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思い出語り
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平松くんとの思いがけない濃密な時間を過ごして私もベッドに身を横たえた。
流石に明日に葬儀を控えた今の状況で部屋に忍び込んでくることはなかったが、警戒のためにあまり熟睡はできなかった。
今の時代、あまり寝ずの番はしなくなっているようだが、祖父が同じ家にいるというのはもう今夜で最後だと思うと、ゆっくりと祖父との時間を過ごしておきたくて、私はそっと部屋を出て、祖父のいる仏間に向かった。
すると、真っ暗な廊下に仏間からの光が漏れ出ていて、誰かが寝ずの番をしていることに気づいた。
まさか父ではないだろう。
祖父の兄弟かと思ったが、そっと障子を開けた先にいたのは、祖父の秘書だと言っていたあの彼の姿だった。
「起きていらっしゃったのですか?」
「ひゃっ」
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたね」
「あ、いえ。声をあげたりしてこちらこそ申し訳ありません」
「蝋燭も線香も長時間用を灯していますので、ついていていなくても大丈夫ですよ」
「はい。それはわかっています。ただ、私の意思で社長と離れたくなかっただけです。もう、おそばにいられるのも今日で最後ですから……」
「そうですか……。あなたのような方に最後の時間を共に過ごしてもらえて祖父もきっと喜んでいますよ」
「そんな……っ、私なんて……」
泣き腫らした目。
窶れた表情。
彼は祖父に上司以上の気持ちを持っていたのだろうか……。
今更そんな無粋なことは聞かないが、彼が二人だけで最期の時間を過ごしたいというのなら邪魔しないほうがいいだろう。
「どうかお好きなだけ、祖父との時間をお過ごしください。ですが、明日もまた告別式などで忙しくなるでしょうから無理だけはなさらないようにしてください。少しは身体を休ませた方がいいですよ」
「はい。あの……少しだけ、お話させていただいてもよろしいですか?」
「ええ。構いませんが……」
「こちらにどうぞ」
祖父が眠るそばに座布団を置かれ、私は案内されるままに腰を下ろした。
「あの……名前をお伺いしてもよろしいですか? 先ほどは秘書としか伺っておりませんでしたので……」
「あっ、失礼いたしました。私、久代要と申します」
「久代さんは、祖父の秘書になって長かったのですか?」
「15年近くなります。確か、崇史さんが東京を離れられた頃かと……」
「そうでしたか」
「崇史さんは本当に東京に戻られるおつもりはありませんか?」
「ええ。先ほども申し上げたとおり、私はやるべきことを見つけましたし、守りたい存在もいますから今更東京に戻るつもりはありません。今こうして祖父の前でしっかりと告げておきます。私は後を継ぐつもりはありません」
「そうですか……」
絶望にも似た表情で俯かれると、私が悪いことをしているような気にさせられるが、ここで嘘をつくわけにはいかない。
祖父の前だからこそ、本音で話さなくてはいけないんだ。
「久代さんはどうしてそこまで祖父の会社を存続させようと思われるのですか?」
「……私は、八尋社長に救われたんです」
「祖父に、救われた? どういう意味ですか?」
「私は以前、別の会社に勤めていました。ですが、上司からのパワハラとセクハラに悩んで……生きているのも嫌になって、電車に飛び込んでしまいたい衝動に駆られたんです。フラフラと遮断機を潜って線路に入ろうとする私の腕を引っ張ってくれたのが八尋社長でした。そのまま車に乗せられて……ご自宅に連れて行ってくれたんです。ミルクと砂糖たっぷりの温かいコーヒーを飲ませてもらって、泣いてばかりで話もできない私の横で静かに待っていてくれたんです。そして引き出されるままに辛い胸の内を話して、そんな馬鹿な奴らのために大事な命を捧げる必要はないって言ってくれたんです。そして、社長のおかげで会社を辞められた上に、私を秘書として雇ってくださったんです。私はその恩に報いるために、この15年社長のおそばにいたんです。社長がどれほどあの会社を大切に思っているかも知っています。だからどうしても無くしたくなくて……」
「そうでしたか……。祖父とあなたにそんな過去が……知らなかったな。祖父にもそんな一面があったんですね」
彼がこんなにも祖父の会社を守ろうとするのはそんな理由があったからか。
「でしたら尚更、私が後を継ぐべきではないと思いますよ」
「えっ、でも……」
「社長となって会社をやっていくというのは、それ相応の気持ちが必要なんですよ。私にはそれだけの思いも力もありません。それに……あなたが会社に囚われてしまうのは祖父も望んではいないのではありませんか? あなたはまだ若いんです。祖父と一緒にいたこの年月で培った力を別のことに役立ててもいいと思いますよ。もちろん、あなたが祖父の会社を継ぎたいというのなら反対はしませんけど」
「社長が、望んでない……」
