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第一章 (出逢い〜両思い編)
フレッド 6
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大声で名前を呼びながら身体を揺さぶったが、なかなか目を覚まさず、焦りだけが募っていく。
早く目覚めて、私の名前を呼んでくれ。
ああ、シュウ……。
シュウの名をただひたすらに呼び続けていると、ほんの少しシュウの声が聞こえた気がした。
私の声が聞こえたのだろうか?
恐る恐るシュウを見つめていると、シュウの瞳が私を捉えた。
シュウの漆黒の瞳が私を見つめ、あの鈴のような澄んだ声が私の名を呼んでいる。
その瞬間、安堵したと同時に何にも代え難い幸福感に包まれた。
「ああ……良かった。お前が、お前が……私の前からいなくなったかと思って……どれだけ恐ろしかったか……」
この数時間、生きた心地がしなかった。
ああ、神よ。
シュウを私の元に返してくれてありがとうございます。
心の中でそう感謝しながら、気づかないうちに私は涙を浮かべていた。
シュウは私が取り乱した様子に驚いたのか、何度も謝罪の言葉を繰り返した。
いや、謝らなくていい……
無事でいてくれただけで、
この世界にとどまってくれていただけで、
私の腕の中にいてくれているだけで
それだけでいいんだ。
そう言ってあげたかったが、今はただシュウを腕の中に留めておくことに必死でなにも言葉にできなかった。
シュウをぎゅっと胸に抱きしめていると、突然シュウ以外の言葉が聞こえる。
んっ?なんの声だ?
気にはなったが、今はシュウのことだけを考えていたい。
シュウから声をかけられたが、今はほんの少しも離れていたくない。
そして、何より私より何かに気持ちが向くなどダメだ。
私は腕の力を今よりももっと強くしてシュウを抱きしめた。
「で、でもこの子が……」
この子だと?
誰だ! 私のシュウの腕の中なんぞに包まれているやつは……。
あ、こいつは……
シュウがリンネルを抱いていたとは思いもしなかった。
それにしてもリンネルがあんなに甘えた声をあげて鳴くなど初めて見たな。
そもそも、臆病で人に近づくことなどないリンネルが静かに抱かれるなんてあるはずがないのに……。
私がリンネルと呟いたからか、シュウはそれを名前だと思ったようだ。
そういえば、名前など付けようと思っても見なかったな。
リンネルは私のペットか? と聞かれ、意味がわからなかった。
ペットとは故郷の言葉だろうか?
向こうの言葉には不思議な響きのものが多いな。
聞き返すと、このリンネルを世話しているのかと問われた。
このリンネルは元々、この辺りを開拓しているときに荒れ果てた山の洞穴で見つけたものだ。
リンネルは普通グレーの毛に覆われ、黒に一番近い【神使】として、民に崇められるのもだが、このリンネルは生まれつきなのか真っ白で、そのために迫害され傷つけられていたのだと話すと、シュウは心から怒りの表情を見せていた。
私の話を聞きながらリンネルの頭を優しく撫でるシュウはまるで母のように見えた。
嬉しそうに鳴き声をあげるリンネルが羨ましくさえ思える。
おい、リンネル。シュウは私のものだからな。
シュウに狭量な男だと思われたくなくて声にこそ出さなかったが、リンネルがシュウに抱かれて恍惚とした表情を見せているのは若干腹が立つ。
それにしても真っ白なリンネルと黒目黒髪のシュウ……なんとも不思議な組み合わせだ。
そう、あの時は怪我をして泥だらけだったけれど、毛が白いというのだけは感じたんだ。
淡い色を持つもの同士、波長があったということなんだろうか……。
どうしても見殺しにすることはできず、最初は怪我が治るまでと思って屋敷に連れ帰ってきたが、治療の前に風呂で洗ってやったら、想像以上に真っ白で驚いたんだったな。
私の淡い色でさえ、冷ややかな視線を浴びてきたんだ、ここまで白かったら相当迫害されてきたんだろう。
怪我を治して山に離してやってもまた同じことの繰り返しだ。
それならば、ここに居ればいい……怪我などすることなく静かに暮らせるだろう……ただ単純にそう思っただけなのだ。
可愛がろうなどと思うこともなかったし、頭を撫でることなど一度もなかったが、シュウが撫でるなら私も撫でてみよう。
ああ、リンネルはこんなに手触りの良いものだったのだな。
シュウといると今まで知らなかったことばかり体験できる。
シュウは私の話を聞いてリンネルに助けてもらえてよかったねと声をかけている。
優しい眼差しで私と共にリンネルの頭を撫でるシュウが本当に可愛らしい。
リンネルをここに居らせておいてよかっ……
「……ふふっ、くすぐったいよぉ……」
前言撤回だ!
私のシュウの指を舐めるなど!
私もまだ舐めたことなどないのに!
シュウにあんな艶めかしい声を出させたりして!
そういうのは私との閨でのみ出してくれたらいいのだ。
もうこれ以上、リンネルをシュウに近づけていてはいけない。
私のシュウに手などだしてはいけないということをわからせなければ。
私はリンネルの声もシュウの声も聞こえないフリをして、リンネルをシュウから引き離し、床に敷かれた絨毯の上に放り出してやった。
シュウは私の嫉妬にも気づかず、リンネルとまた戯れ始め可愛らしい笑顔を見せる。
リンネルもまた『クンキューン』と声をあげ、仲良さげに見つめ合う2人を見て、私は少し恐ろしくなった。
リンネルと仲が良いことに嫉妬しているわけではない。
ただ、こんな風にシュウが他の男と仲良く見つめあっているのを見るのが怖いだけだ。
いつか、こんな風に私ではない誰か見目の美しい男にシュウを攫われたりしないかという不安が押し寄せてくる。
今日シュウが数時間でもいなくなってよくわかった。
シュウが、シュウの気持ちが、私以外のところに向いてしまうことがどれだけ恐ろしいことか……。
その恐怖心でシュウを抱きしめる力がつい強くなってしまう。
聡いシュウは私が恐怖に襲われていることに気付いたのだろうか。
シュウは私に謝罪の言葉を告げた。
私はシュウから謝罪の言葉が欲しいのではない。
私の傍から勝手に離れたりしない、1人でどこかへ行かないという確約が欲しいだけだ。
シュウがいないと思うだけで私の心臓はどうにかなってしまいそうなのだから。
シュウは私の訴えにもう絶対にしないと約束しながらも、
「フレッドはどうしてそんなにぼくのことを心配してくれるの?」
と問いかけてきた。
どうして……?
私の気持ちはシュウに届いていなかったのだろうか。
あんなにシュウに傍にいて欲しいと望んでいたのに。
ここで私の想いを伝えたら、シュウは何と返してくれるだろうか。
「どうして? 分かっているだろう?
私がシュウのことを……心から愛してるからだ。
もう、シュウ無しでは、私は生きていけない。
だから、どこにもいかないで私の傍にいてくれ」
もう隠すことなどできない私の心の叫びを声に出して訴えかける。
シュウは驚いているだろうな。
私のような者から愛してるなどと言われても嬉しいとは思ってもらえないのかもしれない。
シュウの答えを聞くのが怖い……。
私はこんなに情けない男だったのだな。
シュウを前にすれば私は何もできない男だ。
シュウ……。何も声が聞こえない。
ああ、やはり早すぎたのだ。
もっと私のことを知ってもらってから伝えるべきだったんだ。
意を決したようにシュウの目が私をとらえる。
なんと言われるんだろう……。
「フレッド……ぼくも大好き。
フレッドのこと……愛してるよ」
シュウは今、なんと……?
大好き……と、
愛してる……と言わなかったか?
私の聞き間違いだろうか?
「シュウ……ほ、本当に?」
「うん。フレッドは信じてくれないの?」
ほ、本当に?
これは夢でないか?
もしかしたらシュウがいなくなったところから全てが夢なのか?
でも、目の前で笑顔を見せるシュウは本物だよな……。
ならば、これは夢ではない?
