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第四章 (王城 過去編)

花村 柊   17−1

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今日も朝から中庭の東屋で、恒例となったお父さんとのお茶会です。

中庭は噴水のおかげで涼しいし、花壇に咲き乱れる花の香りはいい匂いだし、この東屋は本当に癒される。

そんな癒しの場所で、お父さんと一緒にいられて、目の前には美味しい紅茶と焼き菓子があって、ぼくは本当に恵まれているなと思う。

そんな幸せに浸りながら、紅茶を飲んでいると

「ねぇ、今日は何しよっか?」

とお父さんが尋ねてきた。

この前はこれで『泳ぎたい』って言ってしまって、大変な騒ぎになってしまったんだよね。

どうしよう……。
フレッドに心配かけないで楽しめることか……。
お父さんと一緒に何かをしたいけど、良いのが思いつかないな。

「うーん、何がいいかなぁ……」

「外に出かけたりとかはやめた方がいいね。
アンディーとフレデリックさんが心配しちゃうし」

やっぱりお父さんもぼくと同じことを思ってたみたい。

ぼくは目の前にある焼き菓子に手を伸ばしながら、ふと思いついた。

「ねぇ、お父さん! ぼく、パンケーキ焼きたいな」

そうだよ、パンケーキだよ。
フレッドに作ってあげるって約束してたし。

「それ、良いかも!
よし、ブルーノに相談してみよう」

ぼくたちは急いでブルーノさんのところに行き、話してみることにした。

「トーマさま、シュウさま。お部屋にお戻りですか?」

「いや、ブルーノに相談があるんだけど……」

そういうと、前回水遊びのときのことを思い出したのか、少し後退り困ったような表情で

「今回は何をなさりたいのですか?」

と尋ねてきた。

「あのね、柊くんとパンケーキを焼きたいんだけど……」

「……はっ? パンケーキ、でございますか?」

「そうなんです。フレッドに作ってあげたくて……ダメですか?」

「僕もアンディーに作りたいんだ! ダメかな?」

2人かがりでブルーノさんにお願いしてみると、意外にもあっさりオッケーがでた。

「また何を仰られるかと冷や冷やしておりましたが、旦那さま方にパンケーキ……わたくし、安堵いたしました。昼食を終えてからなら厨房を使わせていただけると思いますよ」

にっこり笑ってそういうと、

「厨房にはわたくしの方から話をつけておきますので、昼食後にお迎えに参じます」

と約束してくれた。

「ブルーノ、アンディーとフレデリックさんには内緒にしていてね。こっそり作って驚かせたいから」

お父さんがそう頼むと、
ブルーノさんはいたずらっ子のような表情を浮かべ、

「はいはい。畏まりました」

と言って、『ふふっ』と笑った。

そこからお父さんに簡単に作り方を説明したり、トッピングには何を乗せようかなどを考えているうちにお昼になった。

フレッドが昼食を一緒に取ろうと戻ってくることになっていたので慌てて部屋へと戻った。

食事をしながらさりげなく午後の様子を聞いたけれど、午後は執務室で書類を片付けるらしい。

よし、これならパンケーキを持って行っても邪魔にはならなそうだ。
ふふっ。楽しみだな。

それはそうと、今日の昼食は品数は変わらないけれど心なしかボリュームは抑えられている気がする。
きっとこの後パンケーキを食べるのをわかっているからブルーノさんが昼食を少なめにするように言ってくれたのかもしれない。

