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第四章 (王城 過去編)

フレッド   14

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シュウが私の腕の中でスヤスヤと眠りについた頃、部屋の扉をかなり控えめな力で叩く音が耳に入ってきた。
シュウを起こさないようにゆっくりとベッドから下り、寝室を出て扉へと向かう。

「誰だ?」

「お休みのところ申し訳ございません。
ブルーノでございます。
トーマさまからお言伝ことづてをお持ち致しました」

カチャリと扉を開け、ブルーノから一通の手紙を受け取ると
『夜分遅くに失礼致しました。おやすみなさいませ』と挨拶をして去っていった。

ランプに灯をつけ、ソファーに座り手紙を確認する。

私が読むことを見越していたのか、
ちゃんとオランディア語で書かれている辺り、さすがだ。


《柊くんへ
明日の公務の代役引き受けてくれてありがとう。
朝食前に着替えを済ませたいと思いますので、早めに部屋に来てください。
                  冬馬より》


そうか、ならばシュウを少し早めに起こしたほうがいいな

そう思いながら、手紙を閉じようとすると下の方にまだ何か書かれていることに気づいた。

なんだ?

《もしかしたら、もう遅いかもしれないけれど
今夜は彼に愛されすぎないように気をつけて。
明日の夜はどうぞごゆっくり》

これは……もしかしたら遠回しにトーマ王妃から私への言伝だろうか……。
今日はシュウの怪我がなければ明日の公務のことなどすっかり忘れて、今頃ベッドから離れることなどなかっただろう。
なんとか思いとどまれて良かった……。

それにしてもシュウとトーマ王妃はどこまで話し合う仲なのだ?
あまりの仲の良さに嫉妬してしまいそうになる。

私は手紙を封筒に戻すと、ランプの灯をフッと吹き消し、シュウの待つ寝室へと戻った。

見ると、寝ているはずのシュウの腕がシーツを何度も摩っている。
何かあるのか? と急いで戻り
シュウの隣に身体を横たえるとシュウは私の身体をぺたぺたと触り、安心したようににこりと表情を和らげ、またスウスウと寝息を立て深い眠りに落ちていった。

そうか、私を探していたのか……。
あまりにも可愛いシュウの仕草に愚息が滾り始めるのを必死で押しとどめながら、シュウを腕の中にしっかりと抱き込み、シュウの甘やかな匂いに包まれながら私も眠りについた。


シュウを抱きしめたまますーっと深い眠りに落ちたからか、身体がスッキリとして目覚めが良い。
腕の中のシュウはまだ夢の中だから、
瞼の奥に隠れた漆黒の瞳はまだ見えないが、
天使のように愛らしいシュウの寝顔を見られるのは、この広い世界で私だけなのだと思うと、優越感がむくむくと湧き上がってくる。

そう、この艶々とした唇にそっと指先をあてられるのも、美しい漆黒の髪を手櫛で触れられるのも私だけ。
私はなんと幸せなのだろう。

ずっと愛らしい寝顔を見ていたいが、そろそろ起こさなければトーマ王妃がシュウを待ち侘びていることだろう。

「シュウ、シュウ……」

「うぅーん」

耳元で声を掛け起こそうと試みるものの、シュウは身動ぐばかりで起きる気配がない。

それどころか、まだ寝ぼけているのか私の身体に擦り寄ってくる。
温かいところを探しているのか、私の胸元にぽすんと嵌まり込むと幸せそうな表情を浮かべた。
仔猫のように甘え擦り寄ってくる姿が実に可愛らしくて癒される。

「ふふっ。朝からいたずらっ子だな」

シュウの可愛さに翻弄されながら、シュウの耳元で目覚めの言葉を囁いた。

「おはよう、私のねむり姫。そろそろ起きる時間ですよ」

ねむり姫には口付けで起こさねばなと、
シュウの小さくて柔らかな唇にそっと自分のそれを重ね合わせた。
ほんの少し開いた唇からちゅっと可愛らしい音が聞こえたと同時に、シュウの瞼がゆっくりと開いた。
本当にねむり姫なのだな。
シュウの瞳に一番最初に映るのが私というのが嬉しくてつい、笑顔が溢れる。

「……あっ、フレッド。おはよ」

私が目覚めの口付けをしたことに気づいたのか、真っ赤な顔で挨拶をして離れようとするが私が離すわけがないだろう。
ぎゅっと腕の中に閉じ込めてシュウの温もりを堪能する。

