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第四章 (王城 過去編)
花村 柊 22−2※
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レナゼリシア侯爵家主催の今日の夜会は、国王陛下、王妃陛下が出席するとあって、伯爵家以上の高位貴族を中心に招待されているらしい。
確かに子爵家、男爵家まで招待しては人数も増えすぎてお父さんたちの対応も大変そうだしね。
『そろそろご入場を』とブルーノさんに言われて、ぼくとフレッドは夜会が行われているホールへと案内された。
「わぁっ、すごい」
ホールの天井にはキラキラと輝く大きなシャンデリアがいくつも吊り下げられ、柱や窓も豪華な装飾に彩られ、並べられた食事の数々も宝石のように輝いていてあまりにも豪奢なその雰囲気に思わず声が漏れてしまった。
「ふふっ。シュウは可愛いな」
フレッドに聞こえてしまっていたらしく、優しく頬を撫でられ少し顔が赤くなってしまった。
「アルフレッド=サンチェス公爵さま、並びに公爵夫人さま。ご入場!」
ぼくたちの来場を知らせる声がホール内に響き渡る。
聞き慣れない名前に驚いているのか、あちらこちらで会話を楽しんでいた人たちの視線が一斉にぼくたちに降り注ぐ。
ホール内に一瞬の静寂が訪れ、上品なオーケストラの音楽を背に歩いていると今度は一斉に騒めき立った。
夜会は基本的に身分の低い方から入場するらしく、王族の遠戚で公爵という肩書きを持っているフレッドと一緒に入場するときにはすでにたくさんの人がホールに集まっていた。
わぁ、この人たちみんな貴族の人たちなんだよね。しかも位の高い人たち。
一般人のぼくだったら一生お目にかかれない人たちなんだよね。
そう考えたらなんだか緊張してきた。
何よりもぼくたちを見つめるその視線の多さに身体が強張って転んでしまいそうになるけれど、寄り添って手を引いてくれるフレッドの手の温もりがぼくの緊張を解してくれていた。
やっぱりフレッドがそばにいてくれるだけで心強いな。
フレッドのおかげで少し余裕ができて周りに目を向けると、煌びやかなドレスに身を包んだ令嬢たちがみんなフレッドに見惚れているのに気づいた。
『まぁ、公爵さまですって。素敵!!』
『公爵さまってことは王族の関係者ということかしら?』
『だって、ほら国王陛下にお顔立ちが似ていらっしゃるもの』
『ああ、結婚されてなかったら私が立候補したいくらいですのに……』
『何言ってるの。伯爵令嬢の貴方じゃ無理よ。侯爵家の私ならまだ可能性は……』
『私だって!』
フレッドを称賛する令嬢たちのヒソヒソ話が少し聞こえてきて、やっぱりフレッドってかっこいいんだよねとしみじみ思った。
だって身長は高いし、顔だって彫りが深くて瞳の色も綺麗だしそりゃあお年頃の令嬢たちが色めき立つのがわかる。
いや、貴族のご婦人たちもフレッドに目が釘付けになっている。
うん、これが普通の感性なんだよね。
ぼくたちがいたあの時代の美醜感覚がおかしいだけなんだ。
ぼくが隣に並んで歩いているフレッドを見上げると、フレッドはにこやかな笑顔を見せてくれた。
フレッドのその笑顔に周りの女性たちから
『ほぅっ』と感嘆の声が漏れ聞こえた。
この笑顔がぼくだけに注がれていると思うだけでぼくの中に少し優越感のようなものが湧き上がっていた。
ぼくたちは案内されるままにホールの一段高い場所に置かれた席の前でアンドリューさまとお父さんが入場してくるのを待った。
フレッドと小声で話しながら会場の雰囲気を楽しんでいると、急にホール内に緊張が走った。
パッとそっちに目を向けると
「アンドリュー=フォン=オランディア国王陛下、
並びにトーマ=フォン=オランディア王妃殿下。ご入場!」
ぼくたちの時よりも一際大きな声かけがあったあと、アンドリューさまとお父さんが入場してきた。
ピッタリと寄り添いながら歩く様は本当に仲睦まじい様子で見ているだけで口角が上がる。
アンドリューさまもお父さんもお揃いの衣装でそれがとても目立っていて素敵だった。
アンドリューさまの胸には豪華な勲章がずらりと並んでいたけれど、対照的にお父さんの胸には小さなネックレスが一つ付けられていただけだった。
あ、あれは……
お父さんの胸元を彩るそのネックレスはぼくがプレゼントしたあの氷翡翠だった。
こんな夜会には装飾品を多くつけるのが一般的だろうに……しかも王族ならなおさらだ。
それなのに、お父さんがぼくがあげたものだけを大切に付けてくれているのを見て、心が温かい気持ちで満たされていくのを感じて思わず涙が出そうになった。
お父さん、ありがとう。
ぼく、この光景を絶対忘れないよ。
ホールにいる人たちは一斉に会話をやめ、みんな近づくことも恐れ多い様子でお父さんたちが席に向かって歩いていく様子をただじっと見つめていた。
ぼくの知っている世界では国王さまの隣には煌びやかなドレスを身に纏った女性の王妃さまがいるのが普通だったけれど、
お揃いの衣装に身を包み全身からお互いを愛してるというのを全面に出しているお父さんたちは誰にも割って入れないほどお似合いだ。
ああ、こうやって男同士でも誰も不思議に思わずに受け入れられてるってこの世界の素敵なところだよね。
ぼくも今は女性の格好をしているけれど、元の時代に戻れば男同士だ。
それでもなんの問題もなく愛する人と一緒にいられるなんて幸せなことだ。
全くお揃いの服で夜会に出るなんて同性じゃないとできないもんね。
お父さんのいつもより凛々しい姿になんだかドキドキしてしまう。
お父さんたちを好意的な目で見つめる人たちを眺めていると、その中にパメラさんの姿を見つけた。
さっきぼくたちを出迎えていた時に着ていた真っ赤なドレスから、今度は目の覚めるような濃いオレンジのドレスに身を包んだパメラさんは令嬢たちの中でも一際目立って見える。
