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第四章 (王城 過去編)
花村 柊 25−1
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「陛下、トーマ王妃、サンチェス公爵さま、奥方さま。
今回の視察誠にお疲れ様でございました。
王都まで道中お気をつけてお帰りくださいませ」
侯爵家の門前に並んで止められた馬車を前に侯爵さまがぼくたちに向かって深々とお辞儀をした。
今回の視察はこのレナゼリシア領にとってすごく有意義なものになっただろう。
『イシューリニア』の酒蔵に持ち込んだフルーツを使って早速試作品を作り、あの酒蔵で完成まで置いていてもらうことになったのだけど、試作品が完成するのは最低でも3ヶ月はかかる。
そのころにもう一度視察にという話が出ているけれど、その時までぼくたちはこの世界にいられはしないんじゃないかな。
なんとなくぼくはそんな気がしている。
お父さんと一緒に試作品を飲めたらそれはそれで嬉しいことだけど、これまでいろんな体験をすることができたのだから、これ以上高望みすることはやめておこう。
どうなるかは神のみぞ知るっていうところかな。
まぁ、とにかく侯爵さまたちにとって今から新たなものを作っていくことは大変だろうけれど、ヴォルフさんや領民さんたちと力を合わせて成し遂げて欲しいなと思う。
「侯爵、良い報告を待っているぞ。それから、ヴォルフ。侯爵を支えてこれからのレナゼリシアを一緒に守り立てていってくれ」
「はい。畏まりました」
「陛下。お任せください!
私、ヴォルフが一生をかけてルークさまとこの領地をお守りいたします」
自信満々にそう言い切ったヴォルフさんを侯爵さまは少し照れながらも嬉しそうに見つめていた。
それに……『ルークさま』
今、たしかにそう言ったよね?
幸せそうに微笑みあってたし。
そっか。やっぱりね。
ふふっ。本当にお似合いの2人だ。
これからもずっと仲良く領地を守っていってほしい。
ぼくたちは馬車に乗り込み、一路『神の泉』のある『グラシュリン』という町を目指した。
途中、昼休憩をとり『グラシュリン』についたのは午後2時近くになっていた。
お父さんたちはここからさらに1時間ほど馬車に揺られて『神の泉』を目指すことになる。
全てが終わったら、この町に戻ってくる予定だ。
まぁ、どれくらい時間がかかるのかわからないから、もしかしたらそのまま『神の泉』近くの宿に泊まるかもしれないけれど。
ぼくたちはこの町を散策しながら、お父さんたちが戻ってくるのを待つことになった。
「トーマさま、気をつけていってきてね」
「うん。ありがとう。僕にはこれがあるから大丈夫だよ」
と、胸元からぼくがあげた氷翡翠のネックレスを取り出して見せてくれた。
嬉しくてその氷翡翠に少し触れると、石はほんの少しキラリと光を放った……気がした。
『んっ?』と思ったけれど、お父さんは特に何も感じていないようだったから、きっとぼくの見間違いなんだろう。
ぼくはその石を握りしめ、『お父さんとアンドリューさまを守ってね』と心の中で祈ってゆっくりと手を離した。
「お土産話、楽しみにしてるね!」
ぼくの言葉にお父さんはにこやかな笑顔を浮かべて、
「行ってきます!」
と嬉しそうにアンドリューさまと共に馬車に乗り込んでいき、馬車の音が聞こえなくなるまで、ぼくたちは手を振って2人を見送った。
「シュウ、どこか行きたいところはあるか?」
「そうだなぁ……。お茶にするにはまだ早いし、ちょっと町を散策しながら気になるお店に入りたいかな」
「わかった。そうしよう」