信じていないと拗ねた表情をするシュウも本物なのか。
ああ、こんな幸せがあっていいのだろうか……。
シュウが可愛すぎてたまらない。
この腕の中にいるシュウが私のことを愛してるだなんて……。
『クーン、クーン』
またお前か。
せっかく想いが通じ合ったというのに、
私とシュウの仲を邪魔することは許さないぞ。
シュウはなぜこんなにリンネルに好かれるのだろう……。
やはりシュウは神に愛されし者。
神使であるリンネルと何か通じるものがあるのだろうか。
リンネルは普通人にはなれないものであるというのに、シュウにはやけに懐いている。
それはそうだろうな。
シュウほど、心が美しく、可愛らしい顔をしている人間などいないのだから……。
神使であるリンネルにはそれがよくわかるのだろうな。
あっ、そうだ。
早く上に戻らねばな。
マクベスや屋敷の者はまだシュウを探し回っていることだろう。
早くシュウの無事を知らせてやりたい。
もう夕食に近い時間だ。
皆が心配していることだろう。
シュウにそう伝えると驚きの表情を見せた。
そうか。
シュウにしてみれば、ほんの少しで戻るつもりだったのだな。
本当にどこかに行こうだなんて思っていなかったんだ。
それがわかっただけで私は安心した。
シュウが探しにきてくれてありがとうというお礼の言葉と共に頬に口付けをしてくれた。
ああ、もう私たちは挨拶などという理由などなくとも口付けできるような仲になったのだ。
私は幸せだな。
この機会に少しわがままでも言ってみても良いだろうか?
せっかくなら唇に欲しいんだ、私は。
断られてもいい、シュウから唇にしてほしいと強請ってみると、シュウは嫌な顔ひとつせず満面の笑顔で口付けてくれた。
私は今この世で一番の幸せ者だ。
もう絶対にシュウを離したりしない。
そういうと、シュウも笑顔で幸せだよと言ってくれた。
シュウの言葉に誘われるようにリンネルも嬉しそうな声を上げた。
ああ、リンネル……お前も幸せなのだろうな。
甘えた声を出し、擦り寄ってくるなど私には一度もしたことがなかったくせに、私が見せていた顔と全然違うではないか。
そんなことを思っていると、突然シュウが部屋に連れて行きたいと言い出した。
1人でいさせるのは可哀想というが、こんな真っ白なリンネルをみなの前に出せる訳が……
『おねがぁい』
『ゔっ、ぐぅっ』
はぁーーーっ。
可愛いが過ぎるな、シュウは……。
上目遣いであんなに可愛く強請られてはダメだとは言えるわけがない。
しかもシュウはそれを無自覚にやっているのだからな。
まぁ、例え真っ白なリンネルでもシュウが連れていれば問題はないだろう。
いいぞと許可を出してやると、
「ほんと! 良かったぁ!
ありがとう、フレッド大好き♡」
シュウが私を大好きだと……。
シュウから抱きついてきてくれた……。
ああ、一生分の幸せを使い果たしたんじゃないか。
もう離したくない。
とはいえ、みんなにはやく無事も知らせないとな。
仕方ない。
腕の中のシュウをそのまま抱き抱えて立ち上がるとシュウは驚いて下りようとしたが、このまま腕の中にいてくれというと大人しくなった。
「でも……重たいよ?」
というシュウに
「ははっ。シュウは羽よりも軽いから心配しなくていい」
と返すとシュウは恥ずかしそうに笑った。
シュウが羽よりも軽い……これは嘘ではない。
シュウなど、細すぎて心配になるほどだ。
もっといっぱい食べたいものを食べさせてあげたい。
シュウは私の願いを聞き入れ、そのまま抱かれるどころか首に手を回し抱きついてくれた。
ああ、首に手を回す仕草が本当に可愛い。
絶対に落としたりなどしないから心配しないでいいからな。
そういえば、この地下室の入り口がよくわかったなと尋ねると、床の音の響きですぐにわかったという。
あの入り口は場所を知っている私でさえ、床の色の違いはわかりにくく悩むこともある。
ましてや音の響きなど全くもってわからないというのにシュウは本当に感覚が鋭い。
味覚も素晴らしかったし、恐らく五感が研ぎ澄まされているのだろうな。
その証拠にこの15年、招待客も使用人も誰も気づいた人はいなかった。
そう、誰一人として。
いつも神経を尖らせている警備長のルーカスですら、もちろん気づいてもいない。
たった二度入っただけのシュウに見つけられることが驚きなのだ。
入り口よりも更に難解なのがこの出口の開閉装置。
この装置がこんな階段の中腹にあるとは思わないだろうから、きっとシュウを持ってしても出口の装置をたやすく見つけることなどできなかっただろう。
シュウは少し考え込んだ様子で、私の顔を見つめた。
そして、私に迎えにきてくれてありがとうと真剣な声で言ってきた。
ああ、やはりシュウは気づいたのだ。
自分一人だとこの装置を見つけられなかったことに。
それを自分で理解し、そしてそのことに対してきちんと詫びることができる……シュウは本当に賢く心が美しい。
この地下室は元々、有事の際にならず者を閉じ込めておくための部屋だ。
だから、内からは敢えてわからないようにしているのだと教えてやると、シュウの身体が恐怖に震えるのがわかった。
恐らく見つけてもらえなかった時のことを思い浮かべたのだろう。
そんなこと、絶対にあり得ないから大丈夫だ!
「いいや、そんなことはない。私がいつでもシュウの居場所を一番にみつけてやるから、心配しなくていい」
そういうと、シュウは嬉しそうに微笑んだ。
シュウが開閉装置を押すと、階段の天井がパッと開き、あのギャラリーへと戻ってきた。
この部屋に入った時はシュウのいない恐怖に襲われていたのが、遠い過去のことのように思える。
今は腕の中にいるシュウの温もりを感じ、幸せでいっぱいだ。
部屋に戻ってこられたことにホッとしたのか、安心した声をあげて私の腕から下りようとするシュウを制して、そのまま抱き抱えながら、心配しているであろうマクベスを呼んだ。
私の呼び声に普段のマクベスなら考えられないほどの勢いで、髪を振り乱し大急ぎで走ってくる。
ああ、ルーカスも一緒か。
マクベスは私と一緒にいるシュウの姿を見つけると、安堵の表情を浮かべふらふらと倒れ込みそうになったのをルーカスがそっと支えていた。
ふっ。相変わらず仲が良いことだ。
シュウは皆に心配をかけたことを謝ると、マクベスはシュウが無事でいただけでよかったと答えた。
そう、これはマクベスの心からの言葉だろう。
ただ無事で居てくれたらいい……みんなそう願っていたはずだ。
「ルーカス、屋敷のみなにシュウが無事に見つかったことを伝えてきてくれ」
ルーカスにまだ力の入らないマクベスを置いて行かせるのは申し訳ない気もしたが、屋敷内でまだシュウが無事なことを知らずに探しまわっているものたちがいるのだから仕方ない。
ルーカスは『はい』と言いながらも先にシュウが胸に抱いているリンネルのことを聞いてきた。
流石に気付かれたな。
地下室で育てているのも内緒にしていたのだから驚くのも無理はない。
ましてや、白のリンネルだ。
「ああ、シュウが部屋で育てるというのでな、連れてきたのだ。マクベス、おまえは気になるか?」
「いいえ、気になると申しますか……
私、リンネルが人に抱かれているところを初めて見ましたもので、それに驚いてしまいまして……」
確かに私がここへ連れてきた時も、怪我をしていたから籠に入れて運んだな。
怪我をしていなければ、リンネルは恐らくそれすらも拒んだことだろう。
シュウだから大人しく抱かれているのだ。
シュウはこんなに人懐っこいのに? と驚いているが、シュウ以外の人間からは人懐っこいなどという言葉は決して出ないだろうな……。
元々人前に出てくるようなものでもないし。
ルーカスはリンネルは神使だから、人が触れれば穢れがつくと言われている。
そもそもリンネルは臆病だから人に自分から近づいてくることはないのだと言っていたが、
穢れ……。
心の美しいシュウには穢れなどないのだろう。
だからこそ、リンネルがシュウにだけ近寄り、甘え、大人しく抱かれるのだ。
シュウの腕の中に居れば、私が頭を撫でても何も文句は言わないのだな、このリンネルは。
そんな分かりやすいリンネルに『ふふっ』と私の口から小さく笑いが溢れる。
「漆黒の色を持つシュウが真っ白なリンネルを抱いていると、なんだか神々しいものに見えるな。神に愛されているシュウに懐いているなら、これは禍を招くものではない。シュウの神使、眷属と言えよう。マクベス、そう思わないか?」
「はい。旦那さま。その通りでございます。きっとシュウさまがこのリンネルをお導きくださったのですね」
導く……。
ああ、そうかもしれないな。
もしかしたら、私がこのリンネルを洞穴で見つけた時から、シュウとの縁は繋がっていたのかもしれない。
ならば、逆にリンネルが私をシュウに導いてくれたのかもしれないな。
