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第四章 (王城 過去編)

花村 柊   14

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気持ちいい。
安心する。
ずっと抱きついていたい。

「……ウ、シュウ」

「うぅーん」

せっかく気持ちよく寝てるのに、起こさないで。

ぼくは温かくて肌触りの良い枕にすりすりと擦り寄せぎゅっと抱きしめた。

「ふふっ。朝からいたずらっ子だな」

心地良い声が耳に入ってくる。

「おはよう、私のねむり姫。そろそろ起きる時間ですよ」

ぼくの唇に肉厚で柔らかな唇がちゅっと音を立てて重なり合った。

その感覚にぼくはゆっくりと目を開けると、
目の前には笑顔いっぱいのフレッドがいた。

「……あっ、フレッド。おはよ」

咄嗟に挨拶をして離れようとしたけれど、ぎゅっと抱きしめられていて離れない。

「シュウの方から擦り寄って抱きついてきたのに離れるのか?」

えっ? さっきの枕じゃなくてフレッドだったんだ……。
うぅ、恥ずかしい。

「ぼく、寝ぼけちゃって……」

「んっ? 私を誰と間違えたんだ? シュウと一緒に寝るのは私だけのはずだが?」

「ち、違う! ま、枕! 枕と間違えただけで……」

フレッドが怒ってると思って慌ててそう説明したけれど、見ると『くっくっ』と楽しそうに笑っている。

なんだ、からかってるだけか。
もう! 本気で怒ってるって驚いたのにー!

「もう! フレッドのイジワルー!」

「ふふっ。ごめん、ごめん。シュウがあんまり可愛くてな、つい」

そう言って優しく頭を撫でてくれるから、嬉しくてぼくはすっかり機嫌が良くなってしまった。

「今日はアンドリュー王と孤児院への慰問だろう?
トーマ王妃がシュウの着替えを手伝うから早めに部屋に来てくれって連絡があったんだ」

「そっか! 急がなきゃ!」

ぼくは慌ててベッドから飛び起きると、急いで顔を洗い身支度を整え、部屋の外で待機していたブルーノさんとフレッドと一緒に
【王と王妃の間】へと向かった。

「フレデリックさまとシュウさまをお連れしました」

「入れ」

ブルーノさんが扉を開けてくれて中に入ると、冬馬さんが入り口近くに待ち構えていて、
朝の挨拶もそこそこにすぐに冬馬さんの私室へと連れて行かれた。

冬馬さんの頬は赤みは引いていたけれど、青紫色に変色していて昨日より痛そうだ。

「冬馬さん、頬は大丈夫ですか?」

「色がこんなだから気になっちゃうよね。
まだ少し痛いけど大丈夫だよ。ありがとう」

殴られるくらい大したことないなんて言っていたけれど、やっぱり冬馬さんの顔を見ていると責任を感じてしまう。

「ああ、もう! 僕のこと気にしてるでしょ?
柊くんのおかげで今こうして元気にしていられるんだからね。
ほら、そんなこと気にしてないで早くこっちに来て。
これ、今日のアンディーの服と合わせて用意しておいたから、これに着替えてね」