フレッドが言っていたけれど、今日ぼくたちの周りにはお父さんたちについていったヒューバートさん以外の騎士さんたちがみんな警護についてくれているらしい。
らしいというのはぼくが気にしないように目立たないようにしてくれているからだ。
そんなに? と思ったけれど、『神の泉』に一緒についていったところで、一緒にはいられないのだから仕方ないのか。
なんなら別行動している間くらい警護をお休みしてゆっくりしてくれてもと思ったけれど、そんな概念はないらしい。
でも、今までの町の中でもこの『グラシュリン』は小さな町だから、そこまで警護の必要はなさそうだし騎士さんたちにもゆっくりしてもらえるかもね。
フレッドと腕をくんで歩いていると、可愛らしい雑貨店が目に入った。
キラキラとした可愛らしい外観に心がときめく。
「わぁ、可愛い! ねぇ、フレッド。この店見てみたい!」
「じゃあ入るとしよう」
フレッドは後ろにいる騎士さんたちに目配せをして、店の中に入った。
小さな店だから、騎士さんたちは外で守ってくれているみたい。
お店の中には、丁寧な刺繍が施されたハンカチや、髪を彩る色とりどりのリボン、細かい装飾がされた手鏡など女性が喜びそうな商品で溢れかえっている。
ぼくはすっかり女性モードになってしまっているのか、こういうのを見ているだけでテンションが上がってしまう。
逆にフレッドは居心地が悪そうだけど、この女性好みの店にスラリと長身で男らしいフレッドがいるのが対照的で面白い。
それでもフレッドは普段足を踏み入れることがないだろうお店の中を興味深そうにひととおり見て回って、雑貨が置かれていたテーブルの下に並べられた本のようなものを手に取った。
「フレッド、それはなぁに?」
「ふむ、どうやら画帳のようだな」
画帳? ああ、スケッチブックか。
フレッドが見せてくれた画帳を触ってみると、描きやすそうな良い紙だ。
「なぁ、シュウ。これで私の絵を描いてくれないか?」
「フレッドの絵を?」
フレッドの突然の思いつきに驚いたけれど、
「ああ、頼む。今のこの時を残しておきたいんだ」
ぼくにそう頼んでくるフレッドの表情があまりにも真剣だったから、断るなんて選択はなかった。
「わかった、いいよ。でもあんまり期待はしないでね」
そういうと、フレッドは
『シュウの絵がいいんだ』と嬉しそうに笑ってその画帳とデッサン用の木炭を買ってくれた。
店を出て絵を描く場所を探していると、お店の人から町から少し離れた場所に小川があると教えてもらい、ぼくたちはそこに向かうことにした。
町を出て10分ほど歩くと、小さな森が現れた。
「フレッド、ここじゃない?」
「ああ、そうだな。ほら、あっちから水の音が聞こえる。あっちに小川があるみたいだな」
フレッドに手を引かれ、水音のする方へと進んでいくと所々に大きな岩が並んだ小川が現れた。
王城のあの小さな森を思い起こさせるようなその場所は木々の間から木漏れ日が差し込み、キラキラと水に反射している様子がまるで絵本の中の世界のようで目を奪われる。
「うわぁー! 綺麗だな。ねぇ、フレッド。あっちの岩に座ってー!」
フレッドに小川を挟んだ向こう側の大きな岩に座ってもらい、ぼくは向かい合わせになるように小さな岩に腰を下ろそうとすると、
「シュウ、ちょっと待ってくれ」
と声がかかり、フレッドが小川を飛び越えてぼくの元にやってきた。
「どうしたの?」
「この上に座るといい」
フレッドは上着の内ポケットからハンカチを取り出し、サッと石の上に広げぼくを抱き抱えて石の上に座らせると、また小川を飛び越えてぼくが座ってと頼んだ石へと戻っていった。
「フレッド、ありがとう」
