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甘く優しい音

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ユヅルは演奏部屋に目を向けながら、お父さんの演奏部屋かと尋ねてきた。
もうすっかりお父さんが板に付いている。
こんな可愛い息子からお父さんだなんて呼ばれたらきっとニコラは喜んだだろうな……。

この演奏部屋はニコラがプロの演奏家として活躍するようになってから作られた。
ニコラがなんの妥協もなく拘りを詰め込んだだけあって、ここで弾くヴァイオリンの音の響きは圧巻だ。

ニコラが亡くなってからはずっと閉じられたままになっていたこの部屋を、ミシェルに使わせたいとセルジュが頼んできたのはミシェルがプロの演奏家としての一歩を踏み出した頃だったか。

この部屋で練習を重ねるうちに、ミシェルの腕はぐんぐんと上がった。
そして、今日……この部屋にニコラの息子が入る。

あの舞台でニコラの指導を受けているアマネの姿が甦ってくる。
あの時のニコラもアマネもとても幸せそうだったな……。

この部屋でアマネがニコラの指導を受けていたと話すと、ユヅルは感慨深そうに部屋を眺めた。
何一つニコラとの思い出を持たないユヅルは、ここで何を感じるだろうか。

『エヴァンさん、僕がユヅルを案内してもいいですか?』

『ミシェル、偉いな。確認してくれるのか?』

『だって、エヴァンさんがユヅルをすごく心配しているのがわかったから。あの……さっきはごめんなさい……』

『ああ、わかってくれればいい。ユヅルはこのフランスに知り合いも友達もいないから、ミシェルがユヅルの良き兄さんのような存在になってくれたら嬉しいと思っているんだ。ミシェル、やってくれるか?』

『僕が……ユヅルの、兄さん……。弟みたいで可愛いと思ってたけど、そうか……。僕が、兄さん……。兄さんなら弟を危ない目に遭わすわけにはいかないですよね』

『そうだ。ユヅルのことを最優先に考えてくれ。もちろん、私に心配をかけないように。ミシェル、できるか?』

『わかりました! 僕、ユヅルをしっかりと守ります!』

『そう言ってくれると安心だ。じゃあ、中を案内してやってくれ』

『わぁーっ! エヴァンさん、ありがとうございます!』

ミシェルは嬉しそうに笑顔を見せると、ユヅルの手を取って演奏部屋へと入っていった。

『ちょ――っ』

別に手は繋がずとも良いのだが……。

『はぁー、ミシェルには敵わないな』

『エヴァンさま、申し訳ありません』

代わりに頭を下げるセルジュを見ながら、

『お前、ミシェルの子守りは大変だろう?』

と尋ねてみた。

『えっ? まぁ、確かに大変なところもありますが、あれでいてなかなかに気を遣える子なのですよ。ユヅルさまがここでのびのびとお過ごしになれるように振る舞っているようですし』

『それはそうだな。ミシェルのおかげでユヅルも楽に過ごせている様子はある。だが、やりすぎないように十分注意はしてくれ。さっき、ミシェルにも言ったからわかってくれたとは思うが……』

『はい。私にお任せください。では、私たちも参りましょう』

セルジュに促され演奏部屋に入ると、ユヅルとミシェルは舞台の中央に立っていた。
ニコラと姿が重なる。
ああ、本当にここに連れてこられて本当によかった。

『旦那さま。どうぞこちらを』

さっとジュールがあのストラディヴァリウスを手渡してくる。
本当に非の打ちどころのない執事だな。

私はジュールに手渡されたストラディヴァリウスを手にユヅルのいる舞台へと向かった。
ユヅルにそれを手渡した瞬間、

『うわぁっ!! ストラディヴァリユスだ!!!』

とミシェルの興奮した声が演奏部屋に響き渡った。
ヴァイオリニストなら一度は弾いてみたいと熱望する代物だ。
ひと目見て気づくのは当然だろう。

目を輝かせてユヅルの手にあるそれを見つめながら、ミシェルは私からの贈り物かと尋ねてきた。

「これはニコラのだ。ニコラがユヅルの母であるアマネに贈ったものだよ」

そう教えてやると、納得したように頷きながらもうっとりとストラディヴァリウスに魅入っている。

「弾いてみますか?」

ユヅルの言葉に私は驚いた。
このストラディヴァリウスは言わば、ニコラとアマネの形見であり宝物と言ってもいい。
それを惜しげもなくミシェルに渡す、そのユヅルの気持ちに驚いたのだ。
ユヅルにとって、ミシェルは宝物を貸してあげてもいい……そんな存在になっているのだな。

ミシェルは少し考えたように見えたが、すぐに断った。

「僕はそんな域に達してないし、それに……このviolonがあるからいいんだ。このviolonはセルジュが僕に贈ってくれた相棒だからね」

演奏部屋に大切に保管してあるヴァイオリンを愛おしそうに撫でる姿に、私ですら感動したのだから、セルジュの想いは相当だったことだろう。

すぐにミシェルを抱きしめに行き、甘くミシェルの名を囁くセルジュはこの上ないほど幸せそうに見えた。

甘くしっとりとした時間が流れた後で、ミシェルがユヅルの演奏を聞きたいと本題に入った。

「ユヅルの好きな曲がいいな」

そう言われて、ユヅルはいつものように大きな深呼吸をして、ストラディヴァリウスを構えた。

ユヅルの好きな曲……一体何を弾いてくれるのだろう……。

少し緊張しながら、ユヅルを見つめていると甘く優しい音がスーッと耳に馴染むように入ってきた。
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