と、怪我のことなんか全く気にするそぶりもなく、動きやすそうな服を渡してくれた。
ぼくはそれに感謝しながら、服を受け取った。

さっとそれに手を通しながら、ふと昨日のことを思いだした。

そういえば昨日お試しで着た服、フレッドが脱がしてどうなったんだろう?
ちゃんと返さなきゃいけないのに……。

どうしようと思いながら、着替えを終えて冬馬さんの目の前に立つと、『うん、いい感じ』と柔かに笑った後で、

「ああ、昨日の服は気にしなくていいからねー」

と口にした。

「えっ??」

ぼく、何にも言ってないよね?
急にあまりにも的確に話が出てきてビックリしてしまった。

「ふふっ。昨日は彼、ちょっと嫉妬してたもんね。
多分、僕の服……剥ぎ取られたんじゃないかなーって思ってたんだ」

何もかもお見通しなんだ……。
なんだか……恥ずかしい……。

「気にしなくて良いよ。アンディーもおんなじだから全然気にならないし」

そうなんだ。
アンドリュー王で耐性が出来てるってことなのかな。
ぼくはほんの少しホッとした。

「それよりも、今日起きてこられなかったからどうしようと思ってたけど……良かった。彼、よく我慢したね」

「我慢? ああ、ぼくが今日頑張ってきたらご褒美にして欲しいって昨日お願いしたんです」

「ええっ? そんなこと言ったの? ふふっ。
じゃあ、きっと彼は夜を待ち望んでるはずだね」

冬馬さんは笑いながら、ぼくを化粧台の前に座らせると髪をセットしてくれた。

髪型を冬馬さんと同じにすると、本当にそっくりに見える。
ここまで似てるって本当に不思議だなぁ。

「よし、これで完成!」

「ありがとうございます。
あの、今日の孤児院慰問って、具体的に何をするんですか?」

「そうだね。特にこれをしなくちゃいけないって決まっていることはないんだよ。あっちに着いたら、アンディーは院長先生達と話し合いに行くから、僕は子どもたちと遊んだりしてるかな。本を読んであげたり、庭で鬼ごっこしたり……。柊くんはひとりっ子だったよね?」

ぼくは大きく頷いた。
そうだ、いつも1人だったから、兄弟がいる人が羨ましいと思ってた。

「弟や妹ができたと思って普通に接してあげたら喜んでくれるよ。大丈夫!」

冬馬さんがそう言ってくれたから、ぼくは少し気持ちが楽になった。

「じゃあ、2人のところに行こっか」

「はい」

カチャリと扉を開けて外に出ると、アンドリュー王とフレッドが同じタイミングでこっちを向いた。

2人ともぼくと冬馬さんを見てもなんの迷いもなく近づいてくる。

一瞬やはり似てないのでは……と心配になったけれど、ぼくもフレッドがアンドリュー王と同じ格好をしていても見分ける自信があるのだから、当然か……そう思うことにした。

みんなで朝食を取り、あっという間に出発時間となった。

「シュウ、頑張っておいで」

そう言うと、フレッドはぼくの耳元に口を近づけ
『夜、いっぱいご褒美あげるから期待してて』と囁かれ、ぼくはパッと顔が赤くなってしまった。

「もう! かえって緊張しちゃうよ!」

「ははっ。昨夜は積極的だったのに今日はまた初心うぶなのだな。それはそれでそそられるが……」

フレッドの心地良い声で朝からそんなことを耳元で聞くなんて……ドキドキしてしまう。
ぼくは少し早くなった鼓動を落ち着けようと深呼吸した。

そしてフレッドに振り返り、

「フレッド……」

と声をかけると、フレッドは腰をかがめぼくの顔の近くに近寄ってきた。

ぼくは背伸びをして、フレッドの唇にちゅっとキスをして

「ふふっ。行ってきます」

と声をかけた。

さっきドキドキさせられたから、ぼくもお返しだ。
フレッドもドキドキしてくれたかな?

見ると、フレッドは顔に手を当て
『はぁーーっ』と大きなため息をつきながら、

「可愛すぎる……シュウが可愛すぎる」

と、何度も小声で呟いていた。

何と言っていたのかぼくにはよく聞こえなかったけれど、顔を上げたフレッドがほんのり赤い顔をしていたから、きっとぼくのドキドキ作戦は成功したはずだ。

国王陛下、王妃殿下専用の馬車に乗り込み、一路孤児院を目指す。
護衛には騎士団団長のヒューバートさんを始め、5人の騎士たちが馬車の周りを騎馬でついてきている。

この前、冬馬さんと城下を少し出歩いたけれど、今日の孤児院は城下の外れにあり、ぼくにとってはかなりの遠出だ。

ここから先はトーマ王妃だと自分に言い聞かせていると、向かい合わせに座っているアンドリュー王が
『ふっ』と小さな笑い声を上げた。

不思議そうな顔をしたぼくに、

「いや、トーマも初めての公務は其方そなたと同じように緊張しておったと懐かしくなってな」

と話してくれた。

「冬馬さんもそんな時があったんですね」

「ああ。特にトーマの場合は、まだ国が混乱の最中で、一向に改善しない日々の生活に民たちも疲れきっておった。そんな時に私が無理やり公務に同伴させたのだ。以前は普通の庶民だったと言っていたトーマにとっては、大変だったことだろう。
それでも、希望を失いかけていた民たちと共に泣き、笑顔を見せ、新しい希望を持たせたのだ。
民たちはトーマに感謝こそすれ、憎んだりするものは誰もおらぬ。
其方も気に病むことは何もない。
いつものありのままの姿を見せてくれたら良い。
トーマが言っておったぞ……其方はずっとひとりで過ごしていたと。
今日会う子どもたちも親に捨てられたり、死に別れたりした子どもたちだ。
親にして欲しかったこと、一緒にやりたかったことは其方が一番共感できるのではないか?」

アンドリュー王から紡がれる言葉ひとつひとつがぼくの心に染み込んでいく。
そうだ。みんな、ぼくと同じように辛くて悲しい思いをした子どもたちなんだ。
ぼくは1人の時、何を望んでた?