お礼をいうと、にこやかに微笑んだ。
その笑顔が眩しくて、思わず目を細めてしまった。
「シュウさま、こちらをどうぞ」
騎士さんにさっき買った画帳とデッサン用の木炭を手渡されお礼をいうと、なぜか顔を真っ赤にしてすぐに離れていった。
真新しい画帳を広げ、フレッドを見つめる。
さらさらと流れる小川の音、小鳥の囀り、太陽の光を浴びながらきらめく笑顔を見せるフレッド、そのどれもがぼくの心を癒していく。
久しぶりに訪れた心安らぐ穏やかな時間にほっとしながら、ぼくは木炭を滑らせた。
フレッドの場所からはぼくの絵は見えていないだろうけれど、なんだか緊張してしまう。
昔から絵を描くのは好きだったけれど、人物画はあまり描いたことがないんだ。
小さな頃から自分の家が裕福でないことは知っていたし、学校以外の習い事には行かせてもらえなかった。
外で遊ぶような友達もいなかったし、だから自分が行ってみたい場所や想像の風景を描くことで自分の心を慰めていた。
小学生の頃になると、お母さんは仕事だと言って一晩や二晩帰ってこないことはよくあった。
お父さんに話を聞いた今は、きっとお母さんはぼくと一緒にいるのが嫌で外で遊んでいたのだとわかる。
でも、その時のぼくは仕事で大変なお母さんに寂しいなんて我が儘は言ってはいけないと自分に言い聞かせていたんだ。
孤独に必死に耐えながら、せめてもの救いに幸せな絵を描いて寂しい気持ちを紛らわせるしかなかった。
絵を描いているとどうしてもあの寂しかった頃のことを思い出してしまう。
ぼくにとって絵は叶うことのない夢や憧れを描くものだったんだ。
だから、誰かに望まれて絵を描くなんてことは初めてで、人物画、しかもフレッドだなんて緊張しないわけがない。
それでもフレッドが愛おしそうにぼくを見つめる顔が優しくて、自然に指が動いていく。
木炭が滑るサッサッという音が、ぼくの耳に響いて離れない。
ぼくはいつしかフレッドの顔を見つめたまま、心の赴くままに木炭を滑らせ続けた。
それからどれくらい時間が経ったのだろうか。
フレッドは身動きひとつせず、ただ、笑顔を向けながらじっとぼくが描いている姿を見続けていた。
その見つめてくる瞳がぼくに語りかけてくる。
大好きだ。
愛してる。
ずっと一緒にいたい。
シュウと共に。
そんな訴えに、ぼくは顔を赤らめながら一心不乱にフレッドを描き続けた。
『ふぅ』と一息吐いて、画帳を見下ろすと、そこにはぼくにしか見せない優しい微笑みを浮かべるフレッドの絵姿があった。
「あっ……」
これ……ぼくが描いたんだよね?
自分でも驚くほどの出来栄えに声が漏れ出てしまった。
ぼくのデッサンの手が止まったことに気がついたんだろう。
「シュウ、描けたのか?」
「あ、うん……」
フレッドはさっと石から飛び降りると、またさっきのように小川を飛び越えて素早い身のこなしでぼくの元にやってきた。
「見せてもらえるか?」
「……うん。どうかな?」
フレッドは気に入ってくれるだろうか……。
緊張しながら画帳を見せると、フレッドはハッと息を呑んで食い入るようにぼくの描いた絵を眺めて驚きの声をあげた。
「――っ! シュウ、これ……」
バシャバシャバシャ
フレッドの声をかき消すような突然の大きな水音に驚いて、木々に止まって休んでいた小鳥たちが一斉にバサバサっと飛び立った。
その異様な状況に
「わっ、なに!!」
驚いて音のする方に目をやると、そこにはボロボロの服を身に纏った人がこっちを見ていた。
いや、ただ見ているんじゃない。
ぼくたちを見て、睨んでる?
ぼくにはそんなふうに見えた。
えっ? あの人、誰?
あっ、でもあの真緑の髪色に覚えがあるような……どこで見たんだっけ?