お父さんへ向ける視線が少し強すぎる気がして、ぼくはフレッドと繋いでいる手をキュッと握った。
「シュウ、どうした?」
すぐに気づいてくれたフレッドにそっとパメラさんの様子を教えると、
『わかった。気をつけるよう陛下にそれとなく伝えておこう。
いいか、シュウは絶対に私から離れるな』と改めて注意を受けた。
お父さんたちが席に着き、ぼくたちも揃って席に着くと出席者の人たちがこぞって挨拶にやってきた。
王族との挨拶時間の始まりだ。
フレッドから笑顔を見せるなと言われているから、できるだけ無表情に近い感じで挨拶をしていたけれどもう何人と挨拶したのかわからないくらい次々に人がやってくる。
いつ終わるかもわからないその挨拶に少し疲れてきたぼくと違ってその全てに笑顔で挨拶を交わしているお父さんは本当にすごいなと思った。
フレッドは徹底してどの令嬢にも笑顔を見せず、機械のような挨拶を繰り返している。
綺麗な顔が冷たい表情をすると、すごく怖そうに見えるから不思議なんだよね。
時折、ぼくの方を見ては極上の笑顔を見せてくれるからその対比が凄すぎる。
ようやく挨拶が終わり、今度はダンスが始まる。
まずはアンドリューさまとお父さんのダンスが披露され、その後、出席者たちへと移っていく予定になっている。
お父さんたちは案内されるままゆっくりとフロアの中央へと進み、みんなが周りでそれを見守っている状態だ。
王城で年に一度、王家主催の夜会が行われる部屋はこのホールよりもっとずっと広い。
こんなに間近で国王と王妃のダンスを見られる機会も少ないとあって、ふたりが向き合って手を取った瞬間、歓声が上がった。
アンドリューさまが手を挙げると、軽やかなワルツの音楽が流れ始めた。
それに合わせるようにお父さんたちのダンスが始まった。
わぁっ、すごい! やっぱりお父さん、ダンス上手だな。
羽が生えているかのような滑らかなステップで優雅に舞うその姿にうっとりと見入ってしまう。
笑顔でお互いを見つめ合いながら、踊るその美しい舞いに惹き込まれている間にお父さんたちのダンスはあっという間に終わってしまった。
ああ、もうちょっと見ていたかったな。
たくさんの拍手が鳴り響く中、お父さんたちは席へと戻ってきた。
「其方たちも一曲踊ってきたらどうだ?」
急なことに『えっ?』と思ったけれど、フロアにいる人たちみんなの視線を感じる。
もしかしたら王族が踊らないうちは出席者たちも踊りにくいとか、そんな決まりでもあるんだろうか?
「シュウ、どうする? 無理しなくてもいいぞ」
「うん。でも……」
一応こっそりとこの夜会に向けてお父さんに教えてもらって練習はしていたけれど、こんなに早く出番が来るとは思っていなかった、
他の人たちに混ざってこっそりと踊るつもりだったのに、この感じだとお父さんたちみたいにフロアの真ん中でぼくたちだけで踊るんだよね……。
どうしよう、うまくできるかな……。
でも、ここで踊らないなんて言ったらフレッドに恥をかかせちゃうかも。
「柊ちゃん、大丈夫だよ。行っておいで」
「うん。頑張ってくる」
お父さんに背中を押されて、ぼくはフレッドの手を取り共にフロアの中央へと向かった。
『なんという美しさだろう』
『ほぅ……まるで女神のようだ。惚れ惚れしてしまう』
『ドレスも素敵。あんなドレス見たことないわ!』
『あれほどまでに美しい女性がこの世にいようとは……』
ぼくたちを見て周りにいる人たちが何かを話しているけれど、緊張しているぼくの耳には何も入ってこない。
ただ、躓かないように歩き進めるのに必死だ。
「シュウ、緊張しなくていい。私だけを見て踊ればいいのだ」
ぼくが見上げると、そこにはフレッドの輝くような笑顔があった。
その笑顔に緊張がふっとほぐれていく。
「ふふっ。フレッド、ありがとう」
ふたり向き合って手を取ると、ゆったりとした音楽がホールに響き始めた。
あ、これお父さんと練習した曲だ。
これならいけるかも。
「大丈夫、私がちゃんとリードしてやるから。シュウは周りなど気にせず楽しく踊ればいい」
「うん」
曲に合わせてフレッドのリードに誘われるままに右へ左へとぼくの身体が自然に動いていく。
わぁ、すごく踊りやすい。
フレッドってダンスが上手なんだ。
そう思ったことで心にゆとりが出来たのか、さっきまでの緊張が嘘のようにただこのダンスを楽しめるようになっていった。
ふわふわと軽いドレスがぼくの動きに合わせて優雅に揺れ動く。
フレッドがぼくをくるっと回すと、ふわりとドレスの裾が翻った。
このドレス、すごく軽くて踊りやすい。
ジョシュアさんに感謝だな。
「シュウ、何か違うことを考えていないか?
私のことだけ考えていてくれ」
「ふふっ。フレッドのことしか考えてないよ」
「シュウ、私もシュウだけだ」
フレッドの嬉しい言葉を聞きながら軽やかにダンスは続き、一曲踊り終えるとフレッドはすかさずぼくをお姫さま抱っこして席へと戻った
フレッドの行動にホール内にいた人は呆気に取られていた様子だったけれど、美しい音楽が流れたおかげでフロア内でそれぞれ出席者たちのダンスが始まって賑わいを見せ始めた。
「シュウ、疲れていないか?」
「うん。フレッドのおかげで楽しかった」
「シュウのダンスは実に見事だったよ。いつのまにあんなに踊れるようになったんだ?」
ふわふわのドレスを着たままでは2人で椅子に座れないので、フレッドはできるだけ椅子をくっつけて、身体をピッタリと寄せ合って座った。
フレッドに答えようとした時、
「柊ちゃん! すごく上手だったよ」
お父さんが笑顔で駆け寄ってきてぼくを労ってくれた。
「お……トーマさまがお教えくださったおかげです」
お父さんをトーマさまって呼ぶの慣れないけど、間違えないようにしなくちゃ!