可哀想だと同情して欲しかった?
ううん、違う。

ただ、いっぱい話したかった。
一緒にご飯を食べたかった。
そして、笑い合いたかったんだ。

緊張なんかしなくていい。
ぼくは子どもたちの笑顔が見たいんだ。

――弟や妹ができたと思って普通に接してあげて――

冬馬さんの言っていた言葉の意味がよく分かった。

親に捨てられた、死に別れた可哀想な子たちだから、腫れ物に触るようにただ甘やかせばいいんじゃない。
子どもたちはみんなぼくの家族だと思おう。
特別扱いなんて要らない。

そう考えたら、子どもたちに会うのが楽しみになった。

「表情が柔らかくなったな。其方の考えがまとまったか?」

「はい。陛下と冬馬さんの言葉のおかげです」

「そうか。ならば、良かった。
あちらに着いたら、其方のことは『トーマ』と呼ぶからな。私のことは『アンドリューさま』と呼ぶように。それから、王妃さまと呼ばれたら返事をするのだぞ」

そうだ、呼び方には気をつけないと!

アンドリューさま、アンドリューさま……

何度か口を動かして練習してみたけれど、やっぱりこの呼び方は緊張してしまう。
なんてったって国王さまだもんね。

「ふっ。慣れないようだな。1度呼んでみるか?」

「えっ? じゃ、じゃあ……練習してみます……」

ぼくは『ふぅーーっ』と一息ついてから、

「あ、アンドリュー、さま?」

と顔を見つめながら呼んでみた。

『ぐぅっっ』

急に小さな呻き声が上がったと思ったら、パッと顔を背けられてしまった。

『いかん、いかん。幼いトーマに名を呼ばれたようで、何やらグッと来るものがあるな……』

ウォッホン

アンドリュー王は何かぶつぶつと呟きながら大きく咳払いをすると、ほんのり赤い顔で、

「まぁ、そんな感じでいいんじゃないか」

と言ってくれた。

「はい。よろしくお願いします。アンドリューさま」

笑顔を向けてそう言うと、アンドリュー王の顔の赤みが少し濃くなった気がした。

馬車が停まり、どうやら目的地に着いたようだ。
扉が開かれ、アンドリュー王がエスコートをして降ろしてくれた。

フレッド以外の人と手を繋ぐのは初めてかもしれない。
そっと握られた手がフレッドのように温かくてホッとする。

目の前に現れた煉瓦造りの大きな建物。
古そうだけど見た感じ清潔そうな気がする。

「ここが孤児院……思ってたより広くて綺麗」

ぼくがぼそっと話したのが聞こえたのか、
アンドリュー王が耳元で話をしてくれた。

「ここは以前はもっと状態が悪かったのだが、トーマが指導してここまで綺麗になったのだ」

「そっか、冬馬さんが……なるほど」

冬馬さん、さすがだな。


入り口にはこの孤児院の院長先生を始め、たくさんの子どもたちがぼくたちを出迎えていた。

「国王陛下、王妃さま。今日は来てくださってありがとうございます!」

可愛らしい挨拶に迎えられ、ぼくはとてもうれしくなった。

「みんな、元気にしてたかな~?」

そう声をかけると、小さな子たちがぼくの周りを取り囲んで

「ぼく、元気にしてたよ」

「わたしも、わたしもー!」

「ねぇ、王妃さま。あっちで遊ぼう!」

「行こう、行こう!」

と手を引っ張られ中へと連れていかれる。

「トーマ……大丈夫か?」

「ふふっ。大丈夫ですよ。アンドリューさまはお話に行かれてください」


心配そうに声をかけてくれたアンドリュー王には悪いけれど、こんなにたくさんの子どもたちに囲まれるのが嬉しくてたまらないのだ。

子どもたちに引っ張られるがまま、ぼくは建物の中へと進んでいく。

うん、やっぱり中も綺麗だな。
これなら子どもたちが病気にかかる心配は無さそうだ。

「王妃さま、あそぼ」

「じゃあ、何して遊ぼっか?」

「私、絵本読んで欲しいー!」

「えー、かくれんぼしたい!」