「あんたのせいで!!!」
「えっ?」
「あんたのせいで、私がどんな目にあったと思ってるの?!」
遠すぎてなんて言っているのかよく聞こえないけれど、大声で何かを叫んでいることだけはわかった。
大声で叫びながら、川の中を走っているとは思えないような速さでバシャバシャと水を掻き分けぼくに向かって突進してくる。
憎しみがこもったような表情でぼくを見つめながらまっしぐらに突進してくる姿にぼくが標的なんだと悟った。
なんでぼく? ぼくがこの人に何かしたの?
どうしよう! 逃げなきゃ! と思うのに、その常軌を逸した行動に足がすくんで動けない。
段々と近づいてくるのその人の顔が少しずつ鮮明になっていく。
でも、誰なのかわからない。
怖いっ、怖いっ!!
『フレッド! 助けて!』
ぼくは声をあげ目を瞑って目の前にいるフレッドに抱きつこうとしたけど、それよりも前にフレッドの大きな身体に包み込まれた。
顔も耳も大きな腕にぎゅっと包み込まれ胸元に押し当てられて、周りの声はほとんど聞こえない。
ぼくの耳には
『シュウ、大丈夫だ。すぐに終わる。怖がらなくていい』
というフレッドの優しい声だけが入ってくる。
フレッドの匂いと温もりに包まれていると、さっきの恐怖がスッと解けていく気がした。
バシャーン 『グェッ!』
バシャバシャ 『ヴヴゥーッ!』
バシャバシャ 『ウーッ、ウーッ!』
ぼくがフレッドに抱きしめられている間、激しい水飛沫の音と何か獣の鳴き声のようなものがうっすらと聞こえていたけれど、最後に
「さっさと連れて行け!」
というフレッドの怒鳴り声だけが耳に入ってきたと思ったらあっという間に小川に先ほどまでの静寂が戻った。
それからしばらくの間抱きしめられたままだったけれど、
『シュウ、もう大丈夫だ』と声が聞こえて、フレッドはゆっくりとぼくを抱きしめていた腕を緩めた。
ぼくがゆっくりと目を開けると、目の前にはさっきの絵を描いていたときの優しげな目をしたフレッドの顔があった。
「シュウ、怖がらせて悪かった。もう大丈夫だ」
安心する言葉をもう一度繰り返されて、ぼくはホッとした。
「良かった……。あの人は一体なんだったの? ぼくのことを恨んでるみたいだったけど」
「おそらく精神をやられているんだろう。私は全く見たことがないな。たまたまここに出くわしただけさ。
騎士たちが連れて行ったからもう問題ない」
そっか。じゃあ、何かわかんないけど勘違いして襲ってきたのかな……。
そうだよね。この町は初めてきたんだし、ぼくたちに知り合いなんているはずもないし。
フレッドが見たことがないのなら、ぼくが知るはずがないもんね。
「そっか……。怖かったけど……フレッドがすぐに抱きしめてくれたから平気だったよ。フレッド、ありがとう」
「私はいつでもシュウを守る。そう言っただろう?」
「うん。ありがとう。あの……ね、その……」
うわぁーっ、今すごくしたい……。
でも、こんな時にだめだって言われちゃうかな。
外だし……隠れててわからないけど騎士さんたちもいるかもしれないし……。
でも、我慢できないな。
「んっ? どうした?」
「あのね……怖かったからちゅーしてぎゅってして欲しいなって」
「えっ?」
ええい、やっちゃえ!!