このリンネルはシュウの神使、眷属として大切に育てる必要がある。
マクベスにリンネルの寝床を用意するようにと命じ、さらに使用人にこのリンネルを迫害するものは許さないと告げると、マクベスは畏まりましたと言ってその場から離れていった。
今日は昼食も食べていない。
シュウも腹が減っていることだろう。
すぐにでも食事を……と思ったが、シュウは地下室で倒れていたのだ。
服が埃っぽくなっている。
「一度部屋に戻ろう。服が汚れている。食事の前に着替えよう」
シュウを部屋のソファーに座らせ、私は自室にシュウの服を取りに行った。
何を着せようか……。
やはり、あれだな。
あれを着ている時のシュウが、一番私のものだと実感できるのだ。
しかも、今日は今までとは違う。
私の伴侶だと、気持ちが通じ合ってからあの服を着てもらうのはまた格別な想いとなることだろう。
シュウの部屋へ戻ると、リビングにはいなかった。
水音が聞こえているから、顔でも洗っているのだろう。
見るとソファーにはシュウの服に身体を擦り寄せるようにリンネルが横たわっている。
このリンネルは本当にシュウの眷属なのかもしれないな。
そんなことを思いながら、リンネルより少し離れたところに座って待っていると、スッキリした顔をしたシュウが戻ってきた。
「フレッドありがとう」
そう言って私の手から服を受け取り、自身で着替えようとするのを
『私が着替えさせよう』
と、半ば無理やりシュウの服を脱がしたが、シュウは拒むことなく私に着替えさせてくれた。
「あれ、この服……」
「おっ、気づいたか?」
私が意図したことにすぐにシュウが気づいてくれた。
これはシュウのために仕立てた服の中で一番私が気に入っている淡い水色に金の縁取りがされたジャケットと淡い水色のズボンの組み合わせ。
ジョセフが仕立て上げた服の中で、シュウが最も私のものだと実感できるのだ。
ああ、早くこの服を着たシュウと町を歩きたい。
私のものだと見せびらかせてやりたい。
「ぼくもこの服一番好き。フレッドそのものって感じがする色だもんね」
それは嬉しいが……一番好きなどとは……。
なんとも言えないザワザワした気持ちが湧き上がってくる。
この服を仕立てたジョセフに、
この服そのものに、
私は嫉妬しているのだろうか。
自分がこんな狭量だとシュウに知られたくはないが、どうしても聞かずにはいられない。
「その服と私とどっちが好きなのだ?」
ああ、言ってしまった……。
こんな心の狭い私に呆れているだろうか。
しかし、シュウは呆れるどころか
「フレッドは順位なんてつけられないくらい大好きだよ」
とシュウが口付けと共に嬉しい言葉を言ってくれた。
ただそれだけで、先ほどまでのドロドロとした感情が一瞬にして浄化されていく……そんな気がした。
2人で仲良くしていると、突然リンネルの鳴き声が邪魔をする。
このリンネルは、本当にシュウの神使、眷属のようだ。
私とシュウが仲良くしようとするとすぐに邪魔をしてくるのはまだ私をシュウの伴侶として認めていないのだろう。
お前が何と言おうと私はシュウの伴侶となるのだ。
私がリンネルを睨むと、リンネルもまた私にバチバチと火花を散らしていた。
すると、シュウは何を勘違いしたのか、リンネルがシュウに嫉妬していると言い出した。
何を言っているのだ。
リンネルは私の手からシュウを守ろうと邪魔だてしているだけだぞ……そう言おうと思った時、タイミングが良いのか悪いのか、
トントントン
シュウの部屋をノックする音が聞こえた。
マクベスか。
リンネルの寝床を運んできたのだな。
シュウはリンネルの寝床を見て可愛いと喜んでいる。
そんなシュウの方がもっと可愛いのだが。
マクベスがどこに置こうかと言っていると、シュウは自分のベッドの隣にと言い出した。
シュウのベッドの隣だと?
私でさえまだ朝まで過ごしたことがないというのに……。
シュウの寝顔も寝起きの可愛らしい顔も全てこのリンネルに見られてしまうというのか?
そんなこと、絶対に許せるわけがないだろう!
「えっ? だって、リビングでひとりぼっちなんて可哀想じゃない?」
可哀想?
いやいや、リンネルはそもそも洞穴で隠れ住むような習性なのだ。
それこそ、あの地下室にいても何の違和感など感じないほどのな。
シュウには小さくて守ってやりたいと思うような存在なのだろうか?
「ならば、私も一緒に寝よう」
リンネルと一緒など許せるわけがないのだから、私と一緒に寝るしかないだろう?
もう私たちは心も通じ合った恋人だ。
何の問題もないはずだ。
ただ、私の理性が持つかどうかだが……。
「旦那さま。婚姻のお約束もまだですのに同衾など……」
私たちがお互いに愛し合っていると知らないマクベスが婚姻の約束も前に同衾などしてはいけないと注意してくるが、さっきシュウから婚姻の了承は取ったというと、一瞬驚いた表情をした。
マクベス、お前もしや私のいうことを信じてないのではないか?
私の言葉を信じもせず、シュウに私と一緒でいいのかと確認をし始めた。
シュウの焦ったように声にマクベスは私をひと睨みして、シュウにもう一度確認を取った。
「あの、シュウさま……婚姻の了承をされたというのは?」
「あ、はい!!それはまちが……いなく」
シュウが大きな声で『間違いない』と断言してくれた。
ほら、見たか?
私は嘘などつかないぞ、マクベス!
マクベスは嬉しそうにリンネルの寝床をシュウのベッドの右隣に設置し、
『ご夕食の準備を整えて参ります』と言って、部屋を出て行った。
シュウが設置された寝床にリンネルを下ろすと、リンネルは突然『グゥーー』と怒りの声をあげた。
ああ、これは良く聞く声だな。
寝床を用意したマクベスや他の者達の臭いがリンネルにとっては嫌なものだったのだろう。
このリンネルはよほどシュウの匂いに敏感らしい。
シュウはリンネルの寝床に敷いていたブランケットを広げ、自分の匂いをはやくつけるためにマントのように被り、リンネルを胸に抱きとめた。
私もああやって、シュウに抱きしめられたい。
今は叶わぬからとりあえずシュウを抱きしめるとするか。
リンネルを抱くシュウを抱きしめていると、シュウがリンネルに名前をつけたいと言い出した。
リンネルに名前……そんなこと考えたことも無かったな。
リンネルはリンネルだろう?
まあ、しかし本当にシュウの眷属ならば名前も必要か。
シュウ自らがこのリンネルに名前を与えることによって、このリンネルはシュウを護るという力を今よりも更に得ることだろう。
「ねぇ、フレッド。『パール』っていう名前どうかな? あ、この国で悪い意味とかある?」
「『パール』? いや、この国にそのような言葉はないはずだ。不思議な響きだが……『パール』、良い名前だな」
やはり、シュウの故郷の言葉は不思議な響きがする。
パール、いい名前だと思うがどんな意味があるのだろうな?
シュウはリンネルに『パール』はどうかと聞いているが、リンネルがシュウの与えた名前を嫌がる訳がないだろう。
そう思っていると、リンネルは
『キュウンキュン』と甘えた声を出し、あろうことかシュウの頬を長い舌でペロペロと舐めていた。
指先ばかりか私のシュウの頬まで勝手に舐めるなど、このリンネルは私をよほど敵に回したいようだな。
「ふふっ。気に入ってくれたの? 舐めたらくすぐったいよぉ」
私の煮えたぎるような嫉妬にも気づかずに、寝室でいちゃつくなど、いくらシュウと言えども許されることではないぞ。
私は無言でシュウの胸元からリンネルを奪い取り、寝床へと下ろした。
私の突然の行動に驚くシュウの言葉には応えず、後ろから抱きしめていた手を強め、シュウの汗の匂いをほんのり纏わせた首筋に顔を擦り寄せ、ペロっと舐め上げた。
「ひゃあぁっ」
シュウの汗はなぜこんなに香しく、心地良いのだろうな。
この汗 一雫さえも全て私のものだ。
「私がいるのに寝室で他の男と戯れ合うなど、シュウにお仕置きが必要だな」
「ちょ、ちょっと待って。フレッド、お仕置きって?」
ふふっ。焦るシュウも可愛らしい。
愛し合う者へのお仕置きと言えば、わかりそうなものだが……純粋無垢なシュウにこれから何もかも教え込むのはこの私だ。
まだそれには早い。
ゆっくりじっくり時間をかけてシュウの心と身体を手に入れよう。
だが、私が頭の中でシュウに不埒なことを考えているなどとは、シュウは想像もしていないのだろうな。
私はシュウを抱き抱えたまま、ベッドを下り
『さぁ、食事に行こう』と声をかけ扉へと向かった。
シュウにリンネルが何を食べるのかと尋ねられたが、私は適当にその時にあるフルーツやきのこをあげていた。
そもそもリンネルが何を食べるかなんて知られていないしな。
シュウはダイニングルームに一緒に連れて行きたいと言い出したが、まだそれはちょっと難しいのではないか?