お父さんはぼくが言い間違えそうになって少し笑っていたけれど、気づかないふりをしてくれたようだ。
「ふふっ。他の人からのダンスは誘われても断っていいからね。柊ちゃんたちは新婚だって話してるから大丈夫だよ。
まぁ、そんなにピッタリと怖そうな旦那さまがくっついてたら誘ってくる強者はいないと思うけど」
お父さんはパチンとウインクをしてそう話すと、アンドリューさまの元へ戻っていった。
「そうか、トーマ王妃に習ったのか。少し妬けるがトーマ王妃ならば仕方ないな」
「ふふっ。フレッドったら」
フレッドの小さなヤキモチがなんだか可愛くて愛おしくて、ぼくはフレッドの腕にぎゅっと抱きついた。
「シュウ、踊って喉が渇いただろう。飲み物でももらおうか」
「あ、なら今日飲ませてもらったハーブティーがいいな。少し身体を温めてから冷たい飲み物をもらおうかな。できるかな?」
「ああ、あのお茶か。わかった。頼んでみよう」
フレッドは手をあげ、この家にきた時にハーブティーを運んできてくれた彼に声をかけた。
彼はこの家の執事さんでヴォルフさんというらしい。
「私の大切な妻が先ほどのハーブティーを所望しているのだが、悪いが持ってきてはもらえぬか?」
「えっ? あ、あのハーブティーでございますか?」
ヴォルフさんの驚いた表情にぼくもフレッドもびっくりしてしまった。
「ああ、あれに何かあるのか?」
「あ……い、いえ。あのハーブティーは私の自作なのですが、今までお客さまにお出ししてそこまでお気に召していただけたことは一度もございませんでしたので嬉しくてつい声をあげてしまいました。無駄話でお耳を汚してしまいまして申し訳ございません」
そうか、やっぱりヴォルフさんの手作りだったんだ。
手作りって喜んでもらえると嬉しいんだよね。
気持ち、わかるなぁ。
「まぁ、すごい。ヴォルフさんのお手製なのですね。
さっき飲ませていただいたハーブティーは私が以前好んで飲んでいたものに似ていて、とても美味しかったですよ。
是非作り方を教えてくださいね」
そう、懐かしいあの味にホッとしたんだ。
ここでまさかぼくを救ってくれたあの嬉しい味に出会えるとは思っていなかったから。
あの辛い生活の中でハーブティーを飲ませてもらった日は身体がすごく楽になった気がしていた。
今日ここに来て味わった時にあの時の感動を思い出してすごく嬉しかった。
今となっては懐かしい思い出だ。
「公爵夫人さまにお気に召していただけて光栄の極みでございます。
あの……すぐにハーブティーをお持ちいたします。公爵さまはいかがされますか?」
「そうだな。私はシャンパンをもらおうか」
「畏まりました。すぐにお持ちいたします」
捌けていくヴォルフさんを見ながらフレッドは不思議そうにぼくに尋ねた。
「シュウはあのお茶がそんなに気に入ったのか?」
「あれはぼくが知っているのと同じだとローズヒップティーといってね、疲れを癒してくれる効果を持つんだ。
ヴォルフさんはそれを知っていて、長旅で疲れたぼくたちにそれを出してくれたんだよ、きっと」
「そうなのか。私にはよくわからなかった。前にも思ったが、シュウが味覚が優れているのだな」
フレッドが少し考え込んだ様子でそんな話をしている間にヴォルフさんが飲み物を持って戻ってきた。
フレッドにシャンパングラスを渡し、ぼくにカップを手渡した、
カップを近づけると、ほんの少しだけ蜂蜜の香りがした。
きっと疲れているだろうぼくへの配慮なのだろう。
フレッドはクイッとシャンパングラスを傾け、涼やかなシャンパンを美味しそうに味わっていた。
ぼくもゆっくりとカップを傾け、ハーブティーを味わった。
「うん。やっぱり美味しい」
「シュウ、私にも一口いいか?」
ぼくが美味しそうに飲んでいたから気になったんだろうか。
半分以上飲み干したシャンパングラスをサイドテーブルに置いた。
「あ、うん。いいよ、飲んでみて」
ぼくが手渡したカップにフレッドは慎重に口をつけ、一口を味わうように飲み込んでからぼくにカップを返した。
「ああ、美味しいな。シュウ、先ほどと同じ味か?」
「これには蜂蜜が入っているみたいだからさっきよりは飲みやすいかな。でも、ぼくは何も入っていない方も好きだよ」
ここにきてすぐに飲んだハーブティーには蜂蜜は入ってなかった。
お好みで入れてくださいって別添えになっていたけれど、ぼくは入れなかったんだ。
程よい濃さでぼくにはとても美味しかったけれど、慣れない人が飲めばちょっとくどく感じるかもしれない濃さだとは思った。
「そうか。ヴォルフ、妻は其方のハーブティーを気に入ったようだ」
「身に余るお言葉ありがとうございます。
あ、あの……公爵夫人さまは、もしや、ハーブティーにお詳しいのですか?」
「えっ? ああ、はい。詳しいというほどではありませんがハーブティーは好きですよ」
「そうでございましたか……。そうとは知らず……」
ヴォルフさんが険しい表情を浮かべた瞬間、フレッドがぼくとヴォルフさんの間に入って何やら話をし始めた。
ぼくにはフレッドの背中しか見えなくて、ヴォルフさんと何を話しているかは分からなかったけれど、
一言、二言話してからフレッドは小さく
『わかった』と呟くのがぼくの耳にもほんの少しだけ入ってきた。
周りの音楽が大きくて、話の内容は全く分からなかったけれど、フレッドが『わかった』と呟いたあとすぐにヴォルフさんはカップとシャンパングラスを持ってお辞儀をして離れていった。
「ねぇ、フレッド。どうしたの? ヴォルフさんは何を言っていたの?」
「ああ、いや。なんでもない。シュウが疲れているなら、テラスでも行ってはどうかと教えられただけだ。
どうだ、行ってみるか?」