「シュウの方から擦り寄って抱きついてきたのに離れるのか?」

「ぼく、寝ぼけちゃって……」

「んっ? 私を誰と間違えたんだ? シュウと一緒に寝るのは私だけのはずだが?」

「ち、違う! ま、枕! 枕と間違えただけで……」

冗談で拗ねてみたのだが、誤解を解こうと必死に訴えてくるシュウが可愛くてたまらない。
もう少しその姿を見たくて笑いたくなるのを必死に我慢していたが、つい『くっくっ』と笑い声が漏れてしまった。


「もう! フレッドのイジワルー!」

「ふふっ。ごめん、ごめん。シュウがあんまり可愛くてな、つい」

昨日寝ながら私を探していたくらいだ。
シュウにとって居心地の良い空間に自分が必要だと思ってもらえているだけで私は幸せなのだ。
シュウの艶々と輝く漆黒の髪を撫でながら、朝のひとときを楽しんだ。
本当ならば、このままベッドでシュウともっと戯れていたい。
しかし、そろそろ起きなければな……。

「今日はアンドリュー王と孤児院への慰問だろう?
トーマ王妃がシュウの着替えを手伝うから早めに部屋に来てくれって連絡があったんだ」

「そっか! 急がなきゃ!」

トーマ王妃からの伝言を伝えるとシュウは慌ててベッドから跳ね起き、洗面所へと走っていった。
どうせ、あちらで着替えるのだからと、
着替えやすそうな服を出してやるとシュウは慌てた様子で着替えていた。
そこまで急がなくても良いのだが……と思ったが、シュウにとって初めて自分が必要だと言われた公務だ。
きっと並々ならぬ想いがあるのだろう。
シュウがトーマ王妃のために頑張りたいと思う気持ちが痛いほどわかるからこそ、今日シュウに与えられた公務がうまくいくように手伝ってあげたい。
準備を整え、部屋の外で待機していたブルーノと共に
【王と王妃の間】へと向かった。

「フレデリックさまとシュウさまをお連れしました」

「入れ」

ブルーノに扉を開けてもらい中に入ると、トーマ王妃はシュウが来るのを待ちかねていた様子で、

「陛下、トーマ王妃。おはようございます。
本日は良いお天気で何より――」

と私が挨拶している間に、

「2人ともおはよう。さぁ、柊くん。行こう!」

とシュウを連れて部屋に入ってしまった。

パタンと扉が閉まると、嵐が過ぎ去った後のように部屋がシーンと静まり返った。

「ははっ。朝からバタバタとして申し訳ない。
トーマは気がくと、それしか見えなくなるのでな。
私たちは紅茶でも飲んで待っているとするか」

アンドリュー王に促され、ソファー席へと腰を下ろすとブルーノが香りの良い紅茶を運んできた。

「朝食の支度をしておきますので、ご準備が整いましたらお声掛けくださいませ」

そう言うと部屋を出ていった。

「今日は其方の伴侶を連れ出すことになり、申し訳ない。日時の変更が出来ぬ故、致し方なかったのだ。今日はいつもより護衛も多く連れて行く予定だ。其方もあんなことがあったばかりで心配だろうが、あまり気にせぬように」

「はい。お気に掛けてくださりありがとうございます。トーマ王妃の代役という大役にシュウも些か緊張している様子でございました。
どうか、どうかシュウを宜しくお願い致します」

本当ならば、私以外の誰かにシュウを任せるなどしたくない。
シュウが誰かの伴侶として隣を歩くなどさせたくもない。
私がどうしても嫌だといえば、優しいシュウのことだ、きっと断っただろう。
きっとアンドリュー王もトーマ王妃も私の気持ちを慮って無理強いはしないだろう。

でも、シュウはきっと
自分がちゃんとトーマ王妃を守れていれば、
あの男に腕を掴まれる前に逃げていれば、
孤児たちにトーマ王妃との幸せな時間を与えてあげられたのに……ずっと1人で寂しく過ごしていたシュウだからこそ、孤児たちの楽しみを奪ってしまうことを後悔し続けるだろう。