何食わぬ顔をしてフレッドを午後のお仕事に送り出すと、お父さんが部屋に迎えに来てくれた。
そこからブルーノさんと一緒に厨房へと向かう。

厨房に行くとフレッドよりは年上なのかな……高さのあるコックさんの帽子を被った料理人さんが1人いた。

「トーマさま、シュウさま。今日お2人のお料理の手伝いをしますロイドです」

「ロイド、お2人に怪我などさせることがないよう注意してみているように!
ロイド! ロイド! おい、聞いているか?」

「は、はい」

お父さんがいるから緊張しているのかな?
ロイドさんの可愛い様子に思わず『ふふっ』と笑みが溢れた。

ブルーノさんは厨房の隅で見守ってくれているみたい。安心するなぁ。


「ふふっ。今日は柊ちゃんとパンケーキを焼きたいんだ。よろしくね」

お父さんがロイドさんに話しかけると、

「は、はい」

と急いでパンケーキの材料を調理台に並べてくれた。
やっぱりこの前の孤児院より良い材料使ってる。

「冬馬さんと作れるなんて嬉しいな」

「うん、僕もだよ。柊ちゃん、作り方教えてね」

「ふふっ。はーい」

ぼくがお父さんに教えられることがあるなんて、信じられない。
ああ、神さま。上手にできますように……。
さあ、親子クッキングの始まりだ。

ここにいる間はお父さんとできることはいっぱいやって、思い出いっぱい作っておくんだ!
ふふっ。楽しみ。

まず始めは、卵の準備だね。
ぼくが卵を白身と黄身に分けると、お父さんも卵を分け始めた。

「冬馬さん。あっ、上手、上手!」

最初は黄身が混ざっちゃったりすることもあるんだけど、ほんと上手だなぁ。

よし、ここからが重要なところだ。
しっかりとしたメレンゲが作れたら綺麗に膨らむんだよね。前にローリーさんもそう言ってた。

ボウルに入れた白身を泡立て器で混ぜていく。
カチャカチャと音はするけど、なかなか角が立つくらいふわふわの泡にするのは結構力がいるんだよね。
ふぅ……。腕が少し疲れてきた。

「あ、あのシュウさま、私がお手伝い致します」

ぼくがよほど辛そうに見えたんだろう。
ロイドさんがそう言ってくれて、喜んでお願いすることにした。

ロイドさんはびっくりするようなスピードで混ぜ合わせていく。

わぁっ、電動の泡立て器みたい!
やっぱり料理人さんってすごいんだな。

あっという間にツノが立つほどに混ぜ合わされたふわふわのメレンゲが出来上がった。

「わぁっ、すごい! ロイドさんさすがですね」

出来上がったメレンゲを見て

「ロイドさん、僕のもお願いしていいかな?」

とお父さんもお願いしていた。

「喜んでいたします! お任せください!」

と嬉しそうにボウルを混ぜ続けるロイドさんの姿に、きっとロイドさんはお父さんが大好きなんだろうなと思った。
だって、ずっとにこにこしてるんだもん。

お父さんってこのお城の人たちに愛されてるんだなぁ。

「ほんと、ロイドさんすごーい!!」

あっという間に出来上がったメレンゲを見て、お父さんがロイドさんをすごい! と褒めると、嬉しそうな表情をしていた。
大好きな人に褒められたら嬉しくなっちゃうよね。

さて、生地も仕上げだ!
黄身と砂糖と牛乳と小麦粉を混ぜて、最後にさっくりとメレンゲを混ぜると、もったりとした生地が出来上がった。

この前孤児院で作った時より、きめの細かいふわふわのメレンゲだったからきっとふわふわに仕上がるはず!

ロイドさんに出してもらった鉄鍋にバターを溶かして生地を流し入れるとジューっと美味しそうな音が聞こえた。

火力を出来るだけ小さくしてもらってじっくり焼き上げると、前にフレッドのお屋敷でローリーさんに作ってもらったみたいなふわふわで分厚いパンケーキが出来上がった。

隣を見ると、お父さんのもふわふわに出来てる。
やったね! 2人とも大成功だ!

お父さんと目を合わせると
『ふふっ』と笑みが溢れた。

これも全部ロイドさんのメレンゲのおかげだ。
お礼をいって、生地が冷めるのを待ってから、フレッドの好きなフルーツやら生クリームやらを乗せていく。

ちなみにこの生クリームもロイドさんに泡立ててもらいました。
ロイドさんがいたら電動泡立て器要らずだね。

「さぁ、出来た! 柊ちゃん、持っていこっか」

「はーい」

生クリームのフルーツがたっぷり乗ったパンケーキのお皿を持ってフレッドの元へといこうとすると、

「あ、あのそれをどちらへ持って行かれるのですか? 私がお運びしますよ」

とロイドさんが声をかけてくれた。

たしかに重たいし、崩したくないけどせっかくフレッドに作ったものだから自分で運びたい。

「フレッドに食べてもらいたくて。自分で持っていきたいので大丈夫です。ありがとう。ふふっ」

そうお礼を言うと、少しがっかりした顔をしていたのが気になったけれど、

「ほら、早く行こう!」

というお父さんの声に急かされるように厨房をでた。

「アンドリューさま、フレデリックさまはただいま執務室におられます。足元にお気をつけてお運びください」

お父さんと、『よし!』とアイコンタクトして、ブルーノさんに続いて執務室へと向かう。

途中階段で転けそうになったけど、なんとかお皿死守しました!