「えっ、テラス? うん、行ってみたい! でも、ここを離れてもいいの?」
「ああ、大丈夫だ。陛下にお話ししてくるからここで待っていてくれ」
「うん。わかった」
フレッドがアンドリューさまの元へ行くのに席を離した瞬間、それを見計ったように突然ぼくの前に手が差し出された。
えっ? と顔を上げると、黄緑色の髪色をした若い男性が僕ににこやかな笑顔を向けて立っていた。
この人、確か……
「シュナイダー侯爵家次男、ウェスリーと申します。
どうか私と一曲踊っていただけないでしょうか?」
「えっ? でも、私……」
「どうか記念に一曲私と……」
彼の差し出した手がぼくの手を取ろうとしたところで、
逆方向からさっと差し出された手が彼の手を掴んだ。
「ゔっっ」
「せっかくのダンスの誘いだが、申し訳ない。私の妻は疲れているようなので、失礼する。
さぁ、シュウ。行こうか?」
機械のような冷たい表情でさっと言い切ると、ぼくを立ち上がらせ腰に手を回し茫然とその場に佇む彼を置き去りにして、フロアへと下りて行った。
「ほんの少し目を離しただけで誘いが来るのだからな、シュウはひとりにしてはおけぬな」
「フレッド……怒ってる? ぼく、誘いに乗るつもりはなかったよ」
「ははっ。怒るわけないだろう? シュウが誘いに乗らないことくらいわかっているさ。
ただ、私のシュウの手に触れようとしたのが許せないだけだ」
ぼくの手を愛おしそうに握り手の甲にそっとキスをしてくれた。
その温かな感触にきゅんきゅんしてしまう。
「ふふっ。フレッドのキス、嬉しい」
ぼくは周りに人がたくさんいることなどすっかり忘れて、ぼくも繋がれた手を持ち上げてフレッドの手の甲にキスをした。
『わぁっ』
『きゃー、素敵!』
『羨ましい』
『はぁ……っ』
周りから口々に聞こえる声にハッと我にかえり自分がとんでもなく恥ずかしいことをしてしまったことに気づいた。
フレッドは真っ赤になってしまったぼくをすぐに抱きかかえ、ぼくの顔が見えないように胸元に寄せ顔を隠し人の合間を縫ってテラスへと歩いていった。
ホールの灯りがほんのり差し込むテラスは人気がなくぼくたちだけだ。
中庭の木々に吊り下げられたランプがうっすらとした明かりを灯し、幻想的な風景を彩っている。
フレッドはテラスに置かれたベンチに座り、ぼくを膝の上に座らせぎゅっと抱きしめた。
「わぁ、綺麗。ねぇ、フレッドも見て!」
ふわりと心地よい風に恥ずかしくて真っ赤になった頬を冷ましてもらいながら、フレッドを見るとフレッドは景色に目を向けることなくただぼくだけをじっと見つめていた。
「シュウ、私はお前の可愛さに翻弄されてばかりだ」
「フレッド……」
「女神のごとき美しいシュウを私の腕の中に閉じ込めておけるなんて私は幸せ者だな」
フレッドの甘い囁きにぼくはどうしても我慢できなくなって、ぼくを見つめるフレッドの頬を両手で挟んでぼくの口へと近づけた。
ちゅっと唇の合わさった甘やかな音が耳に入ってきた瞬間、フレッドの唇がひらきぼくの口内に肉厚で柔らかな舌が入り込んできた。
「……んっ……ん」
フレッドの身体が盾になってフロアにいる人にはぼくたちのキスは見えていないかもしれないけれど、初めてする外でのキスにぼくは知らないうちに興奮してしまって、フレッドにされるがままに舌を絡めあった。
クチュクチュという水音が響いたあと最後にチュパっと舌先を吸われてフレッドの甘い唇は離れていった。
ああ、もっと触れ合っていたかったな……。
離れていったフレッドの唇を名残惜しそうに見つめていると、
「シュウ、お前は今自分がどんな顔をしているかわかっているか?」
と獣のような鋭い目で見つめられた。
「えっ? な、に……?」
「もう無理だ。シュウ、部屋に戻ろう」
フレッドはさっとジャケットを脱ぐとぼくの顔が隠れるように被せて抱きかかえた。
そして、そのままフロアを通り抜けていると、突然フレッドの腕が何かに引っ張られた。
ぼくはビックリして被せられたジャケットを取ろうとしたけれど、すぐにフレッドの手に止められた。
フレッドと誰か女性の声がする。
女性の声はフロアに響く音楽にかき消されて聞こえなかったけれど、
「申し訳ないが、部屋に戻るので失礼する」
ピシャリと跳ね除けるフレッドの声だけは聞こえた。
フレッドはその後は足を止めることなく部屋へと帰っていった。
ぼくはフレッドの匂いに包まれながら、ただ連れていかれるだけで、寝室に寝かされてからようやく被せられていたジャケットを外された。
「フレ……」
名前すら言えないうちに、フレッドに口を塞がれドレスのボタンが器用に外されていく。
「……んんっ、んふ……っ」
もう何もわからないうちに、ぼくはあっという間に一糸纏わぬ姿にされてしまっていた。
「シュウ、愛してるよ」
フレッドの唇がぼくの唇から離れ、耳を嬲り首筋から襟足へと移っていった瞬間、
「ひゃあっ……んっ!」
身体中を今までに感じたことのないほど強い電流が駆け抜けていくそんな感覚があった。
「いま、の……な、に……?」
フレッドは嬉しそうに微笑むばかりで何も教えてくれない。
けれど、身体はもっと強い刺激を待っているように、どんどん火照ってくる。
「フレ、ッド……なんか、へん……おかし、くなっちゃう……」
「大丈夫。私が気持ちよくしてあげるから」
いつの間にかフレッドも一糸纏わぬ姿になっていて逞しい身体が、長い腕が優しくぼくを包み込む。
フレッドの温もりを直に感じながら、ぼくはフレッドの与えてくれる快感をなんの抵抗もなく受け続けていた。
この前の積極的さなど頭の片隅にもなく、ただ快楽のままに喘ぎ続け何度蜜を吐き出したのかもわからないほどにイかされとろとろに蕩かされた。