鬼ごっこ、絵を描きたい、縄跳び(これは冬馬さんから教えて貰ったらしい)などなどいろいろ言われたけれど、とりあえず最初はみんなで絵本を読もうと言うことになりぼくを中心に子どもたちが周りを取り囲みながら、差し出された絵本を読む。

えーと、なになに?

オランディアに現れた天使が国王さまと恋に落ち、結婚するというなんともラブラブな恋のお話。

もしかして、これって……。

「王妃さまの絵本、わたしだぁいすき♡」

やっぱりか。
本当に冬馬さんってオランディア国民に愛されてるんだな。

というか、冬馬さん毎回ここに来てこれを読まされるって、多分恥ずかしいだろうな……。
ぼくは楽しいけど。ふふっ。
これは今日帰ってから冬馬さんに話そうっと。

この本ばかり3回読んだ後で、男の子たちからさすがに違うお話が聞きたい! とクレームが入り、
せっかくなので、ぼくが子どもの頃から大好きだった童話をみんなに聞かせることにした。



あるところに小さな女の子がいました。
お父さんもお母さんも死んでしまって、女の子はひとりぼっち。
住む家も温かく眠れるベッドも何も持っていない女の子に残されたものは、一切れのパンと自分の着ている下着と服と帽子だけ。
行くところもない女の子が1人で森を歩いていると、前からとても貧しそうな男の人が歩いてきました。
男の人は女の子に
『お腹が空いて死にそうだ。どうかパンを分けてくれないか?』
と言ってきます。
心優しい女の子は何の躊躇いもなく男にパンをあげました。
次に、小さな男の子がやってきて、
『寒くて凍えそう。どうか帽子をもらえませんか?』
と言ってきます。
心優しい女の子は何の躊躇いもなく被っていた帽子をあげました。
その後も森の中で、何も着ずに寒がっている子に出会うと
『これを着て』
と自分の着ていた服を小さな女の子にあげてしまいます。
さらに奥に進むともっと小さな子が、女の子の着ている下着が欲しいと言い出します。
さすがにどうしようかと悩みましたが、もう外は真っ暗。裸を人に見られることもないから恥ずかしくないだろう。
そう思って、女の子はその子に下着もあげてしまい、女の子には何も残っていません。
それでも女の子は幸せでした。
だってみんなが喜んでくれたのですから。
すると、突然夜空のお星さまがバラバラと降ってきたのです。
女の子が拾い上げるとそれは輝く銀貨でした。
気がつくと、女の子は綺麗な下着を着ています。
女の子は落ちていた銀貨を拾い集め、一生幸せに過ごしました。

ぼくの大好きな童話【星の銀貨】だ。



「王妃さま、とっても素敵なお話。でも、この銀貨って誰がくれたの?」

「うん。きっとね、神さまだよ。神さまは心が綺麗で優しい子をいつも近くで見守っているんだ。自分が辛いとき、悲しいときに、人に優しくできる人には、きっと神さまが幸せにしてくれるんだよ。だから、みんなも周りの人を幸せにできるような優しい人になろうね」

そう言うと、子どもたちはすごく真剣な目をして必死に頷いていた。
この子どもたちみんなが幸せな大人になれるといいなぁ。

「さぁ、そろそろお昼ご飯にしましょう」

先生の声に子どもたちが
『わぁーい、王妃さまも一緒に食べよう』
とぼくの手を引っ張って食堂へと連れて行ってくれる。

お皿に並んだものは、ぼくが昔見よう見まねで作った物によく似た薄くて平べったいパンケーキ。
それとまだ鍋の中でほかほかと湯気をあげている、ここで採れた野菜を使ったスープが今日の昼食のようだ。

ぼくはこの薄くて平べったいパンケーキを見て、夜中に1人で必死に作って出来栄えにガッカリして泣きながら食べたあの夜のこと、
そして、この世界に来てローリーさんにふわふわのパンケーキを作ってもらった時のあの感動を思い出していた。

同じ気持ちを子どもたちにも感じてもらえたら……
子どもたちの笑顔が見られるかもしれない。
そう思ったら動かずにはいられなかった。

よし、やってみよう!