マクベスだけならともかく他の使用人も目にすることだし……もう少しみなに耐性をつけてからにでもしないか?
そうシュウに言おうとしたのだが、
「うん。フレッド……おねがぁい」
至近距離でのシュウの上目遣いと甘えた言葉に一瞬にして落ちてしまった。
これはズルいだろう……
心の声がほんの少し漏れてしまった気がした。
心を落ち着け、呼吸を整えてから
「良いだろう……連れて行こう」
と言うと、
「わぁい。ありがとう!」
シュウは嬉しそうにそう言って、私の首に手を回し隙間がないほどにぎゅっと抱きついてくれた。
その瞬間、ふわっとシュウの匂いが香る。
こんなに近くでシュウを感じられる幸せに私は浸っていた。
パールを胸に抱いたシュウを抱き抱えたまま、ダイニングルームへと向かうと、マクベスはリンネル……あ、パールの居場所を用意していた。
シュウが連れて行きたいと言うに違いないと確信していたのか。
こう言うところが、マクベスは抜け目がない。
シュウはリンネルに『パール』という名前をつけたことをマクベスに告げた。
リンネルに名前など付けるものなど初めてだろうに、マクベスは驚きもせずすぐにパールの名を口にした。
そういうところはさすがマクベスだなと感心する。
パールは与えられた場所で鼻をスンスン鳴らすと、また威嚇の声をあげていた。
やはりシュウ以外の匂いは受け付けないようだ。
マクベスが部屋から持ってきた先ほどのブランケットをかけてやると、パールは大人しくなった。
やはりな。
「フレッド、ありがとう!」
「パールはよほどシュウの匂いが落ち着くようだな。私と同じだ」
同じも何も、そもそもシュウの匂いも全て私のものなのだが……。まぁ、いい。
私はそこまで狭量ではないのだからな。
珍しく食事がスープから始まったのは最初に固形物である前菜より、スープにした方が身体に良いとの判断なのだろう。
これはマクベスの指示なのか、それともローリーの考えなのか……とにかく流石だな。
シュウはスープを一口啜り、私に謝罪の言葉を述べた。
シュウは本当に人の気持ちが分かるんだな。
まるで心の中が読めるようだ。
母親に捨てられ、仕事先でもいいように使われ、挙げ句の果てに盗人呼ばわりまでされて追い出されたと言うのに、シュウからはその者たちへ文句や悪口すら一切聞かない。
なぜそんなに優しい心を持ってここまで生きてこられたのか不思議でならない。
これからはシュウを傷つける者など私が絶対に許さない。
だからいつまでも心優しいシュウでいてくれ。
みんなお前の優しさに癒されている。
「シュウ、もう気にするな。シュウが無事だったのだから、もうそれで十分だ。ローリーがお前のために心を込めて作ってくれた食事を美味しくいただこう」
そう言ってやると、シュウは安心した表情で、その後の食事も全部平らげた。
食後のフルーツは苺だ。
今日の視察で領民たちから献上されたものだが、
きっとシュウも気にいることだろう。
「わぁ、苺美味しそう」
なんと幸せそうな顔で苺を頬張るのか……。
その顔を見ているだけで私も幸せになれるな。
シュウがあまりにも嬉しそうな顔をするものだから今度視察に一緒に行ってみないか? と誘うと、シュウは生きたい、行きたいと嬉しそうにいってくれた。
シュウがこんなに乗り気とは……。
ああ、私の色の服を着せて、領民たちの前に現れる姿を想像するだけで胸が高鳴る。
「領民たちにも次回は伴侶も一緒にと言われたしな。シュウが一緒に行ってくれたら私は嬉しい。どうだ? 一緒に行ってくれるか?」
「うん! もちろん……………ねぇ、フレッド。領民さんたちにぼくのこと話したのっていつなの?」
えっ??
私は今何を言ってしまったのだ??
伴侶も一緒に……と、
ああっ、何と言うことだ!!!!!
シュウが乗り気になってくれたことが嬉しくて、口が滑ってしまった…………。
勝手に伴侶だと吹聴していたことがシュウに知られてしまった……。
せっかくシュウと心が通じ合ったというのに、これでシュウに嫌われてしまうのか……。
嫌だ、嫌だ。
でも…………
ああ、それも致し方ないことか……。
私が嘘をついたことがそもそも悪かったのだ。
はぁ……。
シュウのあの綺麗な瞳が、私を軽蔑の眼差しで見つめるのか……。
はぁ……。
もう辛すぎる。
先ほどまで幸せの絶頂にいたと思っていたのに、破綻するのはあっという間なのだな。
それも因果応報、身から出た錆というやつだ。
マクベスが全て真実を話すべきですと目で訴えながら圧をかけてくる。
それはわかっている。
しかし……。
痺れを切らしたのか、マクベスは
『旦那さま』と声をかけるとダイニングルームにいた使用人たち全てを引き連れ部屋を出ていった。
シュウと2人っきりの空間がこんなに恐ろしく思ったのは初めてだ。
ああ、もう全て吐き出して謝るしかないな……。
あ、あの……シュウ。怒らないで聞いて欲しいんだが……」
「うん。どうしたの?」
シュウの穏やかで優しい返答に緊張が高まる。
「私は……シュウと初めて会った時から惹かれていた。シュウを手放したくなくて、秘書になって欲しいと言ったが、あの時から私はシュウを伴侶として扱ってきた。
屋敷の者にも、そして、シュウに関わる全ての人にシュウは私の伴侶だと伝えていた。
シュウの気持ちを私に向けるために外堀から埋めようとしたのだ。だから……」
「だから、領民さんたちにもぼくのこと伴侶だって紹介したの?」
シュウのいつもと変わらぬ声が私を追い詰めていく。
もう終わったのだな……。
「申し訳ない。シュウの気持ちも聞かぬうちにそのようなことを……」
私は椅子から下り、その場に膝を揃えて座ると床につかんばかりに頭を下げシュウに謝った。
床にひれ伏しシュウの言葉が何も聞こえないまま、
目の前にシュウの気配を感じた。
恐る恐る顔を上げると、シュウの綺麗な瞳が私を見つめていた。
「ねぇ、フレッド。ぼく全然怒ってなんかいないよ。むしろ、嬉しいくらい」
「シュウ、なぜだ? 私はシュウの気持ちも考えずに勝手に……勝手に伴侶などと吹聴したのに……」
笑顔で嬉しいなどというシュウに驚いてしまい、シュウの肩をつかんでしまう。
「フレッドが最初からそう思ってくれてたなんてビックリしたけど、伴侶になるとかはともかく、ぼくもフレッドのこと惹かれてたし……今となっては現実になったんだから謝ることないんじゃない? 少なくともぼくはフレッドがそう思っててくれたこと嬉しいなって思うよ」
シュウの言葉ひとつひとつが嫌われるかも知らないと恐れていた私の心を癒していく。
と同時に涙が溢れ出てしまう。
「ああ、シュウ。君はなぜそんなに優しいんだ! 本当のことを知られたらきっと嫌われると思っていたのに……」
「ふふっ。フレッドってばかだなぁ。そんなことで嫌いになったりするわけないじゃない。でも……」
「でも、なんだ?」
やはり、何か引っ掛かる事があるのか?
嫌いでなくとも信用できないとでも思われたのかも……。
ああ…………。
「フレッドみたいな素敵な人の伴侶と思われてたなんて……ドキドキしちゃうね」
思ってもみないシュウの言葉にぎゅっと心臓が掴まれ息が止まってしまうかと思った。
『ぐぅっっ、はぁーーーっ』
咄嗟に大きな深呼吸をして、手で顔を覆い隠した。
「んっ? フレッド、どうかした?」
シュウは私の心を弄ぶ天才なのだな。
シュウの言葉が、行動が、仕草が、全てが私を捕らえて離さない。
もう私はシュウ以外のものを愛するなどできないし、シュウを誰にも渡すことはできない。
ああ、このままずっとシュウと一緒に生きていく。
私はそう思いながら、シュウをずっと抱きしめていた。
早く目覚めて、私の名前を呼んでくれ。
ああ、シュウ……。
シュウの名をただひたすらに呼び続けていると、ほんの少しシュウの声が聞こえた気がした。
私の声が聞こえたのだろうか?