やっと執務室につき、ブルーノさんが扉を叩いた。

「アンドリューさま。紅茶をお持ちしました」

「入れ」

わぁっ、仕事モードのアンドリューさまの声……普段以上に格好いい。
お父さんも同じことを思ったのかすごくにこにこしている。

カチャリとブルーノさんが扉を開けてくれて、ぼくたちが中に入ると、2人とも目を丸くして驚いていた。

「シュウ! どうしたんだ?」

「トーマも……なんだ、どうした?」

驚いている2人を見ながら、背中で隠していたお皿を
『これ、食べて欲しくて……』とそっと前に向けると、フレッドとアンドリューさまは声を揃えて驚いていた。

「これ、は……シュウが作ってくれたのか?」

「うん、フレッドに食べてもらいたくて」

「トーマ、お前まで私に?」

「僕も柊くんに教えてもらったんだ」

駆け寄ってきた2人はぼくたちからさっとお皿を受け取り、すぐにソファーの前にあるテーブルへと連れて行ってくれた。
ぼくたちが座ると同時にブルーノさんは手早く紅茶を並べると、すぐに部屋を出て行った。

フレッドは生クリームとフルーツいっぱいのパンケーキを見て、

「美味しそうだな。シュウ食べさせてくれないか?」

と言ってきた。

えーっ、お父さんとアンドリューさまの前だしちょっと恥ずかしいなと思って、ふとお父さんの方を見ると、なんの躊躇いもなく普通に『あーん』してアンドリューさまに食べさせていた。

あっ、なんだ……これって普通のことなんだ!
恥ずかしがらなくていいんだ!
そっか……。

迷っていた心が晴れていくのを感じながら、
ぼくはパンケーキにナイフを入れ、生クリームもフルーツも乗せてフレッドに『あーん』した。

少し大きいかなと思ったけれど、パンケーキは難なくフレッドの口に入っていった。

「美味しい?」

「ああ、美味しいな。さすがシュウの作ったものだ」

そう褒めてくれるフレッドの唇の端にほんの少し生クリームがついていて、ぼくはそれを指で拭った。
なんの躊躇いもなく口に含むと、ふわりと甘い味が広がった。

「ふふっ。ほんとだ。美味しいね」

笑ってそう言うと、フレッドは急に顔を真っ赤にして
『ぐぅぅっっ』と唸った。

「シュウは本当に……ああっ、もう、無自覚に煽ってきて困る……」

???

フレッドの言っていることが分からなくて、お父さんとアンドリューさまに助けを求めようと顔を向けると

「あはっ。今のは柊くんが悪い」

と笑いながら言われてしまった。

アンドリューさまも『うん、うん』と大きく頷いている。

「えっと……ご、ごめんなさい?」

とりあえずフレッドに謝ってみたけれど、フレッドは笑いながらぼくの頭を優しく撫でてくれて、そのまま何事もなかったように2人でパンケーキを食べ終えた。

フレッドもアンドリューさまもパンケーキを喜んでくれて、楽しいデザート時間を過ごすことができた。
今日のお父さんとのお料理、大成功でいいかな。
ふふっ。

お代わりの紅茶を飲みながら、4人でおしゃべりをしていると、アンドリューさまが『そういえば!』と話をし始めた。

「フレデリック。例の守護石の件で、私の薦める宝石彫刻師に登城してもらおうと思っていたんだが、どうやら足を悪くしているようでな、こちらには来られないようだ。
城下で店をやっているから、直接行ってみると良い。話はしているから私の推薦と言えばすぐにやってくれるだろう」