「あの、ぼくがもう一枚パンケーキを焼いてみても良いですか?」

「えっ? 王妃さまが手ずからでございますか?」

そう頼むと、不安そうな顔をしながらも先生が材料を目の前に置いてくれた。

子どもたちは突然ぼくがし始めたことに興味津々だ。

材料は小麦粉と卵、牛乳、そしてほんの少しのお砂糖。

ベーキングパウダーがないから、ふわふわにするのは難しいかもしれない。
それでも、ローリーさんに作って貰った時のように卵の白身をメレンゲにして混ぜれば少しは食感も変わるはずだ。

ぼくは卵を白身と黄身に分け、白身にほんの少しの塩を混ぜる。
これで泡の立ちがよくなるとローリーさんに教えて貰ったんだ。

ぼくが塩を入れたことで驚いていた子どもたちだったけれど、泡立て器で強く速く混ぜていると白身がふわふわになっていくことに子どもたちから歓喜の声があがる。

ツノがピンと立つまで必死に泡立ててメレンゲを作り、卵と牛乳と砂糖を混ぜたものに小麦粉を混ぜる。
そして、最後に泡が潰れないように生地にさっくりとメレンゲを加える。
これで生地の完成だ。

先生にかまどに火を入れてもらい、フライパンを温めてから生地を流し込んだ。
弱火でじっくりと焼いた生地は、先ほどのものとは比べものにならないほど、ふっくらふわふわに仕上がっている。

焼き上がったパンケーキを見て子どもたちの目も輝いている。

「すごーい! ふわふわだぁ!」

「王妃さま、魔法使いみたい!」

「これ、食べたい! 食べたい!」

「ああ! ズルい! 俺も食べたい!」

「私も~!!」

たくさんの声が飛び交う中、先生が

「ほら、王妃さまの手作りは一番最初に陛下に召し上がっていただきましょう」

そう言うと、子どもたちもみんな
『そうだ! 王さまに食べてもらわないと!』と騒ぎ出した。

えっ? アンドリュー王に食べてもらったりしていいの?
ぼくがそう驚いている間に、

「僕、王さまをお呼びしてくる!」

1人の男の子が院長室の方に走っていくと
『僕も、私も』とついていった。

それからしばらくして、子どもたちに連れられながら食堂にアンドリュー王がやってきた。

「トーマ、どうしたのだ? 子どもたちが急に我を引っ張ってきて……」

「あ、あの、パンケーキを焼いたので、あ、アンドリューさまにまずは召し上がっていただきたくて……」

そう言ってお皿に乗せたパンケーキをおずおずと差し出すと、
アンドリュー王は目を見開いて、

「これを其方が?」

と驚きを隠せない様子でパンケーキをじっと見つめていた。

子どもたちから『ここにお座りください』と促され、席に着くとナイフとフォークを手渡され、恐る恐ると言った表情で、パンケーキにナイフを入れた。

ふわりとしたその感覚に驚いたようだったけれど、そのままゆっくりと口へ運んでいく。

そして『美味しい』とひとこと呟いた。

その言葉に僕よりも子どもたちが大喜びをして、僕も食べたい、私も食べたいと大騒ぎになったので、
先生はアンドリュー王からお皿を受け取ると、みんなにひとくちずつ食べさせてあげた。

パンケーキを口にした子どもたちがみんなにこにこと笑顔を見せ、
『王妃さま、とっても美味しい!』と口々に言ってくれる。

そのときの子どもたちの笑顔がとても嬉しくて、ぼくは涙が溢れそうになった。
アンドリュー王はそんなぼくに気づいたのか、さっとハンカチを差し出してくれて、ぼくはそれでゆっくりと涙を拭った。