シュウにそんな心の傷を作るくらいなら私が我慢をすれば良い。
私にできることはシュウを温かく送り出し、無事に帰ってくるのを祈るだけだ。

「ああ、それからフレデリック、明日ブランシェット侯爵が登城する。其方も一緒に話に立ち合ってもらえるか?」

「はい。もちろんでございます。ブランシェット侯爵には私のシュウに傷をつけ、身体に触れた奴らを、思う存分いたぶって可愛がってもらえるよう頼まないといけませんから」

「ああ、そうだな。どうだ? 奴らがあの館に移ったら一度見に行くか?」

アンドリュー王はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
私には加虐的な嗜好はないが、奴らがいたぶられる姿をみるのはたしかに興味はある。
シュウたちを平民だと思って見下していた奴らが男たちに好き勝手にされている姿を見るのも面白いかもしれない。

「そうですね。是非」

私もニヤリと不敵な笑みで返すと、アンドリュー王は
『ふっ。楽しくなりそうだな』と紅茶をゴクリと飲み干した。

シュウとトーマ王妃が出てきて、朝食を共にとる。
隣に座るシュウは傍目にはトーマ王妃そのものだが、いつもより少し大人っぽい服装と髪型が私には数年後のシュウの姿を見ているようでなんとなくドキドキしてしまう。

前に目を向けると、金色の鬘をつけたトーマ王妃がアンドリュー王と柔かに笑いながら食事をとっているのが見える。
やはり顔の造りは似てはいるが、纏う雰囲気はシュウとは全く違うな。

「……ッド? フレッド?」

「あっ、シュウどうした?」

「……いや、ずっと冬馬さんを見てたから……」

トーマ王妃を見ながら、シュウのことをずっと考えていたのだが……。
えっ? もしかしてこれは嫉妬??

そう考えただけでつい笑みが溢れた。

「そんなに冬馬さんに見惚れてたの?」

とうやら私の笑みを勘違いしたらしい。
誤解はすぐに解いておかなければ!

「違う。私のシュウはいつもと変わらず美しいなと思っていただけだ」

「ほんとに?」

「ああ、シュウは私が信じられないか?」

「ううん、でも……冬馬さんの方ばかりあんまり見ないでよ……」

シュウの嫉妬が可愛すぎる。
私はシュウの頭を優しく撫でながら、
『私が愛しているのはシュウだけだよ』と
耳元で囁いた。

シュウは恥ずかしそうにしながらも嬉しそうに笑っていた。



食事を終え、とうとうシュウがアンドリュー王と共に出かける時間となった。

「シュウ、頑張っておいで」

そう言うと、シュウが『うん』と大きく頷いた。
その姿が可愛かったから、私はシュウの耳元で
『夜、いっぱいご褒美あげるから期待してて』と囁くとシュウは苺のように顔を赤らめ、

「もう! かえって緊張しちゃうよ!」

と私の腹の辺りをポカポカとシュウの小さな拳で叩いてきたが、シュウの可愛い抵抗は仔猫のじゃれあいのようで痛くもなんともない。

「ははっ。昨夜は積極的だったのに今日はまた初心うぶなのだな。それはそれでそそられるが……」

シュウの照れる姿がもっと見たくて、更に耳元で囁いてやると、シュウは『ふぅーーっ』と深呼吸をし、

「フレッド……」

と呼びかけてきた。
なんだろう……何か甘い言葉でも返してくれるのかと意気揚々と可愛らしい身長のシュウに合わせて腰をかがめると、シュウは突然背伸びをして
私の唇に口付けを送った。

「ふふっ。行ってきます」

シュウを照れさせるはずが突然のシュウからの甘い口付けに私の方が驚いてしまった。

「はぁーーっ……
可愛すぎる……シュウが可愛すぎる」

こんな可愛い生き物を外に出していいのかと不安にさえ思ってしまう。

かえって心配事が増えたまま、シュウはアンドリュー王と共に出かけていった。


不安に駆られながらも、私は1人部屋へと戻り、
明日来るというブランシェット侯爵と何から話そうかと考えていた。

特にシュウの服を脱がし、首筋に舌を這わせたサンディー。
奴は私のシュウの腕に指の痕までつけやがった。
今朝の着替えで見た時もまだあの痕は消えてはいなかった。
あの痕を見るたびにあの時のシュウの必死な悲鳴と奴のむかつく顔を思い出す。

