた。
「今度はアンドリューさまのスケッチを練習に行かなくちゃ!」
楽しそうなシュウの声が聞こえる。
アンドリュー王の絵を練習?
なるほど、今日の絵は肖像画を描くための練習というわけか。
にしてもアンドリュー王の姿を描くということは今日のトーマ王妃のようにシュウが働いているアンドリュー王をじっくりと見つめて描くということか。
肖像画を描くためには仕方のないことだとわかっていても、なんとなくモヤモヤとした感情が蠢く。
しかし、
「アルフレッド、私の傍にはいつも其方があるのだから、シュウとふたりきりになるわけではないぞ」
だから安心しろ、小声でそう言われれば『はい』としか言えないが。
まぁ、ふたりきりで描かれるよりはましか。
「アンディーは僕より難しいかもね。なんてったってあのカッコ良さを絵にするのは大変だよ」
トーマ王妃の惚気にアンドリュー王は分かりやすく破顔した。
「ふふっ。大丈夫だよ。ぼくずっと近くでフレッドを見てるんだから! カッコいいものは見慣れてるよ」
アンドリュー王のニヤけた顔に少し呆れていた私だったが、シュウの口からすぐに溢れた私への惚気の言葉に私もニヤケが止まらなかった。
「あーあ、柊ちゃん、僕の前で惚気るようになったんだ。僕よりアルフレッドさんの方が好きなんだーっ、寂しいなぁ」
「な――っ! トーマさまだって惚気てたでしょ。ぼくよりアンドリューさまといっつもラブラブしてるくせに」
『ふふっ』
『ははっ』
シュウとトーマ王妃は我々が聞いているのも知らずに楽しそうに惚気あっている。
シュウのこんな一面が見られるとは……今日はなんという素晴らしい日なのだ。
私は幸せすぎておかしくなってしまいそうだ。
「楽しそうだな」
シュウたちがお茶をし始めたのを見計らって、さも今、到着したかのように声をかけた。
「アンディー!」
「フレッド!」
シュウの呼び声が甘く感じられて嬉しい。
だが、今まで盗み聞きをしていたことは決して知られてはいけない。
緩む頬を押さえながらシュウの元へと歩いていった。
何食わぬ顔でトーマ王妃に声をかけ、当たり前のように隣にスッと腰を下ろすアンドリュー王を見習って、私もシュウの隣に腰を下ろした。
こういう場所に腰を下ろすのはいつぶりだったろうか。
それでもシュウと一緒ならば高価なソファーよりも座り心地がいい。
まずは、一番気になることを聞いておかなければと体調について尋ねると、もう大丈夫だと笑顔で答えた。
顔色もいいし、なんせあんなに楽しそうにトーマ王妃と会話をしていたのだからまず問題はないだろう。
すでに知ってはいるが、シュウの描いたあの絵を見せてもらいたくてここで何をしていたのだと問いかけると、口籠ったシュウに代わってトーマ王妃が絵を描いていたのだとシュウの絵を広げて見せてくれた。
願った通りになり、喜び勇んでその絵を見て私は驚いた。
あまりにも素晴らしい絵に私もアンドリュー王も驚き賛辞を送った。
しかし、続くシュウの返答はいただけない。
「トーマさまがすっごくカッコ良かったから、夢中になって描いちゃった」
などと笑顔でそんなことを言ってくるシュウに思わず本音が漏れてしまった。
「シュウ、私よりもトーマ王妃の方が格好いいか?」
子どもじみた嫉妬だとわかっていながら、シュウにそう問わずにはいられなかった。
すると、シュウは
「えっ? フレッドはいつでもカッコいいよ。決まってるじゃない」
当たり前でしょと言い放ったのだ。
そうか、シュウにとって私が格好いいのは当たり前のことなのか……その言葉が私を天まで浮上させた。
シュウを抱きしめながら笑い合っていると、トーマ王妃とアンドリュー王も2人で見つめ合いながら笑っている。
そんなほのぼのとしたこの幸せな時間に感謝していると、シュウが突然アンドリュー王に声をかけた。
「今度はアンドリューさまの絵を描かせてくださいね」
アンドリュー王の絵の練習をしたいと申し出るシュウにアンドリュー王は頬を緩めながらいつでも来てくれていいと返答すると、シュウは嬉しさのあまり私の腕から抜け出てアンドリュー王の元へと行こうとした。
腕の力を強くし、全力で止めながら
「シュウ、陛下の絵を描くときは私も一緒にいるからな!!」
と強く訴えると、シュウは少し怯えたような声で
「う、うん。わかった……フレッドも一緒にね」
と言ってくれた。
いくらアンドリュー王とはいえ、絶対にふたりきりなどにはさせない!
私はそう心に誓った。
応援ありがとうございます!
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