その夜、屋敷の中でとんでもない事件が起きていたことにぼくひとり全く気づかずにフレッドの愛に包まれて、ぼくの初めての夜会の夜は更けていった。
確かに子爵家、男爵家まで招待しては人数も増えすぎてお父さんたちの対応も大変そうだしね。
『そろそろご入場を』とブルーノさんに言われて、ぼくとフレッドは夜会が行われているホールへと案内された。
「わぁっ、すごい」
ホールの天井にはキラキラと輝く大きなシャンデリアがいくつも吊り下げられ、柱や窓も豪華な装飾に彩られ、並べられた食事の数々も宝石のように輝いていてあまりにも豪奢なその雰囲気に思わず声が漏れてしまった。
「ふふっ。シュウは可愛いな」
フレッドに聞こえてしまっていたらしく、優しく頬を撫でられ少し顔が赤くなってしまった。
「アルフレッド=サンチェス公爵さま、並びに公爵夫人さま。ご入場!」
ぼくたちの来場を知らせる声がホール内に響き渡る。
聞き慣れない名前に驚いているのか、あちらこちらで会話を楽しんでいた人たちの視線が一斉にぼくたちに降り注ぐ。
ホール内に一瞬の静寂が訪れ、上品なオーケストラの音楽を背に歩いていると今度は一斉に騒めき立った。
夜会は基本的に身分の低い方から入場するらしく、王族の遠戚で公爵という肩書きを持っているフレッドと一緒に入場するときにはすでにたくさんの人がホールに集まっていた。
わぁ、この人たちみんな貴族の人たちなんだよね。しかも位の高い人たち。
一般人のぼくだったら一生お目にかかれない人たちなんだよね。
そう考えたらなんだか緊張してきた。
何よりもぼくたちを見つめるその視線の多さに身体が強張って転んでしまいそうになるけれど、寄り添って手を引いてくれるフレッドの手の温もりがぼくの緊張を解してくれていた。
やっぱりフレッドがそばにいてくれるだけで心強いな。
フレッドのおかげで少し余裕ができて周りに目を向けると、煌びやかなドレスに身を包んだ令嬢たちがみんなフレッドに見惚れているのに気づいた。
『まぁ、公爵さまですって。素敵!!』
『公爵さまってことは王族の関係者ということかしら?』
『だって、ほら国王陛下にお顔立ちが似ていらっしゃるもの』
『ああ、結婚されてなかったら私が立候補したいくらいですのに……』
『何言ってるの。伯爵令嬢の貴方じゃ無理よ。侯爵家の私ならまだ可能性は……』
『私だって!』
フレッドを称賛する令嬢たちのヒソヒソ話が少し聞こえてきて、やっぱりフレッドってかっこいいんだよねとしみじみ思った。
だって身長は高いし、顔だって彫りが深くて瞳の色も綺麗だしそりゃあお年頃の令嬢たちが色めき立つのがわかる。
いや、貴族のご婦人たちもフレッドに目が釘付けになっている。
うん、これが普通の感性なんだよね。
ぼくたちがいたあの時代の美醜感覚がおかしいだけなんだ。
ぼくが隣に並んで歩いているフレッドを見上げると、フレッドはにこやかな笑顔を見せてくれた。
フレッドのその笑顔に周りの女性たちから
『ほぅっ』と感嘆の声が漏れ聞こえた。
この笑顔がぼくだけに注がれていると思うだけでぼくの中に少し優越感のようなものが湧き上がっていた。
ぼくたちは案内されるままにホールの一段高い場所に置かれた席の前でアンドリューさまとお父さんが入場してくるのを待った。
フレッドと小声で話しながら会場の雰囲気を楽しんでいると、急にホール内に緊張が走った。
パッとそっちに目を向けると
「アンドリュー=フォン=オランディア国王陛下、
並びにトーマ=フォン=オランディア王妃殿下。ご入場!」
ぼくたちの時よりも一際大きな声かけがあったあと、アンドリューさまとお父さんが入場してきた。
ピッタリと寄り添いながら歩く様は本当に仲睦まじい様子で見ているだけで口角が上がる。
アンドリューさまもお父さんもお揃いの衣装でそれがとても目立っていて素敵だった。
アンドリューさまの胸には豪華な勲章がずらりと並んでいたけれど、対照的にお父さんの胸には小さなネックレスが一つ付けられていただけだった。
あ、あれは……
お父さんの胸元を彩るそのネックレスはぼくがプレゼントしたあの氷翡翠だった。
こんな夜会には装飾品を多くつけるのが一般的だろうに……しかも王族ならなおさらだ。
それなのに、お父さんがぼくがあげたものだけを大切に付けてくれているのを見て、心が温かい気持ちで満たされていくのを感じて思わず涙が出そうになった。
お父さん、ありがとう。
ぼく、この光景を絶対忘れないよ。
ホールにいる人たちは一斉に会話をやめ、みんな近づくことも恐れ多い様子でお父さんたちが席に向かって歩いていく様子をただじっと見つめていた。
ぼくの知っている世界では国王さまの隣には煌びやかなドレスを身に纏った女性の王妃さまがいるのが普通だったけれど、
お揃いの衣装に身を包み全身からお互いを愛してるというのを全面に出しているお父さんたちは誰にも割って入れないほどお似合いだ。
ああ、こうやって男同士でも誰も不思議に思わずに受け入れられてるってこの世界の素敵なところだよね。
ぼくも今は女性の格好をしているけれど、元の時代に戻れば男同士だ。
それでもなんの問題もなく愛する人と一緒にいられるなんて幸せなことだ。
全くお揃いの服で夜会に出るなんて同性じゃないとできないもんね。
お父さんのいつもより凛々しい姿になんだかドキドキしてしまう。
お父さんたちを好意的な目で見つめる人たちを眺めていると、その中にパメラさんの姿を見つけた。
さっきぼくたちを出迎えていた時に着ていた真っ赤なドレスから、今度は目の覚めるような濃いオレンジのドレスに身を包んだパメラさんは令嬢たちの中でも一際目立って見える。
お父さんへ向ける視線が少し強すぎる気がして、ぼくはフレッドと繋いでいる手をキュッと握った。