早く記憶を上書きしなければ、奴を私の手で殺してしまいたくなる。
私の怒りに満ちた想いを必死に自分を押さえつけてはいるものの限界はとうに超えている。

早く! 早く奴らに精神的にも肉体的にも罰を与えてやらなければ。
奴らがあの館に収監される日が待ち遠しくてたまらない。


それからしばらく経って昼食の時間になったが、1人では味気なく部屋で1人軽食を取って済ませた。
本を読んで時間を潰していると
『ブルーノでございます』と部屋の扉を叩く音が聞こえた。

「トーマさまがフレデリックさまとお茶をご一緒にと仰っていますが、如何でございますか?」

トーマ王妃からのお誘い?
それは断る理由がない。

しかし、私が【王と王妃の間】でトーマ王妃と2人っきりになるのは良くないな。

「お茶のお誘いは有り難くお受けしよう。
トーマ王妃にこちらにお越しいただくよう伝えてくれ」

ブルーノも私の意図を汲んだのか、
『畏まりました』と頭を下げ、一旦部屋を離れた。

それから少し経って、ブルーノがトーマ王妃と共に部屋へとやってきた。

「トーマ王妃、御足労をおかけしました」

「いや、僕は今この格好だし、万が一誰かに見られた時にこの部屋にいる方がいいからね。それに……アンディーのことを考えてくれたんでしょ?
あの部屋はアンディーにとって特別だしね」

その通りだ。
この国の王にとって、あの【王と王妃の間】は特別な空間だ。
あの部屋にいる時だけ、何も考えずひとりの男として心から落ち着けるのだ。
そんな部屋に溺愛するトーマ王妃と他の男との2人っきりなど許すはずがない。
本当ならば、【王と王妃の間】でないとはいえ、こうやってトーマ王妃がアンドリュー王以外の者と2人でいることも許したくないだろうが、今日だけはお互いさまということでアンドリュー王にもお許しいただくとしよう。

ソファー席に少し離れて腰を下ろすと、ブルーノが紅茶と焼き菓子を持ってきた。

甘く香ばしい匂いにシュウが好きそうなお菓子だなと思っていると、

「この焼き菓子は、今、城下で一番人気のあるお店のものなんだ。多分、柊くんも好きだと思うから後でブルーノから貰ってね」

と言ってくれた。
さすが、トーマ王妃。
シュウのことをよく分かっている。

「はい。ありがとうございます」

「あの……僕よりも年上で、しかもアンディーにそっくりな貴方からそんなに丁寧に話されるとなんだか変な感じがするんだけど……」

「しかし、わたくしにとりましては、この国をお救いになられた偉大なるトーマ王妃ですから、これは譲れません」

「ふぅ……まぁ、仕方ないか……」

ああ、トーマ王妃が納得してくれて助かった。
シュウはともかく、私がトーマ王妃に気楽に話しかけるなど、アンドリュー王が許すはずがない。
知られればとんでもないことになりそうだ。

「今日の孤児院への慰問の件だけど、了承してくれてありがとう」

トーマ王妃からの突然の御礼にただただ驚いてしまう。

「いえ、私は何も。なによりもシュウの気持ちが大事ですから……」

「ううん、フレデリックさんが本当は行かせたくなかった気持ちすごく良く分かるんだよ。
それでも、柊くんの気持ちを汲んでくれたんだよね。
僕も本当に助かったし、嬉しかった。
ありがとう」

トーマ王妃が私の葛藤を理解していてくれたことが嬉しくて、『有難いお言葉を頂きまして光栄です』と返すのが精一杯だった。

「今日のことはね、アンディーも心配してたんだよ」

「えっ? 陛下も?」

「あんなことがあったばかりだし、自分の見えない場所に柊くんを行かせるのは本当なら許したくないだろうって……」

「それなら、陛下も同じなのでは?」

「ううん、僕はここにいるから危険は少ないよ。
でも、柊くんはこの前のように城下に出るわけだしね。だから、いつもより護衛の数も増やしてたし、柊くんに内緒で柊くん専用の護衛もこっそりつけてるって言ってたから安心して」

「ありがとうございます」

私の安堵した表情に、トーマ王妃がクスリと笑った。
『さぁ、食べて食べて』と勧められ、美味しい焼き菓子と紅茶に舌鼓を打っていると、

「フレデリックさんは柊くんの以前の世界での話は聞いたの?」

と話を切り出された。

「はい。15歳から1人で生活をしていたと聞いて驚きました。ここでは15歳で成人を迎えますからそのような事例もありはしますが、そちらでは一般的ではないのでしょう?」

「うん。あっちでは20歳が成人だしね。15歳っていったらまだまだ子どもだよ」

成人が20歳!
やはりというか、なんというか……
シュウの顔立ちを見れば当然と言うべきか……元々そういう幼い顔立ちの者ばかりがいる世界なのだろうか?