恐る恐るシュウを見つめていると、シュウの瞳が私を捉えた。
シュウの漆黒の瞳が私を見つめ、あの鈴のような澄んだ声が私の名を呼んでいる。
その瞬間、安堵したと同時に何にも代え難い幸福感に包まれた。
「ああ……良かった。お前が、お前が……私の前からいなくなったかと思って……どれだけ恐ろしかったか……」
この数時間、生きた心地がしなかった。
ああ、神よ。
シュウを私の元に返してくれてありがとうございます。
心の中でそう感謝しながら、気づかないうちに私は涙を浮かべていた。
シュウは私が取り乱した様子に驚いたのか、何度も謝罪の言葉を繰り返した。
いや、謝らなくていい……
無事でいてくれただけで、
この世界にとどまってくれていただけで、
私の腕の中にいてくれているだけで
それだけでいいんだ。
そう言ってあげたかったが、今はただシュウを腕の中に留めておくことに必死でなにも言葉にできなかった。
シュウをぎゅっと胸に抱きしめていると、突然シュウ以外の言葉が聞こえる。
んっ?なんの声だ?
気にはなったが、今はシュウのことだけを考えていたい。
シュウから声をかけられたが、今はほんの少しも離れていたくない。
そして、何より私より何かに気持ちが向くなどダメだ。
私は腕の力を今よりももっと強くしてシュウを抱きしめた。
「で、でもこの子が……」
この子だと?
誰だ! 私のシュウの腕の中なんぞに包まれているやつは……。
あ、こいつは……
シュウがリンネルを抱いていたとは思いもしなかった。
それにしてもリンネルがあんなに甘えた声をあげて鳴くなど初めて見たな。
そもそも、臆病で人に近づくことなどないリンネルが静かに抱かれるなんてあるはずがないのに……。
私がリンネルと呟いたからか、シュウはそれを名前だと思ったようだ。
そういえば、名前など付けようと思っても見なかったな。
リンネルは私のペットか? と聞かれ、意味がわからなかった。
ペットとは故郷の言葉だろうか?
向こうの言葉には不思議な響きのものが多いな。
聞き返すと、このリンネルを世話しているのかと問われた。
このリンネルは元々、この辺りを開拓しているときに荒れ果てた山の洞穴で見つけたものだ。
リンネルは普通グレーの毛に覆われ、黒に一番近い【神使】として、民に崇められるのもだが、このリンネルは生まれつきなのか真っ白で、そのために迫害され傷つけられていたのだと話すと、シュウは心から怒りの表情を見せていた。
私の話を聞きながらリンネルの頭を優しく撫でるシュウはまるで母のように見えた。
嬉しそうに鳴き声をあげるリンネルが羨ましくさえ思える。
おい、リンネル。シュウは私のものだからな。
シュウに狭量な男だと思われたくなくて声にこそ出さなかったが、リンネルがシュウに抱かれて恍惚とした表情を見せているのは若干腹が立つ。
それにしても真っ白なリンネルと黒目黒髪のシュウ……なんとも不思議な組み合わせだ。
そう、あの時は怪我をして泥だらけだったけれど、毛が白いというのだけは感じたんだ。
淡い色を持つもの同士、波長があったということなんだろうか……。
どうしても見殺しにすることはできず、最初は怪我が治るまでと思って屋敷に連れ帰ってきたが、治療の前に風呂で洗ってやったら、想像以上に真っ白で驚いたんだったな。
私の淡い色でさえ、冷ややかな視線を浴びてきたんだ、ここまで白かったら相当迫害されてきたんだろう。
怪我を治して山に離してやってもまた同じことの繰り返しだ。
それならば、ここに居ればいい……怪我などすることなく静かに暮らせるだろう……ただ単純にそう思っただけなのだ。
可愛がろうなどと思うこともなかったし、頭を撫でることなど一度もなかったが、シュウが撫でるなら私も撫でてみよう。
ああ、リンネルはこんなに手触りの良いものだったのだな。
シュウといると今まで知らなかったことばかり体験できる。
シュウは私の話を聞いてリンネルに助けてもらえてよかったねと声をかけている。
優しい眼差しで私と共にリンネルの頭を撫でるシュウが本当に可愛らしい。
リンネルをここに居らせておいてよかっ……
「……ふふっ、くすぐったいよぉ……」
前言撤回だ!
私のシュウの指を舐めるなど!
私もまだ舐めたことなどないのに!
シュウにあんな艶めかしい声を出させたりして!
そういうのは私との閨でのみ出してくれたらいいのだ。
もうこれ以上、リンネルをシュウに近づけていてはいけない。
私のシュウに手などだしてはいけないということをわからせなければ。
私はリンネルの声もシュウの声も聞こえないフリをして、リンネルをシュウから引き離し、床に敷かれた絨毯の上に放り出してやった。
シュウは私の嫉妬にも気づかず、リンネルとまた戯れ始め可愛らしい笑顔を見せる。
リンネルもまた『クンキューン』と声をあげ、仲良さげに見つめ合う2人を見て、私は少し恐ろしくなった。
リンネルと仲が良いことに嫉妬しているわけではない。
ただ、こんな風にシュウが他の男と仲良く見つめあっているのを見るのが怖いだけだ。
いつか、こんな風に私ではない誰か見目の美しい男にシュウを攫われたりしないかという不安が押し寄せてくる。
今日シュウが数時間でもいなくなってよくわかった。
シュウが、シュウの気持ちが、私以外のところに向いてしまうことがどれだけ恐ろしいことか……。
その恐怖心でシュウを抱きしめる力がつい強くなってしまう。
聡いシュウは私が恐怖に襲われていることに気付いたのだろうか。
シュウは私に謝罪の言葉を告げた。
私はシュウから謝罪の言葉が欲しいのではない。
私の傍から勝手に離れたりしない、1人でどこかへ行かないという確約が欲しいだけだ。
シュウがいないと思うだけで私の心臓はどうにかなってしまいそうなのだから。
シュウは私の訴えにもう絶対にしないと約束しながらも、
「フレッドはどうしてそんなにぼくのことを心配してくれるの?」
と問いかけてきた。
どうして……?
私の気持ちはシュウに届いていなかったのだろうか。
あんなにシュウに傍にいて欲しいと望んでいたのに。
ここで私の想いを伝えたら、シュウは何と返してくれるだろうか。
「どうして? 分かっているだろう?
私がシュウのことを……心から愛してるからだ。
もう、シュウ無しでは、私は生きていけない。
だから、どこにもいかないで私の傍にいてくれ」
もう隠すことなどできない私の心の叫びを声に出して訴えかける。
シュウは驚いているだろうな。
私のような者から愛してるなどと言われても嬉しいとは思ってもらえないのかもしれない。
シュウの答えを聞くのが怖い……。
私はこんなに情けない男だったのだな。
シュウを前にすれば私は何もできない男だ。
シュウ……。何も声が聞こえない。
ああ、やはり早すぎたのだ。
もっと私のことを知ってもらってから伝えるべきだったんだ。
意を決したようにシュウの目が私をとらえる。
なんと言われるんだろう……。
「フレッド……ぼくも大好き。
フレッドのこと……愛してるよ」
シュウは今、なんと……?
大好き……と、
愛してる……と言わなかったか?
私の聞き間違いだろうか?
「シュウ……ほ、本当に?」
「うん。フレッドは信じてくれないの?」
ほ、本当に?
これは夢でないか?
もしかしたらシュウがいなくなったところから全てが夢なのか?
でも、目の前で笑顔を見せるシュウは本物だよな……。
ならば、これは夢ではない?