「王妃さま、どうして泣いてるの? 大丈夫?」

小さな女の子がぼくの服の裾を引っ張りながら心配そうに顔を覗き込んでくる。

「ありがとう。大丈夫だよ。みんなが美味しいって喜んでくれたから嬉しかっただけ」

そう言ってその子を抱き上げると、その子は嬉しそうに笑った。

「同じ材料でも作り方が変わればこんなにふわふわにできあがるのですね。さすが、王妃さま。早速今日の夕食からはこちらの作り方でさせていただきます」

調理人の女性が感心したようにそう言った後、
『さぁ、昼食にしましょう』
と子どもたちに声を掛け、温かいスープをよそっていく。

「陛下と王妃さまもこちらの食堂で子どもたちと一緒にお召し上がりになりますか?」

先生のその呼びかけに、ぼくが答えるよりも先にアンドリュー王が、

「ああ、頼む。なぁ、トーマ」

と柔かに答えてくれた。

食事の間、子どもたちが孤児院での生活で嬉しかったことや楽しかった出来事を次々に話してくれる。

ああ、大人数でわいわいお喋りしながら食事をするってなんて楽しいんだろう。
 

薄くて小さなパンケーキに、みんなで分け合うと少ない量の野菜スープという何とも質素な昼食だったのに、子どもたちは幸せそうに笑っている。

ぼくが狭くて暗い部屋の中でコンビニで貰ってきた賞味期限切れの1人で食べるには充分な量のお弁当を食べている時よりも、今日子どもたちと一緒に食事をした方がずっとずっとお腹いっぱいになれた気がした。

やっぱり1人で食べるのは寂しすぎる。
会話しながら、みんなで同じものを食べて笑い合う。
こういうのってなんかいいな。

昼食の後、アンドリュー王はまた話し合いに戻っていき、ぼくは子どもたちと鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだ。

あっという間に夕方になり、城へ帰る時間となった。

「王妃さま、また遊びに来てね!」

「わたし、また本読んで欲しいー!」

「美味しいパンケーキ食べたい!」

「鬼ごっこもー!!」

子どもたちに囲まれて、帰るのが寂しくなってしまうほどだ。

「また一緒に遊ぼう。それまでみんな元気で仲良く過ごしてね」

「「「はぁーい!」」」

元気なお返事に見送られながら、アンドリュー王と一路フレッドと冬馬さんの待つお城へ帰宅の途に着いた。

「其方、随分と楽しんでいたな」

「はい。良い子たちばっかりで楽しかったです」

「そうか、ならば良かった」

きっと冬馬さんが行った方が子どもたちにとってもアンドリュー王にとっても良かったはずなのに、そう言ってくれるアンドリュー王の優しさがぼくにはとても嬉しかった。

「そういえば……其方が作ったパンケーキ、やけにふわふわしていて子どもたちも嬉しそうだったな」

「はい。実は昔、ぼくもあんなふわふわのパンケーキが食べたくて、1人で作ったことがあって……。
でも、出来上がったパンケーキは今日昼食で食べたのと同じように薄くて平べったくて味気なかったんです。
その話をこの世界に来て、少し経った頃にフレッドに話をしたことがあったんですよ。
そうしたら、次の日朝食に今日のようなふわふわのパンケーキを出してくれて……ふふっ。
すごく嬉しかったんです。
ふわふわのパンケーキが食べられたことももちろん嬉しかったんですけど、一番嬉しかったのは、フレッドがぼくの話を聞いて喜ばせようとしてくれた気持ちなんです。
だから、ぼくがあの時感じた感動を子どもたちにも与えられたらなと思って……」

「そうか……。あのパンケーキはフレデリックとの思い出の品なのだな……」

しみじみとそう話すアンドリュー王の横顔がとても綺麗だったから、もしかしたら冬馬さんとの大切な思い出を反芻しているのかもしれない。
冬馬さんがこの世界に来て3年。
そのあいだずっとアンドリュー王はずっと近くで支えてきたんだ。
ぼくも3年後にも今のようにフレッドとお互いを慈しみながら過ごせているだろうか?
ああ、フレッドに早く会いたくなってきた。
フレッドに今日の感動を早く伝えたい……。

「あ、あの……シュウとやら」

フレッドのことを考えていると、突然アンドリュー王に呼びかけられた。

そういえば、名前を呼ばれたのって初めてじゃない?
いつも其方とか、フレデリックの伴侶とかって呼ばれていたけど……アンドリュー王の言い慣れない感じがなんだかとても可愛らしく思える。

アンドリュー王を見ると、少しもうしわけなさそうにぼくを見ていた。

あれ? どうしたんだろう?
さっきまで柔らかな雰囲気を纏っていたのに、何か気になることでもあったのだろうか?