「最初17と聞いた時には驚きました。トーマ王妃もですが、そちらではみんな童顔なのですか?」

「ふふっ。そうだね。特に僕たち日本人は世界でも童顔だって言われることが多いかな。
柊くんは特に、顔もそうだけど擦れてないっていうか、本当に純粋な子だから年齢より若く見られるのかもしれないね」

確かにこの国の15歳なら確実に知っていることも知らなかったし、今までよく変な輩に穢されることなく無事に過ごせたものだと思わずにいられない。

「柊くんって自己肯定感が低いでしょ?
多分、そんな年齢の頃から強い大人の中で、
お前は役に立たないから言われたことだけをやれって働かされてきたからだと思うんだよね。
本当は柊くんは頭の回転も早いし、周りを気遣えるし、もっと自分に自信を持つことができたら、きっと変わると思う。
今回の孤児院の慰問は突発的なことだったけれど、柊くんにとって良い転機になったらいいなって」

そうか、トーマ王妃はシュウのために今回の代役を考えてくれたのか。

「そうだと嬉しいですね。
トーマ王妃……私はこの時代に来てから、なぜ私たちが呼ばれたのだろうとずっと考えていたんです。
でも、分かりました。
きっと神がシュウとトーマ王妃を引き合わせるためにこの時代に呼んだのだろうと思っています」

「僕と柊くんを引き合わせるため?」

「はい。シュウはこの時代に来てから毎日がとても楽しそうで……それはトーマ王妃のおかげでしょう。同じように突然この世界にやってきて、戸惑っておられるはずなのにこの国のために尽力しているそんなお姿をを直に拝見することでシュウの中で何らかの気持ちの変化があったのだと思います。
トーマ王妃に対して同志というか、戦友というかそんな気持ちを持っているのではないでしょうか?」

私がそう言うとトーマ王妃は静かに涙を流した。


「えっ? あの……トーマ王妃……」

「ああ、ごめんね。なんだかとっても嬉しくなって。僕、この世界に来て3年くらい経つんだけど、最初はあまりにも前の世界と違いすぎて、本当に辛くて馴染めないなって思ってたんだ。
柊くんみてたらその時の気持ちとか思い出してきて、何かしてあげたいって思ってたんだけど……僕と出逢うために時間を越えてまで来てくれたのかと思ったら、なんだろう……想いが込み上げてきちゃって……」

トーマ王妃がシュウを思って泣く美しい姿に私も貰い泣きをしてしまいそうになる。

しかし、もうすぐシュウとアンドリュー王が帰ってくる時間だ。
不可抗力とはいえ、トーマ王妃のあんなに美しい泣き顔など私が見てしまったのがアンドリュー王に知られたらどんなことになってしまうか想像がつく。

私はトーマ王妃の涙を見ないように、さっと立ち上がり窓の側までやってきた。

トーマ王妃の涙が止まるまでと窓から外を眺めていると、先日アンドリュー王が話していた美しい花壇が目に入った。

何とか話題を変えようと、

「あっ、あの花壇なんですよね、トーマ王妃がこの世界にきた時に倒れていらっしゃったのは……」

そう言って、窓を開けると風に乗って花の良い香りが部屋の中へと入ってきた。

その花の香りに誘われるようにトーマ王妃も窓際にやってきた。
良かった、涙は止まったようだ。

「そう、あの花の真ん中で倒れていたみたい。
向こうでは事故というか、電車……って分からないよね、乗り物に轢かれそうになって
『あー、もう死ぬな……』って思って……それで目が覚めて花畑に居たから天国に来ちゃったのかと思ったんだよね。ふふっ」

トーマ王妃に笑顔が戻ってホッとした。
それにしても死ぬと思ったらここに来ていたとは……シュウとはだいぶ違うのだな。
私がシュウと出逢った時の思い出に浸っていると突然部屋中にトーマ王妃の叫び声が響き渡った。

「うわっ、わぁーーっ! 蜂! 蜂が入ってきてる!」

「ああっ! トーマ王妃! 騒ぐとかえって危ないですよ!」

「でも、こんな大きい蜂に刺されたら死んじゃうかも!! うわっ! わーーっ!」

トーマ王妃と2人逃げ惑いながら、部屋の中がとんでもない状況になっている。

「わぁーーっ!! 蜂が服の中に!!」

どうやらトーマ王妃の上着に入り込んだらしい。
刺されると本当に危ない!