信じていないと拗ねた表情をするシュウも本物なのか。
ああ、こんな幸せがあっていいのだろうか……。
シュウが可愛すぎてたまらない。
この腕の中にいるシュウが私のことを愛してるだなんて……。
『クーン、クーン』
またお前か。
せっかく想いが通じ合ったというのに、
私とシュウの仲を邪魔することは許さないぞ。
シュウはなぜこんなにリンネルに好かれるのだろう……。
やはりシュウは神に愛されし者。
神使であるリンネルと何か通じるものがあるのだろうか。
リンネルは普通人にはなれないものであるというのに、シュウにはやけに懐いている。
それはそうだろうな。
シュウほど、心が美しく、可愛らしい顔をしている人間などいないのだから……。
神使であるリンネルにはそれがよくわかるのだろうな。
あっ、そうだ。
早く上に戻らねばな。
マクベスや屋敷の者はまだシュウを探し回っていることだろう。
早くシュウの無事を知らせてやりたい。
もう夕食に近い時間だ。
皆が心配していることだろう。
シュウにそう伝えると驚きの表情を見せた。
そうか。
シュウにしてみれば、ほんの少しで戻るつもりだったのだな。
本当にどこかに行こうだなんて思っていなかったんだ。
それがわかっただけで私は安心した。
シュウが探しにきてくれてありがとうというお礼の言葉と共に頬に口付けをしてくれた。
ああ、もう私たちは挨拶などという理由などなくとも口付けできるような仲になったのだ。
私は幸せだな。
この機会に少しわがままでも言ってみても良いだろうか?
せっかくなら唇に欲しいんだ、私は。
断られてもいい、シュウから唇にしてほしいと強請ってみると、シュウは嫌な顔ひとつせず満面の笑顔で口付けてくれた。
私は今この世で一番の幸せ者だ。
もう絶対にシュウを離したりしない。
そういうと、シュウも笑顔で幸せだよと言ってくれた。
シュウの言葉に誘われるようにリンネルも嬉しそうな声を上げた。
ああ、リンネル……お前も幸せなのだろうな。
甘えた声を出し、擦り寄ってくるなど私には一度もしたことがなかったくせに、私が見せていた顔と全然違うではないか。
そんなことを思っていると、突然シュウが部屋に連れて行きたいと言い出した。
1人でいさせるのは可哀想というが、こんな真っ白なリンネルをみなの前に出せる訳が……
『おねがぁい』
『ゔっ、ぐぅっ』
はぁーーーっ。
可愛いが過ぎるな、シュウは……。
上目遣いであんなに可愛く強請られてはダメだとは言えるわけがない。
しかもシュウはそれを無自覚にやっているのだからな。
まぁ、例え真っ白なリンネルでもシュウが連れていれば問題はないだろう。
いいぞと許可を出してやると、
「ほんと! 良かったぁ!
ありがとう、フレッド大好き♡」
シュウが私を大好きだと……。
シュウから抱きついてきてくれた……。
ああ、一生分の幸せを使い果たしたんじゃないか。
もう離したくない。
とはいえ、みんなにはやく無事も知らせないとな。
仕方ない。
腕の中のシュウをそのまま抱き抱えて立ち上がるとシュウは驚いて下りようとしたが、このまま腕の中にいてくれというと大人しくなった。
「でも……重たいよ?」
というシュウに
「ははっ。シュウは羽よりも軽いから心配しなくていい」
と返すとシュウは恥ずかしそうに笑った。
シュウが羽よりも軽い……これは嘘ではない。
シュウなど、細すぎて心配になるほどだ。
もっといっぱい食べたいものを食べさせてあげたい。
シュウは私の願いを聞き入れ、そのまま抱かれるどころか首に手を回し抱きついてくれた。
ああ、首に手を回す仕草が本当に可愛い。
絶対に落としたりなどしないから心配しないでいいからな。
そういえば、この地下室の入り口がよくわかったなと尋ねると、床の音の響きですぐにわかったという。
あの入り口は場所を知っている私でさえ、床の色の違いはわかりにくく悩むこともある。
ましてや音の響きなど全くもってわからないというのにシュウは本当に感覚が鋭い。
味覚も素晴らしかったし、恐らく五感が研ぎ澄まされているのだろうな。
その証拠にこの15年、招待客も使用人も誰も気づいた人はいなかった。
そう、誰一人として。
いつも神経を尖らせている警備長のルーカスですら、もちろん気づいてもいない。
たった二度入っただけのシュウに見つけられることが驚きなのだ。
入り口よりも更に難解なのがこの出口の開閉装置。
この装置がこんな階段の中腹にあるとは思わないだろうから、きっとシュウを持ってしても出口の装置をたやすく見つけることなどできなかっただろう。
シュウは少し考え込んだ様子で、私の顔を見つめた。
そして、私に迎えにきてくれてありがとうと真剣な声で言ってきた。
ああ、やはりシュウは気づいたのだ。
自分一人だとこの装置を見つけられなかったことに。
それを自分で理解し、そしてそのことに対してきちんと詫びることができる……シュウは本当に賢く心が美しい。
この地下室は元々、有事の際にならず者を閉じ込めておくための部屋だ。
だから、内からは敢えてわからないようにしているのだと教えてやると、シュウの身体が恐怖に震えるのがわかった。
恐らく見つけてもらえなかった時のことを思い浮かべたのだろう。
そんなこと、絶対にあり得ないから大丈夫だ!
「いいや、そんなことはない。私がいつでもシュウの居場所を一番にみつけてやるから、心配しなくていい」
そういうと、シュウは嬉しそうに微笑んだ。
シュウが開閉装置を押すと、階段の天井がパッと開き、あのギャラリーへと戻ってきた。
この部屋に入った時はシュウのいない恐怖に襲われていたのが、遠い過去のことのように思える。
今は腕の中にいるシュウの温もりを感じ、幸せでいっぱいだ。
部屋に戻ってこられたことにホッとしたのか、安心した声をあげて私の腕から下りようとするシュウを制して、そのまま抱き抱えながら、心配しているであろうマクベスを呼んだ。
私の呼び声に普段のマクベスなら考えられないほどの勢いで、髪を振り乱し大急ぎで走ってくる。
ああ、ルーカスも一緒か。
マクベスは私と一緒にいるシュウの姿を見つけると、安堵の表情を浮かべふらふらと倒れ込みそうになったのをルーカスがそっと支えていた。
ふっ。相変わらず仲が良いことだ。
シュウは皆に心配をかけたことを謝ると、マクベスはシュウが無事でいただけでよかったと答えた。
そう、これはマクベスの心からの言葉だろう。
ただ無事で居てくれたらいい……みんなそう願っていたはずだ。
「ルーカス、屋敷のみなにシュウが無事に見つかったことを伝えてきてくれ」
ルーカスにまだ力の入らないマクベスを置いて行かせるのは申し訳ない気もしたが、屋敷内でまだシュウが無事なことを知らずに探しまわっているものたちがいるのだから仕方ない。
ルーカスは『はい』と言いながらも先にシュウが胸に抱いているリンネルのことを聞いてきた。
流石に気付かれたな。
地下室で育てているのも内緒にしていたのだから驚くのも無理はない。
ましてや、白のリンネルだ。
「ああ、シュウが部屋で育てるというのでな、連れてきたのだ。マクベス、おまえは気になるか?」
「いいえ、気になると申しますか……
私、リンネルが人に抱かれているところを初めて見ましたもので、それに驚いてしまいまして……」
確かに私がここへ連れてきた時も、怪我をしていたから籠に入れて運んだな。
怪我をしていなければ、リンネルは恐らくそれすらも拒んだことだろう。
シュウだから大人しく抱かれているのだ。
シュウはこんなに人懐っこいのに? と驚いているが、シュウ以外の人間からは人懐っこいなどという言葉は決して出ないだろうな……。
元々人前に出てくるようなものでもないし。
ルーカスはリンネルは神使だから、人が触れれば穢れがつくと言われている。
そもそもリンネルは臆病だから人に自分から近づいてくることはないのだと言っていたが、
穢れ……。
心の美しいシュウには穢れなどないのだろう。
だからこそ、リンネルがシュウにだけ近寄り、甘え、大人しく抱かれるのだ。
シュウの腕の中に居れば、私が頭を撫でても何も文句は言わないのだな、このリンネルは。
そんな分かりやすいリンネルに『ふふっ』と私の口から小さく笑いが溢れる。
「漆黒の色を持つシュウが真っ白なリンネルを抱いていると、なんだか神々しいものに見えるな。神に愛されているシュウに懐いているなら、これは禍を招くものではない。シュウの神使、眷属と言えよう。マクベス、そう思わないか?」
「はい。旦那さま。その通りでございます。きっとシュウさまがこのリンネルをお導きくださったのですね」
導く……。
ああ、そうかもしれないな。
もしかしたら、私がこのリンネルを洞穴で見つけた時から、シュウとの縁は繋がっていたのかもしれない。
ならば、逆にリンネルが私をシュウに導いてくれたのかもしれないな。