「私はそう思いますよ」
祖父に視線を向ける久代さんに、少し休んだ方がいいと告げて私は部屋に戻った。
流石に明日に葬儀を控えた今の状況で部屋に忍び込んでくることはなかったが、警戒のためにあまり熟睡はできなかった。
今の時代、あまり寝ずの番はしなくなっているようだが、祖父が同じ家にいるというのはもう今夜で最後だと思うと、ゆっくりと祖父との時間を過ごしておきたくて、私はそっと部屋を出て、祖父のいる仏間に向かった。
すると、真っ暗な廊下に仏間からの光が漏れ出ていて、誰かが寝ずの番をしていることに気づいた。
まさか父ではないだろう。
祖父の兄弟かと思ったが、そっと障子を開けた先にいたのは、祖父の秘書だと言っていたあの彼の姿だった。
「起きていらっしゃったのですか?」
「ひゃっ」
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたね」
「あ、いえ。声をあげたりしてこちらこそ申し訳ありません」
「蝋燭も線香も長時間用を灯していますので、ついていていなくても大丈夫ですよ」
「はい。それはわかっています。ただ、私の意思で社長と離れたくなかっただけです。もう、おそばにいられるのも今日で最後ですから……」
「そうですか……。あなたのような方に最後の時間を共に過ごしてもらえて祖父もきっと喜んでいますよ」
「そんな……っ、私なんて……」
泣き腫らした目。
窶れた表情。
彼は祖父に上司以上の気持ちを持っていたのだろうか……。
今更そんな無粋なことは聞かないが、彼が二人だけで最期の時間を過ごしたいというのなら邪魔しないほうがいいだろう。
「どうかお好きなだけ、祖父との時間をお過ごしください。ですが、明日もまた告別式などで忙しくなるでしょうから無理だけはなさらないようにしてください。少しは身体を休ませた方がいいですよ」
「はい。あの……少しだけ、お話させていただいてもよろしいですか?」
「ええ。構いませんが……」
「こちらにどうぞ」
祖父が眠るそばに座布団を置かれ、私は案内されるままに腰を下ろした。
「あの……名前をお伺いしてもよろしいですか? 先ほどは秘書としか伺っておりませんでしたので……」
「あっ、失礼いたしました。私、久代要と申します」
「久代さんは、祖父の秘書になって長かったのですか?」
「15年近くなります。確か、崇史さんが東京を離れられた頃かと……」
「そうでしたか」
「崇史さんは本当に東京に戻られるおつもりはありませんか?」
「ええ。先ほども申し上げたとおり、私はやるべきことを見つけましたし、守りたい存在もいますから今更東京に戻るつもりはありません。今こうして祖父の前でしっかりと告げておきます。私は後を継ぐつもりはありません」
「そうですか……」
絶望にも似た表情で俯かれると、私が悪いことをしているような気にさせられるが、ここで嘘をつくわけにはいかない。
祖父の前だからこそ、本音で話さなくてはいけないんだ。
「久代さんはどうしてそこまで祖父の会社を存続させようと思われるのですか?」
「……私は、八尋社長に救われたんです」
「祖父に、救われた? どういう意味ですか?」
「私は以前、別の会社に勤めていました。ですが、上司からのパワハラとセクハラに悩んで……生きているのも嫌になって、電車に飛び込んでしまいたい衝動に駆られたんです。フラフラと遮断機を潜って線路に入ろうとする私の腕を引っ張ってくれたのが八尋社長でした。そのまま車に乗せられて……ご自宅に連れて行ってくれたんです。ミルクと砂糖たっぷりの温かいコーヒーを飲ませてもらって、泣いてばかりで話もできない私の横で静かに待っていてくれたんです。そして引き出されるままに辛い胸の内を話して、そんな馬鹿な奴らのために大事な命を捧げる必要はないって言ってくれたんです。そして、社長のおかげで会社を辞められた上に、私を秘書として雇ってくださったんです。私はその恩に報いるために、この15年社長のおそばにいたんです。社長がどれほどあの会社を大切に思っているかも知っています。だからどうしても無くしたくなくて……」
「そうでしたか……。祖父とあなたにそんな過去が……知らなかったな。祖父にもそんな一面があったんですね」
彼がこんなにも祖父の会社を守ろうとするのはそんな理由があったからか。
「でしたら尚更、私が後を継ぐべきではないと思いますよ」
「えっ、でも……」
「社長となって会社をやっていくというのは、それ相応の気持ちが必要なんですよ。私にはそれだけの思いも力もありません。それに……あなたが会社に囚われてしまうのは祖父も望んではいないのではありませんか? あなたはまだ若いんです。祖父と一緒にいたこの年月で培った力を別のことに役立ててもいいと思いますよ。もちろん、あなたが祖父の会社を継ぎたいというのなら反対はしませんけど」
「社長が、望んでない……」
「私はそう思いますよ」
祖父に視線を向ける久代さんに、少し休んだ方がいいと告げて私は部屋に戻った。
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