ぼくは驚いているフレッドを無視して、フレッドの唇に自分のそれを押し当て、自分からぎゅっとフレッドの胸元に抱きつきにいった。
フレッドの温かく柔らかな唇が触れただけで心地よくて、下唇をはむはむと甘噛みしながらフレッドの大きな背中に手を回すと、じんわりと温もりが伝わってくる。
その温もりにひしひしと幸せを感じながら唇を離しフレッドを見上げると、フレッドは驚きに目を丸くしていたのに、ぼくと目が合った瞬間、ギラリと獣のような視線を向けてきた。
今回の視察誠にお疲れ様でございました。
王都まで道中お気をつけてお帰りくださいませ」
侯爵家の門前に並んで止められた馬車を前に侯爵さまがぼくたちに向かって深々とお辞儀をした。
今回の視察はこのレナゼリシア領にとってすごく有意義なものになっただろう。
『イシューリニア』の酒蔵に持ち込んだフルーツを使って早速試作品を作り、あの酒蔵で完成まで置いていてもらうことになったのだけど、試作品が完成するのは最低でも3ヶ月はかかる。
そのころにもう一度視察にという話が出ているけれど、その時までぼくたちはこの世界にいられはしないんじゃないかな。
なんとなくぼくはそんな気がしている。
お父さんと一緒に試作品を飲めたらそれはそれで嬉しいことだけど、これまでいろんな体験をすることができたのだから、これ以上高望みすることはやめておこう。
どうなるかは神のみぞ知るっていうところかな。
まぁ、とにかく侯爵さまたちにとって今から新たなものを作っていくことは大変だろうけれど、ヴォルフさんや領民さんたちと力を合わせて成し遂げて欲しいなと思う。
「侯爵、良い報告を待っているぞ。それから、ヴォルフ。侯爵を支えてこれからのレナゼリシアを一緒に守り立てていってくれ」
「はい。畏まりました」
「陛下。お任せください!
私、ヴォルフが一生をかけてルークさまとこの領地をお守りいたします」
自信満々にそう言い切ったヴォルフさんを侯爵さまは少し照れながらも嬉しそうに見つめていた。
それに……『ルークさま』
今、たしかにそう言ったよね?
幸せそうに微笑みあってたし。
そっか。やっぱりね。
ふふっ。本当にお似合いの2人だ。
これからもずっと仲良く領地を守っていってほしい。
ぼくたちは馬車に乗り込み、一路『神の泉』のある『グラシュリン』という町を目指した。
途中、昼休憩をとり『グラシュリン』についたのは午後2時近くになっていた。
お父さんたちはここからさらに1時間ほど馬車に揺られて『神の泉』を目指すことになる。
全てが終わったら、この町に戻ってくる予定だ。
まぁ、どれくらい時間がかかるのかわからないから、もしかしたらそのまま『神の泉』近くの宿に泊まるかもしれないけれど。
ぼくたちはこの町を散策しながら、お父さんたちが戻ってくるのを待つことになった。
「トーマさま、気をつけていってきてね」
「うん。ありがとう。僕にはこれがあるから大丈夫だよ」
と、胸元からぼくがあげた氷翡翠のネックレスを取り出して見せてくれた。
嬉しくてその氷翡翠に少し触れると、石はほんの少しキラリと光を放った……気がした。
『んっ?』と思ったけれど、お父さんは特に何も感じていないようだったから、きっとぼくの見間違いなんだろう。
ぼくはその石を握りしめ、『お父さんとアンドリューさまを守ってね』と心の中で祈ってゆっくりと手を離した。
「お土産話、楽しみにしてるね!」
ぼくの言葉にお父さんはにこやかな笑顔を浮かべて、
「行ってきます!」
と嬉しそうにアンドリューさまと共に馬車に乗り込んでいき、馬車の音が聞こえなくなるまで、ぼくたちは手を振って2人を見送った。
「シュウ、どこか行きたいところはあるか?」