このリンネルはシュウの神使、眷属として大切に育てる必要がある。
マクベスにリンネルの寝床を用意するようにと命じ、さらに使用人にこのリンネルを迫害するものは許さないと告げると、マクベスは畏まりましたと言ってその場から離れていった。
今日は昼食も食べていない。
シュウも腹が減っていることだろう。
すぐにでも食事を……と思ったが、シュウは地下室で倒れていたのだ。
服が埃っぽくなっている。
「一度部屋に戻ろう。服が汚れている。食事の前に着替えよう」
シュウを部屋のソファーに座らせ、私は自室にシュウの服を取りに行った。
何を着せようか……。
やはり、あれだな。
あれを着ている時のシュウが、一番私のものだと実感できるのだ。
しかも、今日は今までとは違う。
私の伴侶だと、気持ちが通じ合ってからあの服を着てもらうのはまた格別な想いとなることだろう。
シュウの部屋へ戻ると、リビングにはいなかった。
水音が聞こえているから、顔でも洗っているのだろう。
見るとソファーにはシュウの服に身体を擦り寄せるようにリンネルが横たわっている。
このリンネルは本当にシュウの眷属なのかもしれないな。
そんなことを思いながら、リンネルより少し離れたところに座って待っていると、スッキリした顔をしたシュウが戻ってきた。
「フレッドありがとう」
そう言って私の手から服を受け取り、自身で着替えようとするのを
『私が着替えさせよう』
と、半ば無理やりシュウの服を脱がしたが、シュウは拒むことなく私に着替えさせてくれた。
「あれ、この服……」
「おっ、気づいたか?」
私が意図したことにすぐにシュウが気づいてくれた。
これはシュウのために仕立てた服の中で一番私が気に入っている淡い水色に金の縁取りがされたジャケットと淡い水色のズボンの組み合わせ。
ジョセフが仕立て上げた服の中で、シュウが最も私のものだと実感できるのだ。
ああ、早くこの服を着たシュウと町を歩きたい。
私のものだと見せびらかせてやりたい。
「ぼくもこの服一番好き。フレッドそのものって感じがする色だもんね」
それは嬉しいが……一番好きなどとは……。
なんとも言えないザワザワした気持ちが湧き上がってくる。
この服を仕立てたジョセフに、
この服そのものに、
私は嫉妬しているのだろうか。
自分がこんな狭量だとシュウに知られたくはないが、どうしても聞かずにはいられない。
「その服と私とどっちが好きなのだ?」
ああ、言ってしまった……。
こんな心の狭い私に呆れているだろうか。
しかし、シュウは呆れるどころか
「フレッドは順位なんてつけられないくらい大好きだよ」
とシュウが口付けと共に嬉しい言葉を言ってくれた。
ただそれだけで、先ほどまでのドロドロとした感情が一瞬にして浄化されていく……そんな気がした。
2人で仲良くしていると、突然リンネルの鳴き声が邪魔をする。
このリンネルは、本当にシュウの神使、眷属のようだ。
私とシュウが仲良くしようとするとすぐに邪魔をしてくるのはまだ私をシュウの伴侶として認めていないのだろう。
お前が何と言おうと私はシュウの伴侶となるのだ。
私がリンネルを睨むと、リンネルもまた私にバチバチと火花を散らしていた。
すると、シュウは何を勘違いしたのか、リンネルがシュウに嫉妬していると言い出した。
何を言っているのだ。
リンネルは私の手からシュウを守ろうと邪魔だてしているだけだぞ……そう言おうと思った時、タイミングが良いのか悪いのか、
トントントン
シュウの部屋をノックする音が聞こえた。
マクベスか。
リンネルの寝床を運んできたのだな。
シュウはリンネルの寝床を見て可愛いと喜んでいる。
そんなシュウの方がもっと可愛いのだが。
マクベスがどこに置こうかと言っていると、シュウは自分のベッドの隣にと言い出した。
シュウのベッドの隣だと?
私でさえまだ朝まで過ごしたことがないというのに……。
シュウの寝顔も寝起きの可愛らしい顔も全てこのリンネルに見られてしまうというのか?
そんなこと、絶対に許せるわけがないだろう!
「えっ? だって、リビングでひとりぼっちなんて可哀想じゃない?」
可哀想?
いやいや、リンネルはそもそも洞穴で隠れ住むような習性なのだ。
それこそ、あの地下室にいても何の違和感など感じないほどのな。
シュウには小さくて守ってやりたいと思うような存在なのだろうか?
「ならば、私も一緒に寝よう」
リンネルと一緒など許せるわけがないのだから、私と一緒に寝るしかないだろう?
もう私たちは心も通じ合った恋人だ。
何の問題もないはずだ。
ただ、私の理性が持つかどうかだが……。
「旦那さま。婚姻のお約束もまだですのに同衾など……」
私たちがお互いに愛し合っていると知らないマクベスが婚姻の約束も前に同衾などしてはいけないと注意してくるが、さっきシュウから婚姻の了承は取ったというと、一瞬驚いた表情をした。
マクベス、お前もしや私のいうことを信じてないのではないか?
私の言葉を信じもせず、シュウに私と一緒でいいのかと確認をし始めた。
シュウの焦ったように声にマクベスは私をひと睨みして、シュウにもう一度確認を取った。
「あの、シュウさま……婚姻の了承をされたというのは?」
「あ、はい!!それはまちが……いなく」
シュウが大きな声で『間違いない』と断言してくれた。
ほら、見たか?
私は嘘などつかないぞ、マクベス!
マクベスは嬉しそうにリンネルの寝床をシュウのベッドの右隣に設置し、
『ご夕食の準備を整えて参ります』と言って、部屋を出て行った。
シュウが設置された寝床にリンネルを下ろすと、リンネルは突然『グゥーー』と怒りの声をあげた。
ああ、これは良く聞く声だな。
寝床を用意したマクベスや他の者達の臭いがリンネルにとっては嫌なものだったのだろう。
このリンネルはよほどシュウの匂いに敏感らしい。
シュウはリンネルの寝床に敷いていたブランケットを広げ、自分の匂いをはやくつけるためにマントのように被り、リンネルを胸に抱きとめた。
私もああやって、シュウに抱きしめられたい。
今は叶わぬからとりあえずシュウを抱きしめるとするか。
リンネルを抱くシュウを抱きしめていると、シュウがリンネルに名前をつけたいと言い出した。
リンネルに名前……そんなこと考えたことも無かったな。
リンネルはリンネルだろう?
まあ、しかし本当にシュウの眷属ならば名前も必要か。
シュウ自らがこのリンネルに名前を与えることによって、このリンネルはシュウを護るという力を今よりも更に得ることだろう。
「ねぇ、フレッド。『パール』っていう名前どうかな? あ、この国で悪い意味とかある?」
「『パール』? いや、この国にそのような言葉はないはずだ。不思議な響きだが……『パール』、良い名前だな」
やはり、シュウの故郷の言葉は不思議な響きがする。
パール、いい名前だと思うがどんな意味があるのだろうな?
シュウはリンネルに『パール』はどうかと聞いているが、リンネルがシュウの与えた名前を嫌がる訳がないだろう。
そう思っていると、リンネルは
『キュウンキュン』と甘えた声を出し、あろうことかシュウの頬を長い舌でペロペロと舐めていた。
指先ばかりか私のシュウの頬まで勝手に舐めるなど、このリンネルは私をよほど敵に回したいようだな。
「ふふっ。気に入ってくれたの? 舐めたらくすぐったいよぉ」
私の煮えたぎるような嫉妬にも気づかずに、寝室でいちゃつくなど、いくらシュウと言えども許されることではないぞ。
私は無言でシュウの胸元からリンネルを奪い取り、寝床へと下ろした。
私の突然の行動に驚くシュウの言葉には応えず、後ろから抱きしめていた手を強め、シュウの汗の匂いをほんのり纏わせた首筋に顔を擦り寄せ、ペロっと舐め上げた。
「ひゃあぁっ」
シュウの汗はなぜこんなに香しく、心地良いのだろうな。
この汗 一雫さえも全て私のものだ。
「私がいるのに寝室で他の男と戯れ合うなど、シュウにお仕置きが必要だな」
「ちょ、ちょっと待って。フレッド、お仕置きって?」
ふふっ。焦るシュウも可愛らしい。
愛し合う者へのお仕置きと言えば、わかりそうなものだが……純粋無垢なシュウにこれから何もかも教え込むのはこの私だ。
まだそれには早い。
ゆっくりじっくり時間をかけてシュウの心と身体を手に入れよう。
だが、私が頭の中でシュウに不埒なことを考えているなどとは、シュウは想像もしていないのだろうな。
私はシュウを抱き抱えたまま、ベッドを下り
『さぁ、食事に行こう』と声をかけ扉へと向かった。
シュウにリンネルが何を食べるのかと尋ねられたが、私は適当にその時にあるフルーツやきのこをあげていた。
そもそもリンネルが何を食べるかなんて知られていないしな。
シュウはダイニングルームに一緒に連れて行きたいと言い出したが、まだそれはちょっと難しいのではないか?