「どうかなさいましたか? 陛下」

「いや、その……今日其方が作ったパンケーキだが…………」

「はい。何か?」

「その……、フレデリックには私が食べたことは内緒にして欲しい……いや、内緒にしておこう」

???

アンドリュー王の言う意味がよくわからなくて、すぐに返事をすることができなかったけれど、
もしかしたら…………
『美味しい』と言ってくれたけれど、そうでもなかったとか?
ぼくが料理が下手だとフレッドに知られたくないだろうから黙っておこうというアンドリュー王の優しさ?
そうか、そうに違いない!

「わかりました。内緒にしておきます。ふふっ。アンドリュー王はお優しいですね」

「えっ?? いや、その…………まぁいい。
そういうことにしておこう」

小声で呟くアンドリュー王の言葉はよく聞き取れなかったけれど、今日1日でアンドリュー王の優しさに何度も触れられて、ぼくはとても幸せな1日を過ごすことができた。

フレッドは今日何をして過ごしていたのかな。
早くフレッドに会いたい。

そんな想いに駆られながら、馬車はようやく王城玄関へと辿り着いた。

アンドリュー王にエスコートされ馬車を降りると、たくさんの出迎えの中にもちろんだけれど2人の姿はなかった。

先日の事件で冬馬さんが殴られ傷を負ったのを知っているのは、あの時駆けつけてくれた騎士団団長のヒューバートさんと数人の騎士たち、そして、ブルーノさんといった限られた人間のみだ。
国民に広く愛されているトーマ王妃が傷つけられ、しかも犯人が高位貴族などということが知れ渡るととんでもないことになってしまうからだ。
アンドリュー王が箝口令を敷いたこともあって、城内の人たちはぼくを本物のトーマ王妃だと思っているのだ。

念のために冬馬さんはぼくの格好(金色のウィッグをつけて女性の格好)をしてぼくたちの帰りを待っているけれど、不用意に誰かと会ってバレては元も子もないということで部屋に閉じこもっているようだ。

部屋に着いたらぼくの今日のお役目も終わりだ。
最後の最後でバレたりしないように気を引き締めないと!

そう思っていると、ぼくたちが帰ってきたのを見て焦ったような表情でブルーノさんが走り寄ってきた。
そして、アンドリュー王の横につくと周りに聞こえないように耳打ちをした。

「な、なんだと?!」

ブルーノさんの話を聞くや否やアンドリュー王が急に大声をあげて、周りにぴしりと緊張が走った。

「2人はどこにいるのだ?」

「お2人は【月光の間】でお帰りをお待ちでございます」

それを聞くと、アンドリュー王はぼくの方へ振り返り、『急ぐぞ』と言って歩き始めた。

一体どうしたんだろう?
ぼくたちがいない間に何か事件でも起こったんだろうか?
フレッドは? 冬馬さんは?
2人は無事でいるんだろうか?

ぼくは逸る気持ちを押さえながらアンドリュー王の後を追いかけ、急いで2人の待つ部屋へと歩を進めた。

フレッドと冬馬さんが待っている
【月光の間】に着くと、
アンドリュー王が扉を叩くこともせずにそのまま扉を開け中にズカズカと入って行った。

なに? どういうこと?

ぼくたちの目の前には、ソファーに座り大粒の涙を流しながら泣きじゃくる冬馬さんと隣で慌てふためくフレッドの姿があった。

「フレデリック! これはどういうことだ?
なぜ、私のトーマが泣いているのだ?!
説明をしろ!!!」

アンドリュー王は冬馬さんが泣いている姿に、一瞬にして顔を真っ赤にして激昂した。
その激しさは、今にもフレッドに殴りかからんばかりだ。

「いえ、私は何も――」

フレッドがアンドリュー王に説明しようとすると、

「アンディー! 違う! 彼は何もしてない!
僕が勝手に泣いただけ」

と冬馬さんが必死な声を上げ、フレッドの前に出てきた。

そして、冬馬さんの目がアンドリュー王の後ろに立っていたぼくの姿を捕らえると、突然ぼくの元に走り寄ってきて、ぎゅっとぼくに抱きついてきた。

「柊くん、ごめん! ごめんね、ぼくのせいで……」

ぼくに抱きつき、泣きながら何度も何度も謝罪の言葉を口にする冬馬さんの姿に、ぼくはただただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
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