「シュウ、どうした?」
すぐに気づいてくれたフレッドにそっとパメラさんの様子を教えると、
『わかった。気をつけるよう陛下にそれとなく伝えておこう。
いいか、シュウは絶対に私から離れるな』と改めて注意を受けた。
お父さんたちが席に着き、ぼくたちも揃って席に着くと出席者の人たちがこぞって挨拶にやってきた。
王族との挨拶時間の始まりだ。
フレッドから笑顔を見せるなと言われているから、できるだけ無表情に近い感じで挨拶をしていたけれどもう何人と挨拶したのかわからないくらい次々に人がやってくる。
いつ終わるかもわからないその挨拶に少し疲れてきたぼくと違ってその全てに笑顔で挨拶を交わしているお父さんは本当にすごいなと思った。
フレッドは徹底してどの令嬢にも笑顔を見せず、機械のような挨拶を繰り返している。
綺麗な顔が冷たい表情をすると、すごく怖そうに見えるから不思議なんだよね。
時折、ぼくの方を見ては極上の笑顔を見せてくれるからその対比が凄すぎる。
ようやく挨拶が終わり、今度はダンスが始まる。
まずはアンドリューさまとお父さんのダンスが披露され、その後、出席者たちへと移っていく予定になっている。
お父さんたちは案内されるままゆっくりとフロアの中央へと進み、みんなが周りでそれを見守っている状態だ。
王城で年に一度、王家主催の夜会が行われる部屋はこのホールよりもっとずっと広い。
こんなに間近で国王と王妃のダンスを見られる機会も少ないとあって、ふたりが向き合って手を取った瞬間、歓声が上がった。
アンドリューさまが手を挙げると、軽やかなワルツの音楽が流れ始めた。
それに合わせるようにお父さんたちのダンスが始まった。
わぁっ、すごい! やっぱりお父さん、ダンス上手だな。
羽が生えているかのような滑らかなステップで優雅に舞うその姿にうっとりと見入ってしまう。
笑顔でお互いを見つめ合いながら、踊るその美しい舞いに惹き込まれている間にお父さんたちのダンスはあっという間に終わってしまった。
ああ、もうちょっと見ていたかったな。
たくさんの拍手が鳴り響く中、お父さんたちは席へと戻ってきた。
「其方たちも一曲踊ってきたらどうだ?」
急なことに『えっ?』と思ったけれど、フロアにいる人たちみんなの視線を感じる。
もしかしたら王族が踊らないうちは出席者たちも踊りにくいとか、そんな決まりでもあるんだろうか?
「シュウ、どうする? 無理しなくてもいいぞ」
「うん。でも……」
一応こっそりとこの夜会に向けてお父さんに教えてもらって練習はしていたけれど、こんなに早く出番が来るとは思っていなかった、
他の人たちに混ざってこっそりと踊るつもりだったのに、この感じだとお父さんたちみたいにフロアの真ん中でぼくたちだけで踊るんだよね……。
どうしよう、うまくできるかな……。
でも、ここで踊らないなんて言ったらフレッドに恥をかかせちゃうかも。
「柊ちゃん、大丈夫だよ。行っておいで」
「うん。頑張ってくる」
お父さんに背中を押されて、ぼくはフレッドの手を取り共にフロアの中央へと向かった。
『なんという美しさだろう』
『ほぅ……まるで女神のようだ。惚れ惚れしてしまう』
『ドレスも素敵。あんなドレス見たことないわ!』
『あれほどまでに美しい女性がこの世にいようとは……』
ぼくたちを見て周りにいる人たちが何かを話しているけれど、緊張しているぼくの耳には何も入ってこない。
ただ、躓かないように歩き進めるのに必死だ。
「シュウ、緊張しなくていい。私だけを見て踊ればいいのだ」
ぼくが見上げると、そこにはフレッドの輝くような笑顔があった。
その笑顔に緊張がふっとほぐれていく。
「ふふっ。フレッド、ありがとう」
ふたり向き合って手を取ると、ゆったりとした音楽がホールに響き始めた。
あ、これお父さんと練習した曲だ。
これならいけるかも。
「大丈夫、私がちゃんとリードしてやるから。シュウは周りなど気にせず楽しく踊ればいい」
「うん」
曲に合わせてフレッドのリードに誘われるままに右へ左へとぼくの身体が自然に動いていく。
わぁ、すごく踊りやすい。
フレッドってダンスが上手なんだ。
そう思ったことで心にゆとりが出来たのか、さっきまでの緊張が嘘のようにただこのダンスを楽しめるようになっていった。
ふわふわと軽いドレスがぼくの動きに合わせて優雅に揺れ動く。
フレッドがぼくをくるっと回すと、ふわりとドレスの裾が翻った。
このドレス、すごく軽くて踊りやすい。
ジョシュアさんに感謝だな。
「シュウ、何か違うことを考えていないか?
私のことだけ考えていてくれ」
「ふふっ。フレッドのことしか考えてないよ」
「シュウ、私もシュウだけだ」
フレッドの嬉しい言葉を聞きながら軽やかにダンスは続き、一曲踊り終えるとフレッドはすかさずぼくをお姫さま抱っこして席へと戻った
フレッドの行動にホール内にいた人は呆気に取られていた様子だったけれど、美しい音楽が流れたおかげでフロア内でそれぞれ出席者たちのダンスが始まって賑わいを見せ始めた。
「シュウ、疲れていないか?」
「うん。フレッドのおかげで楽しかった」
「シュウのダンスは実に見事だったよ。いつのまにあんなに踊れるようになったんだ?」
ふわふわのドレスを着たままでは2人で椅子に座れないので、フレッドはできるだけ椅子をくっつけて、身体をピッタリと寄せ合って座った。
フレッドに答えようとした時、
「柊ちゃん! すごく上手だったよ」
お父さんが笑顔で駆け寄ってきてぼくを労ってくれた。
「お……トーマさまがお教えくださったおかげです」
お父さんをトーマさまって呼ぶの慣れないけど、間違えないようにしなくちゃ!