「ご配慮ありがとうございます」

「いや、早くしておくに越したことはないからな。今日の仕事はもういいから、2人で城下に行ってくると良い」

「わぁー、いいな。僕も行きたい!」

お父さんがそう声をあげたけれど、

「トーマが行くとまた護衛やら大変になるだろう。
それに頬の傷も完治してないだろう」

と嗜められ、『うーっ』と少し頬を膨らませて拗ねていたのが可愛かった。

「まぁ、いいや。今日は仕方ないな。
柊くん、また今度行こう」

『うん』と言いかけて、フレッドとアンドリューさまの視線を感じてぼくは口を噤んだけれど、
お父さんは

「トーマが行く時は私も一緒に行くからな。
当分は2人では行かさんぞ」

とアンドリューさまに少し強めに言われていて残念そうな表情をしていた。

遅くなる前に早く行ったほうが良いと言われ、一旦2人で部屋に戻り出かける準備をした。

フレッドの選んでくれた服を着て、鏡で見てみると
金髪の女の子の格好にもだいぶ慣れてきた自分がいた。

今日はフレッドと一緒だから町にいる子のような格好はしなくていいんだな。
でも、こんな豪華なワンピース来て城下に出たらすごく目立ちそう。

そんなことを思いながら、着替え終わった姿をフレッドに見せると

「ああ、よく似合ってる。
いいか、シュウ。城下に出たら、絶対に私から離れるな」

と強めに言われた。
一応『分かった』と返事はしたけれど、そんなに心配しなくても迷子になんてならないけどな。
ついこの間、あんなことがあったばかりだから心配なのかもしれない。
でも、フレッドと一緒だと思うだけですごく安心できるな。

部屋を出ると、ヒューバートさんが立っていた。
ぼくたちが出てくるのを待っていたみたい。

「陛下からお2人の護衛にと命じられました。
城下に同行致します。
少し離れたところにおりますので、どうぞ私のことはお気になさらず」

「ああ、頼むよ」

フレッドはそう言うと、ぼくの手を取って王城玄関へと向かった。

城下に出るとすごく視線を感じたけれど、フレッドがずっと手を握っていてくれたので何の気にもならなかった。

恋人繋ぎをしながら歩いていると、ふわっと良い匂いがしてきた。

あっ、あのステーキ串の屋台!
あの時のおじさんだ!

「ねぇ、フレッド。あの屋台のおじさんにあの時のお礼を言いたいんだけど、だめかな?」

「ああ、そうだな。シュウとトーマ王妃の安否を気にしていたから、シュウが元気な姿を見せてやれば喜ぶだろう」

フレッドが賛成してくれて、ぼくたちは2人で屋台へと向かった。

「こんにちは、おじさん」

「へい、いらっしゃ……ああっ!! 君はこの間の!」

おじさんはぼくのことを覚えていてくれたらしく、目をまん丸にして驚いていた。

「この前はありがとうございました」

「其方が教えてくれたおかげで、私の伴侶を無事に助け出すことができた。礼を言う」

「えっ? えっ?」

おじさんはぼくとフレッドの顔を何度も見ては、
『は、伴侶?』と何度も呟いていた。

「おじさんのおかげで元気になれました。ありがとうございます」

そう言ってお礼を言うと、おじさんは突然膝を折って座り道端で土下座を始めた。

えっ? と驚くぼくを横目に

「王族の方とは存じ上げず、失礼な物言いをしてしまい申し訳ございません」 

と額を道に擦り付け謝罪した。

「そんな……おじさんには感謝こそすれ謝罪していただくことなど決してありません」

そう言って、おじさんを起こそうと手を取ろうとしたけれど、フレッドに制されてしまった。
さっとヒューバートさんが出てきて、おじさんに
『お2人は感謝されているのですから、土下座など必要ありませんよ』と話して立ち上がらせてくれた。

まだぼくの方を見ないおじさんに

「それから、あの時一緒にいた子もおじさんのこと感謝してました。ありがとうございました」

笑顔でそう言うと、おじさんはようやくぼくの目を見て

「い、いや……何か酷い目に遭わされてるんじゃないかって心配していたんですが、無事で良かったです」

と言ってくれた。

ああ、本当に良いおじさんだな。

「ふふっ。ここを歩いていたら良い匂いがして、おじさんのことを思い出したらお礼が言いたくなって……。
あの時、お肉も食べやすく小さく切ってくれて嬉しかったです。ありがとうございます」

「いや、貴方さま方みたいな可愛い方が俺の肉を食べてくれるなんて、こちらのほうが有難いです。
あ、あのまた食べて行かれますか?」

「ごめんなさい。さっき食事したばかりでお腹いっぱいで……。
今度またあの子と一緒に食べにきますね」

「はい。サービスいっぱいするから食べて行ってください」

「ありがとうございます」

ようやくあの時のように普通に会話ができるようになって嬉しくて笑顔でそう言うと、おじさんの顔が真っ赤になった。

そういえば、この前も顔を赤くしてたな……。
やっぱり火の前にいると暑いのかな。

「シュウ、遅くなるといけないからそろそろ行こう」

「はーい。おじさん、また来ますね」

「は、はい……お待ち、してます……」

手を振っておじさんと離れ、目的の宝石彫刻師さんのお店へと向かった。


お店はわかりにくい場所にあったけれどヒューバートさんに案内してもらったおかげで、辿り着くことができた。

古そうな外観……。
だけど、あの人たちに連れて行かれたような荒屋ではなくて、趣きのある古民家という感じ。
入り口に【シュムック宝石】と小さく書かれているが、それが太陽の光に反射してキラキラと輝いている。
どうやら宝石の欠片かけらを埋め込んで文字にしているみたいだ。
すごい! 綺麗だなぁ。