「トーマ王妃、慌てずにゆっくりと上着を脱いでください!」

そう言うと、トーマ王妃は意を決したような表情でゆっくりと上着を脱ぐと、蜂はブーーンと音を立てて出てきた。

私は先導するように蜂を窓際まで追い詰めると、蜂は何事もなかったかのように外へと飛んでいった。
それを確認し、すぐに窓を閉めトーマ王妃の元へ戻った。

「どこか刺されたところや痛みはありませんか?」

「うん、大丈夫みたい。ごめんね……昔、蜂に刺されたことがあって慌てちゃった」

「いや、それは大丈夫ですが……騒ぎの声が少し大きかったのでもしかしたらブルーノが不審に思っているかもしれません」

「ああ……っ、そうだね。あとで説明しておかなくちゃ!」

床に落ちた上着をトーマ王妃に手渡そうとした時、ふと気になるものが目に入った。

肩の内側にあるあの痣は……五芒星か?
確かシュウの頸? いや、襟足にも同じ痣があったな……。

「んっ? どうかした?」

私がトーマ王妃の上着を持ったまま痣を凝視していたので気になったのだろう。
私はトーマ王妃に上着を差し出しながら気になったことを聞いてみた。

「その肩の痣……」

「ああっ、これは……」

「シュウにも同じ痣があるのですが……あちらの世界ではみんなに現れるものなのですか?」 

「えっ??」

袖に手を通しながら、私に柔かに話しかけていたトーマ王妃が驚きに満ちたなんとも言えない表情を浮かべ、私を見つめる。

「……い、今、なんて言ったの?」

「えっ?」

「この痣のこと、なんて言ったの?」

「あの、シュウも同じ痣があると……」

「ウソ……っ」

トーマ王妃は私の言葉を聞いて、力が抜けたようにフラフラとしてソファーに倒れ込んだ。

そしてぼろぼろと大粒の涙を零し、
『ウソでしょ……僕の……せい?』
トーマ王妃は何かをずっと呟いている。

どうしたんだ?
あの痣がなんだと言うんだ?
なぜトーマ王妃は急に泣き出したんだ?

そう尋ねようとした時、俄かに廊下から騒がしい音が聞こえてきた。

もしかして、アンドリュー王とシュウが帰ってきたのか?

まずい、こんな状況を見られては……。

どうすればいい?
そう悩んでいる間に、部屋の扉が突然開かれズカズカと部屋に入ってくる。

そして、アンドリュー王と目が合った瞬間、部屋の中に静寂が訪れた。

何がなんだか分からないこの状況で、アンドリュー王の視線が、涙を流しながら泣きじゃくるトーマ王妃と私に突き刺さる。

「フレデリック! これはどういうことだ?
なぜ、私のトーマが泣いているのだ?!
説明をしろ!!!」

アンドリュー王は顔どころか耳まで真っ赤になって私を責め立てるが、正直言って私の方が何がなんだかわからないのだ。
何とかして誤解を解こうと試みて

「いえ、違うのです――」

それに被さるように

「アンディー! 違う! 彼は何もしてない!
僕が勝手に泣いただけ」

とトーマ王妃が私の前に立ち、アンドリュー王の怒りを鎮めようとしてくれたおかげで、一瞬アンドリュー王の怒りがふわりと途切れたような気がした。

しかし、ホッとしたのも束の間、トーマ王妃はアンドリュー王の後ろでこの騒ぎに驚き立ち尽くしているシュウに走り寄り、突然シュウを強く抱きしめた。

「柊くん、ごめん! ごめんね、ぼくのせいで……」

先ほどとは比べものにならないほどの涙を流しながら、シュウに縋りつき謝罪を繰り返すトーマ王妃の姿に、私はもちろん、抱きしめられているシュウやアンドリュー王さえも何も言葉を発することができなかった。
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