「そうだなぁ……。お茶にするにはまだ早いし、ちょっと町を散策しながら気になるお店に入りたいかな」
「わかった。そうしよう」
フレッドが言っていたけれど、今日ぼくたちの周りにはお父さんたちについていったヒューバートさん以外の騎士さんたちがみんな警護についてくれているらしい。
らしいというのはぼくが気にしないように目立たないようにしてくれているからだ。
そんなに? と思ったけれど、『神の泉』に一緒についていったところで、一緒にはいられないのだから仕方ないのか。
なんなら別行動している間くらい警護をお休みしてゆっくりしてくれてもと思ったけれど、そんな概念はないらしい。
でも、今までの町の中でもこの『グラシュリン』は小さな町だから、そこまで警護の必要はなさそうだし騎士さんたちにもゆっくりしてもらえるかもね。
フレッドと腕をくんで歩いていると、可愛らしい雑貨店が目に入った。
キラキラとした可愛らしい外観に心がときめく。
「わぁ、可愛い! ねぇ、フレッド。この店見てみたい!」
「じゃあ入るとしよう」
フレッドは後ろにいる騎士さんたちに目配せをして、店の中に入った。
小さな店だから、騎士さんたちは外で守ってくれているみたい。
お店の中には、丁寧な刺繍が施されたハンカチや、髪を彩る色とりどりのリボン、細かい装飾がされた手鏡など女性が喜びそうな商品で溢れかえっている。
ぼくはすっかり女性モードになってしまっているのか、こういうのを見ているだけでテンションが上がってしまう。
逆にフレッドは居心地が悪そうだけど、この女性好みの店にスラリと長身で男らしいフレッドがいるのが対照的で面白い。
それでもフレッドは普段足を踏み入れることがないだろうお店の中を興味深そうにひととおり見て回って、雑貨が置かれていたテーブルの下に並べられた本のようなものを手に取った。
「フレッド、それはなぁに?」
「ふむ、どうやら画帳のようだな」
画帳? ああ、スケッチブックか。
フレッドが見せてくれた画帳を触ってみると、描きやすそうな良い紙だ。
「なぁ、シュウ。これで私の絵を描いてくれないか?」
「フレッドの絵を?」
フレッドの突然の思いつきに驚いたけれど、
「ああ、頼む。今のこの時を残しておきたいんだ」
ぼくにそう頼んでくるフレッドの表情があまりにも真剣だったから、断るなんて選択はなかった。
「わかった、いいよ。でもあんまり期待はしないでね」
そういうと、フレッドは
『シュウの絵がいいんだ』と嬉しそうに笑ってその画帳とデッサン用の木炭を買ってくれた。
店を出て絵を描く場所を探していると、お店の人から町から少し離れた場所に小川があると教えてもらい、ぼくたちはそこに向かうことにした。
町を出て10分ほど歩くと、小さな森が現れた。
「フレッド、ここじゃない?」
「ああ、そうだな。ほら、あっちから水の音が聞こえる。あっちに小川があるみたいだな」
フレッドに手を引かれ、水音のする方へと進んでいくと所々に大きな岩が並んだ小川が現れた。
王城のあの小さな森を思い起こさせるようなその場所は木々の間から木漏れ日が差し込み、キラキラと水に反射している様子がまるで絵本の中の世界のようで目を奪われる。
「うわぁー! 綺麗だな。ねぇ、フレッド。あっちの岩に座ってー!」
フレッドに小川を挟んだ向こう側の大きな岩に座ってもらい、ぼくは向かい合わせになるように小さな岩に腰を下ろそうとすると、
「シュウ、ちょっと待ってくれ」
と声がかかり、フレッドが小川を飛び越えてぼくの元にやってきた。
「どうしたの?」
「この上に座るといい」
フレッドは上着の内ポケットからハンカチを取り出し、サッと石の上に広げぼくを抱き抱えて石の上に座らせると、また小川を飛び越えてぼくが座ってと頼んだ石へと戻っていった。