マクベスだけならともかく他の使用人も目にすることだし……もう少しみなに耐性をつけてからにでもしないか?
そうシュウに言おうとしたのだが、
「うん。フレッド……おねがぁい」
至近距離でのシュウの上目遣いと甘えた言葉に一瞬にして落ちてしまった。
これはズルいだろう……
心の声がほんの少し漏れてしまった気がした。
心を落ち着け、呼吸を整えてから
「良いだろう……連れて行こう」
と言うと、
「わぁい。ありがとう!」
シュウは嬉しそうにそう言って、私の首に手を回し隙間がないほどにぎゅっと抱きついてくれた。
その瞬間、ふわっとシュウの匂いが香る。
こんなに近くでシュウを感じられる幸せに私は浸っていた。
パールを胸に抱いたシュウを抱き抱えたまま、ダイニングルームへと向かうと、マクベスはリンネル……あ、パールの居場所を用意していた。
シュウが連れて行きたいと言うに違いないと確信していたのか。
こう言うところが、マクベスは抜け目がない。
シュウはリンネルに『パール』という名前をつけたことをマクベスに告げた。
リンネルに名前など付けるものなど初めてだろうに、マクベスは驚きもせずすぐにパールの名を口にした。
そういうところはさすがマクベスだなと感心する。
パールは与えられた場所で鼻をスンスン鳴らすと、また威嚇の声をあげていた。
やはりシュウ以外の匂いは受け付けないようだ。
マクベスが部屋から持ってきた先ほどのブランケットをかけてやると、パールは大人しくなった。
やはりな。
「フレッド、ありがとう!」
「パールはよほどシュウの匂いが落ち着くようだな。私と同じだ」
同じも何も、そもそもシュウの匂いも全て私のものなのだが……。まぁ、いい。
私はそこまで狭量ではないのだからな。
珍しく食事がスープから始まったのは最初に固形物である前菜より、スープにした方が身体に良いとの判断なのだろう。
これはマクベスの指示なのか、それともローリーの考えなのか……とにかく流石だな。
シュウはスープを一口啜り、私に謝罪の言葉を述べた。
シュウは本当に人の気持ちが分かるんだな。
まるで心の中が読めるようだ。
母親に捨てられ、仕事先でもいいように使われ、挙げ句の果てに盗人呼ばわりまでされて追い出されたと言うのに、シュウからはその者たちへ文句や悪口すら一切聞かない。
なぜそんなに優しい心を持ってここまで生きてこられたのか不思議でならない。
これからはシュウを傷つける者など私が絶対に許さない。
だからいつまでも心優しいシュウでいてくれ。
みんなお前の優しさに癒されている。
「シュウ、もう気にするな。シュウが無事だったのだから、もうそれで十分だ。ローリーがお前のために心を込めて作ってくれた食事を美味しくいただこう」
そう言ってやると、シュウは安心した表情で、その後の食事も全部平らげた。
食後のフルーツは苺だ。
今日の視察で領民たちから献上されたものだが、
きっとシュウも気にいることだろう。
「わぁ、苺美味しそう」
なんと幸せそうな顔で苺を頬張るのか……。
その顔を見ているだけで私も幸せになれるな。
シュウがあまりにも嬉しそうな顔をするものだから今度視察に一緒に行ってみないか? と誘うと、シュウは生きたい、行きたいと嬉しそうにいってくれた。
シュウがこんなに乗り気とは……。
ああ、私の色の服を着せて、領民たちの前に現れる姿を想像するだけで胸が高鳴る。
「領民たちにも次回は伴侶も一緒にと言われたしな。シュウが一緒に行ってくれたら私は嬉しい。どうだ? 一緒に行ってくれるか?」
「うん! もちろん……………ねぇ、フレッド。領民さんたちにぼくのこと話したのっていつなの?」
えっ??
私は今何を言ってしまったのだ??
伴侶も一緒に……と、
ああっ、何と言うことだ!!!!!
シュウが乗り気になってくれたことが嬉しくて、口が滑ってしまった…………。
勝手に伴侶だと吹聴していたことがシュウに知られてしまった……。
せっかくシュウと心が通じ合ったというのに、これでシュウに嫌われてしまうのか……。
嫌だ、嫌だ。
でも…………
ああ、それも致し方ないことか……。
私が嘘をついたことがそもそも悪かったのだ。
はぁ……。
シュウのあの綺麗な瞳が、私を軽蔑の眼差しで見つめるのか……。
はぁ……。
もう辛すぎる。
先ほどまで幸せの絶頂にいたと思っていたのに、破綻するのはあっという間なのだな。
それも因果応報、身から出た錆というやつだ。
マクベスが全て真実を話すべきですと目で訴えながら圧をかけてくる。
それはわかっている。
しかし……。
痺れを切らしたのか、マクベスは
『旦那さま』と声をかけるとダイニングルームにいた使用人たち全てを引き連れ部屋を出ていった。
シュウと2人っきりの空間がこんなに恐ろしく思ったのは初めてだ。
ああ、もう全て吐き出して謝るしかないな……。
あ、あの……シュウ。怒らないで聞いて欲しいんだが……」
「うん。どうしたの?」
シュウの穏やかで優しい返答に緊張が高まる。
「私は……シュウと初めて会った時から惹かれていた。シュウを手放したくなくて、秘書になって欲しいと言ったが、あの時から私はシュウを伴侶として扱ってきた。
屋敷の者にも、そして、シュウに関わる全ての人にシュウは私の伴侶だと伝えていた。
シュウの気持ちを私に向けるために外堀から埋めようとしたのだ。だから……」
「だから、領民さんたちにもぼくのこと伴侶だって紹介したの?」
シュウのいつもと変わらぬ声が私を追い詰めていく。
もう終わったのだな……。
「申し訳ない。シュウの気持ちも聞かぬうちにそのようなことを……」
私は椅子から下り、その場に膝を揃えて座ると床につかんばかりに頭を下げシュウに謝った。
床にひれ伏しシュウの言葉が何も聞こえないまま、
目の前にシュウの気配を感じた。
恐る恐る顔を上げると、シュウの綺麗な瞳が私を見つめていた。
「ねぇ、フレッド。ぼく全然怒ってなんかいないよ。むしろ、嬉しいくらい」
「シュウ、なぜだ? 私はシュウの気持ちも考えずに勝手に……勝手に伴侶などと吹聴したのに……」
笑顔で嬉しいなどというシュウに驚いてしまい、シュウの肩をつかんでしまう。
「フレッドが最初からそう思ってくれてたなんてビックリしたけど、伴侶になるとかはともかく、ぼくもフレッドのこと惹かれてたし……今となっては現実になったんだから謝ることないんじゃない? 少なくともぼくはフレッドがそう思っててくれたこと嬉しいなって思うよ」
シュウの言葉ひとつひとつが嫌われるかも知らないと恐れていた私の心を癒していく。
と同時に涙が溢れ出てしまう。
「ああ、シュウ。君はなぜそんなに優しいんだ! 本当のことを知られたらきっと嫌われると思っていたのに……」
「ふふっ。フレッドってばかだなぁ。そんなことで嫌いになったりするわけないじゃない。でも……」
「でも、なんだ?」
やはり、何か引っ掛かる事があるのか?
嫌いでなくとも信用できないとでも思われたのかも……。
ああ…………。
「フレッドみたいな素敵な人の伴侶と思われてたなんて……ドキドキしちゃうね」
思ってもみないシュウの言葉にぎゅっと心臓が掴まれ息が止まってしまうかと思った。
『ぐぅっっ、はぁーーーっ』
咄嗟に大きな深呼吸をして、手で顔を覆い隠した。
「んっ? フレッド、どうかした?」
シュウは私の心を弄ぶ天才なのだな。
シュウの言葉が、行動が、仕草が、全てが私を捕らえて離さない。
もう私はシュウ以外のものを愛するなどできないし、シュウを誰にも渡すことはできない。
ああ、このままずっとシュウと一緒に生きていく。
私はそう思いながら、シュウをずっと抱きしめていた。
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