「さぁ、入ろう」

フレッドが扉を開けるとギィっと音が響いた。
店内はランプの灯りが仄暗くほんの少しだけドキドキして、繋いでいるフレッドの手にぎゅっと力を入れてしまった。
けれど、フレッドは優しく『大丈夫だよ』と言って落ち着かせてくれた。

中へ進むと、そこかしこに作品が置かれていた。
店内の仄暗い灯りがかえって宝石の輝きや美しさを引き出しているみたいた。

うわぁ、これ……全部原石を削って作られてるみたいだけど、身につけると言うよりは家に飾るものみたい。

「いらっしゃいませ」

奥の部屋から声が聞こえた。
そういえば、足を悪くしてるって言ってたっけ。

ぼくたちは声のする方へと進んでいった。

奥は工房になっているらしく、店内よりかなり明るく灯されていた。
木の椅子に座りながら作業をしている男性に

「陛下から話を聞いていると思うのだが……」

フレッドが声をかけると、男性は慌てた様子でガタっと椅子から立ち上がり一歩踏み出そうとしてよろめいた。

「あぶな……っ」

とぼくが声を上げた時には、彼はヒューバートに抱えられていて、

「あ、ありがとうございます」

少し照れた様子で御礼を言っていた。

転ばなくて良かったとぼくはほっと息を撫で下ろした。

「足を悪くしていると陛下から伺っている。無理せずとも座ったままで良い」

フレッドがそう話すと、男性は安堵の表情を浮かべた。

「は、はい。わざわざこのような店にご足労頂きましてありがとうございます。わたくしは、宝石彫刻師のレイモンドと申します」

「私はアルフレッド・サンチェス。陛下とは再従兄弟はとこにあたる者だ。こちらは、私の伴侶でシュウだ」

フレッドはぼくの左側に立ち、腰に手を回してぎゅっとくっついたまま、彼に紹介してくれた。

「はじめまして、レイモンドさん。
よろしくお願いしますね」

にっこりと笑顔を見せると、レイモンドさんは
『あっ、えっ、あの……』と挙動不審な態度で、
首をコクコクと縦に振っていた。

レイモンドさんは『ふぅーーっ』と深呼吸をして、

「あ、あのお持ちの原石を加工してジュエリーにと伺っておりますが、宝石を見せていただいても宜しゅうございますか?」

とフレッドに問いかけた。

フレッドは上着の胸ポケットから巾着袋を取り出し、あの宝石を2つ取り出し、レイモンドさんが差し出した手触りの良さそうなベルベット素材の宝石トレイにゆっくりと乗せた。

彼はそれを工房の明るい灯りに当てると、ぼくたちの宝石は驚くほど眩い光を放った。

見たこともないような光にレイモンドさんは放心状態でじっと宝石を見つめていたが、ハッと我にかえり、拡大鏡を取り出して食い入るように宝石を見つめ

「ま、さか……」

と小さく呟いた。

「あ、あの……こちらの宝石はどちらでお求めになられたのですか?」

「この宝石に何かあるのか?」

フレッドは質問には答えず、問いかけ直した。

「この光を当ててここまでの光を放つ宝石はこの世のどこにも見当たらないはずなのです。ほら、ここを見てください。この宝石には傷も不純物も一切見当たりません。そして、こんなに大きな石なのに素晴らしく透明で……信じられない美しさです」

そう言って差し出された拡大鏡でフレッドが宝石を覗き込み、『――っ!』と言葉にならない声で驚いていた。

「シュウも見てみると良い」

フレッドに促され、ぼくもドキドキしながら拡大鏡を覗き見ると、ぼくには宝石のことはよくわからなかったけれど、とてつもない輝きを放つ綺麗な宝石だということはよく分かった。

「こんな美しい宝石には出会えるなど一生に一度ですら有り得ないことでしょう。この宝石に触れられただけで宝石彫刻師としての全ての運を使い果たしたと言っても過言ではありません」

恍惚とした表情で、宝石トレイに置かれたあの宝石を見つめるレイモンドさんを見て、この人は本当に宝石が好きなんだなと思った。
この人に加工をやってもらえたら、きっと素晴らしいピアスを作ってくれるに違いない。
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