「フレッド、ありがとう」
お礼をいうと、にこやかに微笑んだ。
その笑顔が眩しくて、思わず目を細めてしまった。
「シュウさま、こちらをどうぞ」
騎士さんにさっき買った画帳とデッサン用の木炭を手渡されお礼をいうと、なぜか顔を真っ赤にしてすぐに離れていった。
真新しい画帳を広げ、フレッドを見つめる。
さらさらと流れる小川の音、小鳥の囀り、太陽の光を浴びながらきらめく笑顔を見せるフレッド、そのどれもがぼくの心を癒していく。
久しぶりに訪れた心安らぐ穏やかな時間にほっとしながら、ぼくは木炭を滑らせた。
フレッドの場所からはぼくの絵は見えていないだろうけれど、なんだか緊張してしまう。
昔から絵を描くのは好きだったけれど、人物画はあまり描いたことがないんだ。
小さな頃から自分の家が裕福でないことは知っていたし、学校以外の習い事には行かせてもらえなかった。
外で遊ぶような友達もいなかったし、だから自分が行ってみたい場所や想像の風景を描くことで自分の心を慰めていた。
小学生の頃になると、お母さんは仕事だと言って一晩や二晩帰ってこないことはよくあった。
お父さんに話を聞いた今は、きっとお母さんはぼくと一緒にいるのが嫌で外で遊んでいたのだとわかる。
でも、その時のぼくは仕事で大変なお母さんに寂しいなんて我が儘は言ってはいけないと自分に言い聞かせていたんだ。
孤独に必死に耐えながら、せめてもの救いに幸せな絵を描いて寂しい気持ちを紛らわせるしかなかった。
絵を描いているとどうしてもあの寂しかった頃のことを思い出してしまう。
ぼくにとって絵は叶うことのない夢や憧れを描くものだったんだ。
だから、誰かに望まれて絵を描くなんてことは初めてで、人物画、しかもフレッドだなんて緊張しないわけがない。
それでもフレッドが愛おしそうにぼくを見つめる顔が優しくて、自然に指が動いていく。
木炭が滑るサッサッという音が、ぼくの耳に響いて離れない。
ぼくはいつしかフレッドの顔を見つめたまま、心の赴くままに木炭を滑らせ続けた。
それからどれくらい時間が経ったのだろうか。
フレッドは身動きひとつせず、ただ、笑顔を向けながらじっとぼくが描いている姿を見続けていた。
その見つめてくる瞳がぼくに語りかけてくる。
大好きだ。
愛してる。
ずっと一緒にいたい。
シュウと共に。
そんな訴えに、ぼくは顔を赤らめながら一心不乱にフレッドを描き続けた。
『ふぅ』と一息吐いて、画帳を見下ろすと、そこにはぼくにしか見せない優しい微笑みを浮かべるフレッドの絵姿があった。
「あっ……」
これ……ぼくが描いたんだよね?
自分でも驚くほどの出来栄えに声が漏れ出てしまった。
ぼくのデッサンの手が止まったことに気がついたんだろう。
「シュウ、描けたのか?」
「あ、うん……」
フレッドはさっと石から飛び降りると、またさっきのように小川を飛び越えて素早い身のこなしでぼくの元にやってきた。
「見せてもらえるか?」
「……うん。どうかな?」
フレッドは気に入ってくれるだろうか……。
緊張しながら画帳を見せると、フレッドはハッと息を呑んで食い入るようにぼくの描いた絵を眺めて驚きの声をあげた。
「――っ! シュウ、これ……」
バシャバシャバシャ
フレッドの声をかき消すような突然の大きな水音に驚いて、木々に止まって休んでいた小鳥たちが一斉にバサバサっと飛び立った。
その異様な状況に
「わっ、なに!!」
驚いて音のする方に目をやると、そこにはボロボロの服を身に纏った人がこっちを見ていた。
いや、ただ見ているんじゃない。
ぼくたちを見て、睨んでる?
ぼくにはそんなふうに見えた。
えっ? あの人、誰?
あっ、でもあの真緑の髪色に覚えがあるような……どこで見たんだっけ?