お父さんはぼくが言い間違えそうになって少し笑っていたけれど、気づかないふりをしてくれたようだ。
「ふふっ。他の人からのダンスは誘われても断っていいからね。柊ちゃんたちは新婚だって話してるから大丈夫だよ。
まぁ、そんなにピッタリと怖そうな旦那さまがくっついてたら誘ってくる強者はいないと思うけど」
お父さんはパチンとウインクをしてそう話すと、アンドリューさまの元へ戻っていった。
「そうか、トーマ王妃に習ったのか。少し妬けるがトーマ王妃ならば仕方ないな」
「ふふっ。フレッドったら」
フレッドの小さなヤキモチがなんだか可愛くて愛おしくて、ぼくはフレッドの腕にぎゅっと抱きついた。
「シュウ、踊って喉が渇いただろう。飲み物でももらおうか」
「あ、なら今日飲ませてもらったハーブティーがいいな。少し身体を温めてから冷たい飲み物をもらおうかな。できるかな?」
「ああ、あのお茶か。わかった。頼んでみよう」
フレッドは手をあげ、この家にきた時にハーブティーを運んできてくれた彼に声をかけた。
彼はこの家の執事さんでヴォルフさんというらしい。
「私の大切な妻が先ほどのハーブティーを所望しているのだが、悪いが持ってきてはもらえぬか?」
「えっ? あ、あのハーブティーでございますか?」
ヴォルフさんの驚いた表情にぼくもフレッドもびっくりしてしまった。
「ああ、あれに何かあるのか?」
「あ……い、いえ。あのハーブティーは私の自作なのですが、今までお客さまにお出ししてそこまでお気に召していただけたことは一度もございませんでしたので嬉しくてつい声をあげてしまいました。無駄話でお耳を汚してしまいまして申し訳ございません」
そうか、やっぱりヴォルフさんの手作りだったんだ。
手作りって喜んでもらえると嬉しいんだよね。
気持ち、わかるなぁ。
「まぁ、すごい。ヴォルフさんのお手製なのですね。
さっき飲ませていただいたハーブティーは私が以前好んで飲んでいたものに似ていて、とても美味しかったですよ。
是非作り方を教えてくださいね」
そう、懐かしいあの味にホッとしたんだ。
ここでまさかぼくを救ってくれたあの嬉しい味に出会えるとは思っていなかったから。
あの辛い生活の中でハーブティーを飲ませてもらった日は身体がすごく楽になった気がしていた。
今日ここに来て味わった時にあの時の感動を思い出してすごく嬉しかった。
今となっては懐かしい思い出だ。
「公爵夫人さまにお気に召していただけて光栄の極みでございます。
あの……すぐにハーブティーをお持ちいたします。公爵さまはいかがされますか?」
「そうだな。私はシャンパンをもらおうか」
「畏まりました。すぐにお持ちいたします」
捌けていくヴォルフさんを見ながらフレッドは不思議そうにぼくに尋ねた。
「シュウはあのお茶がそんなに気に入ったのか?」
「あれはぼくが知っているのと同じだとローズヒップティーといってね、疲れを癒してくれる効果を持つんだ。
ヴォルフさんはそれを知っていて、長旅で疲れたぼくたちにそれを出してくれたんだよ、きっと」
「そうなのか。私にはよくわからなかった。前にも思ったが、シュウが味覚が優れているのだな」
フレッドが少し考え込んだ様子でそんな話をしている間にヴォルフさんが飲み物を持って戻ってきた。
フレッドにシャンパングラスを渡し、ぼくにカップを手渡した、
カップを近づけると、ほんの少しだけ蜂蜜の香りがした。
きっと疲れているだろうぼくへの配慮なのだろう。
フレッドはクイッとシャンパングラスを傾け、涼やかなシャンパンを美味しそうに味わっていた。
ぼくもゆっくりとカップを傾け、ハーブティーを味わった。
「うん。やっぱり美味しい」
「シュウ、私にも一口いいか?」
ぼくが美味しそうに飲んでいたから気になったんだろうか。
半分以上飲み干したシャンパングラスをサイドテーブルに置いた。
「あ、うん。いいよ、飲んでみて」
ぼくが手渡したカップにフレッドは慎重に口をつけ、一口を味わうように飲み込んでからぼくにカップを返した。
「ああ、美味しいな。シュウ、先ほどと同じ味か?」
「これには蜂蜜が入っているみたいだからさっきよりは飲みやすいかな。でも、ぼくは何も入っていない方も好きだよ」
ここにきてすぐに飲んだハーブティーには蜂蜜は入ってなかった。
お好みで入れてくださいって別添えになっていたけれど、ぼくは入れなかったんだ。
程よい濃さでぼくにはとても美味しかったけれど、慣れない人が飲めばちょっとくどく感じるかもしれない濃さだとは思った。
「そうか。ヴォルフ、妻は其方のハーブティーを気に入ったようだ」
「身に余るお言葉ありがとうございます。
あ、あの……公爵夫人さまは、もしや、ハーブティーにお詳しいのですか?」
「えっ? ああ、はい。詳しいというほどではありませんがハーブティーは好きですよ」
「そうでございましたか……。そうとは知らず……」
ヴォルフさんが険しい表情を浮かべた瞬間、フレッドがぼくとヴォルフさんの間に入って何やら話をし始めた。
ぼくにはフレッドの背中しか見えなくて、ヴォルフさんと何を話しているかは分からなかったけれど、
一言、二言話してからフレッドは小さく
『わかった』と呟くのがぼくの耳にもほんの少しだけ入ってきた。
周りの音楽が大きくて、話の内容は全く分からなかったけれど、フレッドが『わかった』と呟いたあとすぐにヴォルフさんはカップとシャンパングラスを持ってお辞儀をして離れていった。
「ねぇ、フレッド。どうしたの? ヴォルフさんは何を言っていたの?」
「ああ、いや。なんでもない。シュウが疲れているなら、テラスでも行ってはどうかと教えられただけだ。
どうだ、行ってみるか?」
「えっ、テラス? うん、行ってみたい! でも、ここを離れてもいいの?」
「ああ、大丈夫だ。陛下にお話ししてくるからここで待っていてくれ」