「あんたのせいで!!!」
「えっ?」
「あんたのせいで、私がどんな目にあったと思ってるの?!」
遠すぎてなんて言っているのかよく聞こえないけれど、大声で何かを叫んでいることだけはわかった。
大声で叫びながら、川の中を走っているとは思えないような速さでバシャバシャと水を掻き分けぼくに向かって突進してくる。
憎しみがこもったような表情でぼくを見つめながらまっしぐらに突進してくる姿にぼくが標的なんだと悟った。
なんでぼく? ぼくがこの人に何かしたの?
どうしよう! 逃げなきゃ! と思うのに、その常軌を逸した行動に足がすくんで動けない。
段々と近づいてくるのその人の顔が少しずつ鮮明になっていく。
でも、誰なのかわからない。
怖いっ、怖いっ!!
『フレッド! 助けて!』
ぼくは声をあげ目を瞑って目の前にいるフレッドに抱きつこうとしたけど、それよりも前にフレッドの大きな身体に包み込まれた。
顔も耳も大きな腕にぎゅっと包み込まれ胸元に押し当てられて、周りの声はほとんど聞こえない。
ぼくの耳には
『シュウ、大丈夫だ。すぐに終わる。怖がらなくていい』
というフレッドの優しい声だけが入ってくる。
フレッドの匂いと温もりに包まれていると、さっきの恐怖がスッと解けていく気がした。
バシャーン 『グェッ!』
バシャバシャ 『ヴヴゥーッ!』
バシャバシャ 『ウーッ、ウーッ!』
ぼくがフレッドに抱きしめられている間、激しい水飛沫の音と何か獣の鳴き声のようなものがうっすらと聞こえていたけれど、最後に
「さっさと連れて行け!」
というフレッドの怒鳴り声だけが耳に入ってきたと思ったらあっという間に小川に先ほどまでの静寂が戻った。
それからしばらくの間抱きしめられたままだったけれど、
『シュウ、もう大丈夫だ』と声が聞こえて、フレッドはゆっくりとぼくを抱きしめていた腕を緩めた。
ぼくがゆっくりと目を開けると、目の前にはさっきの絵を描いていたときの優しげな目をしたフレッドの顔があった。
「シュウ、怖がらせて悪かった。もう大丈夫だ」
安心する言葉をもう一度繰り返されて、ぼくはホッとした。
「良かった……。あの人は一体なんだったの? ぼくのことを恨んでるみたいだったけど」
「おそらく精神をやられているんだろう。私は全く見たことがないな。たまたまここに出くわしただけさ。
騎士たちが連れて行ったからもう問題ない」
そっか。じゃあ、何かわかんないけど勘違いして襲ってきたのかな……。
そうだよね。この町は初めてきたんだし、ぼくたちに知り合いなんているはずもないし。
フレッドが見たことがないのなら、ぼくが知るはずがないもんね。
「そっか……。怖かったけど……フレッドがすぐに抱きしめてくれたから平気だったよ。フレッド、ありがとう」
「私はいつでもシュウを守る。そう言っただろう?」
「うん。ありがとう。あの……ね、その……」
うわぁーっ、今すごくしたい……。
でも、こんな時にだめだって言われちゃうかな。
外だし……隠れててわからないけど騎士さんたちもいるかもしれないし……。
でも、我慢できないな。
「んっ? どうした?」
「あのね……怖かったからちゅーしてぎゅってして欲しいなって」
「えっ?」
ええい、やっちゃえ!!
ぼくは驚いているフレッドを無視して、フレッドの唇に自分のそれを押し当て、自分からぎゅっとフレッドの胸元に抱きつきにいった。
フレッドの温かく柔らかな唇が触れただけで心地よくて、下唇をはむはむと甘噛みしながらフレッドの大きな背中に手を回すと、じんわりと温もりが伝わってくる。
その温もりにひしひしと幸せを感じながら唇を離しフレッドを見上げると、フレッドは驚きに目を丸くしていたのに、ぼくと目が合った瞬間、ギラリと獣のような視線を向けてきた。
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