「うん。わかった」
フレッドがアンドリューさまの元へ行くのに席を離した瞬間、それを見計ったように突然ぼくの前に手が差し出された。
えっ? と顔を上げると、黄緑色の髪色をした若い男性が僕ににこやかな笑顔を向けて立っていた。
この人、確か……
「シュナイダー侯爵家次男、ウェスリーと申します。
どうか私と一曲踊っていただけないでしょうか?」
「えっ? でも、私……」
「どうか記念に一曲私と……」
彼の差し出した手がぼくの手を取ろうとしたところで、
逆方向からさっと差し出された手が彼の手を掴んだ。
「ゔっっ」
「せっかくのダンスの誘いだが、申し訳ない。私の妻は疲れているようなので、失礼する。
さぁ、シュウ。行こうか?」
機械のような冷たい表情でさっと言い切ると、ぼくを立ち上がらせ腰に手を回し茫然とその場に佇む彼を置き去りにして、フロアへと下りて行った。
「ほんの少し目を離しただけで誘いが来るのだからな、シュウはひとりにしてはおけぬな」
「フレッド……怒ってる? ぼく、誘いに乗るつもりはなかったよ」
「ははっ。怒るわけないだろう? シュウが誘いに乗らないことくらいわかっているさ。
ただ、私のシュウの手に触れようとしたのが許せないだけだ」
ぼくの手を愛おしそうに握り手の甲にそっとキスをしてくれた。
その温かな感触にきゅんきゅんしてしまう。
「ふふっ。フレッドのキス、嬉しい」
ぼくは周りに人がたくさんいることなどすっかり忘れて、ぼくも繋がれた手を持ち上げてフレッドの手の甲にキスをした。
『わぁっ』
『きゃー、素敵!』
『羨ましい』
『はぁ……っ』
周りから口々に聞こえる声にハッと我にかえり自分がとんでもなく恥ずかしいことをしてしまったことに気づいた。
フレッドは真っ赤になってしまったぼくをすぐに抱きかかえ、ぼくの顔が見えないように胸元に寄せ顔を隠し人の合間を縫ってテラスへと歩いていった。
ホールの灯りがほんのり差し込むテラスは人気がなくぼくたちだけだ。
中庭の木々に吊り下げられたランプがうっすらとした明かりを灯し、幻想的な風景を彩っている。
フレッドはテラスに置かれたベンチに座り、ぼくを膝の上に座らせぎゅっと抱きしめた。
「わぁ、綺麗。ねぇ、フレッドも見て!」
ふわりと心地よい風に恥ずかしくて真っ赤になった頬を冷ましてもらいながら、フレッドを見るとフレッドは景色に目を向けることなくただぼくだけをじっと見つめていた。
「シュウ、私はお前の可愛さに翻弄されてばかりだ」
「フレッド……」
「女神のごとき美しいシュウを私の腕の中に閉じ込めておけるなんて私は幸せ者だな」
フレッドの甘い囁きにぼくはどうしても我慢できなくなって、ぼくを見つめるフレッドの頬を両手で挟んでぼくの口へと近づけた。
ちゅっと唇の合わさった甘やかな音が耳に入ってきた瞬間、フレッドの唇がひらきぼくの口内に肉厚で柔らかな舌が入り込んできた。
「……んっ……ん」
フレッドの身体が盾になってフロアにいる人にはぼくたちのキスは見えていないかもしれないけれど、初めてする外でのキスにぼくは知らないうちに興奮してしまって、フレッドにされるがままに舌を絡めあった。
クチュクチュという水音が響いたあと最後にチュパっと舌先を吸われてフレッドの甘い唇は離れていった。
ああ、もっと触れ合っていたかったな……。
離れていったフレッドの唇を名残惜しそうに見つめていると、
「シュウ、お前は今自分がどんな顔をしているかわかっているか?」
と獣のような鋭い目で見つめられた。
「えっ? な、に……?」
「もう無理だ。シュウ、部屋に戻ろう」
フレッドはさっとジャケットを脱ぐとぼくの顔が隠れるように被せて抱きかかえた。
そして、そのままフロアを通り抜けていると、突然フレッドの腕が何かに引っ張られた。
ぼくはビックリして被せられたジャケットを取ろうとしたけれど、すぐにフレッドの手に止められた。
フレッドと誰か女性の声がする。
女性の声はフロアに響く音楽にかき消されて聞こえなかったけれど、
「申し訳ないが、部屋に戻るので失礼する」
ピシャリと跳ね除けるフレッドの声だけは聞こえた。
フレッドはその後は足を止めることなく部屋へと帰っていった。
ぼくはフレッドの匂いに包まれながら、ただ連れていかれるだけで、寝室に寝かされてからようやく被せられていたジャケットを外された。
「フレ……」
名前すら言えないうちに、フレッドに口を塞がれドレスのボタンが器用に外されていく。
「……んんっ、んふ……っ」
もう何もわからないうちに、ぼくはあっという間に一糸纏わぬ姿にされてしまっていた。
「シュウ、愛してるよ」
フレッドの唇がぼくの唇から離れ、耳を嬲り首筋から襟足へと移っていった瞬間、
「ひゃあっ……んっ!」
身体中を今までに感じたことのないほど強い電流が駆け抜けていくそんな感覚があった。
「いま、の……な、に……?」
フレッドは嬉しそうに微笑むばかりで何も教えてくれない。
けれど、身体はもっと強い刺激を待っているように、どんどん火照ってくる。
「フレ、ッド……なんか、へん……おかし、くなっちゃう……」
「大丈夫。私が気持ちよくしてあげるから」
いつの間にかフレッドも一糸纏わぬ姿になっていて逞しい身体が、長い腕が優しくぼくを包み込む。
フレッドの温もりを直に感じながら、ぼくはフレッドの与えてくれる快感をなんの抵抗もなく受け続けていた。
この前の積極的さなど頭の片隅にもなく、ただ快楽のままに喘ぎ続け何度蜜を吐き出したのかもわからないほどにイかされとろとろに蕩かされた。
その夜、屋敷の中でとんでもない事件が起きていたことにぼくひとり全く気づかずにフレッドの愛に包まれて、ぼくの初めての夜会の夜は更けていった。
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